1月10日(2句)
★金色の夢ふくらます福寿草/廣田洋一
路地に植えた福寿草は正月を過ぎるころからようやく花を開く。地面近く花を開く福寿草は金色といってよいほどの黄色。日差しを受けて、上等な金色の夢をふくらませているようだ。(髙橋正子)
★人ひとり浜へ投石寒夕焼/弓削和人
「投石」と聞いて、なにごとかと思うが、「投石」もいろいろ。この句の投石は遊びであろう。人がひとり、寒夕焼けの広がる浜辺で石を投げている。男であろう。なにか心に思うところがあるのか、単に投げてみているのか、それはどちらでもいい。こういう景色があった事実。(髙橋正子)
1月9日(2句)
★松の内淡路へ渡る船に乗る/多田有花
松の内の小さな旅。本州を離れ、淡路島へ船で渡る。島は淑気に満ちている感じさえする。「松の内」がいい。(髙橋正子)
★松納屋根より落つる雪溜/弓削和人
松納の日、屋根よりどさりと雪の塊が落ちた。危ないことであるが、松の内は雪下ろしも休んだのであろうか。屋根に雪溜ができて、どさりと落ちたとき、正月が終わったという意味に。(髙橋正子)
1月8日(2句)
★露凝るや一画見ゆるガラス窓/桑本栄太郎
「露凝る」が美しい。窓の露の結露を言っているのではなく、ガラス窓から露凝る草の葉がある一画が見えるのである。それをガラス窓のある暖かい室内から覗き見たのだ。(髙橋正子)
★成人の日髪結ひ上げて清楚なり/廣田洋一
髪を結い上げて、清楚な印象の成人。「清楚」なりと断定して迷いがないのは、そこに「若さ」と「初々しさ」を見たからであろう。成人を寿ぎたい。(髙橋正子)
1月7日(1句)
★七草の粥の土鍋の息吹かな/桑本栄太郎
七草粥を炊く土鍋が噴いている様子を「息吹」と見た。比喩の「息吹」に嫌味がないのは、あおあおとした「七草」の命を思うからである。(髙橋正子)
1月6日(2句)
★福笑最後に笑ふ子のをりて/廣田洋一
福笑をしてみんなが笑った後に笑う子がいる。みんなが笑うのがおかしくて笑ったのかもしれないが、マイペースというか、福を招くような面白い子である。(髙橋正子)
★ともがらと火の粉を払うとんどかな /弓削和人
同輩と話ながらどんどの火を囲んでいたのだろう。燃やすものが時に爆ぜて火の粉が飛ぶ。その火の粉を払いながら、どんどを見守る。捉えてかたにうまさがある。(髙橋正子)
1月5日(1句)
★被災者の消息知りぬ五日かな/桑本栄太郎
今年の新年は元日夕方の能登半島地震に始まった。地震が起きてすぐは、情報はばらばらで、何がどうなっているのわからない。5日になって消息もほぼ知れるようになった。生活も普段にもどるころ。5日間という時の経過。(髙橋正子)
1月4日(1句)
★新春の川に魚影の豊かなり/多田有花
新春の川をのぞき込むといろんな魚影が元気に動くのが見える。「豊かなり」は、新春だからこそ思えることだろう。(髙橋正子)
1月3日(1句)
★わずかずつ盛られてうれし節料理/多田有花
有花さんは旅の宿で大晦日から新年を過ごされたようだ。その宿でのお節。わずかずつ盛られて、色とりどりで、にぎやかで、かわいくて、まず目から楽しだ。(髙橋正子)
1月2日(2句)
★初笑い静かな男のヘルパーと/川名ますみ
いつもはもの静かな男性のヘルパーだが、ちょっと冗談めいたことを言ったののだろうか、それとも反対にますみさんが言ったか。思わずそれが初笑いとなった。明るい新年となった。(髙橋正子)
★歩み行く恵方詣りや大原野/桑本栄太郎
恵方詣は、その年の恵方にあたる神社に詣ることだが、今もそのしきたりがあるのか。大原野は今は住宅地になって淋しさはそれほどないのだろうが、歌に詠まれてきた「大原野」のイメージは拭えない。その大原野を歩いて初詣にでかけた。「歩み行く」がいい。(髙橋正子)
1月1日(5句)
★渓流の流れ清らや年新た/小口泰與
年が新しくなってみると、いつもの渓流もいや増して清らかな流れとなっている。すがしいことだ。(髙橋正子)
★初春や早咲きの梅光りをり/廣田洋一
初春の早咲きの梅の光が小さくも凛としている。さきがけの生命力がいい。(髙橋正子)
★日はすでに高く昇りぬ初御空/桑本栄太郎
「日はすでに高く昇りぬ」は、うらうらと春のような様子。初御空に春らしさを見た。(髙橋正子)
★去年今年伊豆里山の温泉に/多田有花
伊豆の里山の温泉の去年今年。太くどっしりと年があらたまった印象がする。
(髙橋正子)
★羽後国(うごのくに)に馴染みてはやき去年今年/弓削和人
和人さんは、去年田沢湖のある市に転勤され、美しい田沢湖を巡ったり眺めたり、仕事をし、すっかり「羽後国」に住み慣れて新年を迎えられた。俳句を作ることで、土地への愛着も早く湧くのではと私は思っているが、どうであろうか。(髙橋正子)