10月10日
※該当句無し
10月9日(1句)
★赤き実の芝生に落つる寒露かな/桑本栄太郎
「寒露」は、二十四節季のひとつで、草花に冷たい露が降りる頃、10月8日ごろになる。晩秋の季語。冷たい露が降りる日、芝生に落ちた赤い実が目に鮮やかに映る。実が落ちることも、それが赤であることも、寒くなっていく季節をよく感じさせてくれる。(髙橋正子)
10月8日(1句)
★谷あいのくつきり青く秋気満つ/桑本栄太郎
青い山と青い山がせまる谷あいがくっきり見える。谷の合間は秋の澄んだ空気が目に見えるかのように満ちている。(髙橋正子)
10月7日(1句)
★ゆるやかな坂の果なり秋の雲/川名ますみ
ゆるく上り坂になって、その果てに秋の雲が浮かんでいる。単純な景色に浮かぶ秋の雲に、思いが集中し、またそこから思いが広がる。秋の雲に寄せる楽しい思いが読みとれる。(髙橋正子)
10月6日(1句)
★雨やめば鵙の高音の始まりぬ/多田有花
鵙はよほど晴れた日が好きらしい。晴天の日は朝から鵙が猛々しく鳴いている。雨が止むのを待つかのように、雨が止んだらすぐ鳴きはじめる。この鵙の高音は縄張りのためとのこと。11月ごろまでこの縄張りの声が聞かれる。(髙橋正子)
10月5日(2句)
★窓枠に星の散りゆく夜さむかな/弓削和人
★お神楽や秋の湖底に谺して/弓削和人
二つの俳句について、「窓枠、」「湖底」は日常的に使う言葉であれば、飛躍がある(不正確)と言えるが、この二つは一句のなかの詩語としての象徴性をもった言葉として解釈する。
第1句は、寒く、ガラス窓のガラスを意識させないほど空気が澄んだ夜、窓枠の内に星が散っている、という北国のメルヘンのような景色。
第2句は、里神楽の笛の音などが、静かな湖底まで響いているような感じがする情景を詠んだ句。(髙橋正子)
10月4日(2句)
★秋蝉の力あふるる声聞こゆ/小口泰與
秋蝉はか細い声で鳴くと思われているかもしれないが、最後の力をふり絞って力強く鳴いている蝉の声を耳にした。力強さが、かえって切ない気持ちを呼び起こしている。それが「秋蝉」である。(髙橋正子)
★わが影の刈田に遠く映りおり/多田有花
刈田に自分の影が長く伸びている。その影は遠いところまで影が伸びているのだ。それが「遠く映り」なのだ。「遠く」に意外性が、面白い。(髙橋正子)
10月3日(2句)
★街川に小さき群の渡鳥/廣田洋一
街の川にも小さい渡鳥の群が来て、しずかに泳いでいるのを見ると、嬉しくなる。渡り鳥を迎えた気持ちがさらりと詠まれているのがいい。(髙橋正子)
★曼殊沙華家路の子らへ夕陽かな/弓削和人
絵本にあるような光景。曼殊沙華が赤く咲いて、家へ帰る子供たちが夕陽に染まっている。曼殊沙華も子供たちも大きな夕陽の中に一つの世界となっているのがいい。(髙橋正子)
10月2日(1句)
★青空に旗火あがりぬ体育祭/桑本栄太郎
「旗火」は、広辞苑にはないので、この呼び方で通用するかは疑問であるが、
音だけの花火のこと。青空に音花火が上がり、体育祭の開催を知らせている。青空に響く音に、心がわくわくと逸る。(髙橋正子)
10月1日(1句)
★登り来て秋のダム湖を一望す/多田有花
散文のようであるが、5-7-5の快いリズムがある。秋のダム湖は澄んだ水がしずかに湛えられ、ダム湖に続く山にはうす紅葉が見られる。「一望す」には、すっきりとしたダム湖の景色が読みとれる。(髙橋正子)