[8月10日]
★高架路をカーブしかなかなの森へ/川名ますみ
高架の路をカーブすると、かなかなの鳴く森へ入った。「高架」「カーブ」が案内する別世界は、かなかなの声が響き渡る、森の童話を思わせるようなところ。(高橋正子)
[8月9日]
★亡き父の好物だった新豆腐/迫田和代
新豆腐は、今年できた大豆で作られる。残暑きびしい中で食べる新豆腐は、夏ばてした体を元気にしてくれるようだ。新豆腐に亡き父の笑顔が思い浮かんでくる。(高橋正子)
[8月8日/2句]
★川底の魚のしるきや秋近し/小口泰與
秋が近づくと水も澄んでくる。川底の魚もはっきりと見える。自然界は、こんなところから秋になっていく。(高橋正子)
★鱸釣り大物提げし男かな/河野啓一
鱸(すずき)の旬は6月から8月で夏の代表的魚。すらりとした精悍な顔つきの鱸は、出世魚でもあり、その大物を提げた男の姿は実に逞しい。(高橋正子)
[8月7日/2句]
★女子高生連れ立ち帰る青田道/多田有花
女子高校生は、青田のような時代。若く溌剌としている。その青田道を連れ立って帰るのは、農村地帯の純朴そうな女子高生。その女子高生と青田道の取り合わせがいい。(高橋正子)
★大空は淡き水色今朝の秋/高橋秀之
「今朝の秋」が実感をもって詠まれて、それがさわやかだ。「大空」もいい。広々とした空が淡い朝の水色で詩情がある。(高橋正子)
[8月6日]
広島平和記念式典参列
★黙祷や雨の青芝踏みしめて/佃 康水
広島平和記念式典は、8月6日の原爆投下の日に行われる。原爆投下の日は、暑い日であったことを思えば、青芝に雨が降る式典は戦後69年経った歳月の経過を思わせる。式典に参列したケネディ大使がレインコートを着る新聞を見て、広島がこの日雨だったことを知った。(高橋正子)
[8月5日]
★ベランダにピザとワインの遠花火/小西 宏
ベランダで涼みながらピザとワインを楽しもうとしていると、遠くに花火の音が聞こえ、見えるのだろう。花火でワインとピザを楽しむ生活が今風で洒落ている。(高橋正子)
[8月4日/2句]
★夏富士の風乾くとき影の濃し/小西 宏
「風乾く」は、風が肌にさらりと感じられる日だろう。そういった日遠く眺められる富士山の影が濃い。あきらかである。(高橋正子)
★大皿に白く四角い冷奴/高橋秀之
大人数に用意された冷奴。大皿の白く四角な冷奴が、「白」「四角」のイメージで如何にも冷たく涼やかだ。(高橋正子)
[8月3日/2句]
★どこまでも波打つ稲穂のうすみどり/黒谷光子
どこまでも波打つ稲田のあるのどかな村。稲の穂のうすみどりが新鮮だ 。(高橋正子)
★バッグ背にバスに乗り来る日焼の子/桑本栄太郎
夏休みのちょうど真ん中。すっかり日焼けた子がバッグを背負って勇んでバスに乗ってきた。
夏休みを楽しんでいる子、それに温かいまなざしを注ぐ作者がいる。(高橋正子)
[8月2日]
★故郷の青い鬼灯水の音/迫田和代
故郷の夏の思い出は青い鬼灯と水の音である。鬼灯にはお盆と重ねて、暑い戦争の夏を思い出させるものがある。(高橋正子)
[8月1日]
★草むしり清められたる慰霊碑前/佃 康水
旧盆近くなると、墓の草取りや屋敷周りの草取りをして、きれいさっぱりとしてお盆を迎える。慰霊碑の周囲もきれいに除草されて、御霊を迎える。ただ草を取るのではなく「清める」のである。(高橋正子)
コメント
御礼
高橋信之先生 高橋正子先生
8月1日の秀句に「草むしり清められたる慰霊碑前」の句ををお選び頂き有難うございます。お盆前になると草取りやお墓の掃除などする人が増えて参りますが、先生のお言葉の様にただ草を取るだけでは無く慰霊碑やお墓などは神仏の尊敬の念からでしょうか、「清める」の感覚で掃除をしています。
お礼
信之先生
正子先生
8/3の「故郷の青い鬼灯水の音」を 今日の秀句 にお選びいただきとても嬉しいです。有難うございました。実際は正子先生のお写真のお蔭です。懐かしい思いで1杯です。有難うございました。
お礼
高橋正子先生
「夏富士の風乾くとき影の濃し」へのお言葉、たいへんありがとうございました。ここ二、三日、私の住居の近くからも富士山を眺めることができました。
お礼
高橋正子先生
「大皿に白く四角い冷奴」の句を今日の秀句にお選びいただき、また、コメントをいただきありがとうございます。
わが家は大皿へ盛り付けることが多いのですが、小皿に取り分けるのと違う趣を感じます。
御礼
高橋信之先生、正子先生
8月8日の投句「秋近し」の句を今日の秀句にお取り上げいただき、正子先生には素晴らしい句評を賜わり厚く御礼申し上げます。今後ともよろしくご指導の程お願い申し上げます。
御礼
高橋信之先生 高橋正子先生
8月6日の投句「黙祷や雨の青芝踏みしめて」の句を今日の秀句にお選び頂き、またご懇切なるお言葉を賜り新たな感慨を持ちました。有難うございます。来年は戦後70年になりますが当時小学校3年生でした。丁度朝会の時刻でしたが、東の空が反射鏡でもしているかに光り、突然先生が「伏せ!」との号令!何が何やら分らないまま伏せましたが、後で大変な惨事が有ったことを朧に覚えています。それからの日々は子供ながら悲惨な生活でした。
お礼
信之先生、正子先生、
「女子高生連れ立ち帰る青田道」にご指導、ご句評をいただきありがとうございます。
JRの車窓から見えた光景でした。
最近はリュック式の学生鞄が珍しくありません。
それを背負って田んぼの中を連れ立って歩く彼女たちの姿、夏休みなんだな、と思いました。
御礼
高橋信之先生、正子先生
8/8の投句[鱸釣り」㋾今日の秀句におとり上げ頂き、正子先生にはご懇篤な素晴らしいご句評を御添え下さいまして誠に有難うございました。今後ともご指導宜しくお願い申し上げます。
お礼
信之先生
正子先生
8/9の 「亡き父の好物だった新豆腐」を秀句にお選びいただき有難うございました。お盆の供物にしたいと思ったのですが、残念ながらこのあたりでは見つかりません。でも正子先生の嬉しいコメントをプリントして、お供え致しました。勝手なことで、御免なさいね。