9月30日(2句)
★秋の水空を映して静かなり/多田有花
空を映してただ静かな水。秋の水と空という単純で、それでいて大きなもの。それを見ていると、心が落ち着き納得するところがある。(高橋正子)
★どの家も齋藤姓や秋の昼/桑本栄太郎
日が降り注ぐしずかな秋の昼。家の表札はどの家も「齋藤」とある。一族のつながりがあって暮らしているのだろう。秋の昼の平穏無事。(高橋正子)
9月29日(2句)
★理由もなく心揺れたる秋の暮/廣田洋一
秋の暮、理由もなく心が揺れる。人の心は不思議なもので、はっきりと影響を受けたわけではないのに、心が揺れる。「萩の風何か急かるる何ならむ/水原秋櫻子」の句がある。(高橋正子)
★きちきちを追い立て歩む田道かな/桑本栄太郎
田圃道を歩くと、歩く足元からきちきちが飛び出してくる。追い立てているわけではないが、きちきちは足音に驚いて飛び出してくるのだが、作者にとっては、田道を歩く楽しさ、面白さになっている。(高橋正子)
9月28日(2句)
★ぱっくりと口開けている栗の毬/多田有花
小学生の時のことだが、母の実家で栗拾いをした思い出がある。栗の毬がまさに「ぱっくりと口開けている」のを拾った。裏山の斜面での、子供の頃を鮮明に思い出す。(高橋信之)
★丸ごとの焼松茸や青き空/小口泰與
下五に置いた「青き空」は 、やや取っ付けた感がするが、それでもいい。「青き空」はいい。(高橋信之)
9月27日(3句)
★田がありて墓ありてそこに彼岸花/多田有花
「田がありて墓ありて」には、少年の頃の思い出がある。私は大阪生まれで、2歳の時に母に背負われ中国大陸の大連(帝政ロシアが「凍らぬ港」として築いたダルニー)渡ったが、終戦後の中学3年の時に四国愛媛の母方の祖父
ののもとに引き揚げた。祖父は農家であったので、そこは、「田がありて墓ありて」で、農仕事の手伝いをした。(高橋信之)
★冷やかな厨に入りて豆富汁/廣田洋一
「秋冷」である。晩秋になると朝夕は冷え冷えして、豆腐屋が来るのが嬉しい。「豆腐屋が来る秋冷の遠田径/ 石川桂郎」(高橋信之)
★秋茄子を採るや昼餉の足しにせん/古田敬二
一句の状況とその作者の姿が手に取るように見える。いい句だ。(高橋信之)
9月26日(1句)
★台風一過お握り一つ頬ばりぬ/廣田洋一
台風一過の爽やかさ。おにぎりの塩の塩梅がよく飯が美味しい。ささやかなことだが、こう思うことが幸せというものだろう。(高橋正子)
9月25日(2句)
★並びなき赤城ならでは濃竜胆/小口泰與
辺りに並ぶ山はない赤城山。赤城山の竜胆は、鮮やかな濃紫の深山竜胆であろうか。高山で出会う竜胆は特にゆかしい。(高橋正子)
★新蕎麦を打つ音澄みし老舗かな/廣田洋一
ものの音が澄んでよく聞こえる秋。新蕎麦も嬉しいが、新蕎麦を打つ音が澄んでいるのも老鋪ならではの静けさと落ち着き。おいしい蕎麦がいただけたことだろう。(高橋正子)
9月24日(1句)
★朝顔や我が影なべて巨大なる/小口泰與
朝顔の咲く朝、朝日を受けて我が影が伸びる。どこに立っても大きな影だ。季節が移っていく驚きが、「我が影なべて巨大」と発見した驚きと重なっている。(高橋正子)
9月23日(2句)
★秋雨の踏切長き貨物列車/多田有花
そぼ降る秋雨と延々と続く貨物列車。見ているといつか、わびしさが湧く風景。(高橋正子)
★秋の昼はるか眼下に稲熟るる/桑本栄太郎
もとの句は「眼下や」に感動がある表現です。一読してわかりにくいです。
高速道路は高架橋や山地寄りの高いところを走っているので、里の景色が上から眺められる。遥か眼下に稲が熟れている景色は、今も失われていない、晴れやかな里の風景だ。(高橋正子)
9月22日(1句)
★秋薔薇の献花を捧げコンサート/桑本栄太郎
追悼コンサートに、秋薔薇を献花。秋薔薇の華やかでありながら淋しさのある雰囲気が、追悼コンサートに相応しい。(高橋正子)
9月21日(2句)
★新しきカートを引きて秋高し/廣田洋一
新しいものは、なんでもうれしい。新しいカートを引いて、空高く晴れた下を歩く自分の姿を想像したりする。心楽しいことだ。(高橋正子)
★茶畑の段々上に秋の晴れ/桑本栄太郎
丘陵の茶畑は、きれいに摘みこまれて、緑がきらきら輝いて美しい。秋晴れの空のしたでは、なおのこと、旅のこ爽快になる。(高橋正子)
コメント
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月21日の今日の秀句に「茶畑の段々上に秋の晴れ」の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
新幹線で上京の車窓吟行ですが、掛川の辺りから、茶畑の山膚が見えて来ました。お茶所の畑の景観がとても見事でした。
御礼
高橋信之先生
正子先生
いつも懇切にご指導頂き有難うございます。
9月21日の投句「新しきカートを引きて秋高し」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、誠に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月22日の今日の秀句に「秋薔薇の献花を捧げコンサート」の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
東京勤務の頃、同じ会社の同じジャズバンドの先輩として、週に何度も一緒に練習し、終われば一杯のみながら切磋琢磨の議論も行いました。合宿も大島で2回、伊豆、軽井沢で何度も行い、産業人音楽祭で最優秀賞、そしてNHK出演も果たし、更には社内イベントにも何度も出演し、16年間兄弟のように過ごした先輩が6月に亡くなりました。その追悼ジャズコンサートが浅草のパブで開催され、関係者が台風接近にも拘らず、70数名集いました。曲の合間に故人のエピソードも披露され、小生もご子息に献花の薔薇をお渡ししました。写真とトランペットも飾られ、薔薇の花の献花も添えられました。
お礼
信之先生、正子先生
「秋雨の踏切長き貨物列車」を9月23日の秀句にお選びいただきありがとうございます。
交差点のある道路と鉄道が隣り合っていると、信号と踏切のタイミングがなんともじれったいことがあります。
目の前で青信号になっているのに遮断機が閉まっている、
青信号に変わったとたんに警報機が鳴り出す、といったぐあいです。
何かをするには短すぎ、待つには長い時間です。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月24日の投句「朝顔」の句を今日の秀句にお選びいただき、その上、正子先生にはうれしい句評をたまわり厚く御礼申し上げます。
今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
有難う御座いました。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月13日の今日の秀句に「秋の昼はるか眼下に稲熟るる」の句をお選び頂き、素敵にご添削頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして、大変有難う御座います!!。高速道のバスの車窓からの眼下の眺めは、高い所から箱庭を眺めるような心躍る楽しさです。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月25日の投句「濃竜胆」の句を今日の秀句にお取り上げいただき、その上、正子先生にはうれしい句評をたまわり大変にうれしく感謝申し上げます。
今後ともよろしくご指導の程お願い申し上げます。
有難う御座いました。
御礼
高橋信之先生
正子先生
いつも懇切にご指導頂き有難うございます。
9月25日の投句「新蕎麦を打つ音澄みし老舗かな」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、誠に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
御礼
高橋信之先生
正子先生
いつも懇切にご指導頂き有難うございます。
9月26日の投句「台風一過お握り一つ頬ばりぬ」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、誠に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月28日の投句「焼松茸」の句を今日の秀句にお取り上げ頂き、その上、信之先生には素晴らしい句評をたまわり厚く御礼申し上げます。今後ともよろしくご指導の程お願い申し上げます。
有難う御座いました。
御礼
高橋信之先生
正子先生
いつも懇切にご指導頂き有難うございます。
9月27日の投句「冷やかな厨に入りて豆腐汁」を秀句にお選び頂き、その上信之先生には素敵な句評を賜り、誠に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
御礼
高橋信之先生
正子先生
いつも懇切にご指導頂き有難うございます。
9月29日の投句「理由もなく心揺れたる秋の暮」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、誠に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
お礼
信之先生、正子先生
「田がありて墓ありてそこに彼岸花」
「ぱっくりと口開けている栗の毬」
「秋の水空を映して静かなり」
これら三句をそれぞれの秀句にお選びいただきありがとうございます。
信之先生はご幼少の時代を中国大陸で過ごされ、思春期に引き揚げてこられたのですね。
大変なご苦労があったことと思います。
彼岸花も栗もごく身近にあり、それを見られることをうれしく思います。
秋が深まりまわりのすべてのものが静けさをまとうようになりました。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月29日の今日の秀句「きちきちを追い立て歩む田道かな」の句をお選び頂き、嬉しい句意そのものの、ご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
秋晴れの良い気候に誘われ、近在の田園を散策しました。ご講評の通り、田道を歩みましたらきちきちを追い立てるようにバラバラ飛び出して来ました。
御礼
高橋信之先生、正子先生
9月30日の今日の秀句に「どの家も齋藤姓や秋の昼」の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
近在の田園に存在します、村はかなり古いようです。10軒程の集落が同じ齋藤姓の村があります。もともとは分家した親戚のようですが、田舎の実家のように「屋号」があるのでは?と思いました。