「私の押しの一句」 近藤ひとみ
炎天下踏切の棒下りてくる 髙橋信之
天ぷらがからりと五月の音たてる 〃
「私の押しの一句」と言えばこの二句にならざるを得ません。この二句は子規新報「特集 髙橋信之の俳句」より引いたものです。
俳句に出会って八年目になる私は、軟弱なんでしょうね。俳句に迷いが再三出ます。こんなに俳句が好きなのに、思っていることがピタッと表せない・・・・。気持ちに言葉の表現が追いつかないのです。もどかしいです。そんな時、先の句集を捲るのです。要所要所をマーカーしていないので、いつ、何度読んでも新鮮で、その都度、気づきを与えてくれます。
「炎天下」のゆっくり下りてくる棒の実景に、遮断されてゆく「今」に、過去や未来が、見る見る断たれてゆく様なリアル感にゾクッとします。「天ぷら」は、流れていく口語調が気持ち良く、五感に響きます。中八は気になりません。五月じゃなきゃ成り立たない句です。
それともう一句。
雪がふる山のかたちに雪がふる 髙橋信之
雪と縁のない海辺に住む私ですが、この句に原風景に似た安らぎを感じます。
こうして髙橋信之の句達に癒されてゆくのですが、難しいことなど何も言ってない。自由さに俳句の拡がりを感じるんだと思います。
俳句を詠むことで、色いろな自分に出会えた様に思えます。嬉しい事です。それにも増して俳句仲間に出会えた事が一番の宝です。これからも自由に詠んでいきたいと思っています。
(「雫」秋号 令和5年11月15日より 発行所:愛媛県西予市)
小西昭夫の(続)愛誦百句 17
雪山を見渡してから滑りだす 髙橋句美子
スキーの句なのだろうが、いかにも気持ちのいい句である。リフトでゲレンデの上にのぼり、さあ、滑るぞという喜びがあふれんばかりに伝わってくる。すぐに滑るのではない。まず、雪山を見渡すのだ。そこで大きく深呼吸をし、気持ちを整えてから滑りだすのである。休日の一コマなのだろうが、若々しさが眩しい。
句美子の句を母で「花冠」の主宰である髙橋正子は「句美子さんの俳句は、写生を重視するが、写生というよりも写実の句で、それが平明で、軽やかである。口語を多く使って、やや散文的であることに特徴がある。生活と俳句が不即不離の関係にあって、俳句が日常の生活から浮いていないのがいい。」と評している。『手袋の色』所収。
髙橋句美子は1983年(昭和58)年愛媛県松山市生まれ。父は愛媛大学名誉教授だった髙橋信之。ドイツ語の教授だったが、旧制松山高校俳句会の伝統を受け継ぐ愛媛大学俳句会の指導者だった。母の正子も愛媛大学俳句会の出身である。句美子が誕生したのは父信之が主宰誌「水煙」を発行した二日後の九月三日であった。こんな環境なので句美子第一句集『手袋の色』には四歳からの句が記録されている。慶應大学俳句会にも参加し、現在は「花冠」編集長。水煙(現花冠)新人賞受賞。神奈川県横浜市在住。
「100年俳句計画」No.314 1月号 より
●花冠2月号ができました。年末の合同句集『泉』の編集に注力していましたので、冬号が少し遅れましたが、本日2月11日(日)に横浜・綱島郵便局から発送いたしました。お手元に届くのは、2月14日以降となります。お楽しみください。
届きましたら、下のコメント欄に、その旨お書きください。よろしくお願いします。
花冠代表 髙橋正子
2024年2月11日