◆創刊40周年記念「花冠合同句集」発行について◆
下記の要領で俳句並びに句歴、40周年に寄せての短文をお寄せくださるよう
お願いします。(詳しくはネット短信No.369をご覧ください。)
記
(一)投 句;自選による50句。作句年の古い順にまとめ、題名をつける。
(二)句歴:①生年。 ②現住所(市まで)。 ③句歴。 ④句集。
(三)「花冠創刊四十周年に寄せる短文」:800字程度
(四)原稿締切日:2023年10月15日
※原稿はメールの添付ファイルでお送りください。
(四)発 行 :2023年12月15日
【花冠維持費(一口千円)】
花冠発行所では、一口千円で維持費をお寄せいただいております。花冠会費は、40年前の発行時より、会費の値上げ改定をしておりません。維持費をお寄せくださった方、まことにありがとうございます。まずは合同句集発行のために、同時に花冠の俳誌発行や、インターネットの運営費などに活用させていただきます。
以下に氏名を挙げてお礼に替えさせていただきます。 2023年(敬称略)
10月6日:小口泰與(5口)
10月12日:藤田洋子(10口)
10月18日:吉田晃(10口)
10月18日:柳原美知子(5口)
10月24日:祝 恵子(5口)
12月02日:川名ますみ(5口)
2024年
01月07日:高橋句美子(10口)
01月21日:遠部光子(10口)
02月24日:徳毛あさ子(10口)
(計70口)
●「俳句界10月号」に全国の俳誌から選抜された秀句として、花冠9月号(No.369)から柳原美知子さんの句が紹介されました。選は俳句界編集部。
風花舞う道後歩けば旅人めき 柳原美知子
美知子さんおめでとうございます。
「俳壇」10月号 プレミアシート生活の部に祝恵子さんの句が掲載されました。
「種採」
祝 恵子
種採やしまう袋に名を入れて
鳥威し常に回りて吊るさるる
稲刈らるまずは角っこ手刈にて
朝歩き稲架に輝く稲の粒
秋耕の隅に残さる鍬一つ
花冠会員の句評(順不同・敬称略)
①小口泰與
祝恵子様 おめでとう御座います。素晴らしい御句を拝読させて頂きました。有難う御座います。「俳壇10月号」俳句5句掲載おめでとう御座います。
5句とも素晴らしい御句ですが、特に「鳥脅し」の御句が好きな句です。健康にご留意して頂きますますのご活躍を祈念申し上げます。
②吉田晃
秋耕の隅に残さる鍬一つ
静かで、郷愁を呼ぶ作品だと思います。春への用意の秋耕を終え、夕陽と共に帰路につく。ぽつんと残された鍬に秋の夕日がかかり、今日の充実を感じさせる。「隅に」の表現が素直で、作者の物事に対する純粋な目が窺える大好きな一句である。
③多田有花
祝 恵子さま
俳壇プレミアシートへの掲載おめでとうございます。
種採やしまう袋に名を入れて
農作業とは丁寧な気持ちでおこなうのだな、ということが見て取れます。育てた作物から来年播く種を採り、それぞれ作物の名前を書いた袋に入れてとっておかれます。
鳥威し常に回りて吊るさるる
恵子さまらしいユーモアを感じる視点の御句です。そういえば鳥脅しはいろいろな種類があるけれどどれもどこかが回っています。
稲刈らるまずは角っこ手刈にて
稲刈りは稲刈機で一気に刈ってしまいますが、それでも田んぼの隅までは刈れません。そこで人がまず手でその部分を刈っておきます。ここにも農作業に必要な丁寧な細やかさが感じられます。
朝歩き稲架に輝く稲の粒
稲刈りが終わりました。
最近では稲架にかけられる稲も減ってきましたが、今でもそのようにされている農家もあります。そうした田のそばを朝歩くと、稲の粒がきらきらと輝いています。
秋耕の隅に残さる鍬一つ
小さな畑でしょうか。取り入れが終わった後に耕され、その鍬が畑の隅にぽつんと残されています。秋の深まりを感じますね。
④廣田洋一
祝 恵子様
おめでとうございます。
秋耕の隅に残さる鍬一つ
秋耕を終えた畑の隅に鍬が一つ残されている。晩秋の、淋しさが良く出て上手い句。
⑤高橋秀之
朝歩き稲架に輝く稲の粒
早朝の散歩であろう。朝日を受けて輝く稲架の稲の粒。田植えから始まり実りを経て収穫の時を迎えた稲の粒を見て自然の恵みの感謝のひとときです。
⑥川名ますみ
恵子さま、「俳壇」十月号掲載おめでとうございます。
○稲刈らるまずは角っこ手刈にて
稲架掛け前の稲刈り、機械で刈りにくい四隅は、事前に手で刈り取っておくのですね。「まずは角っこ」という現代語によって、作者の実感がより伝わります。
⑦柳原美知子
「稲刈らるまずは角っこ手刈にて」
見慣れた景色を見過ごさず、あるがままにさらりと日常の言葉で表現されていて楽しく、リズムがよく、口ずさみたくなるようなお句ですね。恵子さんの自然体の魅力が詰まった5句、楽しませていただきました。
●「俳壇」11月号の俳壇合評「9月号の作品」に花冠が取り上げられた。採りあげられた雑誌は花冠以外では、「俳壇9月号」、「雫 夏号」、「韻 第四十三号」。評者は小西昭夫氏。
以下に転載
菖蒲湯の父を最後の思い出に 髙橋句美子
(「花冠」九月号「菖蒲湯の父」十二句より)
この句には、「五月二十四日父逝去」の前書きがある。父とは愛媛大学名誉教授の髙橋信之氏。氏は愛媛大学俳句会を指導し「水煙(現花冠)」を創刊主宰した。旧制松山高等学校俳句会の伝統を継承し、現代仮名遣いで誰にもわかる俳句を目指した氏の俳句は、時に短詩や自由律俳句に近い表情を見せるが、俳句の力は多様性の中にあると考える私には、「平明で深い」俳句を追求した氏の実績はもっと高く評価されてよいと思うが、娘はこんなに美しい挽歌を書いた。
●「俳句」8月号 クローズアップ
「夏隣」 髙橋正子
入らざりし点滴液捨つ夏隣
昼顔は真昼の花よ夫眠る
生ききって一遍ほどに夏痩せす
夏未明いのちを閉づる息ひとつ
眠るままこの世に五月の誕生日
ふさふさと芍薬ゆらぎ棺の上に
衣更えて夫かろやかに旅立てり
●「俳句」10月号合評鼎談より
①「俳句10月号」に連載の「合評鼎談」に「俳句8月号」の拙句「夏隣」の合評(鼎談)が掲載される。堀本裕樹、津高里永子、奥坂まやの三氏。七句のうち四句が話題に。鑑賞は、堀本氏と奥坂氏の二人。
以下に引用。
髙橋正子(花冠)「夏隣」
堀本 同ページに掲載のエッセイや俳句を一読すると、最近旦那さまを亡くされたことが分かります。一句一句からそのお気持ちが伝わりました。
生ききって一遍ほどに夏痩せす
時宗の開祖であり、踊り念仏を広め遊行した宗教者の一遍上人。一遍は各地を回ったわけですが、旦那さまも<生ききって>、ご自分の命を最後まで全うされたと。<夏痩せす>がとても切ない。<一遍ほどに>の比喩が旦那さまの
生を愛情をもって称えています。
奥坂 命を燃焼され尽くして亡くなられた。それが<一遍ほどに>で伝わりました。<一遍ほどに>が<生ききっ>たことと<夏痩せす>の両方にかかってきます。
堀本 ふさふさと芍薬ゆらぎ棺の上に
棺の上にはいろんな花を置くと思いますが、ふさふさと揺れるような<芍薬>が置かれた。芍薬の様子と棺の静けさが切々と伝わります。旦那さまは芍薬の花が好きだったのかもしれません。
衣更えて夫かろやかに旅立てり
悲しいけれど<かろやかに旅立てり>と詠まれた。髙橋さんの送り出す気持ちに救われます。俳句には亡き人の魂と同時に、送る人の気持ちを鎮魂する力があるのだなと、改めて思いました。
奥坂 夏未明命を閉づる息ひとつ
「最後の息」というのはよく詠まれていますが、<命を閉づる>ものなのだと、これまで存分に生ききってこられたのだと分かります。亡くなったけれど、また新しい世界に開かれていく魂を感じます。
②「氷室10月号」(尾池和夫主宰・京都宇治市)の現代俳句鑑賞(211)に角川俳句8月号クローズアップに載った正子の句を余米重則氏が鑑賞してくださった。以下引用
<生ききって一遍ほどに夏痩せす
「俳句八月号」髙橋正子(花冠代表)
「生ききって」という言葉はとても強く重い言葉である。天寿を全うしたということではなく、「生きるという強い意志」を最後まで貫かれた状態が強く伝わってくる。
一遍上人の如く痩せられたということは、おそらく病気と闘いながらの最期であったのではなかろうか。介護の方のある種の満足感も伝わってくる。 (余米重則)
③「山繭10月号」(宮田正和主宰・三重・伊賀)を贈呈いただく。
現代俳句鑑賞
松村正之
衣更えて夫かろやかに旅立てり 髙橋正子
(俳句8月号「夏隣」より(花冠))
作者のご夫君は四月に風邪を引かれ、五月半ば過ぎには亡くなられたという。「生ききって一遍ほどに夏痩せす」の句もあるが、その間作者は夫君を懸命に支え精一杯の看取りをされたのだろう。しかし、一か月余というのは余りにも短いではないか。作者は白装束に着替えて旅立たれた夫君の姿を「かろやかに」と表現することで、そのあっけなさに堪えておらるのだ。この句は究極の衣更えの句となって読む人の心に深く染みてくる。
④●「澤」(小澤實/東京)10月号を贈呈される。その「窓 総合誌俳句鑑賞」に「俳句8月号」に掲載の正子の「夏隣」からの一句が以下のとおり掲載される。
「俳句」八月号より 鑑賞者/今朝
生ききって一遍ほどに夏痩せす 髙橋正子
クローズアップ作品七句「夏隣」より。「夫」の「旅立」ちを題材にした連作の中の一句。「生ききって」のストレートな打ち出しに心を打たれる。K音の重なりは枯れ木のように痩せ細った骨が触れ合う音、促音の「っ」は「いのちを閉づる」前の吐息のように感じられる。衰弱して急に体重の減った様を「夏痩せ」と見る心には、永遠の別れを覚悟する一方で、季節が巡ればまた元気になって再開できるという信念のような思いが潜んでいるのかもしれない。「捨ててこそ」を信念に全国を遊行した「一遍」上人、その痩躯と重ねあわせることで、清らかにして熱情にも満ちた人生や「夫」の人柄も見えてくる。俳人の透徹した眼差しが夏の光となり、瞼を閉じた深い眼窩に翳を落としている。