寒中お見舞い申しあげます。
年末にお送りした花冠1月号をお読みいただけましたでしょうか。ページ数も多いので、ゆっくりお読みになっているかたもおられると思います。
どの記事でもよいので、読後のご感想を下のコメント欄にご投稿ください。書いた人、読んだ人のやりとりがあって、記事が実のあるものになります。お気軽にご投稿ください。よろしくおねがいします。(髙橋正子)
投稿くださった方、ありがとうございます。以下お名前は「敬称略」です。
⑦New川名ますみ(リルケと俳句と私)
①土橋みよ(芍薬集・総合俳誌掲載の晃・句美子の句・音楽のしっぽ・リルケと俳句と私)
②高橋秀之(芍薬集など)
③多田有花(芍薬集・音楽のしっぽ・リルケと俳句と私)
④桑本栄太郎(花冠作品ー有花・秀之の句)
⑤吉田晃(花冠作品-有花の句 New音楽のしっぽ)
⑥New柳原美知子(信之作品・正子作品・芍薬集・音楽のしっぽ・リルケと俳句と私)
投稿は長文ですので、コメント欄をクリックしてお読みください。
コメント
花冠1月号お礼
花冠372号を現在も時折拝読させて頂いております。俳句については一句一句情景を想像しながら勉強させて頂いております。
芍薬集はどの作品も楽しく読ませて頂きました。短信を書かれている高橋秀之様は、私の子どもと同じ世代と思われ、新しい門出にエールを送りたい気持ちになりました。多田有花様の吟行は健脚をうらやましく思うとともに、姫路市の公園からの爽やかな秋の情景を共有させて頂きました。柳原美知子様の「空も港も」は小学校の先生を偲ぶお気持ちが、俳句作品や唱歌の歌詞とともに心に響きました。私も唱歌「海」の歌詞の中で、「♪松原遠く。。。、みよ、ひるのうみ、みよ、ひるのうみ♪」とまるで自分の名前(旧姓三由(みよし)みよ)が読み込まれているようで、師範学校を出たばかりの若い先生と友人から親しみを込めて呼ばれておりましたのが思い起こされました。
吉田晃様と高橋句美子様の雑誌掲載の俳句に対する皆様のコメントについては、皆様の洞察力や共感力の大きさに感動しながら、ごくたまに、私と同じ感想を見つけると嬉しく思ったりしております。
川名真澄様の『音楽のしっぽ』とその足跡、については、放送原稿に記された曲をYouTubeで探して、聞きながら読ませて頂きました。ブラームスのクラリネットソナタ第2番第1楽章から始まって第1番第2楽章で終わる構成、小説・随筆・画家の言葉を引用しながらのモーツァルトの曲紹介、軽井沢という地で放送されるという特殊性に配慮した内容、最後にK.563の楽譜まで添えられて洗練されつくされた作品に感動いたしました。私自身は、子どもに、「モーツァルトの交響曲第40番は毒だから聞かない方がいい」と言われても毒の意味も分からない音楽音痴ですが、「死ぬときはこの曲を聴いて逝きたい」と書かれたK.488にはとても感動いたしました。レクイエムしか知らなかった私ですが、これからはクラシック音楽の鑑賞にももっと時間を取りたいと思わされました。
高橋正子先生の「リルケと俳句と私」は専門的で私には少し難しい内容でしたが繰り返し読んでおります。リルケの「ドゥイノの悲歌」と「若き詩人への手紙/若き女性への手紙」は私の子どもたちの愛読書で、現在は私の家にあります。リルケは青白い顔をして夜遅くまで読書や思索に励んでいたと言われておりますが、子どもたちがどういう気持ちでリルケを愛読していたのかを知りたいと思っておりました。先生のエッセイにはリルケの時代の背景が記されているばかりでなく、先生ご自身の俳句やリルケが感動した鬼貫の俳句の花の解釈など丁寧な解説がなされております。少しでもついていきたい気持ちでおります。第2部にはハイデッガーのリルケ作品に対する理解なども登場するのでしょうか。今から楽しみにしております。
花冠372号感想
花冠372号、正月の空き時間のゆったりとした時間に拝読いたしました。
みなさまのエッセー、散文もそれぞれの背景や思いに心を馳せながら読ませていただきました。
普段の俳句だけでなく、こういう形でみなさまの文章に触れるのも素敵な時間だと思っています。
土橋さま
早速の感想ありがとうございました。4月からの新しい生活にエールをいただき心強く思います。
お礼
>土橋みよ さんへ
>花冠1月号お礼… への返信
ハイキングの文章をお読みいただきありがとうございます。ハイキングで多くの句をいただきました。お礼が遅くなり失礼いたしました。
「空も港も」—柳原美智子さまに寄せて
柳原さまの旧姓が港さまであることを初めて知りました。小学校時代の恩師である原田久先生の思い出を綴られています。原田先生が卒業のはなむけに贈ってくださった「人生」という詩をずっと胸にとめておられるというお話に、原田先生はきっととてもお喜びであろうと思いました。得難い教え子です。
全編にあふれるエピソードから原田先生のお人柄の素晴らしさが伝わってきます。生き物が好きで、詩を愛し、陶芸にも親しんでおられた。「自閉症気味」と表現されるほど目立たず大人しかった柳原さまのことを気にかけいつも見守ってくださっていたのですね。
原田先生の思いがけぬ早世を知り、その遺作である抹茶茶碗を求められた胸中の思いが伝わってきました。ご自身の句集『島の春』や『俳句の杜2020』を先生に一目お見せしたかった…。でもきっと先生はあちらでご覧になっていますよ。
最後の唱歌「港」は原田先生と柳原さまを結ぶテーマソングですね。
「今を思う存分に」—高橋秀之さまに寄せて
転職された心境を綴られた文章、驚きとともに納得の思いで読ませていただきました。きっかけはその前に診断、手術をされた初期の大腸がんだったのですね。「若干人生観が変わった」「いつまでも今の元気が続くわけではない」、確かにその通りです。
人はいつか老い、死んでいきます。それは自明のことでありながら、本当にそれが目の前にくるまでは日々の雑事に追われ、昨日、今日と同じ日々が永遠に続くような錯覚に陥ってしまいがちです。
「矢先症候群」という言葉があるそうです。「ようやく仕事が一段落し、家族とゆっくり過ごそうと思っていた矢先だった…」という感じで、人はいつかやろう、そのうちやろう、50になったら、60になったら、退職したら、などとと言って忙しさの中にまぎれて過ごしがちです。
病が契機になったとはいえ、大きな決断をされ新たな青春に向かって一歩を踏み出されたことへお祝いの言葉をお送りしたいと思います。
花冠句友の皆様へ、感想文
土橋みよ様、高橋秀之様、多田有花様
花冠第372号の句友の皆様への感想文の力作を、感嘆しながら拝読させて頂きました。
又、句友の皆様それぞれの方の趣味や得意とされる分野があり、その事が俳句の作句の上でも利点となっていて、感性の幅があるものとつくづく思いました。
小生は、「人間も花鳥風月と他の動植物などの生命あるものと同じ地球上で、同じ立場である」との認識を持って居り、作句の場合は出来るだけ「一人吟行」を行い材料を得ております。100回出掛ければ、100回の新発見があります。
さて、今回は花冠372号へ掲載の句友の皆様の句の中で、いつも健脚を誇り彼方此方に出掛けられている多田有花様、高橋秀之様の句を採りあげ鑑賞致したく存じます。
「多田有花様」
☆はつなつの稜線雲の湧き初めし
初夏の頃のとても暑い日差しです。まだ入道雲と云う程でなくても、それらしき雲が稜線に湧き上がりました。「はつなつ」との平仮名がそれらしさを感じさせます。
☆つばめ旋回夏陽沈みゆくなかを
夏の夕日が沈み掛けて居ります。暑かった日でも、夕方になれば虫達が飛び交い、それを餌とするつばめが頻りに旋回して居ります。
☆朝の雨街に打水のごとし
夏の夕方になれば、良く降る夕立がこの日は朝より降っております。暑かった昨夜の街に打水のようです。
☆ナイターへ数多人ゆく阪神電車
嘗ては勤務の為に、帰宅時は心斎橋から梅田経由の阪急電車を利用して居りました。とある日の夜遅くなって十三から乗り込んだ阪神ファンの一家に出会った事があります。
両親、小さな子供三人が阪神のユニフォームを着てメガホンを持って居りました。さすが関西だなあ~!と思った事でした。
☆介助犬初秋の電車に乗り来たり
電車にて通勤して居れば、色々な事があります。とある日、大型の介助犬が乗り込んで来た時にはとても非日常の光景であり、びっくりしました。
☆合掌のマリアの像へ菊の花
教会の直ぐ側には、マリア像が立てられて居ります。黒い頭巾被った黒っぽいマリア像が想われ、その足下には菊の花が添えられております。
「高橋秀之様
☆蝶々来る朝日の光る水溜まり
沢山の蝶々が水溜りに降り立ち、水を啜る光景は壮観です。その上朝日に光る水溜りとは、爽やかです。
☆海沿いを走る電車に夏の雨
じつは「乗り鉄」の作者です。海岸線沿いに走る電車に乗り、窓の外を眺めて居れば丁度夏の雨が降って来ました。
☆水弾く真っ赤なトマトを丸かじり
夏に採りたて真っ赤なトマトが、水に浸けてありました。そのトマトを見つけた作者は、拭いてそのまま丸かじりです。「水弾く」との措辞に、採りたての畑で熟れた美味しそうなトマトが想われます。
☆母が剥く桃を頬張る帰省の子
大学生でしょうか?或は遠くへ赴任の息子さんでしょうか?母親は喜々として迎え、早速桃を剥いて食べさせている光景が見えるようです。
☆居酒屋で友と分け合い秋刀魚食う
以前と違い、秋刀魚は高級魚となって仕舞いました。友と居酒屋で酒を酌み交わす作者が想われます。
☆蟋蟀の声のどこから列車待つ
この句も、「乗り鉄」ならではの句です。晩秋に全国を巡り、乗り換えの列車を待つ間の夜の蟋蟀の声です。
☆風に舞う落葉の先に青き空
丁度今頃の時季でしょうか?木枯しが吹き、落葉が風に舞っているものの、真っ青な青空です。
お礼
桑本栄太郎さま
拙句をご鑑賞いただき、丁寧なコメントを頂戴したいへんうれしく拝読いたしました。句友の存在というのはありがたいものだなあと改めて思いました。
桑本さまは確かキリストの信仰をお持ちだったと記憶しております。マリア像は近所にあるフランシスコ会の病院の庭にあり、散歩のときにその像のお顔の優しい暖かさにほのぼのとした気持ちになります。いつも季節の花が供えられていて信者の皆様のお気持ちが伝わってきますね。
『音楽のしっぽ』とその足跡—川名ますみさまに寄せて
文中でご紹介いただいているクラシックの名曲たちをYouTubeで検索しました。必ずしも同じ演奏家ではありませんでしたが、素晴らしい体験をさせていただきました。
まず、オープニングとエンディングにともに『ブラームス クラリネットソナタ』を選んでおられるのは、ますみさまがこの曲がお好きだからでしょうか? 私はほとんどブラームスを聴いたことがなかったので、新鮮な思いで聴かせていただきました。
この日はモーツァルトを特集されています。モーツァルトは最も有名で最も愛されている作曲家でしょう。私も何曲か好きな曲はありますが、ほんの肩をかすめる程度の知識しかないので、ここでご紹介いただいている曲は初めて耳にするものばかりでした。
ますみさまは『ピアノ協奏曲第23番K.488』の第2楽章が最もお好きで、この曲に送られて天国へ旅立ちたいと思っておられるとか。さすがにピアニスト、と感じました。そして『ピアノ協奏曲第23番』を聴いたとき、私は断然第3楽章が好きになりました。ちなみに聴いたのはイングリッド・ヘブラーのものです。
冒頭の軽やかで弾む旋律、天上から降り注ぐ日の光の如きこの音楽は、モーツァルトそのものです。「幸福」を音楽にしたらきっとこうなるだろうというような。
私は基本的に明るく軽やかで心弾む曲が好きです。モーツァルトには確かに哀しみもあるのでしょうけれど、彼の明るい光り輝く音楽に引きつけられます。こういう音楽に包まれて阿弥陀仏のお迎えを受けられたら、最高ですね。和洋折衷かもしれませんが、そんなことは気にならないでしょう。阿弥陀様もお気になさらないはず。
お礼
>土橋みよ さんへ
>花冠1月号お礼… への返信
土橋みよさま
「花冠」372号へのご丁寧なご感想を、感嘆、且つ、共感しながら拝読しました。
「音楽のしっぽ」も、隅々まで細やかにご高覧くださり、嬉しく存じます。長く病牀に侍しておりますが、音楽と俳句のおかげで、自然を感じることができます。先生初め、句座の皆さまとの交流も、貴い喜びです。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
「リルケと俳句と私」—高橋正子先生に寄せて
リルケ(1875-1926)は時代を代表するドイツ語詩人として名前は教科書で知っていました。しかし、彼の詩を読んだことはほとんどありません。わすかに『若き詩人への手紙』を読んだことがある程度でした。
リルケが俳句に親しんでいたこと、自身でハイカイと題した三行詩を作っていたことを正子先生のこのESSAYを通して初めて知りました。リルケは俳句のどこに惹かれたのでしょうか。
禅、茶の湯、能といった日本文化の代表とされるものはその簡素さが特徴です。豪華絢爛、これでもかというほど飾り立てたもの、金銀に彩られた極彩色のものを最上の美とするのが洋の東西を問わない世界中の傾向です。しかし、日本は簡素をこそ最上のものとします。どこからこうした傾向が生まれたのでしょうか。
俳句はわずか十七音で成り立つ定型短詩。何かを言っているようで言っていない、それでいて何かが確実に伝わってくる、それは詩の短さゆえなのか、季語というものの力なのか。
「彼の目と、自分の俳句を読む視点が全く違うものではないと気づいた」と先生は書かれ、「俳句を作る私にとって、リルケが俳句に関心をもち、俳句を作ったこと、それも単に日本趣味でなかったことは、大きなよろこびであった」と書かれています。
当時、ヨーロッパにはジャポニズムがブームでした。リルケは浮世絵にも興味を持っていたようです。しかし、俳句へのまなざしは、まず詩人としてのものであり、日本趣味ゆえのものではなかったことを正子先生は感じ取られたのです。信之先生の遺されたリルケの原書の詩をご自身で訳して鑑賞しつつこれを発見されたことに驚きます。信之先生の最後のプレゼントでしょうか。
リルケが最も興味を持っていたのが鬼貫とのことです。上島鬼貫(1661-1738)は摂津国川辺郡(現在の兵庫県伊丹市)の有数の酒造業者・上島宗次の三男として生まれ、13歳から俳諧に親しみました。芭蕉とも親交があり、享保3年(1718)に刊行した『獨言』の中で「まことの外に俳諧なし」と述べています。この心境がリルケの心に通じるものだったのでしょうか。
正子先生のESSAYでリルケ、さらに上島鬼貫という東西の詩人、俳人に接することができ、読むべき課題を与えていただきました。ありがとうございます。
有花さんの句
2025-01-31 17:51:41
有花さんとの出会いは25年以上前になる。当時の有花さんの句からは強い生命力が感じられ、水煙にはない男の私も勝てないほどの強さがあってうらやましく思ったものだった。暫く水煙から遠ざかっていたが、再び参加させていただいた時、有花さんの句は柔らかくて深い水煙特有の香りがしていたことに驚くとともに、日々研鑽を積まれた結果なのだと頼もしく感じた。とは言え、句の底には昔の強さが流れていて、有花俳句の素晴らしさを改めて見せていただいた。
はつなつの稜線雲の湧き初めし
昇り来る陽を縦横に夏つばめ
入道雲育ち盛りの午後の空
鵙猛る午後の強風正面に
吉田晃さまへお礼
>吉田 晃/転記 さんへ
>有花さんの句… への返信
拙句へのありがたいコメント、大変うれしく拝読いたしました。「強い生命力」「柔らかくて深い水煙特有の香り」のお言葉に、「水煙に巡りあい、花冠に引き続き参加させていた本当によかったなあ」と感じました。
2001年11月に愛媛で開催された水煙大会に初めて参加させていただいたことを覚えています。信之先生、正子先生、吉田さま、柳原さま、藤田さまなどとご一緒に写った写真を取り出して見ました。松山城、坊ちゃん列車、内子座などいろいろなところに連れて行っていただいたことも懐かしい思い出です。じゃこ天の美味しさも。
川名麻澄さんの「音楽のしっぽ」
川名麻澄さんの「音楽のしっぽ」を読みながら、久しぶりにユーチューブでモーツァルトを聴きました。残念ながら川名さんがパーソナリティをしておられた頃のものはありませんでしたが、ヘッドホンから流れて来る曲に気持ちが穏やかになりました。
パーソナリティという仕事は、専門を生かすだけでなく、いろいろな方面の情報を深く広く知っていなければできない仕事であり、膨大な知識を得るための勉強が欠かせない・・と聞いたことがあります。
私は学生時代、鎌倉で資生堂の深夜のアルバイトをしながら毎日FM放送を聞いていましたが、流れて来る音楽以上にパーソナリティの語りに引き込まれたものです。そなん素晴らしい経験から生まれた川名さんの優しい俳句をK454第2楽章を聴きながら、
ストールをさらりとショートヘアの背に
モーツァルトの曲によく合う一句だと、自分勝手に思いながら鑑賞させていただいているところです。
お礼
>多田有花 さんへ
>『音楽のしっぽ』とその足跡—川名ますみさまに寄せて… への返信
有花さま
『音楽のしっぽ』にご感想をお寄せくださいまして、ありがとうございました。
有花さまにも、曲をYouTubeで検索いただいたとのこと、嬉しく存じます。どれもいい曲でしょう。ブラームスも大好きで、オープニングとエンディングにクラリネットソナタを選びました。k.488の3楽章がお好きとのこと、有花さまらしく感じました。すてきです。
Unknown
>土橋みよ さんへ
>花冠1月号お礼… への返信
「空も港も」をお読みいただき、心温まるご感想やエピソードをお寄せいただき、ありがとうございました。大変うれしく読ませていただきました。
「松原遠く」の唱歌も懐かしく思い出します。
人生の節目となる歌や俳句を含めた詩、音楽は貴重なものですね。
お礼が大変遅くなりました。
お礼
>多田有花 さんへ
>「空も港も」—柳原美智子さまに寄せて… への返信
有花様
「空も港も」を丁寧にお読みいただき、温かいご感想をありがとうございました。
大変うれしく読ませていただきました。
私の人生の恩人のひとりである原田先生のことを何かに書き遺しておきたいと思っていたので、「花冠」で貴重な投稿の場をいただき、句友の皆様にお読みいただいたのはありがたいことです。
お礼が遅くなりました。
お礼/リルケと俳句と私
みよさん、有花さん、「リルケと俳句と私」を丁寧にお読みいただき、感想をありがとうございます。皆さんに読んでいただけるか、花冠に掲載したものの心配でしたが、よくお読みとりいただきてうれしいです。リルケのこれでもか、と言うほど掘り下げている姿勢には驚かされます。リルケを学びながら、気づいたことを書いていきたいと思っています。
お礼
晃さま、拙稿「音楽のしっぽ」にご感想をいただきまして、ありがとうございました。
ユーチューブでモーツァルトをお聴きくださったとのこと、嬉しく存じます。
既に病を得ており、入退院の合間(終わりの半年は入院中)につとめたパーソナリティーでしたので、軽井沢まで行くことはかなわず、自宅の防音室で録音しました。
自分の身体で軽井沢を知らない分、軽井沢文士と呼ばれる作家らの作品を勉強しておりました。
拙句をモーツァルトのK.454第2楽章から思い浮かべていただくなど、畏れ多い幸せです。励みにいたします。
花冠第327号の感想
花冠第327号の感想、大変遅くなりました。
表紙裏の信之先生の
「ふきのとう静かな影を紙に落とし」のお句は懐かしく、2017年作の四季の句にも晩年の充実がうかがえ、先生が傍にいらっしゃるように感じられます。
立春の朝よ胸いっぱいの息吸う
初夏健やかに子が居て孫がいて
立秋という涼しき言葉を書く
わが頭上高くあかるき冬黄葉
正子先生の「時雨」12句では
「一章にこころ落ちゆく夜の秋」
書物の一章を刻のたつのも忘れ納得のゆくまで読み続けられ、秋の気配漂う晩夏の静謐さの中に深い充実感が感じられます。深みのあるお句です。
帰省旅吟五句はどの句も好きですが特に
「京を過ぐ車窓に時雨降りかかり」に旅情を感じ
ます。
花冠作品集では、皆様の個性あふれる作品を楽しく勉強させていただきました。
いつものことながら、周到な正子先生の編集に感謝申しあげます。
「芍薬集」を読んで
芍薬集
高橋秀之様の「今を思う存分に」を拝読し、驚くとともに新たな人生の門出にエールをお送りしたいと思います。初期とは言え、療養された後の心境はこれまでとはまた違ったものがあり、今後の俳句にも変化が生じるのではないかと思います。
これまでのほのぼのとした子育て中のお句、大阪港での海や船を詠まれたお句も印象的でしたが、また
新しい職場や自由な活動の中でのご健吟を楽しみに
しています。
多田有花様の「仲秋の藤の木公園を歩く」を拝読し
爽やかな藤の木山の空気とハイキングの楽しさを感じさせていただきました。内子での吟行でご一緒した時の元気な有花様の姿を思い浮かべながら、山頂で食べるラーメンのおいしさを想像しました。
私はここ三年ほど、夏に淡路島に行っており、播磨灘を染める西海岸一面の夕焼け、マジックアワーに感動しています。
「爽やかに空の広がり海見えて」のお句が実感されます。
「音楽のしっぽ」を読んで
川名麻澄様
FM軽井沢のパーソナリティ時代の貴重な台本をご披露露いただき、ありがとうございました。
軽井沢には行ったことがありませんが、美しい文章の中のさまざまな挿話やYou tube、CDのモーツァルトの曲から、夏の軽井沢の澄んだ空気や小鳥のさえずり野や水のきらめきを感じさせていただきました。
生で放送を聴けたならさぞかし素晴らしかっただろうと思います。
私は中学1年から高校1年まで吹奏楽部でクラリネットを吹いていましたが、「クラリネットソナタ」の存在など知らず、You tubeでブラームスのオープニング曲を聴き、懐かしい音色と美しいメロディーに感動しました。
麻澄様の最愛の曲、モーツァルト「ピアノ協奏曲第23番」K.488第2楽章は手持ちのCDの中にあったのに、聴いたことがなく、第1楽章から第3楽章までイギリス室内管弦楽団、ダニエル・バレンボイムのピアノ&指揮で初めて聴きました。
メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」などの短調の曲が好きな私にとっても、第二楽章は素晴らしく、何度も聴きました。クラリネットとフルートのゆったりとした美しいメロディーの中、とつとつと奏でられるピアノの音色が哀切で、好きな曲のひとつとなりました。幸せと哀しみの両方を紡ぐモーツァルトの音楽を教えていただき、楽しませていただきました。
「リルケと俳句と私」を拝読して
髙橋正子先生の「リルケと俳句と私」を拝読して
昭和40年代、四国は文化的に未開の地に思えました。どんな劇団も楽団もシンガーもアーティストも
単独で四国には来ず、生の舞台やライブを鑑賞するためには労演や労音に入会するしかありませんでした。原書を手に入れるのも簡単ではなく、外国人もめったに見かけませんでした。
そんな時代に愛媛におられ、正子先生はカナダやアメリカで発行されている俳句雑誌を購読されていたことに驚きました。そしてそのカナダの雑誌を通してリルケのフランス語の俳句に出会われ、リルケのフランス語を英訳された方が信之先生の発行されていたHAIKU SPOTLIGHTに投稿され、後にアメリカ俳句協会の会長になられた。正子先生は愛媛大学英語俳句研究会の学生として、川本臥風先生の俳句を
英訳され、信之先生の御指導のもとで活動されていたのですね。信之先生が「水煙」を創刊される15
年も前から、世界の俳人を育てられ、全国的にも先進的な試みをされていたことに改めて感動しました。私が「水煙」の俳句に惹きつけられたのも他の「結社」にはない西欧的なかおりのようなものを感じたからでした。
学生時代にリルケを読まれたのと同じ情熱で、今もリルケの詩をドイツ語の辞書を引きながら読み込まれておられることに驚嘆し、感動致します。
「リルケの目と自分の俳句を読む視点が全く違うものではない」と実感され、リルケが単に日本趣味ではなく、俳句に関心を持ち、俳句を作ったことを確信されたことは素晴らしいですね。
リルケが俳句をしってから、詩がどのように変化するのか興味深いですね。
大変勉強になり、臥風先生、信之先生、正子先生の
現在に続く足跡とともにリルケの詩を考えさせていただきました。
美知子さんへお礼
信之先生の句、拙句を鑑賞して頂き、ありがとうございます。挙げていただいた私の二句は、心の底にある思いをくみ取っていただいたことに驚きました。ありがとうございました。また「リルケと俳句と私」の文も時代背景へまで思いを広げていただき、愛媛大学に入学したときの予讃線の車窓や車内の風景を思い出しました。50年以上前のことですね。丁寧にお読みいただいたことも、感謝です。ありがとうございました。
柳原美知子さまへお礼
「仲秋の藤の木公園を歩く」をお読みいただきありがとうございます。内子へ連れて行っていただいたときの写真、デジタル化してGoogleフォトに保存しています。懐かしいと思いながらみなさまの姿を見ました。
夏に淡路島へ行かれるのですね。姫路からだと近くの山に登ればどこからでも淡路島の西海岸一帯が眺められます。播磨灘は穏やかで美しい海です。淡路島から見える夕陽も素晴らしいものでしょう。
お礼(多田有花さま、桑本栄太郎さま、柳原美知子さま)
多田有花さま
コメントありがとうございました。
「矢先症候群」というのは初めて聞きましたが、まさにそういう人生にならないように、元気なうちに、第2の人生(?)をそして時間が取れるときにやりたいことをやっておきたいという心境で思いきりました!。新たな人生観とともに新たな気持ちで4月以降も俳句を詠んでいきたいと思います
桑本栄太郎さま
コメントありがとうございました。
特に鉄道趣味ということを踏まえてのコメントの数々、嬉しく思います。実は鉄道旅行というのは、私の好みが特急列車の旅ではなく普通列車の旅ということもあるのですが、吟行的な意味で俳句と相性が良いのでは、と思っています。短文投稿のとおり、新たな人生観のもと、これからも頑張ろうと思います。
柳原美知子さま
コメントありがとうございました。
また、新たな門出-のエールもありがとうございます。
当時の水煙に入会したころは、上の子が幼稚園、真ん中の子が生まれて間がなく、下の子は生まれる前でした。今や上二人は大学を出て社会人、下の子も今年20歳の新成人です。もう子育ては「卒業」ですが、また新しい世界観で俳句を楽しみます。
お礼
>柳原美知子 さんへ
>「音楽のしっぽ」を読んで… への返信
美知子さま、「音楽のしっぽ」にあたたかい感想をいただき、ありがとうございました。
軽井沢の空気や音や光を、お受け取りくださって大変嬉しく存じます。
美知子さまはクラリネットを演奏なさっていらしたのですね。優しく抒情的な音色が、美知子さまの俳句にぴったりです。
ブラームスのクラリネットソナタ、モーツァルトk.488もお聴きくださり、嬉しく存じます。大好きな作品です。
また、
>髙橋正子先生の「リルケと俳句と私」を拝読して
の内容も、大変、興味深く拝読しました。「花冠」の歴史、根幹を勉強させていただきました。ありがとうございました。
「リルケと俳句と私」を読んで
正子先生の「リルケと俳句と私」を拝読しました。
正子先生の俳句日記で「リルケと俳句について」を拝見しておりましたが、浅学ゆえ理解が及ばない部分もありました。ですが「花冠」1月号のESSAYで、信之先生の研究、正子先生の卒論、お二人の「HAIKU SPOTLIGHT」の活動などを知り、リルケと俳句と花冠の繋がりを実感いたしました。そう感じ、あらためて「リルケと俳句について」を読み直すと、以前より理解や共感が(僅かでしょうが)広がったように思います。
俳句がリルケの詩に与えた影響や、リルケが日本の詩へもたらしたものだけでなく、正子先生が「実際に創作の現場でどうなんだ」と思われたことに、特に興味を惹かれました。リルケの詩から、正子先生が「私ならこう詠むだろう」と句を詠まれ、その詩が俳句の視点に重なると知る過程には、ぞくぞくいたしました。
クラシック音楽にも、俳句に影響を受けた作品があります。
フランス語で書かれた俳諧と聞き、まず思うのは、メシアンの管弦楽曲『七つの俳諧』です。20世紀を代表するフランスの作曲家メシアンは、1962年、新婚旅行で日本を訪れます。第6楽章の『軽井沢の鳥たち』は、鳥を愛するメシアンが自ら、軽井沢の森で鳥の声を楽譜に書き取り、作曲されました。ウグイス、ホトトギス、オオルリ、ビンズイ、オオヨシキリなど、軽井沢の鳥の声が満ちています。
現代音楽なのでやや難解ですが、鳥を観察して自然を紡ぐ、たしかに俳諧と感じられる作品です。フランスのピアニスト、ミシェル・ベロフは、これらの作品を聴いた印象を「神が、鳥という自然を通して、メシアンと結びついている」と語ったそうです。
お礼/ますみさんへ
「リルケと俳句と私」を俳句日記のときからお読みくださって、ありがとうございます。また今回1月号への感想もありがとうございます。エッセイは少しわかりにくかったのかもしれません。次回はもう少し丁寧にわかりやすく書きたいと思っています。
リルケについては多くの研究がされていまさすが、私がリルケについて知りたいのは、「創作の現場」なのです。ますみさんもここに興味を持たれているようですね。創作者の立場からリルケを知りたいと思っています。多分、私が俳句を60年近く作ってきたから、リルケの創作の現場を知りたいと思うようになったのでしょう。
メシアンの『七つの俳諧』を教えてくださってありがとうございます。難しそうですが、面白そうですね。水煙を発行する前に所属していた俳句会に愛媛大学の作曲の先生がおられ、句会をご一緒しておりました。たしか、その先生から、メシアンの『七つの俳諧』のことを聞いた記憶がうっすらあります。今度You Tube で聞いてみたいと思います。ありがとうございました。