晴れ
小春日に蟾蜍鳴く声を聞きとどむ 正子
●なんの問題もない天気。蟾蜍の声が聞こえたので、まさかと思った。30分ほどしてはっきりと蛙の声で鳴いている。暖かいのでまた這い出したのかもと思ってします。
晴れ
背伸びして見えしひとつに金の月 正子
月白の空を戻りぬ芋買いて 正子
夕月夜蟾蜍鳴く声の空耳か 正子
●「文化の日は晴れる」のとおりの日。
●本阿弥書店から原稿料をいただいく。稿料は頭になかったので、宝くじに当たった気分。「原稿料」というのが一番うれしい。
晴れ
境内の仏ほとけに菊供え 正子
園丁の桜落葉を積み荷とす 正子
秋冷の白ばらとなり十ばかり 正子
●天気がよいので、金蔵寺へ信之先生を誘いだす。帰り、喫茶店プチ・アントルメに寄りコーヒーとチョコレートケーキを食べる。客は近所の人だけ。社長と呼ばれている老人を入ってきて、ママが紹介してくれた。商店街の閉店した魚屋さんで色つやよろしい御年90歳。外資系に勤める息子自慢、嫁自慢に花が咲く。
●ヘンデルの水上の音楽のアラ・ホーンパイプのところを聞いていて、エリザベスⅡ女王の葬送行進曲が思い出された。似ている。女王の葬送行進曲は何の曲だったのだろう。実際の葬送行進曲を聞いたのは初めて。女王はやすらかに眠られているのだろう。トラス首相の任命式の時の映像が最期になって、その二日後の死というから、実際信じられない気持ち。
曇り
菊供うほとけ童の立像に 正子
桜紅葉仏の御顔くらくして 正子
欅紅葉大樹の枝葉断ち切られ 正子
●「俳句と私」、泰與さんが入稿。三人目で、ほんとに三人三様。これほどまで違うとは思わなかった。
●夏物をクリーニング屋にもって行く。帰りに金蔵寺へふらりと。
●Dame Mitsukoのモーツアルトを聞く。モーツアルトが古典派の作曲家とは思えないような音。今、何かを考えているような音。
晴れ
繋がらぬ星のまたたく秋の夜 正子
星かがやく気配に満ちて夕月夜 正子
遠き光夕三日月の背にあたり 正子
●朝から日本晴れ。最近は「日本晴れ」なんて言わないのだろうが天気がいいので、信之先生の散髪。お風呂を沸かしてから散髪。散髪後お風呂に直行してもらう。
●「俳句と私」の原稿、2人目が届く。俳句を作る動機や意味は人それぞれか。
●俳句四季出版から句美子宛に句集出版の案内。嫌がるだろうが、こういうことは、人に言われた時が為し時。精鋭16句に参加したものに限るとある。160ページ以内。『手袋の色』以後何句あるか、見てみないと。
晴れ
行雲に泡立ち草の刈られけり 正子
立ち止まる鶫の背筋すくと伸び 正子
秋草の刈られて青空映るかに 正子
●晩秋らしいおだやかな日。10月も今日と明日。編んでいるベストを明日までに仕上げて、花冠の編集や句美子の句集の翻訳に本気でかからねば。
You tube で次ぐ次クラッシクを聞きながら、今朝4時半まで起きてずっと編み物をしていた。編み物が主か、クラッシクを聞くのが主か、というところだが。
●句美子、リンパ腺が腫れてまた微熱があるというので、様子見に家に出かける。目黒線で多摩川を渡るときに夕焼けが後方に広がる。夕焼は西の方。いまだに西を後にする感覚がつかめない。夕焼はいつも行く手にあった。鉄橋の向こうの夕焼けには郷愁を誘われる。。
晴れ
●信之先生の病院に同行。血圧を測って、「どうですか」と問診を受けて、薬をもらって帰る。歩いて10分もかからない診療所ながら、帰るとぐったりと疲れてしまった。
●吉田晃さんから教職員の句集9冊が送られて来た。普段指導されている先生方の句で、仮の句集とのこと。その中の松本豊香さんは花冠にも投句されていたので、懐かしく拝読した。
曇り
●ハロウィンが近づいているので、元希に本とお菓子など送る。ドイツのグミのハリボーも入れる。元希が野菜を食べなくて困っているというので、フルーツトマトも入れた。本は送ってもらうのを楽しみにしているらしいので、買って送っている。「日本の歴史⑧」(角川書店)、「世界の国」(髙橋書店)、「電気とエネルギー」(ナツメ社)3冊。今回は郵便局から送った。
晴れ
花梨の実あかるきみどりを遠目にも 正子
鵯の声を広げて満つる雲 正子
秋の竹楚々と空を刷き戦ぎ 正子
●かぎ針で編んでいるベストの後ろ身ができた。コツコツと編もうとすると、途中で投げ出すことになる。一気に編むに限ると思い、目標は10月末にする。
晴れ
●よく晴れて、昨日よりは寒くはないが、ひえびえとする一日。生協の配達があり、おでん種を注文していたので、献立を変更して、おでんに。そんなにたくさん食べないので、少なめに。
おでんで思い出したが、息子の嫁さんがいうのに、息子はおでんは全然食べないとのこと。そんなだったかなと思うが、昔食べていたおでんと、今横浜で食べるおでんとは味つけが違うように思う。田舎の雑貨屋の店先でおばあさんが煮ていたおでんは、関東炊きと言っていて醤油と出汁の味がよくしみていた。今思えば、それはちっとも関東の味ではなかったということ。