11月15日(水)

曇り
●合同句集、信之先生の俳句に取り掛かる。
●ネット短信No.400を発信。
俳壇ワイド作品集(今月の有力同人)
連打音 川名ますみ
凩の止みて定まる朝の青
口紅の唇埋めずショール巻く
懐炉手に祈り無音の舞台袖
手袋をぬぐや舞台のピアノへと
降る雪のごとく始まる連打音
冬天へ最後の主音届けよと
冬の夜を楽譜とドレス背負い帰る

11月14日(火)

曇りのち晴れ
この人は台湾椿を咲かせたり   正子
郁子うれて照葉のつたう垣根なり 正子
鶺鴒に広き畑は存分に      正子
●散歩の道を少し変えると、台湾椿を咲かせる家があり、郁子が熟れる家あり。いつもより1時間遅い散歩に、林に、鵯、尾長、インコがたくさんいた。落葉を掃いていた人に挨拶すると、インコは世田谷の祖師谷にねぐらがあり、鯛ヶ崎公園には、啄木鳥がいて、以前は林に梟がいた、など話してくれた。この丘には、欅、スダジイ、杉、檜、桜など大木がある。一本の木がたくさんの小鳥を宿らせている。
●今日は三通の手紙を投函。河内静魚氏へ句集の礼状ほか。
●「俳壇」12月号に川名ますみさんの新作「連打音」7句が載る。10月号の祝恵子さんに続く掲載。
●「俳壇」12月号で、AIの問題を長谷川櫂氏と歌人の坂井修一氏の対談。問題は、俳人のAI化。俳句を作る方法論に偏っている現状に関係づけた話で、目新しい話ではない。
●「述志」の特集。詩人は左翼か、ということになる。それまでの思想や社会体制に反対する気持ちを述べることが、述志。逆に言えば、述志は、鋭敏で洞察力のある詩人の役目ということになる。

11月13日(月)

曇り
●11月月例ネット句会入賞発表
●『水の色』(河内静魚著/朝日新聞出版)が送られてくる。令和2年まで「俳句界」の編集長だった人。第7句集とのこと。
印象に残った句。15句
羽子つくやたえず空ある嬉しさに
まだ水の色のままなる初氷
近づけば冬木と冬木離れけり
秋すでに深山の上の八ヶ岳
一枚として重ならぬ青田かな
しづけさの寒さにかはるまで椅子に
病みし子と夜を共にし年越せり
冬木の芽色持ち上げてゐたりけり
生きることまた輝かす囀りは
 あゆ子逝く
一落花風をつかまへ舞ひ上がる
川霧をのがれし水の流れくる
白鳥来空気真白に染めながら
家陰に暮しの匂ふ鳳仙花
水音や田植濁りの飛鳥川
みじか夜や時計に音のありしころ

11月12日(日)

小雨。
●11月月例ネット句会。
今日は句会なので、合同句集の編集は休む。
●夕方、5時ごろ、友宏さん、句美子が来る。夕食は、久しぶりにすき焼き。
食後、合同句集に載せた句を三人で検討。実際会って話していないので、行き違いがないか確かめるのが、主なこと。明日の仕事があるので、9時前に終了。
●きつつきに遭う。高田東小学校の校庭の桜の木から、ドラミングが聞こえる。見上げるときつつきが二羽いる。コゲラか。
今朝は、小雨の中を散歩に出かけた。鯛ヶ崎公園にくると、笹鳴きのような声が聞こえるので、姿を確かめようと追っていると公園の一番上まで来た。公園を出ていつも尾根の道へ出ると、野生化したインコが数羽桜の木に。さらに第5公園に着いたところで、小学校の校庭の桜の木にキツツキが木を叩く音に遭う。
小雨の日曜日。公園には誰もいない。鳥たちに好都合の日のようで、烏も二足歩行、たまにぴょんぴょん飛び。四十雀はじゅびじゅびと地鳴き。鵯は忙し気に鳴く。
 

11月9日(木)

曇り、のち晴れ。
二窓のガラス拭き終え冬はじめ   正子
ぶらんこがまっすぐ垂れて石蕗の花 正子
小綬鶏の鳴く深秋の屋敷林     正子
●愛媛大学校友会から信之先生宛て、交友会報や例年の子規の俳句を書いたデスクカレンダーが送られてくる。愛媛大学への死亡連絡は、元がしてくれたが、細かいところはわからないので、連絡が来てからその都度知らせている。校友会にはがきで連絡。2週間前は、大洲高校の同窓会へ連絡。愛媛日独協会には夏に連絡。愛媛日独協会は、銀天街の忽那医院の先生と自分で立ち上げたと言っていた。創立当時、忽那医院の先生にご挨拶に行ったことを思い出した。いろいろある。
●家じゅうのカーテンが洗い終わった。窓を掃除。年末は少し楽になるかも。

11月8日(水)立冬

晴れ
黒コート黒縁眼鏡で立冬を  正子
秋朝日竹幹どれも真っすぐに 正子
蔦紅葉葛も紅葉に垂れ吹かる  正子
●立冬というのに、動けば半袖でちょうどいい。暖かいうちカーテンを洗うことにした。きのう、今日で二窓分。窓掃除も。
●合同句集の訂正のある人、5名。訂正原稿をワードで送る。

11月7日(火)

雨のち曇り、強風
刈りこまれ茶垣にのぞく小さき白 正子
秋の暮大風竹を打ち鳴らす    正子
嵐吹き欅紅葉の散り急ぐ     正子
●合同句集の俳句部分の校正をみんなに送った返事が返ってくる。残り、3名。
●夕べは8時前就寝。途中で起きて編集の仕事をするつもりで、目覚めたのが今朝2時前。テレビをつけると「トラムの旅」でウィーンの街が映されているのを途中から見る。要所要所の建物などを見せてくれる。
<Zeit,Kunst,Kunst,Freiheit>の文字が読める建物があって、Kunstのuがvのように書かれている。どこかで見た感じがする。セセッション館(分離派会館)の入口上部の"DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT"(時代には芸術を、芸術には自由を)だった。この書き方は、あとで調べるとして、クリムトが書いたのかも。
●これを見ていて、芸術や文化を育てるには、いい批評家がいる。いい批評家がいなければ、芸術家は育たないとはっきり思った。
今、俳句に関しては、批評家と言える人がいるのか。メディアが、芸術ではなく、商売のために価値判断をしているくらいか。総合俳誌では、編集長が女性から男性へと代わったところがある四分の二ぐらいあって、新しい動きをなんとなくだが、感じる。機械になりやすい女性から、意思を貫きたい男性へ、と言うことかもしれない。

11月6日(月)

雨のち曇り
帰り花色濃き花は雨のあと 正子
水栓の真ん中に立ち小さき花野 正子
荒畑のここより霧の立ち上る  正子
●夜明け、雨が降ったらしい。高田公園まで歩く。熱いコーヒーを水筒に入れて持って公園で飲む。霧が出ている。
●合同句集、「花冠創刊四十周年に寄せて」の原稿を並べ直す。五十音に並べていたが、それでは考えがなさすぎる。