俳句
追悼 志賀泰次さん
北の大地を詠みて秋立つ頃に逝き
○終戦日句会。
○朝、5時過ぎ、信之先生が志賀泰次さんの息子さんからメールがきているが、内容が消されていると、起こしに来る。再送をお願いするメールを送ったとのこと。
6時ごろ、メールの操作中に、内容を読み取ることが可能になった。
内容は、泰次さんが、7月10日に入院され、8月11日に亡くなり、葬儀も済まされたこと。パソコンを開いて、信之先生にブログ句集を作っていただいたりしていたことなどのお礼が書かれてある。お悔やみのメールを取り急ぎ送る。
○追悼句会を行うことを決める。
○泰次さんの訃報を聞き、眠りなおすわけにもゆかず、お茶を飲むでもなく、テーブルに座り、一昨日のの日経夕刊を取り出して読む。「奈良のやすらぎ」と題した著述家の海野弘氏のエッセイ。夏草の平城宮跡を歩き、秋篠寺、西大寺に行ったことなどがかかれてある。奈良での水煙フェスティバルを思い出した。朱雀門の見える、かんぽの宿にみんなで泊まった。西大寺には行かなかったが、平城宮跡を歩き、秋篠寺へ行った。礎石と朱雀門だけの宮城跡。このひろびろとした、何もないところに、大きな想像力が働く。京都よりも一時代古い奈良に、親近感を覚えもする。それを「やすらぎ」というのだろう。よく似た体験をされている。
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終戦日句会
ご挨拶
終戦日句会に、ご投句をありがとうございました。第二次世界大戦から64回目の終戦日を迎えました。戦地に行かれた方、母親の背に負んぶされていた方、戦争の名残りが残るなかに生まれた方、戦争も遠くなって生まれた方、様々な方からご投句いただきました。語らずとも、胸に仕舞われ、刻み込まれた戦争というものの記憶を、短い詩の俳句にしていただき、それぞれの方の思いを知ることができました。
敗戦という言葉に、何があるでしょうか。農地改革、選挙制度の改革、新しい学校制度など、いろいろ変革がありました。それらの改革を今真摯に受け止めたよい結果が出ているでしょうか。農は、政治は、教育文化は、と問いたくなります。戦後、どんな文化が育てられたのでしょうか。俳句にしても、なかなか難しいところにきています。世界戦略をかけた経済は、ほんとうに平和を呼びかけているのでしょうか。ある大企業に勤めた方は、センチメンタルな平和主義と、言い放ちました。企業利益で社員が行った夢は、ドーバー海峡で大凧を揚げたことでした。これが現実です。今終戦の日があったことを新たに認識し、そこを出発点に、われわれは、俳句を作るべきだと思います。そんな思いのした、終戦日句会でした。
終戦の日は、また盂蘭盆と重なり、同時にお盆の句をありがとうございました。先祖の御霊を迎えまた送り、夏から新涼の季節へと移りゆくころを、しみじみと句に詠んでいただきました。そして選とコメントをありがとうございました。信之先生には、原爆忌句会に続き、句会の運営などお世話になり、ありがとうございました。
終戦日句会の途中に、句友の志賀泰次さんの訃報が届き、別のブログに同人の皆さまから沢山の追悼句を寄せていただきました。ありがとうございました。
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俳句
晴れ
○明日の終戦日句会の俳句を考え、投句を済ませて就寝。
○今日、インターネット俳句センターのアクセスが89万を超えた。
俳句
曇り時々晴れ。
○今夜からお盆だが、それも忘れかけて、花冠の10月号の編集と、俳句年鑑の原稿書きに集中する。
午前9時から信之先生と編集と原稿書き。後記と子ども俳句にコメントをつける。昼過ぎ、編集を終え、表紙の字も揃ったので、エックスパックで送る。
少し休憩して午後2時から信之先生と年鑑の原稿書き。俳句研究年鑑、角川の俳句年鑑に載せる原稿を書く。2時間ほどかかった。信之先生の自選5句は、締切が遅いので、後回し。年鑑原稿は、気を使う。仕上げたときには、疲れで喉が変な感じだったが回復。
○夕方、松山NHK支局から、コンテストの後援の承諾書が届く。洋子さんが転送してくれた。今回は、大いに好意的で、NHKが賞品、賞状を出すと言う。選者も派遣する用意があるという。教育委員会も、愛媛新聞社も、南海放送も快諾。選者も多才な顔ぶれとなった。9月1日には、インターネット俳句コンテストの応募作品の受付が始まる。蓋を開けてみないとどうなるかわからないが、後援に熱気が入っている。これから10月までは、忙しい日が続きそうで気が許せない。
○昼は、室蘭に里帰りした友人からいただいた塩ラーメンを食す。さすが、札幌の麺。
俳句
フェンスより見越す芙蓉の白すがし
葡萄食ぶ一つ一つの冷たさを
夕涼に花壇の花の吹かれけり
曇りのち晴れ
○午前9時から10時半まで、花冠10月号の「選後に」と「巻頭抄」の句を選ぶ。明日後記を書き、入稿予定。
○昨日の蒸し暑さがなくなって、夜は涼しい。お盆のお供えの作り物が売られている。よくは見ていないが、ほおずきの朱が目に付く。
○インターネット俳句コンテストで、<インターネット新俳句大賞>を設けてはどうかと打診される。わずかだが、賞金をということになる。
俳句
曇り
○ミニバラが咲く。元気がなかったサフィニアが涼しくなったせいか、ぼつぼつ挽回。
○午前5時まえだったか、地震。震度4くらい。床から揺れる。食器棚の観音開きのガラス戸が片方(磁石が弱くなっている向かって右)。磁石で扉を閉めるようになっている戸だが。
地震と台風が一緒に来た。死者のでる災害が続く。
俳句
新涼の雨はたっぷり白く降り
いちばんに目覚めて赤きハイビスカス
○雨。台風9号の影響で、大雨の予報。
朝、7時前、一時停電。蒸し暑いので、朝からエアコンをドライにする。花冠ブログ句会も、急に新涼の句が増えた。みんなの句を毎日読んでいると、季節が刻々移り変わってゆくのが「見える」。
○昨日から、花冠10月号の編集をはじめる。大まかな割付と雑詠の選を投句されたものから済ます。
○インターネット俳句コンテストの、愛媛県教育委員会と愛媛新聞社の後援がすでに、決定。初めての申請でないものの、申請から決定まで、1週間ほど。非常に早い処理。また、コンテストの審査員に詩人の村上伸生さんを加えた。コンテストは、俳句、川柳、詩人、学者の選者がそろったことになり、俳句、川柳について、いろいろな見解がでるだろうから、楽しみなことである。
葉桜の蔭から
高橋正子
築地行四句
築地出て炎暑の風に煽られし
葉桜の蔭から勝鬨橋がよい
炎天の塔より水の浜離宮
遊覧船に手を振り水の涼しかり
朝粥に胡瓜茗荷を漬けて寝る
鶏頭の花が咲き出す原爆忌
被爆手帳も父も死にゆき原爆忌
みんみんの遠き声へと耳尖る
西瓜切ってみなの心に故郷(くに)ありぬ
えのころに夕日の色の風が吹き
蝉一つ鳴き止み遠くまた鳴けり
裏の樹に蝉の一つが鳴きとおす
蝉音止み遠くで一つまた鳴けり
明日朝の食事に冷やす梨・トマト
朝日が溢れみんみん蝉がよく鳴けり
西瓜切ってみな故郷をもちたがる
夕立の気配集まる金の雲
鶏頭の花色いろいろ少しずつ
押入れに毛糸あること秋立ちぬ
立秋のコロッケからりと揚がりたり
青梨の冷たき甘さ歯に染みぬ
朝顔に水遣ってから留守にする
被爆手帳も父も死にゆき原爆忌
鶏頭の花が咲き出す原爆忌
原爆忌ラジオに鳴りて朝の鐘
夜の灯に鶏頭の苗涼しかり
朝の手にセロリーの香が移りたる
築地出て炎暑の風に煽られし
葉桜の蔭から勝鬨橋がよい
炎昼の勝鬨橋の開かぬまま
炎天に静もっている築地寺
遊覧船の下りゆく川水すずし
炎天の塔より水の浜離宮
えのころの夕日の色の風が吹き
えのころを誰かさびしい草にする
ゆらゆらと蔓を伸ばして育つ朝顔
樹があれば遠くにみんみん蝉の声
みんみんの声のしてくる遠い空
みんみんの遠き声へと耳とがる
ハイビスカス瞳大きな子の目覚め
ベランダに蝶が来ていて朝涼し
夏蝶の黄がひらひらと留まれリ
夕涼の山も木立もはや淋し
夏の雨降りやみ遠く鳴く雀
みんみんに鳴かれ太陽かっと照り
朝涼の粥噴く音のほかはなき
朝焼けにぱっちり苺の花の白
かなかなに夕べさみしき灯がともり
百合の香よ涼しき風よ買い物に
朝粥に胡瓜茗荷を漬けて寝る
俳句
裏の樹に蝉の一つが鳴きとおす
蝉音止み遠くで一つまた鳴けり
○1945年8月6日8時15分の広島に続いて長崎に原爆が投下。11時2分。
8時15分といい、11時2分といい、朝なのだ。この時間に何をたくらみ、何を思う市民を殺そうとしたのだろうか。いかにも神の意思によるかのような、空中からの爆撃。許せるものではない。
終戦記念日が近づくと、それを振り返る報道に力が入るが、平和は普段の生活にあるのであって、普段の生活がいい加減では到底無理である。平和の思想は、毎日の生活の質素さと清潔さにあると思われる。質素と清潔というのは、現代流に解釈した「わび」の世界でもあろう。また、思想というのは、大きな言葉だが、ある思いや思考の日常的な継続なのだ。
○一日どんよりと曇り。午後7時56分ごろ地震。このところ地震が起きていなかったが、横浜あたりは震度3。床が揺れ、電灯の笠がゆれる。食器棚がびりびり音を立てる。
俳句
明日朝の食事に冷やす梨・トマト
朝日が溢れみんみん蝉がよく鳴けり
西瓜切ってみな故郷をもちたがる
○原爆忌句会の入賞者に賞品の発送を頼む。
金賞1名、銀賞2名、銅賞2名