3月14日(木)

晴れ
夕三日月辛夷の花は白刷けり 正子
夕闇に辛夷の白の浮かびたつ 正子
三日月の金疑わず春の宵   正子
●夕方7時頃、ネット短信No.414を出す。
『俳壇4月号』(本阿弥書店)の特集「俳句と前書き」の実作部門に正子の俳句3句とエッセーが載る。
●晃さんのアンソロジーのエッセーの相談にのる。
●夜、洋子さんに晃さんの既刊行句集の確認のために電話。長電話になってしまった。
●熱は下がるが、薬はあと1日分飲まなければいけない。
●愛大の校友会から送られた卓上カレンダーが2月のままになっていた。洋子さんがくれた若葉の石手寺の絵葉書が、いつの間にか、2月の上に重なって、気づかないでいた。3月はと、捲ると、桜の大洲城と肱川を渡る予讃線の緑の鉄橋に赤い電車。大洲城と予讃線が撮れる場所は大洲駅を出て少し西へ走ったところ。信之先生が懐かしむだろうと写真の傍に置いた。コロナがなおって、本当の三月が来た感じだ。
【生成AIによる英訳と解説】–正子による訂正 辛夷 sweet olive blossaom
→magunoria に
夕闇に辛夷の白の浮かびたつ
Translation: In the evening darkness, the white of the magnorias emerges.
This beautiful haiku captures the delicate moment when the magnoria flowers  stand out against the twilight. The imagery of the white blossoms floating in the dusky light evokes a sense of tranquility and ephemeral beauty.

3月13日(水)

晴れ
チューリップの育つ日差しを分かち合い 正子
雛と居る雛のほかには誰もいず     正子
●晃さんが本阿弥書店の『精選アンソロジー』(6月刊行)に参加することになった。晃さんからのエッセーを読み、主に始めのほうを手直しする。信之先生のことを書いてくれて、ありがたいが、800字では、収まらない内容に悩む。美知子さんのケースに当てはめてみて、それ相当の字数にする。
●コロナで今日まで外出禁止。生協の配達は、外に置いて帰ってもらった。林檎を注文していたのがラッキー。高熱が出なくなって、楽になったが、まだ熱があって食欲はない。
●シューベルト「鱒」を聞く。

3月12日(火)

春時雨コロナに熱の跳ね上がり   正子
雪洞を灯すも雨のうす暗さ     正子
 ベランダ菜園
もりもりと春のサラダ菜玉のごと  正子
●熱が39度を超え、咳が出始める。この熱にはさすがに参るが、悪くなっているように思えないし、咳は治りかけのときよくでるから、そうかも知れない。食欲がないので、昼過ぎにヘルシオにお粥を炊いてもらった。つやつやに、上手に炊けていた。
辛子明太子があったので、食べると、塩味が尖っている。そういえば、きのうの味噌汁もちょっと味が違って半分残した。コロナになると、味覚障害がおこるということが言われていたのを思い出した。もしかしたら、軽い味覚障害が起きているかもしれない。
●熱で仕事にはならないが、名前を見て栞を挟むことはできるので、角川の歳時記に、亞浪、梵、脩、絵馬、予志、不器男、の句があるところに栞を挟んでいった。花冠の『季寄せ』を作りたいと思っている。

3月11日(月)東北震災忌

晴れ
●3月月例ネット句会の入賞発表。
金曜日夜から発熱。土、日とすごし、ロキソニンで熱が下がってもまた同じような高熱が出る。今朝、一番に病院で診てもらったら、検査の結果コロナに感染していた。感染した日数は、土曜から数えて5日間、水曜日までは、外出禁止。強そうな、レンガ色の大きなカプセルの薬ラゲブリオが処方された。一度に大きなカプセルを四錠飲む。結核の薬もそうだが、見るからに強い薬とわかる色と大きさをしている。帰宅後第1回目を飲む。
●ただ寝床に臥しているだけ。電気毛布が背中を温めるように、背中を動かしてみたり、胸に置いた手も冷たいし、足先も冷たい。うとうと寝ては覚めてを繰り返す。熱のためか、喉が渇く。水分の補給にたびたび起きる。

3月10日(日)

晴れ
モーツアルト聞きっぱなして春の風邪  正子
一箱のティッシュ使うも春の風邪    正子
レタスの中なずなの花のよく育ち    正子
●3月月例ネット句会
12名参加
正子投句
杉の香の芬々として春の森
春耕の畑の傾斜がくろぐろと
紅梅を翔つとき鳥の羽透かし
●熱は夕方また高くなる。明日病院に行くことに。完全に風邪を引いている。コロナでないことを願うばかりだ。夕飯は葱だけの掛け蕎麦。府中の妹が最後の冬野菜だと言って送ってくれた葱が柔らかいので、美味。自分で焼いたパウンドケーキ、句美子に渡そうとしたのが、渡せないで、役立っている。2切れレンジで温めてミルクコーヒーと朝食に。仏壇からまた果物のお下がりをいただく。

3月9日(土)

晴れ
長堤を吹きて鳥浮く春の風    正子
ねむらない三月の夜は熱が出て  正子
仏前よりいただくひとつ晩生柑  正子
●『合同句集 泉』からの四季の俳句の選が届き始める。選を読むと、どの句も心温まるものだ。俳句は読まれて完結する、と言えるが、西洋でもロラン・バルトと言う人が、そういう意味のことを言っているのを、『近代美学入門』で知った。
●なんとなく、早く休もうと思って夕べは午後8時ごろ寝床に就いた。寝床に入ったまま、何も読みたくも、考えたくもなかったので、じっとしていて2時間が過ぎたころ、寒くなってきたので、電気毛布の温度を強くし、布団の上に毛布を掛けた。首まで埋めても寒い。体温計を取りに起きて測ると37.8度。多分、川風と、昨日の気温に冷えてしまい、風邪を引いたのではと思う。解熱剤のロキソニンを服用。朝を待つ。朝、ロキソニンが切れて、また熱が出ている。今日明日、様子を見て、月曜日に病院にいくことにした。
●これまでかなり歳月を過ごしてきた。乏しい経験ながら、ひとつ重要な経験をしていないことに気がづいた。葬儀のときの弔辞「やすらかにおねむりください。」というなかの「やすらか」ということ。「やすらかな時間」を過ごしたことがない。「やすらかな時間」は、死後に許されている時間なら話は別になるけれど。これに「・・に満ちた」をつけて、「・・に満ちた やすらかな時間」を今日から、残り少ないだろう人生の第一にすればいいのでは、と思った。

3月8日(金)

晴れのち曇り
●「花冠規約」を封筒から取り出そうとしたら、封筒に一緒に「明るい文学」(岸田國士著)のコピーが見つかった。「深くて明るい現代語による俳句」という信之先生の目指す俳句と関係するものと思われる。信之の俳句日記にそれをワードにして、掲載する。
●創刊40周年記念に、すでに合同句集『泉』は発行したが、花冠俳句叢書第32巻として花冠の『季寄せ』を作ることにした。表紙のデザイン、中の割付はざっとであるが、ほぼ決めた。印刷費の見積もりも自動計算でできた。はじめ、現在の花冠のメンバーだけの季寄せにしようと思ったが、「亞浪、臥風、信之、それにつづくもの」のテーマで編集する。一人の仕事になるが、夏の発行を目標に。
●モーツアルトのヴァイオリンソナタ第1番。ヴァイオリンもいいが、チェンバロがユニークで、たのしそうだった。

3月7日(木)

曇りのち晴れ、夜雨
川波の上を春行く新幹線     正子
残る鴨水潜りては浮かびけり   正子
川波のひたひたのぼる春の川   正子
草燃ゆる川土手水の見ゆるのみ   正子
●ゆうちょ銀行から登録内容確認と言う書類が届く。発行所名義の預金口座の確認。書類は夜書くことにして、綱島街道を歩いた。乗ろうとしたバスがどれもこれも抜いていくので、歩くことにした。綱島街道はトラックが多い。高層の新綱島ビルが建ったので、それを目安に歩く。
歩きはじめの街道沿いのマンションの景観は芸術的と言えるようなもの。ガラスと赤と正方形の印象。このマンションのデザインを見ると、日本のビルに多い瀟洒な印象は古い感じになっている。松下電器の跡地にアップルのゆるやかに波打つガラスの外壁の大きなビルがある。全面のガラスに、木のブラインドが下ろされ、中は見えない。4階建てのようだ。この辺りに慶大の国際学生寮がある。新しい建築を見ながら歩き、途中、小ざっぱりした坂道に沿うように、竹やぶが続いているので上ってみたら、諏訪神社の境内となっていた。上がった道は裏参道のようだ。反対側に鳥居と石段があり、椿がよく咲いていた。境内を出てまた街道を歩く。新綱島ビルが目の前に近づくと、昔のままの綱島の街になる。飲み屋や銀行、薬局、診療所などが雑多に入り混じった街。新綱島ビルにリンツのカフェがオープンするらしく、仕上げを急いでいた。新綱島ビルを過ぎ、百メートルぐらい街道を進むと鶴見川に行き着く。鉄橋とトラス構造の橋がある。橋を渡れば、横浜の方へ行く。橋を渡らないで、左に折れ、鶴見川の土手を歩く。風の冷たさと、川下から風が吹き波が上流へ流れているだけだ。何もなのがいい。電車が橋を渡る音が川に響く。下流の方に新幹線の橋梁がある。新横浜まで5キロを走る新幹線はスピードを落とすこともない。電車と新幹線が、川に大きく音を響かせて走るのは興趣。
川土手を下流へ歩くと、オオバン、ヒドリガモ、キンクロハジロがいる。キンクロハジロは最近加わったようだ。アオサギが一羽、優美な飛翔を二度。椋鳥、雀に似ているが鳴き声が違う、河原の野茨に止まる鳥の群。柳の枝の高いところに一羽の黒い眼光鋭い大型の鳥。スマホに撮る。帰ってネットで調べたが不明。今日は1万歩を越えた。帰りはいつものところからバスに乗って帰宅。
●モーツアルトの交響曲、今日の41番で1番から41番まで、番号のついている交響曲を聞き終わる。37番はハイドンの曲を編曲したのでそれをのぞいて35番から41番までを六大交響曲というとのこと。35番のハフナーがいいと思う。

3月6日(水)

曇り、ときどき晴れ
港霞み白い風車に安全灯   正子
船乗り場春の運河にすぐ接す 正子
●3時過ぎ、行くのを迷ったが、横浜そごうへ。鳩居堂と紀伊国屋書店で小用事。陶器と漆器、茶道具売り場、額縁売り場、菓子売り場を見る。今日から外出の時、眼鏡をかけることにした。眼鏡のせいで、少し鑑定眼がありそうに見えたのか、そんな接遇だった。
眼鏡は2焦点レンズなので、急には焦点が合わなくて、見るところによって、足元を踏み違えそうになる。慣れれば大丈夫か、用心すれば大丈夫か、というところ。
初めて気づいたが、紀伊国屋書店の児童図書の書棚が低くて、すぐにガラス窓。そこからベイ・クオーターと運河が見える。ベイ・クオーターは船乗り場で運河に向けて扉が開いている。次はここから船に乗ろうと思いつく。水煙大会のとき、ここから船で山下桟橋まで行った記憶が蘇る。
●昨日は小雨の中を5丁目の丘へ。崖っぷちの公園に着くと四十雀が欅の枝で地声で鳴いて、丈の低いヒアシンスが咲きかけていた。小さい子どもの家に男子中学生が二人、話もしないで、真剣な顔でいる。勉強してるのか、ボードのようなものが見える。何してるんだろう。帰るとき横を通ったら、寄せ書きを書いているようだった。卒業記念の寄せ書きアルバムに貼る言葉を考えていた様子。昔は色紙に寄せ書きを書いたが、今はきれいな表紙のついたアルバム風の台紙に5,6センチサイズのシールにメッセージを書いて貼るようになっている。これをおととい初めて本屋で見たばかりだった。
●モーツアルトの交響曲29番をコンセルトヘボウ室内楽団のライブコンサートで聞いた。厚みがあるけど重すぎない響きがいいと思った。

3月5日(火)啓蟄

曇り、午後小雨
辛夷まだ白き蕾をかかぐのみ  正子
鵯の羽音こもりぬ花のなか   正子
雨ふりて雛に仏に灯をともす  正子
●今年10月の鳥取でのねんりんピックの俳句募集要項が届く。鳥取出身の栄太郎さんに先行して一枚郵送。
 
●きのうは夕方、丸善へ。夕方の本屋を選んでよく行く。通勤の人たちが帰宅を急ぐころ、本屋に立ち寄る人もいるが、その数は少ない。隣で立ち読みしていた人がいつの間にかいなくなる。店の照明の照度が少し落ちてくる感じがする。実際は昼間と変わっていないだろうが、立ち読みで開いているページが眩しくない。
新書を10ページぐらいずつ、めぼしい本を読む。『親密な手紙』(大江健三郎)の冒頭は、松山の文芸仲間の噂で聞いた話。やっぱり本当だったんだと分かる。
『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)を買う。最近やさしい語り口の本にしばしば会うが、この本もやさしい語り口。そもそも美学は「観念」の話。新しく知ることが多い。
ヨーロッパでは、「伝統的に視覚と聴覚が高級で、それ以外は低級」と捉えられていたこと。感覚にたいする上等下等の区別は日本とヨーロッパ文化の違いをとらえるとき、かなり大切と思える。俳句で重要としてきたのは五感ということで、ものの認識において根本的に違っているのではと思う。
「芸術」という言葉は古くからあったが、「美術」と言う言葉は、1873年のウィーン万博の時から使われるようになったということ。このウィーン万博のあった1873年は、最近読む本に何度も出て来る重要年になっている。いやでも覚えてしまった。
●グルダのモーツアルトのソナタK545を聞いた。聞き飽きたようなK545の自由な弾き方に、3回も繰り返して聞いた。