9月16日(木)

★虫籠に風入らせて子ら駈ける  正子
虫籠に入っているのは、何の虫でしょう。鳴く虫かもしれませんしそうでないかもしれません。いずれにしても子どもたちはうれしくて駈けていくのです。躍動感を感じます。(多田有花)

○今日の俳句
はや桜紅葉始まる明るき午後/多田有花
「明るき午後」が魅力。暑さがようやく落ち着いたかと思うと、はやくも、桜は紅葉しはじめる。真夏の眩しさがぬけて、しずかな明るさに変わるころ。(高橋正子)

○インターネット俳句コンテストの愛媛新聞への掲載依頼を洋子さんに頼む。検討するとのこと。去年は新聞社の方から、載せてくれた。

○藤田正明さんの句を水煙から拾う。約400句。プリントして、お嫁さんの由美子さん宛て送った。

○花冠12月号のあらかた編集。

○昨日からの雨で気温がぐっとさがる。秋物衣類の準備。秋茄子の出盛りをJAの野菜市で買う。田楽に。枝豆も一束150円とお買い得。二束買う。

◇生活する花たち「ミズギク」(尾瀬ヶ原)

9月15日(水)

★旅の目に田毎の畦の曼珠沙華  正子
車窓からでしょうか。どこの田畑にでもある光景と思いますが曼朱沙華は目立つ花、旅の目であれば季節の移ろいを一入感じられたことでしょう。(黒谷光子)

○今日の俳句
新藁を積む一本の杭を打ち/黒谷光子
藁塚を作るために、中心に杭がしっかりと打ちこまれる。その杭に新藁をぐるりと積んでゆけば藁塚となる。収穫後の田んぼの風景は、一本の杭にはじまるその確かさ。(高橋正子)

◇生活する花たち「ウメバチソウ」(尾瀬ヶ原)

9月14日(火)

★青林檎ときに稲妻差しきたる  正子

○今日の俳句
新築の木材よき香を新涼に/古田敬二
新築の木材の香りはよいもので、新涼となると、とくに爽やかな香りに感じられる。「新築」がすがすがしい感覚的で捉えられた。(高橋正子)

○花冠11月号入校
9月12日(日)午後、花冠11月号の入校をネットで済ます。アドレスは、
http://kakan.info/km/w1011.pdf
で、ここから原稿をダウンロードしてもらう。印刷所は、松山の「龍華堂」。最近は、どこでもコンピュータによる印刷となった。
オンライン版俳句雑誌「花冠」11月号(通巻323号)は、下記のアドレス。
http://blog.goo.ne.jp/kakan12/

○民主党代表選は、菅直人氏が小沢一郎氏を破り再選。
やはり一国の総理がころころ変わるのが嫌われたのか。あるいは、古い体質の政治家が嫌われたのだろうか。

◇生活する花たち「トリカブト」(尾瀬ヶ原)

9月13日(月)

★水澄むこと今朝より池に始まれる  正子
目に慣れた池の水が澄み始めているという新鮮な発見。ああ、今朝から秋が始まったのだという実感が伝わってきます。澄み始めた水と透明な時の流れとを平易な言葉で滑らかに詠まれて、美しい御句だと思いました。(後藤あゆみ)

○今日の俳句
コスモスのあちこち向いてひと群れに/後藤あゆみ
コスモスの花は一つ一つは自在にあちこち向いて咲いているけれど、ひと群れとなれば、コスモスという花の全体の風情となる。風には同じようにそよぎもする。(高橋正子)

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◇生活する花たち「サワギキョウ」(尾瀬ヶ原)

9月12日(日)

  尾瀬
★山小屋の湯にいて秋の笹の音  正子

○今日の俳句
朝顔の和紙のようなり今朝の雨/小口泰與
久しぶりの今朝の雨に、朝顔がふたたび生気を得て咲くが、花の色よりも、花の質感に目がゆく。和紙のように薄く、雨の運ぶ風にひらひらしている終わりの頃の朝顔。(高橋正子)

◇生活する花たち「未草」(尾瀬ヶ原)

9月11日(土)

★さわやかに行きし燕の戻り来る  正子
燕が南方へ帰る季節になりました。高く晴れ渡った秋空を、燕の影が行きます。見送っていると、帰燕がついと戻り来る仕種を見せる。澄んだ空に燕の動きがさわやかです。(川名ますみ)

○今日の俳句
受付に竜胆おかれ医師の古稀/川名ますみ
掛かりつけの医師が古希と伺ったのであろう。受付にさわやかに竜胆がさしてあることが、古希を迎えた医師に相応しい。医師の人となりを想像させ、また、医師の髪に混じる白を穏やかに印象付けている。(高橋正子)

◇生活する花たち「萩」(横浜日吉本町)

H22/11月号投句

湿原に
高橋正子

尾瀬行きのバスの秋日のあたたかし  
みなかみの稲穂熟れそむ日和なり   
胡麻の花山の青さをきわだてり    
八月は水芭蕉の葉のおおいなる
ハンゴンソウの黄花真盛り触れもして
木道に沿えば風吹き吾亦紅
 イワショウブ
みはるかす湿原白き花が立ち
湿原に日はかたむかず未草
 弥太郎清水
差し入れし泉の水に手を切られ
山小屋の湯にいて秋の笹の音

9月10日(金)

★赤とんぼいくらでもくる高さなり  正子
秋と云えば赤とんぼ。小さな存在だが、それが手の届きそうな高さに乱舞している。そこに秋たけなわの歓びを感じます。「いくらでもくる」が、作者の驚きの気持ちを含めたユニークな措辞で、印象的です。(河野啓一)

○今日の俳句
海見ゆる牧に草食む秋の馬/河野啓一
海の見える牧場。ゆったりとして草を食む馬との取り合わせに、新鮮味がある。(高橋正子)

◇生活する花たち「月見草」(横浜日吉本町)

9月9日(木)

★つまみ菜を洗えば濁る水の色  正子
小さいつまみ菜には土も付いていない程でしょうが、それでも僅かに濁る水の色。小さく弱いつまみ菜を大切に洗っておられるのでしょう。湯掻けばほんの一握りですが、おいしいお浸しが食卓を賑わします。(黒谷光子)

○今日の俳句
どの道を行くも稲の香漂いて/黒谷光子
どの道を行っても稲の香がしている、静かであかるい村。稲の熟れるころを自然体で詠んでいて、いつまでも残したい日本の風景。(高橋正子)

○米国のプロバイダーからのアクセスがあって、ためしに そこの検索に、<masako takahashi>
を入れてみたら、以下のように、私の記事が10番目くらいに出てきた。この記事がインターネット上に残っていることは、大変ありがたい。[POETRY ON THE PEAKS]

○水煙時代平成元年から平成10年まで投句されていた、藤田正明さん(91歳・愛媛)の息子さんのお嫁さんから電話がある。ご本人は入院中なのだが、句集を作ってあげたいとのこと。発行所の電話は、インターネットで調べてわかったとのこと。早速、第1巻から水煙を取り出して、掲載句を選ぶ作業に入る。こういったこともあるものかと、存続することの意味をあらたに考えさせられた。

○句集原稿を選ぶ作業は、本人か身近な人がすべきなのだが、こちらで引き受ける。ブログ句会で話題になったピアフの歌をネットで何曲か聞きながら作業。今日は「Non.je ne regirette rien」がいいと思った。ついでに、「リリーマルレーン」を聞く。デートリッヒの英語とドイツ語の歌を聞いたが、やっぱりドイツ語のほうがよいかな。

◇生活する花たち「小豆の花」(横浜日吉本町)

9月8日(水)

拉致された人の死
★無花果のつめたさもてる人の死よ  正子
自分の人生、命を、無関係な第三者に意味なく決められる、断ち切られる虚しさ。無花果も花のないのは、もしかしたら、自分の意思ではないかもしれない。本当は、華となって咲きたかった。これは、進化の、結果であって自分では、どうしょうもないことだ。拉致は罪のない人が突然、連れ去られる。自分の意思を、越える強大な力の前では、無力だということを、お句は、詠っているいるのでは、ないでしょうか。 (成川寿美代)

○今日の俳句
朝もやに濡れて社の新松子/成川寿美代
朝もやにつつまれた社の静かなたたずまい。もやに濡れて、新松子のみどりが一際さわやかに目に映る。(高橋正子)

◇生活する花たち「キフネツリソウ」(尾瀬ヶ原)