4月1日(月)四月馬鹿

夜明け雨、のち晴れ
四月馬鹿わすれな草は空色に   正子
窓ぎわに目覚め明るき四月馬鹿  正子
ことばより音がたのしい四月馬鹿 正子
●ベランダでレタスを摘んでいたら、突然大きな音。ベランダに大きな鳥がいたようで、大きい羽音をさせて飛び立った。残像にオレンジが混じったような羽のいろ。色から言えば小綬鶏かもと思う。近所には植木に巣箱をかけている家もある。わが家のあたりから5丁目の丘には野鳥が多いことに気づいた。歩くと、初めての鳥に出会うこともある。
●里山ガーデンフェスタが開催されている。去年は春が無くて秋だけだった。チューリップが見ごろかもしれない。最近のチューリップは色も形も驚くほど新しい。6日には、金蔵寺の境内で花祭りコンサートがある。弦とピアノのようだが、境内にピアノを置く?そういえば、ずっと前、川崎の影向寺の境内で宮沢明子のピアノ演奏会があるのをポスターで知ったことがある。影向寺は信之先生と歩いて行ったが境内が高くていいお寺だった。
●グレングールドのモーツアルトソナタ集を聞く。

3月31日(日)

晴れ、夕方曇り
●初夏のような日。わらび餅粉を買ったのを思い出したので作った。砂糖はきび砂糖。きび砂糖でも味は大丈夫。砂糖の量はレシピの8割ぐらい。おやつも夏向きのが欲しくなる。
●松山の筍ごはんの素を売っていたので筍ご飯を炊く。でんぶのような鯛の身と、松山あげが入っていた。筍は湯山のらしく薄切りで柔らかい。
●句美子が夕方きて、「コンサートどうだった?」と聞く。様子を話すと、「コンサートじゃなくてイベントだったのね。」と。「マロさんって、クリスマスのお人形さんみたい」と言う。「くるみ割人形のことかな」なるほど、そこまでは思わなかった。
●夜中ラジオをつけたら、深夜便の読書案内をしていた。ラジオを聞いている人からの要望に応えて本を選書家の幅さんが薦めている。
『コレラの時代の愛』(ガブリエル・マルケス)を薦めているところだった。この小説を私は知らない。どんな要望があったのか、途中からなのでわからないが、あらすじを見て、この小説のようなことは実際あると私は思っていた。「事実は小説より奇なり」と言う意味ではない。けれど小説はないだろうと思っていた。その小説があったと知って、衝撃的に驚いた。マルケスはコロンビアのノーベル賞作家。彼がノーベル賞を受賞したころ、私は子育てに限らず、何かと忙しくて、ラテンアメリカ文学がブームだったことは知らなかった。一読の価値ありかも。英語の本を読み始めたころに読んだテニスンの『イーノック アーデン』とか、映画のソフィアローレンの「ひまわり」とかとも違っている感触だ。

3月30日(土)

晴れ
鴬の鳴く青空のぴっと晴れ       正子
チューリップの白剪るときは罪に似て  正子
チューリップ剪るときつめたき鉄鋏   正子
●早く目が覚めた。ホットケーキを一枚焼いて紅茶と朝食。ホットケーキを焼いている間、外を見るとよく晴れている。五丁目の丘に行くに限る。朝食後、コーヒーを小さいポットに入れて出かけた。鯛ヶ崎公園の森のなかへ。雨の後なので、小枝や笹の葉、櫟の花らしいのがたくさん落ちている。ベンチや椅子は濡れて座れそうにない。熱いコーヒーを一口、二口飲みながら、森を歩く。
鶯が綺麗に鳴いた。四十雀があちこちで鳴く。四十雀の鳴き声を研究されている動物言語学の鈴木先生がおられるが、鳴き声辞典を出してくださらないか、期待している。子供のころ読んだ「ききみみずきん」のずきんが本当に手にはいりそうだ。四十雀の鳴き声を聞いているとほんとにおもしろい。竹やぶに、1センチぐらいの白い花を見つけたが遠すぎてわからない。一華のようでもあるし、木苺の花かもしれない。
五丁目の公園にはどこも、パンジー、ヒヤシンス、チューリップ、ムスカリ、アネモネ、イースターローズなどなど。帰り民家に石楠花と山桜を見た。
●十時ごろブルーラインでお菓子と文具を買いに横浜へ。午後元希にゆうパックで送る。
●モーツアルトピアノ協奏曲17番(弦楽四重奏+コントラバス)がいい。
横浜四季の森公園と自宅界隈・春③

3月29日(金)

雨、午後晴れ 
 シーレ「死と乙女」
涅槃図と重ねても見「死と乙女」  正子
  シーレ自画像
白シャツのこの自画像の目を愛す  正子
  金蔵寺参道
浅きみどり桜つぼみは皆そうで    正子
 ※「浅緑」は、平安時代に呼ばれていた色名で、黄色がかった薄い緑色。
●3月24日にできたばかりの新綱島の港北区区民ホールの開館記念にマロさんのリサイタル。18時開演で2時間。コンサートは本当に久しぶり。
プログラムは、ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ第4番ニ長調」、ベートーベンの「ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調『春』」。小学生とバッハの「ドッペルコンチェルト」、クライスラー「美しきロスマリン」「愛の悲しみ」「愛の喜び」。お楽しみコーナーは、プログラムにない曲、多分だが、「ヴィターリ /シャコンヌ」と思う曲。伴奏の入江一雄さんは「ハンガリアン舞曲第6番」。マロさんの「ウィーン、わが夢の街」で締めくくった。演奏は、とてもよくて、ピアノがよかったのです。
コンサートと関係ないけど、トークが、こちらの耳のせいか、マイクを通しながら声がはっきり聞き取れなくて、その上、関係者の女性の方たち、慣れなくて普段が出たのか、ちょっと上から目線でした。演奏も曲目もよかったのに残念と言えば残念だった。次のコンサートは、それなりのお金を払って聞きましょう。帰りは、ホールを出たところのバス停から日吉東口行で帰った。
●「奥の細道むすびの地芭蕉記念館」発行の「大垣」二月号、三月号に次の句が掲載される
帆を立ててヨットは沖に犇めける 正子(2月号)
澄みて青き煙のぼりぬ朝顔香   正子(3月号)

3月28日(木)

小雨
水色に藍をふくみて勿忘草   正子
濡らさじと勿忘草の鉢抱え   正子
若枝に桜咲くなる山家かな   正子
●桜の開花が楽しみなので、金蔵寺の桜の咲き具合を見にいく。歩いているうち小雨が降りだした。参道の桜も境内の桜も7,80年経っているらしい。参道の十本の桜の内一本の木の小さい枝に、かんざし位に一つが開花。境内にある5本の桜は、どれも緑の蕾。境内の梅が1センチもない小さい実がついている。墓地へ行く道の山側に土佐水木と白い椿。
帰り、スーパーで勿忘草を二株買った。玄関に勿忘草の苗を置いて、その足で、5丁目の丘へ。民家の桜の木の若枝に桜が咲いている。農家の畑に李の花。
●句美子の『手袋の色』の「貝がら」から50句の内38句を昨日と今日で英訳。
若枝に桜咲くなる山家かな   正子
In the mountain hut where cherry blossoms bloom on young branches(trAI)

3月27日(水)

晴れ
青空に桜蕾のまだ固し       正子
チューリップまず咲く色の無垢の白 正子
チューリップ葉に包まれし花の白  正子
●思い出したが、去年の今日、金蔵寺の桜が咲いて、信之先生を車椅子で連れれ出して、桜を見に行った。車椅子から降りて、桜の幹に手を当てて立っている写真がある。それが、信之先生が外出した最後になった。去年の今日はまだ一緒に暮らしていたのが嘘のよう。
●しばらく雨が続いたが、今日は天気がよいので、アピタ辺りまで歩く。そこまで歩いて横道に入りしばらく歩いたが、もうどこにも行きたくなくなったので、箕輪町、日吉五丁目あたりを歩いて、近くのバス停から日吉東口行のバスで帰った。歩きながら桜の木を見るが、まだ蕾が固い。
●生成AIに英語の翻訳俳句について説明を求めると、この「poem(詩)」は、とか、この「haiku(俳句)」は、とかの言葉から始まることが多い。AIが何を根拠にpoemとか、haikuを区別しているのだろうか。
ちなみに、
  チューリップ素焼きの鉢に咲き溢れ 正子
の句を生成AIに翻訳、あるいは説明を要求すると、チューリップの育て方が詳しく出て来るが、俳句(詩)に翻訳することはない。詩や俳句と認識していないことになる。
●遅いお昼を済ませ、句美子の子ども俳句を生成AIと相談しながら翻訳。秋に一度翻訳して、一応出来上がってはいる。俳句の特殊性から、英語の俳句についてネイティブの人に聞いてこれが、自然かどうか判断してもらうのは難しい。最近、生成AIに聞けるようになって、この問題が解決できそうなので、嬉しくなっている。もともとビジネスのために開発されたのだろうが、なかなか頼もしい。
チューリップまず咲く花の無垢の白 正子
Pure white is the first bloom of a tulip. (tr.masako)

3月26日(火)

よく炊かれみどり失う春の蕗    正子
さや豌豆の緑生かして稲荷ずし   正子
春しぐれ夫と居るかに灯をともし  正子  
●晃さんのアンソロジーの略歴とエッセイ―は直す箇所の修正が終わったので、電話。留守だったので、明日再度電話する。2020年、2021年のアンソロジーのほかの方の句を一通り見たが、晃さんのは、かなりしっかりしていると思った。花冠のありように自信を強めた。花冠同人の句は、芯があって、充実感が感じられると思えた。
●ボーヴォワールの『老い』(人文書院)を注文しようとして値段を見て、止めた。日本の上流、中流女性が老後解放されて、幸福だと言う件は、指摘の通りで、日本のほとんどの女性はそれを身をもって知っている。老後になるまで、いかに窮屈に抑えられてきたか。きのうも、晴美さんと電話で、「僕が死んだら結婚していいよ。」と夫が言ったんだと話して、二人で大笑いをしたのだ。
●季寄せのための選句を少しずつする。芭蕉、子規、亜浪、臥風、信之、花冠会員の句で十分だと思う。松山での水煙大会の時、守山満樹先生が、「俳句は、芭蕉と、まあ子規を入れてあげて、そのくらいで十分だ」と、冗談とも本気ともわからない話をされたが、筋から言えばそうだろう。
『芭蕉百五十句』から冬の句
櫓の聲波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
海くれて鴨のこゑほのかに白し
旅人と我名よばれん初しぐれ
鷹一つ見付けてうれしいらこ崎
しぐるるや田のあらかぶの黑む程
住みつかぬ旅のこゝろや置炬燵(おきごたつ)
水仙や白き障子のとも移り
芹焼(せりやき)やすそわの田井の初氷
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る

海に降(ふる)雨や戀しき浮身宿(うきみやど)
清瀧や波にちり込(こむ)靑松葉
よく炊かれみどり失う春の蕗 正子
Spring fuki, losing its green when cooked.  masako (tr.AI)
Explanation byAI:The simplicity and depth of this poem capture the changing seasons and the emergence of new life in spring. Well done!
春しぐれ夫と居るかに灯をともし 正子
Spring drizzling rain,I light a lamp as if with my husband. masako (tr.masako)
Explanation by AI:? In the soft embrace of spring’s drizzling rain, I kindle a lamp, its glow a tender flame. As if with my husband, unseen yet near, 

3月25日(月)

小雨
一日を春の時雨にもてあそぶ    正子
ソックスを濡らし子が来ぬ春時雨  正子
草刈られ土筆すくすく育ちたり    正子
『芭蕉百五十句』から秋の句
起あがる菊ほのか也水のあと
はつ秋や海も青田の一みどり
荒海や佐渡によこたふ天河
わせの香や分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)
合歓(ねむ)の木の葉ごしもいとへ星のかげ
病雁(やむかり)の夜さむに落て旅ね哉
秋風のふけども青し栗のいが
名月はふたつ過ても瀬田の月
鶏頭や雁(かり)の来る時尚あかし
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉
ぴいと啼(なく)尻聲(しりごえ)悲し夜の鹿

●K・ひとみさんからお便り。<子規博主宰の「子規塾」での小西昭夫先生の「髙橋信之の俳句」の講義は熱量が半端無かった>と書いてあった。小西さんに葉書きで、お礼を。俳壇4月号に、「種田山頭火俳句の「前書き」」についてのエッセイも拝読した旨を伝えた。

●『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)。「西洋近代」とは、17世紀~19世紀のこと。日本の江戸時代。
「芸術とは美しいもので、高い技術によって創作されるもので、高尚で凡人には生みだせないオリジナリティ溢れるものだ。あるいはそうあるべきだ。」というのは、近代的考え。現代では、「こんにちでは、芸術には美も技術も必須ではありません。」「もはや芸術は『美しい諸技術』ではありません。」となる。
大方の人は、ヨーロッパの近代の芸術に関する概念で判断していると言えそう。こう考えるのは危ういと言う著者。
「近代(なかでも18世紀後半から19世紀の)ヨーロッパ以外の芸術について理解しようとするなら、それぞれの地域の文化や思想を汲まなければいけません。近代ヨーロッパでなく、当人たちの物差しに合わせる必要があります。そのため、『芸術』から思い浮かべられる概念は、近代ヨーロッパのものであると、自覚することが重要なのです。そうすることで、また、芸術について柔軟に考えられるようになる気がするのです。」
●現代アートや前衛俳句においては、「美しい諸技術」は必須でないことになっている。現代アートや前衛俳句を評価する基準があるのか、どうかわからないが、あれば、なによりも「力」のような気もする。

3月24日(日)

曇りのち雨
●信之先生の月命日。桜のお香を焚く。稲荷ずしを作って供える。スーパーで蕗を探すが見当たらない。今の時期そんなはずはないと思いながらも、山菜コーナーを見ていると、葉を切り落とし、茎を25センチくらいに切ってビニール袋に入れている。見つからないはずだ。一把でなく、一袋買う。今日は鯛が安いので予定外だったが買った。鯛で意外とおいしいのは、塩焼き。強めに焦がす。鯛の水分が程よく抜けて、身がしまって、味がすっきりする。夕方句美子が雨に濡れてきた。急に本格的に降り出したとのこと。十六本骨の長い傘を買った方がいいかも。
●信之忌 五月二十四日
芍薬の匂えば夫は香のなかに 正子
As the peonies scent the air, my late husband is in the fragrance.(tr.masako)

Explanation by AI: This verse captures the essence of sensing a loved one’s presence through the enveloping fragrance of peonies. Peonies are known for their rich aroma, which has inspired many cultures and poetic works.

3月23日(土)

小雨
●『芭蕉百五十句』から
夏の句
命なりわづかの笠の下凉ミ         芭蕉
山かげや身をやしなはむ瓜畠        〃
暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏(げ)の初 〃
涼しさやほの三日月の羽黒山(やま)    〃
めずらしや山をいで羽の初茄子       〃
京にても京なつかしやほとゝぎす      〃
朝露によごれて涼し瓜の泥         〃
秋ちかき心の寄(より)や四疊半      〃
●起きてからヘンデルを聞きながら仕事。ラルゴなど。
●鴨流る映れる影も流れける  正子
The flowing wild duck, its reflection also flowing. (tr.masako)
Explanation by AI:The line you've shared evokes a serene image of a wild duck gliding over water, with its reflection moving along with it. It’s reminiscent of a scene one might find in a haiku, capturing a moment in nature with simplicity and beauty.
●里山ガーデン