8月7日(火)/立秋、月遅れ七夕

★七夕の星はいずれも澄み透る  正子
月遅れでは8月7日に行われる七夕。古来この日、牽牛と織姫の伝説に思いを馳せ、願いごとを短冊に託して笹竹に吊るされてきました。七夕の日の星を「いずれも澄み透る」と詠まれた御句に、夜空の星に寄せる作者の深く透徹した明るさを感じます。 (小川和子)

○今日の俳句
西瓜切る水音たてて俎板に/小川和子
大きな西瓜を切ると、皮の割れる音と共に水の音、水の匂いがする。西瓜のみずみずしさが切った瞬間にあふれ出た句。(高橋正子)

○女郎花(おみなえし)

[女郎花/横浜・四季の森公園]       [女郎花/横浜・都筑中央公園]

★ひよろひよろと猶露けしや女郎花/松尾芭蕉
★とかくして一把になりぬをみなへし/与謝野蕪村
★女郎花あつけらこんと立てりけり/小林一茶
★裾山や小松が中の女郎花/正岡子規
★遣水の音たのもしや女郎花/夏目漱石
★女郎花の中に休らふ峠かな/高浜虚子
★山蟻の雨にもゐるや女郎花 蛇笏
★女郎花ぬらす雨ふり来りけり 万太郎
★馬育つ日高の国のをみなへし 青邨
★波立てて霧来る湖や女郎花 秋櫻子
★杖となるやがて麓のをみなへし 鷹女
★をみなへし信濃青嶺をまのあたり 林火
★村の岐路又行けば岐路女郎花/網野茂子
★女郎花そこより消えてゐる径/稲畑汀子
★女郎花二の丸跡に群るるあり/阿部ひろし
★とおくからとおくへゆくと女郎花/阿部完市
★夜に入りて瀬音たかまる女郎花/小澤克己

 秋の七草のひとつに数えられる女郎花。萩、桔梗、葛、尾花、撫子、藤袴、女郎花とあげてくれば、どれも日本の文化と切り離すわけにはいかない草々だ。どれも風情がいいと思う。藤袴、女郎花については、名前にはよくなじんでいるものの、実物を見るようになったのは、20代を過ぎて、30代になってからと思う。藤袴、女郎花はどのあたりに生えているかも知らなかった。故郷の瀬戸内の低い山裾などでは見ることはなかった。女郎花は、生け花にも使われるが、粟粒状の澄んだ黄色い花が魅力だ。栽培しているものをよく見かけるようになったが、決してしなやかな花ではない。むしろ強靭な花の印象だ。葛だってそうだし。

★おみなえし雲を行かせたあと独り/高橋正子
★女郎花山の葛垂る庭先に/〃

オミナエシ(女郎花 Patrinia scabiosifolia)は、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属 の多年生植物。秋の七草の一つ。敗醤(はいしょう)ともいう。沖縄をのぞく日本全土および中国から東シベリアにかけて分布している。夏までは根出葉だけを伸ばし、その後花茎を立てる。葉はやや固くてしわがある。草の丈は60-100 cm程度で、8-10月に黄色い花を咲かせる。日当たりの良い草地に生える。手入れの行き届いたため池の土手などは好適な生育地であったが、現在では放棄された場所が多く、そのために自生地は非常に減少している。 日本では万葉の昔から愛されて、前栽、切花などに用いられてきた。漢方にも用いられる。全草を乾燥させて煎じたもの(敗醤)には、解熱・解毒作用があるとされる。また、花のみを集めたものを黄屈花(おうくつか)という。これらは生薬として単味で利用されることが多く、あまり漢方薬(漢方方剤)としては使われない(漢方薬としてはヨク苡仁、附子と共に調合したヨク苡附子敗醤散が知られる)。花言葉:約束を守る。名前の由来:異説有り。へしは(圧し)であり美女を圧倒するという説、へしは飯であり花が粟粒に見えるのが女の飯であるという説、など。

◇生活する花たち「桔梗・女郎花・槿(むくげ)」(東京・新宿御苑)

8月6日(月)/原爆忌

★大朝焼車一台ずつ染まる  正子
早朝、東の空から次第に赤紫色に染まり、やがて真っ赤な大朝焼けになってきました。ほんの短い時間の流れの中に、周囲は大きな朝焼けに包まれ、未だ、まばらに行交う車も、駐車している車もその一台づつが赤く染まっています。今日の暮らしが始まろうとしている美しい朝の風景です。 (佃 康水)

○今日の俳句
作務僧も素麺流しの竹を組む/佃 康水
寺での素麺流しであろうか。作務僧も出て、素麺を流す青竹を組み、境内での素麺流しがいかにも涼しそうである。(高橋正子)



[グラジオラス/横浜日吉本町]

★グラジオラス妻は愛憎鮮烈に/日野草城
★グラジオラスゆるるは誰か来るごとし/永田耕一郎
★グラジオラス揺れておのおの席につく/下田実花
★刃のごとくグラジオラスの反りにけり/佐久間慧子

 花にも流行り廃れがあるが、私の記憶では、昭和30年代から40年代の初めごろ、グラジオラスは、ダリアと並んで人気の花だったと思う。葉が菖蒲のようで、花が連なって咲く。ヒメヒオウギズイセンに似たマジェンダ色のグラジオラスが一般的だったころ、生家にもあった。それから花がずいぶん華やかに豪華になった。グラジオラスは、ガラスの花器に活けたい。茎を水に透かせて、豪華な花の暑苦しさから解放されたい。そうすれば随分涼しい花となる。連なった花は根元から先へと咲く。最後の蕾まで咲き切らすのは意外と難しい。

グラジオラス (Gladiolus) は、アヤメ科グラジオラス属の植物の総称。日本には自生種はなく、園芸植物として植えられている。別名、トウショウブ(唐菖蒲)、オランダショウブ(阿蘭陀菖蒲)。名前は古代ローマの剣であるグラディウスに由来し、葉が剣に類似していることが根拠と言われる。日本では明治時代に輸入され、栽培が開始された。根は湿布薬の材料に使われる。原産地は、アフリカ・地中海沿岸など。赤、黄、橙、白などの花を開花する。葉(一説には花が咲く前の一連のつぼみ)が剣のようなのでGladius(ラテン語で「剣」)にちなんで名づけられた。春に球根(球茎)を植え、夏の7 – 8月にかけて開花する春植え球根として流通しているものが一般的である。一部の原種には秋植え球根で、春に開花するものもある。花言葉には勝利・密会・用心などがある。

◇生活する花たち「むくげ・コムラサキ・鬼百合」(東京・新宿御苑)

8月5日(日)

★胸うちに今日の夏野を棲まわせる  正子
連日の猛暑です。この夏野はやや標高の高いところにある涼しげな高原という印象を受けます。そこを吹く風の心地よさとともにその夏野の光景を胸のうちに収められている、そこに涼しさがあります。(多田有花)

○今日の俳句
頂の青筋揚羽雲に触れ/多田有花
山の頂には、こんなところまでよくも、というような蝶などを見かける。飛べば雲に触れそうな青筋揚羽もいて、驚き、また楽しい世界を作っている。(高橋正子)

○ささげの花

[落花生の花/横浜市緑区北八朔町]

★アフリカの太古の色やささげ咲く  照れまん
★紫にささげの花や土用東風  憧里夢
★高架駅下りればすぐに花ささげ/高橋正子
★大畑を区切って三筋の花ささげ/高橋正子
 
 ささげは、小豆の大ぶりなもので、小豆より品位が低いものと子供時代は思っていた。小豆も結構よい値であるが、ささげのほうがもっと値が高い。上等な赤飯にはささげが使われている、と大人の私はこのようにささげを見ている。ささげの餡というのがあるかどうか知らないが、餡にもするようだ。畑の一画にそんなにたくさんではないが、ささげが植えられていた。さやが幾分長い。祖母がささげ、ささげとよく言っていた。秋になると鞘が熟れて、それを筵に広げ乾燥させ、木槌でたたいて豆を出した。

ササゲ(豇豆、大角豆、学名 Vigna unguiculata)はマメ科の一年草。つる性の種類とつるなしの種類とがある。アフリカ原産。主に旧世界の温暖な地方で栽培される。南米では繁栄と幸運を呼ぶ食物と考えられ、正月に食べる風習がある。樹木の形状は低木であり、直立ないし匍匐する。枝を張ったり、からみついたりと、成育の特性は多彩。語源は、莢が上を向いてつき物をささげる手つきに似ているからという説[1]、莢を牙に見立てて「細々牙」と言ったという説、豆の端が少々角張っていることからついたという説など諸説ある。藤色、紫、ピンクなど様々な色の花をつける。花の形は蝶形花である。穀物用種は、さやが10-30cmで固く、豆は1cm程度の腎臓形で、白・黒・赤褐色・紫色など様々な色の斑紋をもつ。白い豆には一部に色素が集中して黒い目のような姿になるため、ブラック・アイ・ピー(黒いあざのある目を持つ豆)と呼ばれる。つる性種は草丈が2mから4mになるのにたいし、つるなし種の草丈は30cmから40cm。ナガササゲと呼ばれる品種は100cmに達する。耐寒性は低いが、反面暑さには非常に強い。日本では、平安時代に「大角豆」として記録が残されている。江戸時代の『農業全書』には「豇豆」という名前で多くの品種や栽培法の記述がある。また、アズキは煮ると皮が破れやすい(腹が切れる=切腹に通じる)のに対し、ササゲは煮ても皮が破れないことから、江戸(東京)の武士の間では赤飯にアズキの代わりに使われるようになった。

◇生活する花たち「待宵草・白芙蓉・百日紅」(横浜日吉本町)

8月4日(土)

★野に出でて日傘の内を風が吹き  正子
「野に出でて」で外出する解放感が伝わってまいります。夏の草花がチラホラと生い茂っているであろう野原を日傘をさしてゆっくりと歩く。傘の内を爽やかな風が吹き抜けて、涼しさも感じられる夏のひとときです。 (河野啓一)

○今日の俳句
空晴れて祭り太鼓の試し打ち/河野啓一
「試し打ち」に、祭への張り切りようが想像できる。「空晴れて」なので、思い切りの試し打ちだろう。まだ不調子があれば、本番でない面白さと思える。(高橋正子)

○落花生の花

[落花生の花/横浜市緑区北八朔町]

★落花生の花咲き遥かなる空よ/高橋信之
★ピーナッツの花咲かせ空ひろびろと/高橋信之
★落花生の花はバス道をはずれ/高橋正子

 生家の前はすぐ畑となって、胡麻を植えていたことを既に書いたが、その胡麻畑の隣に落花生を植え、同じ時期に花を咲かせていたので、夏休みの記憶に残っている。当時、生家では、南京豆といっていたが、南米原産で東アジアを経由して、江戸時代(1706)に日本に渡来したと言われている。落花生は、7・8月の早朝に黄色の花が咲いて、昼にはしぼんでしまう。数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることから落花生(ラッカセイ)の名前が付けられた。
 ラッカセイ(落花生、学名:Arachis hypogaea)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)、異人豆(いじんまめ)など。中国語は花生。福建語・台湾語は土豆。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。日本では主に食用として栽培されている。草丈は25-50cm。夏に黄色の花を咲かせる。受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることからラッカセイの名前が付けられた。ラッカセイの原産地が南アメリカ大陸であることは確実である。最も古い出土品は、紀元前850年ころのペルー、リマ近郊の遺跡から見つかっている。その後、メキシコには紀元前3世紀までに伝わっていた。南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀である。日本で最初に栽培されたのは神奈川県の大磯町である。西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにラッカセイが用いられ、そのまま西アフリカ、南アフリカに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。現在の大栽培地インドへは19世紀と比較的導入が遅かった。日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、南京豆と呼ばれた。現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。

 千葉市の小仲台に住んだ詩人白鳥省吾が1958年、八街市内の豊かな落花生畑を見て、即興で詠んだ自筆の詩碑が千葉県立八街高校の校庭に建立されている。
落花生讃碑[千葉県立八街高校]

  落花生賛
 いつ知らず
 葉は繁り
 花咲きて
 人知れず
 土に稔りぬ
    白鳥省吾

◇生活する花たち「ゆうすげ・松葉牡丹・夾竹桃」(フラワーセンター大船植物園)

8月3日(金)

★夏蒲団糊の匂いて身に添えり  正子
「糊をする」という言葉が懐かしくなりました。昔は浴衣やシーツなど糊をしたものです。糊をした夏蒲団、糊が強すぎもせず身に沿うて、いい匂いがして気持ちよく眠れそうです。(黒谷光子)

○今日の俳句
炎天に祭り用意の男たち/黒谷光子
炎天下、祭りの用意に余念のない男たち。汗をいとわず動く意気込みが、男らしさとなって、用意の段階から祭りを盛り上げている。(高橋正子)

○へくそかずら

[へくそかずら/横浜市港北区箕輪町]

 「へくそかずら」は、埃っぽい真夏の暑さにも負けず道路わきの草に巻きついたり、涼しそうな竹藪の下草に巻きついたり、結構あちこちで見かける。初めてへくそかずらの名前を知ったのは、小学生の時だった。そのころは、夏休みの宿題は夏休み帳だけ。夏休み帳だけやるのは少な過ぎると考えたのだろう。上級生から夏休みには、漢字の百字練習と、計算ドリル、絵を2,3枚。工作1点、押し花か昆虫採集、これらをそろえて新学期に持ってゆくものと教えらえていた。一緒に勉強したり、絵を描いたり、工作をしたりすることもあった。押し花は小学3年生のころから始めた。毎夏のことで、家の周りのいわゆる雑草を採集して押し花にし、画用紙に貼り付けた。10枚から20枚くらいを綴じた。植物の名前は、図鑑で調べるののではなく、上級生や大人に聞いた。わからないものは何も書かないで提出。「へくそかずら」の名前は、夏休みの植物採集で知った。かわいい花だと思ったが、それが花にはかわいそうな名前であることなどちっとも思わなかった。実際、意味を考えもしなかったのだろう。

★へくそかずら涙を溜めし目に映る/高橋正子

 ヘクソカズラ (屁糞葛, Paederia scandens) とはアカネ科ヘクソカズラ属の植物の一種。別名ヤイトバナ、サオトメバナ。古名はクソカズラ(糞葛・屎葛)。日本各地、東アジアに分布する蔓性の多年草で、至る所に多い雑草。葉や茎に悪臭があることから屁屎葛(ヘクソカズラ)の名がある。葉は蔓性の茎に対生し、形は披針形から広卵形で、縁は全縁。花期は7月から9月頃で、花弁は白色、中心は紅紫色であり、その色合いが灸を据えた跡のようなのでヤイトバナ(灸花)の別名がある。果実は黄褐色。干して水分を飛ばした果実、または生の実を薬用とする。ただ、生の果実はかなりの臭気を放つのに対して、乾燥したものは不思議と臭いが消えるため、乾燥したものを使うことのほうが多い。劇的ではないが効用は認められており、しもやけ、あかぎれなどの外用民間薬のほか、生薬の鶏屎藤果としてもしられている。「ヘ」の上に「クソ」までつく気の毒な名をもつヘクソカズラは、荒れた雑木林などに生える。名前のとおりに花などをもむといやなにおいがするが、芯の部分は落ちついたアズキ色でしゃれている。冬になれば枯れたつるで素敵なリースができる。

◇生活する花たち「桔梗・胡麻の花①・胡麻の花②」(横浜市緑区北八朔町)

8月2日(木)

★這いはじめし子に展げ敷く花茣蓙  正子
可愛いお孫さんでしょうか。這いはじめの時は特に可愛いですね。種々の色に染めた藺で山水や草花などの模様を織りだした花むしろをお孫さんのために拡げてあげている素敵な景ですね。 (小口泰與)

○今日の俳句
峰雲やかたまり歩む牛の群/小口泰與
雲が峰のように湧きあがり、牧場には、よい草地に連れて行かれるのだろう、牛が群れをなしてゆっくりと歩んでいる。のびやかで大きな景色。(高橋正子)

○紫式部の花

[ムラサキシキブ/横浜・四季の森公園]   [コムラサキ/東京・新宿御苑園]

★慈雨来る紫式部の花にかな/山内八千代
★紫式部添木に添わぬ花あまた/神部 翠
★光悦垣色あはあはと花式部/高瀬亭子
★紫式部咳くやうに咲き初めし/河野絇子
★夢辿る紫式部の花の香に/石地まゆみ
★花式部見つけたり日の輝きに/高橋信之

★渡されし紫式部淋しき実/星野立子
★雨後あまだ雲のたゆたふ実むらさき/能村登四郎
★むらさきしきぶ熟れて野仏やさしかり/河野南畦
★うしろ手に一寸紫式部の実/川崎展宏

 紫式部の実は、熟れると美しい紫色となる。しだれるような枝に小さな紫色の実がつき、小鳥が好んで食べる。一度私も食べてみたが、棗に似た味がする。この美しい実がつく前には花が咲くのはとうぜんだが、6月、その紫式部の花が咲いている。実より少し淡い紫色である。その花の通りに実がつく。山野に自生したのを見るが、庭木に植えているものと見かけが多少ちがうように思う。私が見た限りでは、庭木に植えているもは、葉が黄緑がかっているが、自生種は葉が大ぶりで、緑色が濃い。花よりも実が美しい木の一つである。

★登り来てふと見し花は花式部/高橋正子

ムラサキシキブ(紫式部、Callicarpa japonica)はクマツヅラ科の落葉低木で、日本各地の林などに自生し、また果実が紫色で美しいので観賞用に栽培される。高さ3m程度に成長する。小枝はやや水平に伸び、葉を対生する。葉は長楕円形、鋭尖頭(先端が少し突き出すこと)、長さ6-13cm。細かい鋸歯がある。葉は黄緑で洋紙質、薄くて表面につやはない。初めは表側に細かい毛があることもある。花は淡紫色の小花が散房花序をつくり葉腋から対になって出て、6月頃咲く。秋に果実が熟すと紫色になる。果実は直径3mmで球形。栽培品種には白実のものもある。名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」だが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと思われる。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味。スウェーデンの植物学者のカール・ツンベルクが学名を命名した。北海道から九州、琉球列島まで広く見られ、国外では朝鮮半島と台湾に分布する。低山の森林にごく普通に見られ、特に崩壊地などにはよく育っている。ムラサキシキブ(コムラサキ、シロシキブ)の名所として、京都・嵯峨野の正覚寺が有名である。
コムラサキ(C. dichotoma)も、全体に小型だが果実の数が多くて美しいのでよく栽培される。別名コシキブ。ムラサキシキブとは別種であるが混同されやすく、コムラサキをムラサキシキブといって栽培していることが大半である。全体によく似ているが、コムラサキの方がこじんまりとしている。個々の特徴では、葉はコムラサキは葉の先端半分にだけ鋸歯があるが、ムラサキシキブは葉全体に鋸歯があることで区別できる。また、花序ではムラサキシキブのそれが腋生であるのに対して、コムラサキは腋上生で、葉の付け根から数mm離れた上につく。岩手県で絶滅、その他多数の都道府県でレッドリストの絶滅寸前・絶滅危惧種・危急種・準絶滅危惧の種に指定されている。

◇生活する花たち「グラジオラス・百日紅・蒲の花」(横浜日吉本町)

8月1日(水)

★撒き水の虹を生みつつ樫ぬらす  正子
公園の樹木への水撒き撒布でしょうか?大きな樫のの木への撒布はうっすらと虹を生み、大変涼やかかで心地の良い光景が想われ、素敵な好きな句です。 (桑本栄太郎)

○今日の俳句
青蘆の風に逆らい騒ぎけり/桑本栄太郎
逞しく育った青葦は、風に抵抗して、というより、風の縦横な吹き方に騒ぐ。乱れ騒ぐ青葦と風の具合がとても魅力的。(高橋正子)

○ネット短信No.156を配信
http://blog.goo.ne.jp/kakan107

○風船葛

[風船葛/横浜日吉本町]

★あそび仲間ふやし風船葛かな/宮津昭彦
★風船葛色づき風のなき日かな/宮津昭彦
★風船葛花の微細の夜に溶けず/宮津昭彦
★風筋の風船葛狂ふがごと/松崎鉄之介
★フランスヘ行かう風船かづらの唄/豊田都峰
★風が来て風船かづら少し浮く/島谷征良
★風吹けば吹かれ風船葛かな/大橋敦子
★離れ住む吾子や風船蔓揺れ/伊藤とら
★風船葛逝きしばかりの人の垣/二瓶洋子
★孫去りて風船かずら揺れやまず/長瀬節子
★風船かづら風知るほどに育ちけり/水谷芳子
★生家跡垣に風船かづら揺れ/早水秀久
★風船葛われ青空を一人じめ/竹内悦子
★透明の朝風に揺れ風船かづら/岸本林立
★帰りにも触るる風船葛かな/森清堯

★吹かるるは風船かずらと子の髪と/高橋正子
★風船かずら割れて飛び出すみどりの空気/〃
★風船かずら夜空の星をきらめかす/〃

フウセンカズラ(風船葛、学名:Cardiospermum halicacabum)とはムクロジ科の植物の一種。花を観賞するためよりむしろ、風船状の果実を観て楽しむために栽培される。北米原産。つる性の植物で一年草。葉は三出複葉、小葉は草質で柔らかく、あらい鋸歯がある。7月~9月頃に白い5mmくらいの花を咲かせる。花は葉腋からでる長い柄の先に数個付き、巻きヒゲを共につける。果実は風船状に大きく膨らみ、緑色。後に茶色く枯れる。種子は球形で大粒、なめらかな黒でハート形の白い部分がある。ちょうど栃の実を小さくした姿に見える。よく茂ったときは非常に涼しげで、家庭の壁面緑化にも使われる。種子は、白っぽいハート形の部分をサルの顔に見立てて遊ぶこともある。属名は「ハートの種」の意。

◇生活する花たち「やまゆり・大賀蓮・合歓の花」(横浜・四季の森公園)

7月31日(火)

★冬瓜にさくっという音のみありぬ  正子
涼やかな色の冬瓜を切る音が厨に響きます。冬瓜を切る音も涼やかで、ひとときの安らぎを感じさせてくれます。冬瓜はどんな料理になるのでしょうか。 (井上治代)

○今日の俳句
青空を透かして網戸まっさらに/井上治代
網戸から青空が透けて、その網戸もまっさら。風もよく通り、目に涼しい。さわやかで、清潔感のある句。(高橋正子)

○秋葵(オクラ)の花

[秋葵(オクラ)の花/横浜市緑区北八朔町]

★秋葵川は南へ流れ去る/高橋信之
★秋葵花は黄色を澄ましきる/高橋正子

オクラ(秋葵、Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaから。沖縄県や鹿児島県、伊豆諸島など、この野菜が全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という語で呼ばれていた。今日では当該地域以外では「オクラ」という英語名称以外では通じないことが多い。以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたが、現在ではトロロアオイ属に分類されている。短期間で50cm-2mほどに生長し、15-30cmの大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイに非常に似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ5-30cmの先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する。原産地はアフリカ北東部(エチオピアが有力)で、熱帯から温帯で栽培されている。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた。アメリカ州では、主に西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。熱帯では多年草であるが、オクラは少しの霜で枯れてしまうほどに寒さに弱いために、日本では一年草となっている。日本に入って来たのは明治初期である。従来「ネリ」と呼んでいたトロロアオイの近縁種であるため、アメリカネリと名付けられた。現在の日本で主流を占めるのは、稜がはっきりしていて断面は丸みを帯びた星型になる品種だが、沖縄や八丈島などでは大型で稜がほとんどなく、断面の丸いものが栽培されている。他にも莢が暗紅色になるもの(赤オクラ)など亜種は多い。大きくなりすぎると繊維が発達して食感が悪くなるので、角オクラは10cm、丸オクラは15-20cmくらいに成長した段階で収穫される。

◇生活する花たち「蓮の花」(横浜市港北区箕輪町・大聖院)

7月30日(月)

★熟れきってまるきトマトの冷やされし  正子
丸々とはちきれそうに熟れて色も鮮明。大きなトマトがどっしりと冷やされて露を帯びている。そんな情景が一瞬にして眼前に現れました。ただただ涼しげです。(小西 宏)

○今日の俳句
大きく晴れし南の空や凌霄花/小西 宏
南の空が広く眺め渡されて、その中にオレンジ色の凌霄花が咲き盛り、絵画的印象の強い句となっている。(高橋正子)

○向日葵

[向日葵/横浜北八朔]

★日まはりの花心がちに大いなり 子規
★葉をかむりつつ向日葵の廻りをり 虚子
★日天やくらくらすなる大向日葵 亞浪
★向日葵や日ざかりの機械休ませてある 山頭火
★向日葵の月に遊ぶや漁師達 普羅
★向日葵やいはれ古りたる時計台 風生
★向日葵もなべて影もつ月夜かな 水巴
★向日葵や月に潮くむ海女の群 麦南
★日を追はぬ大向日葵となりにけり しづの女
★ひまはりのたかだか咲ける憎きかな 万太郎
★向日葵にとほき紺青の波の列 秋櫻子
★キリストに挿せし向日葵のみ新た 青邨
★向日葵の眼は洞然と西方に 茅舎
★向日葵のひらきしままの雨期にあり 汀女
★向日葵に天よりあつき光来る 多佳子
★ひまはりの昏れて玩具の駅がある 鷹女
★高原の向日葵の影われらの影 三鬼
★向日葵に澄む即興の子を守る唄 草田男
★われら栖む家か向日葵夜に立てり 誓子
★向日葵の蘂を見るとき海消えし 不器男
★塀出来て向日葵ばかり見ゆる家 立子
★向日葵や一本の径陰山へ 楸邨
★わだつみの辺に向日葵の黄ぞ沸きし 鳳作
★山畑に向日葵咲きて山よ濃し たかし
★向日葵にひたむきの顔近づき来 波郷
★ゴッホの向日葵切りとられ切口を見せ/高橋信之

  マンションに住んでからは向日葵を咲かせようと思ったこともなかったが、今年は、サカタのタネにミニ向日葵の種を注文した。注文する切っ掛けはあるにはあるのだが、小学生でも育てられる朝顔と向日葵を選んだ。まだ、今日のところはまだ葉っぱが成長中で蕾も見られない。よその向日葵はよく咲いている。町には青空をバックに並んだ向日葵のポスターもあって見るものに元気くれる。
 わが家から東へ数軒先に毎年決まって向日葵を咲かせる家がある。小さな用事の外出に通りすがりに見上げて楽しむ。この家には、2年ほど続けて2メートル以上になる「木立ダリア」が咲いていたが、何の花だろうと、これも見上げて楽しんだ。背丈の高い花がお好きなようだ。

 最近大輪の向日葵を見ることが少なくなった。子どものころの向日葵は大輪だった。種が実ると重くて頭を垂れた。この大輪が「ロシア向日葵」だということを、はるか昔、たぶん中学生のころだろうが、知った。ロシアンケーキ、マ-マレードを入れる紅茶、ロシア民謡など、ロシアのイメージの一つとして記憶していた。それを、今日ここで思い出した。

 向日葵の原産地は北アメリカ西部で、ネイティブアメリカンの食用作物だったとのこと。食用向日葵に、ノースクイーンとか、アメリカンスナックという品種があるらしいが、もっともなこととうなづける。が、私のイメージは、向日葵は東欧かロシアの花のイメージが強い。食用向日葵の種子の生産の先進国は、ロシアとのこと。理由は、ロシア正教のものいみの食品制限で、油脂食品の禁止食品に向日葵が入っていなかったので、ロシアで盛んに栽培されたとのこと。こういうこともあるのか。

丘をなす一面の向日葵畑は、ロマンティックな叙情がある。ゴッホの向日葵も有名だ。ゴッホの向日葵は、向日葵とその背景の色彩が、さすがゴッホと思わせる素敵な色だ。これは大輪ではない。花瓶に活けられた向日葵もまたよい。

 ★向日葵に空の青さがあり余る      高橋正子

◇生活する花たち「睡蓮・すかし百合・すかし百合」(フラワーセンター大船植物園)

7月29日(日)

★わが視線揚羽の青に流さるる  正子
ふと、色鮮やかな揚羽蝶との出会い。目に追う揚羽の、美しく爽やかな青の流れです。夏の日差しの中、揚羽の生命の輝きに、揚羽の青の軌跡がいっそう鮮明に印象付けられます。(藤田洋子)

○今日の俳句
山の雨上り茅の輪の列に入る/藤田洋子
山の雨が、一句の雰囲気を作り出し、夏越し祭の茅の輪の緑が生き生きしている。茅の輪をくぐる順番の列に入って、無事に夏を越せることを祈る。(高橋正子)

○えぞぎく(翠菊・蝦夷菊)

[蝦夷菊/横浜日吉本町]

★蝦夷菊に日向ながらの雨涼し/内藤鳴雪
★独りゆきて吾子蝦夷菊を買ふほどに/星野立子
★蝦夷菊や老医のことばあたたかく/柴田白葉女
★翠菊や妻の願はきくばかり/石田破郷
★蝦夷菊や犬に牽かれて人走る/石原早苗
★蝦夷菊を力強きと見て思う/高橋信之 
 
 蝦夷菊を最近はあまり見ない、と思ったら公民館の少しばかりの空き地に咲いていた。アメリカ芙蓉、向日葵、キンレンカなどと混ぜて植えてあって、男性の老人の方がひもで結わえたりして手入れをしていた。そして思い出したのが、暑い盛り、祖母に言われて仏様にあげる花に蝦夷菊をよく切った。暑いのですぐに茎が傷む。少しでも長くもたせようと、水は冷たい井戸水を汲んで挿した。蝦夷菊は暖かい地方では育ちにくいそうだが、実際そう思う。きれいに咲きそうになると、葉が枯れてきたり、花がしゃっきりしなかったり。なぜか、供花として蝦夷菊がうえられていた。蝦夷菊のとりどりの色が涅槃を想像させるのかとも思う。

★井戸水に活けし蝦夷菊色五色/高橋正子

 エゾギク(蝦夷菊、学名:Callistephus chinensis)は、キク科の園芸植物である。かつてはシオン属 Aster に分類されていたため、一般にアスターと呼ばれているが、現在では1種だけでエゾギク属 Callistephus に分類される。中国北部原産の半耐寒性一年草で、草丈は30-100cmに達する。茎は直立し、葉は柄があり、長楕円形で互生、茎・葉共に白い毛が生えている。花は花径3cmくらいの小輪から10cmを超える大輪まであり、頭花は白・ピンク・赤・藍色などがあり、中心の黄色と美しいコントラストをなす物も多い。花の形には、一重咲きと八重咲き、重ねの厚いぽんぽん咲きがあり、管弁のものもある。日本では江戸時代から改良が進み、日本のエゾギクは欧米でも非常に評価されている。切り花、特に佛花用として栽培されている。中部地方、東北地方、北海道など寒い地方では割合よく育つが、暖地では病気が出やすく栽培しにくい。また、連作障害を起こしやすいので、エゾギクを5年ほど植えていない土地に植える必要がある。花言葉は、同感、追想、信じる心。花占いで恋の行方を占っていたことから、「信ずる心」という花言葉が生まれたとされている。江戸時代には日本へ伝わっていたとされ、当時鹿児島県である薩摩で広く栽培されていた。その地名に因んで薩摩菊とも言われる。

◇生活する花たち「桔梗・ヤブミョウガ・むくげ」(東京・新宿御苑)