★炊きあげし飯盒をすぐ露の土へ 正子
○今日の俳句
刈り入れの終わりし稲田に道一つ/迫田和代
刈り入れが終わると、田んぼが一面に見渡せる。遠くから眺めて、道が一本通っていたことがはっきり見える。刈り入れが済んだばかりの、すっきりとした田圃の光景がいい。(高橋正子)
○柘榴(ざくろ)
[柘榴/横浜日吉本町][柘榴の花/横浜日吉本町]
★石榴赤しふるさとびとの心はも 虚子
★柘榴の実一つ一つに枝垂れて 石鼎
★なまなまと枝もがれたる柘榴かな 蛇笏
★かたくなに開かぬ小さき柘榴かな 淡路女
★光こめて深くも裂けし柘榴かな 水巴
★熟れざくろ濃き朝霧を噛んでゐし 鷹女
★花散りて甕太りゆく柘榴かな 久女
★熟れそめて細枝のしなふ柘榴かな 麦南
★一粒一粒柘榴の赤い実をたべる 亞浪
★身辺に割けざる石榴置きて愛づ 誓子
★ぼんやりと出で行く石榴割れしした 三鬼
★号令の無き世柘榴のただ裂けて 草田男
★柘榴の実弾け夕日を宿したる/高橋正子
「柘榴の実」を詠んで、「夕日を宿したる」と観た。観照がよく、実感のある句だ。(高橋信之)
ザクロ(石榴、柘榴、若榴、学名: Punica granatum)とは、ザクロ科ザクロ属の落葉小高木、また、その果実のこと。庭木などの観賞用に栽培されるほか、食用としても利用される。ザクロ科(学名: Punicaceae)は、ザクロ属(学名: Punica)のみからなる。また、ザクロ科の植物は、ザクロとイエメン領ソコトラ島産のソコトラザクロ(Punica protopunica)の2種のみである。葉は対生で楕円形、なめらかでつやがある。初夏に鮮紅色の花をつける。花は子房下位で、蕚と花弁は6枚、雄蕊は多数ある。果実は花托の発達したもので、球状を呈し、秋に熟すと赤く硬い外皮が不規則に裂け、赤く透明な多汁性の果肉(仮種皮)の粒が無数に現れる。果肉一粒ずつの中心に種子が存在する。ザクロの食用部分である種衣は種子を覆う形で発達する。
ザクロには多くの品種、変種があり一般的な赤身ザクロのほかに、白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどがあり、アメリカ合衆国ではワンダフル、ルビーレッドなど、中国では水晶石榴、剛石榴、大紅石榴などの品種が多く栽培されている。日本に輸入され店頭にしばしば並ぶのはイラン産、カリフォルニア州産が多く、輸入品は日本産の果実より大きい。原産地については、トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアとする説、南ヨーロッパ原産とする説およびカルタゴなど北アフリカ原産とする説などがある。世界各地で栽培されており、日本における植栽範囲は東北地方南部から沖縄までである。日当たりが良い場所を好む。若木は、果実がつくまでに10年程度要する場合もある。病虫害には強いがカイガラムシがつくとスス病を併発する場合がある。
新王国時代にエジプトに伝わり、ギリシア時代にはヨーロッパに広く伝わったとされる。東方への伝来は、前漢の武帝の命を受けた張騫が西域から帰国した際に、パルティアからザクロ(安石榴あるいは塗林)を持ち帰ったとする記述が『証類本草』(1091年-1093年)以降の書物に見られるため、紀元前2世紀の伝来であるとの説があるが、今日では3世紀頃の伝来であると考えられている。日本には923年(延長元年)に中国から渡来した(9世紀の伝来説、朝鮮半島経由の伝来説もある)。
◇生活する花たち「白ほととぎす・茶の花・むべの実」(東京白金台・国立自然教育園)

グレコ展
★秋光あおあおと浴び「水浴の女」 正子
秋の光が降り注ぐ美術館には清澄な空気が漂っています。描かれた「水浴の女」は秋の光を「あおあお」と浴び、いっそう美しく輝いてみえます。破調の俳句ですが、それがまたこの「水浴の女」に焦点が合っていて、この絵に感動した作者の心情が伺えます。(井上治代)
○今日の俳句
早朝の山懐の霧深し/井上治代
大洲盆地らしい私の好きな風景だ。早朝でなくても、松山から峠を越えるあたりから、道は流れるような霧に包まれることもあった。(高橋正子)
○郁子(むべ)
[郁子の果実/東京白金台・国立自然教育園] [郁子の花/東京白金台・国立自然教育園]
★塗盆に茶屋の女房の郁子をのせ/高浜虚子
★郁子も濡るる山坂僧の白合羽/野沢節子
★覗きゐてやがてくぐりぬ郁子の門/野村泊月
★妹よ抛らん郁子の実の青い拳/金子皆子
「むべ」で思い出すのは、「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ/文屋康秀」の百人一首にある「むべ」 。
もちろん、この歌の「むべ(宜)」は、「なるほど」の意味だが、この歌に、いつも、「むべの実」を想像してしまう。
★郁子の花引けば絡みし木がざわと/高橋正子
★郁子咲くを森の高きに写し撮る/高橋信之
★郁子仰ぎ見るふるさとは道草(あけび)熟るるや/高橋信之
昨日、信之先生が、東京白金台の自然教育園に出かけた。白ほととぎすや、郁子の実を写真に撮って見せてくれた。郁子と言えば、この5月10日に自然教育園に出かけた折り、郁子の花を見た。実はあけびと似ているが、花は全然違う。郁子の花はバナナの皮を剥いたような恰好で、オフホワイトの花びらで芯が赤紫。その花が実を結んだ。あけびは細長いが、郁子は握り拳のようだ。写真に撮ったのはまだ熟れてない実で、切れ目が入りそうに白っぽい筋が写っている。間もなく熟れて、紫色になるのだろう。「むべ山風を嵐といふらむ」の、「郁子」とは関係ない歌が頭を離れないが、山を吹く風が収まって、郁子は実を結ぶ山の果実である。
★郁子の実の青きなれども薄みどり/高橋正子
ムベ(郁子、野木瓜、学名:Stauntonia hexaphylla)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、イノチナガ、コッコなど。日本の本州関東以西、台湾、中国に生える。柄のある3~7枚の小葉からなる掌状複葉。小葉の葉身は厚い革質で、深緑で艶があり、裏側はやや色が薄い。裏面には、特徴的な網状の葉脈を見ることが出来る。花期は5月。花には雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビの花とは趣が異なる。10月に5~7cmの果実が赤紫に熟す。この果実は同じ科のアケビに似ているが、果皮はアケビに比べると薄く柔らかく、心皮の縫合線に沿って裂けることはない。果皮の内側には、乳白色の非常に固い層がある。その内側に、胎座に由来する半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、その間には甘い果汁が満たされている。果肉も甘いが種にしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは難しい。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである。主に盆栽や日陰棚にしたてる。食用となる。日本では伝統的に果樹として重んじられ、宮中に献上する習慣もあった。 しかしアケビ等に比較して果実が小さく、果肉も甘いが食べにくいので、商業的価値はほとんどない。茎や根は野木瓜(やもっか)という生薬で利尿剤となる。
▼郁子の花咲くころ/5月10日の「俳句日記」:
http://bit.ly/RWFgTv
◇生活する花たち「黄釣舟草・曼珠沙華・白曼珠沙華」(横浜・四季の森公園)

★霧に育ち大根くゆりと葉を反らす 正子
秋になり、だんだん冷え冷えとしてきて、大根が育ってきました。葉も長くなってきて反らすほどになりました。「霧に育ち」や「くゆりと」のことばがとても印象的です。美味しそうな大根が見えるようです。(藤田裕子)
○今日の俳句
銀杏黄葉の向こう駅舎の赤レンガ/藤田裕子
銀杏黄葉の透き通った黄色と歳月を経た赤レンガの色の対比が鮮明。懐かしさを覚える光景。(高橋正子)
○無花果(いちじく)
[無花果/横浜日吉本町]
★いちじくをもぐ手に伝ふ雨雫 虚子
★無花果の岸へ着きたる渡舟かな 泊雲
★無花果の裂けていよいよ天気かな 石鼎
★手がとどくいちじくのうれざま 山頭火
★無花果や雨餘の泉に落ちず熟る 蛇笏
★無花果の背戸もきれひに掃いてあり 風生
★葉にのせて無花果呉れぬ二つ三つ 淡路女
★無花果を頒ちて食ぶる子等がゐて 誓子
★いちじくのけふの実二つたべにけり 草城
★いちじくや才色共に身にとほく 鷹女
★無花果をむくや病者の相対し 三鬼
★無花果や川魚料理ただの家 汀女
★枝葉に通ふ香の無花果を食べて自愛 草田男
無花果をもぐと白い乳汁がでる。これから連想してだろうが、無花果の枕詞として「たらちね」を使った川本臥風先生の俳句があって。句会で披講されたが、正確な句は今思い出せないが、納得した句であった。
★この空の青が無花果熟させる/高橋正子
イチジク(無花果、映日果)は、クワ科イチジク属の落葉高木。また、その果実のこと。原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも呼ばれる。「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見える[1]ことに由来する漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。「映日果」は、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)[2]を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」はこれの音読「エイジツカ」の転訛とする[3][4]。 中国の古語では他に「阿駔[5]」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある。伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。属名 Ficus (ficus)はイチジクを意味するラテン語。 イタリア語: fico, フランス語: figue, スペイン語: higo, 英語: fig, ドイツ語: Feige など、ヨーロッパの多くの言語の「イチジク」はこの語に由来するものである。
葉は三裂または五裂掌状で互生する。日本では、浅く三裂するものは江戸時代に日本に移入された品種で、深く五裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると乳汁が出る。
初夏、花軸が肥大化した花嚢の内面に無数の花(小果)をつける。このような花のつき方を隠頭花序(いんとうかじょ)という。雌雄異花であるが同一の花嚢に両方の花をつける。栽培品種には雄花がないものもある。 自然では花嚢内部にはイチジクコバチが生息し、受粉を媒介する。日本で栽培されているイチジクはほとんどが果実肥大にイチジクコバチによる受粉を必要としない単為結果性品種である。果実は秋に熟すと濃い紫色になる。食用とする部分は果肉ではなく小果(しょうか)と花托(かたく)である。原産地に近いメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、古代ローマでは最もありふれたフルーツのひとつであり、甘味源としても重要であった。 最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている。日本には江戸時代初期、ペルシャから中国を経て、長崎に伝来した。当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。
◇生活する花たち「白ほととぎす・茶の花・むべの実」(東京白金台・国立自然教育園)

★呼んでみるかなたの空の雲の秋 正子
四季折々の雲を見ますが秋の雲ほどこころ惹かれる雲は無いでしょう。澄みきった青空につぎつぎに変化し続けて雲が遠くまで流れて行く、「おぉ~い」と呼んでみたくなるほどです。俳句は一番短い詩であると聞いた事が有りますが当にその詩で有る事を学ばせて頂いた御句です。(佃 康水)
○今日の俳句
ゆきあいの空へコスモス揺れどうし/佃 康水
「ゆきあいの空」がなんともよい。夏から秋へと移りゆく空にコスモスゆれどおしている。そんな空に明るさと夢がある。(高橋正子)
○蜜柑
[蜜柑/横浜日吉本町] [蜜柑の花/横浜日吉本町]
★蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る/尾崎放哉
★み佛に剥きたる蜜柑供へあり/皆川盤水
★仲直りしてをり蜜柑剥いてをり/小澤克己
★山は如何に日向の卓に蜜柑照り/林翔
★蜜柑山ふもとに布団たたく音/大串章
★手に蜜柑故郷日和授かれり/村越化石
西日本で生まれ、育ったものにとっては、蜜柑は普段の普通の果物。わざわざ「果物」と呼ぶのも違和感を感じるほど。蜜柑は蜜柑。9月中ごろから出回る青蜜柑に始まり、2月立春過ぎに酸味と甘みが抜けるころまでが蜜柑のシーズン。蜜柑は冬の季語。10年ぐらい前までは、正月用に箱で買う家庭が多かった。今は少人数で、一箱の分量も少ない。昔は蜜柑箱と言えば木であったから、それを勉強机にした話もよくあった。蜜柑を炬燵において、一つ二つと手を伸ばし結構な数を平らげて、手指が黄色にになることもあった。剥きやすく食べやすい。蜜柑を盛った籠が食卓や炬燵にあれば、部屋が明るくなる。
40年以上も住んだ愛媛は、蜜柑の日本一の産地。おいしい蜜柑のなかでも、またおいしい蜜柑はどこの産かということもよく知っている。5月ごろ辺りから蜜柑の花の匂いが漂ってくるのが普通の生活だった。秋になれば、一盛りいくら、バケツ1杯がいくらというような売り方もされる。ジュース工場に蜜柑を運ぶトラックが目の前をよく通る。一度は子供たちと近くに蜜柑狩りに出かける。瀬戸内海の素晴らしい景色と温暖な気候に育まれ、蜜柑が照るように熟れるのだ。10年ほど前だったろう。花冠の大会が松山であって、全国から同人が集まった。盛岡から参加された方が、松山城の二の丸庭園に蜜柑や伊予柑が生っているのを、しげしげと離れ難そうに見ておられた。初めて見たとのこと。もし、逆に私が盛岡を訪ねたならば、林檎が生っている木を離れ難くしげしげ眺めることだろうと思った。
生家には蜜柑の木が二本と八朔の木一本が庭先にあった。八朔は申し分なく立派な木でおいしい実をたわわにつけた。蜜柑は、皮が厚く、酸っぱく、秋の終わりがきそうなのに、なかなか熟れない。子どもは、待ちきれなくて、まだ青いのを採って食べる。だからよけい酸っぱく、爪も痛くなる。改良される前の蜜柑だったのだろう。そんな記憶が蘇る。
思い出したが、子供のころは、焚火をよくしていた。もちろん大人がするのだけれど、大人が去ったあとくすぶるような火に蜜柑の皮を剥いて、木切れに挿して焚火にかざして焼いた。火鉢で餅網の上で焼いたこともある。なんのために焼いたのかよくわからないが、焚火や炭火からぷうんと蜜柑の匂いが立って、蜜柑の渋皮が少し焦げて焼きあがる。温かい蜜柑だ。あまりに寒すぎて、蜜柑が冷たすぎるので、焼いていたのかも知れない。
昨年イギリスに行ったときも、地上に降りて初めてスーパーで買ったのが、蜜柑に近いオーストラリア産のマンダリンオレンジと、林檎。これを夕食後に部屋で毎日のように食べた。これが旅行中の体調管理に結構よかったのである。蜜柑様々だ。
ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu 英名:satsuma)は、ミカン科の常緑低木。またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。日本の代表的な果物で、バナナのように、素手で容易に果皮をむいて食べることができるため、冬になれば炬燵の上にミカンという光景が一般家庭に多く見られる。「冬ミカン」または単に「ミカン」と言う場合も、普通はウンシュウミカンを指す。甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは「みっかん」と読まれたが、最初の音節が短くなった。「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった中国浙江省の温州のことであるが、イメージから名産地にあやかって付けられたもので関係はないとされる。欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である。 タンジェリン(Tangerine )・マンダリンオレンジ(Mandarin orange) (学名は共にCitrus reticulata)と近縁であり、そこから派生した栽培種である。
中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の鹿児島県(不知火海沿岸)原産と推定される。農学博士の田中長三郎は文献調査および現地調査から鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)がウンシュウミカンの原生地との説を唱えた。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと、1936年に当地で推定樹齢300年の古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400 – 500年前に発生したと推察される。中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたとされ、親は明らかではないが、近年のゲノム解析の結果クネンボと構造が似ているとの研究がある。
ウンシュウミカンは主に関東以南の暖地で栽培される。温暖な気候を好むが、柑橘類の中では比較的寒さに強い。5月の上・中旬頃に3cm程の白い5花弁の花を咲かせ、日本で一般的に使われているカラタチ台では2-4mの高さに成長する。果実の成熟期は9月から12月と品種によって様々で、5 – 7.5cm程の扁球形の実は熟すにしたがって緑色から橙黄色に変色する。日本では通常は接ぎ木によって繁殖を行う。台木としては多くはカラタチが用いられるが、ユズなど他の柑橘を用いることもある。
◇生活する花たち「秋の野芥子・銀木犀・金木犀」(横浜日吉本町)

★足先がふっと蹴りたる青どんぐり 正子
風で、熟す前に落ちた青どんぐりに、足先がふっと触れられたのでしょう。一瞬足先が捉えた、一粒の青どんぐりがとりわけ鮮明に目に浮かび、地上を軽く転がります。地上の秋の心楽しさを感じつつ、これからの深まりゆく秋も感じられます。(藤田洋子)
○今日の俳句
真珠筏浸し秋の海澄めり/藤田洋子
「浸し」が秋海の澄んだ水をよく感じさせてくれる。秋海の澄んだ水に浸され殻を育てている真珠は、美しく輝く珠となることであろう。(高橋正子)
○十月桜
[十月桜/横浜日吉本町]
★さはさはと日ざし十月桜かな/山仲英子
★三代のほとけに十月桜咲く/落合絹代
★遠き富士近き十月桜咲く/神蔵器
★満面に日を浴ぶ十月桜かな/山田春生
★青空を容れて十月桜かな/中根美保
★丘に日がさんさん十月桜咲く/高橋信之
★十月桜咲く快晴の空ほがらか/高橋信之
★この宙に十月桜の震えかな/高橋正子
ジュウガツザクラ(十月桜、学名:Cerasus subhirtella (Miq.) S.Y. Sokolov, 1954 ‘Jūgatsuzakura’)(Synonym : Prunus subhirtella Miq. var. autumnalis Makino)は、バラ目バラ科サクラ属の植物。桜の園芸品種。毎年、年に二度開花する。エドヒガンの系列でコヒガンの雑種とされている。
サクラの属名は日本では長いことPrunus、和名ではスモモ属とする分類が主流だったが、昨今の研究ではCerasus(サクラ属)とするものがある。日本では前者、分けてもサクラ亜属(subg. Cerasus)とするものが多かったが、近年は後者が増えてきているしかしCerasusとすることで決着した訳ではない。
花が4月上旬頃と10月頃の年2回開花する。花は十数枚で、花弁の縁が薄く紅色になる。また萼筒が紅色でつぼ型である。春は開花期に新芽も見られる。また、春のほうが花は大きい。樹高は5m程。シキザクラ、コブクザクラ等も年に2回開花する。また、フユザクラは冬に咲くが、別種。 秋口に咲く特徴から紅葉する樹木と共に植えられることもあり、桜と紅葉が楽しめるように設置される事もある。
◇生活する花たち「だいこんそう・山ほととぎす・曼珠沙華」(東京白金台・国立自然教育園)
★大寺の水あるところ水澄んで 正子
大寺とは何処なのであろうか。皆もよく知る名刹であるのかもしれないが、先生のよく訪ねられるご近所の馴染のあるお寺さんなのかもしれない。静まる境内の水に夏とは違った澄みやかさを発見し、秋の爽やかさを身にしみて感じる。「水あるところ」の措辞が句全体に響き渡って、広々とした空間の中にある澄明な安らぎを感じさせてくれるのだと思う。(小西 宏)
○今日の俳句
群青の秋夜を渉る渡航の灯/小西 宏
秋夜の色を「群青」としたところが、がみずみずしい感覚だ。その夜の群青を海を渉る船の灯が色彩的に好対照をなしいい抒情を生んでいる。(高橋正子)
○柿
[柿/横浜日吉本町]
★祖父親まごの栄や柿みかむ 芭蕉
★柿主やこずゑは近きあらし山 去来
★柿の葉の遠くちりきぬ蕎麦畠 蕪村
★残る葉と染かはす柿や二ツ三ツ 太祇
★渋柿や嘴おしぬぐふ山がらす 白雄
★渋いとこ母が喰ひけり山の柿 一茶
★柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
★此里や柿渋からず夫子住む 漱石
★草の家に柿十一のゆたかさよ 龍之介
★渋柿の滅法生りし愚さよ/松本たかし
★西へ行く日とは柿山にて別る/山口誓子
★柿もぐや殊にもろ手の山落暉/芝不器男
★老い母は噂の泉柿の秋/草間時彦
★店の柿減らず老母へ買ひたるに/永田耕衣
★雨降つて八犬伝の里に柿/大串 章
★柿二つ読まず書かずの日の当り/小川双々子
★柿むいて今の青空あるばかり/大木あまり
★換気孔より金管の音柿熟るる/星野恒彦
★柿博打あつけらかんと空の色/岩城久治
★母よりの用なき便り柿の秋/西山春文
★柿ひとつ空の遠きに堪へむとす/石坂洋次郎
★柿熟れる朝空晴れて濃き青に/高橋信之
カキノキ(柿の木)とはカキノキ科の落葉樹である。東アジアの固有種で、特に長江流域に自生している。熟した果実は食用とされ、幹は家具材として用いられる。葉は茶の代わりとして加工され飲まれることがある。果実はタンニンを多く含み、柿渋は防腐剤として用いられ。現在では世界中の温暖な地域(渋柿は寒冷地)で果樹として栽培されている。
雌雄同株であり、雌花は点々と離れて1か所に1つ黄白色のものが咲き、柱頭が4つに分かれた雌しべがあり、周辺には痕跡的な雄しべがある。雄花はたくさん集まって付き、雌花よりも小さい。日本では5月の終わり頃から6月にかけてに白黄色の地味な花をつける。果実は柿(かき)と呼ばれ、秋に橙色に熟す。枝は人の手が加えられないまま放って置かれると、自重で折れてしまうこともあり、折れやすい木として認知されている。
日本から1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ伝わったことから学名にも kaki の名が使われている。英語で柿を表す「Persimmon」の語源はアメリカ合衆国東部の先住民であるアルゴンキン語族の言葉で「干し果物」を意味する名詞「ペッサミン」であり、先住民がアメリカガキ(Diospyros virginiana L.)の実を干して保存食としていた事実に基づく。近年、欧米ではイスラエル産の柿(渋抜きした「Triumph」種)が「シャロンフルーツ(Sharon Fruit)」という名称で流通するようになったため、柿は「Persimmon」よりも「Sharon Fruit」という名で知られている。
◇生活する花たち「山茶花・ほととぎす・孔雀草」(横浜日吉本町)

★しいの実の青くていまだ石の間に 正子
どんぐりの仲間、しいの実は渋みもなく、古くから人や動物たちの大切な食べ物になってきました。花後1年かかって熟するそうですが、何かの事情でまだ青いままで地に落ちていたのでしょうね。木の実のすこやかな成熟を願う作者の優しいお気持ちが滲み出た御句kかと存じました。(河野啓一)
○今日の俳句
鍬音も高く甘藷を掘り当てぬ/河野啓一
実りの秋。充実の甘藷を掘り当てた喜び。平明で実感の言葉で詠まれている。「鍬音も高く」には、澄んだ秋の空や空気が、肌に伝わってくる表現である。(高橋正子)
○葉鶏頭(ハゲイトウ)

[葉鶏頭/横浜日吉本町]
★葉鶏頭の三寸にして真赤也/正岡子規
★雁来紅や中年以後に激せし人/香西照雄
★水乞ふやねむらざる眼に葉鷄頭/瀧春一
★葉鶏頭と競はむとして空青き/能村登四郎
★葉鶏頭ほどのはげしき色欲しや/鷹羽狩行
★折れてゐる葉鶏頭あり抜いておく/高橋将夫
★雁来紅弔辞ときどき聞きとれる/池田澄子
★殊に濃き天誅村の葉鶏頭/塩路隆子
★山羊の怪我たのまれ診るや葉鶏頭/三嶋隆英
★剣道着干すや燃え立つ葉鶏頭/宇都宮靖
このごろ葉鶏頭を見ることがまれになった。コリウスというシソ科の葉鶏頭に似たものが見るが、葉鶏頭はさっぱり。それでも建てこんだ民家の庭先に葉鶏頭を育てている家がある。家というよりそこの主婦であるが、葉鶏頭の写真を撮らせてもらおうとしていると、如露を持って出てきた。そして、「写真をお撮りになるのなら、あとで水を遣りますよ。」と家の中に引っ込んでしまった。野牡丹と並んで植えられていた葉鶏頭だった。
★葉鶏頭老女出て来て水を遣り/高橋正子
ハゲイトウ(葉鶏頭、雁来紅、学名Amaranthus tricolor) はヒユ科の一年草。日本には明治後期に渡来し、花壇の背景、農家の庭先を飾る植物として、広く栽培されている。アマランサス(ヒユ属)の1種である。主に食用品種をヒユ(莧)とも呼ぶが、アマランサスの食用品種の総称的に呼ぶこともある。
属名の Amaranthus は、「色が褪せない」の意味。そのために「不老・不死」の花言葉があるが、これは以前この属に属していたセンニチコウによるものである。種小名の tricolor は「三色の」の意。英名は旧約聖書に登場するヨセフにヤコブが与えた多色の上着のことで、鮮やかな葉色をこの上着にたとえている。
熱帯アジア原産の春まきの草花で、根はゴボウ状の直根で、茎は堅く直立し、草丈 80cm から 1.5m ぐらいになる。葉は被針形で、初めは緑色だが、夏の終わり頃から色づきはじめ、上部から見ると中心より赤・黄色・緑になり、寒さが加わってくるといっそう色鮮やかになる。全体が紅色になる品種や、プランターなどで栽培できる矮性種もある。タネは細かいが、発芽は比較的よく、こぼれ種でも生えるくらいである。排水と日当たりの良いところに4月下旬頃に直まきし、タネが見え隠れする程度に覆土する。観葉植物として利用される。 食用の近縁種はアマランサスだが、南米では、インカ帝国の昔から種子を穀物として食用にしてきた。日本でも健康食品として販売されている。ヒモゲイトウ (Amaranthus caudatus) がそのなかでも最も大規模に栽培されている。
◇生活する花たち「藻の花・萩・藪蘭」(鎌倉・宝戒寺)

★うす紙がかりんをかたちのまま包む 正子
かりんは落ち葉した後にも枝にぶら下がるというより乗っかった形で残る。生では食べられず、かりん酒かはちみつ漬けにして食す。一つ一つ大きさが違う。かたちもそれぞれ、少し非対称形で不揃いである。うす紙で包んで少し熟すのを待つのでしょうか。うす紙で包まれたかりんは飾らずそのままの形を見せている。 (古田敬二)
○今日の俳句
木の実あまた落ちたばかりの輝きに/古田敬二
落ちたばかりの木の実は、驚くほどつやつやしている。それが「あまた」なので、あたりの森や、その木のゆたかさが思われるできる。(高橋正子)
○錦木(ニシキギ)

[錦木/横浜日吉本町]
★錦木の葉と実の少し違う赤/高橋正子★
ニシキギ(錦木、学名:Euonymus alatus)とはニシキギ科ニシキギ属の落葉低木。庭木や生垣、盆栽にされることが多い。日本、中国に自生する。紅葉が見事で、モミジ・スズランノキと共に世界三大紅葉樹に数えられる。若い枝では表皮を突き破ってコルク質の2~4枚の翼(ヨク)が伸長するので識別しやすい。なお、翼が出ないもの品種もあり、コマユミ(E. alatus f. ciliatodentatus、シノニムE. alatus f. striatus他)と呼ばれる。葉は対生で細かい鋸歯があり、マユミやツリバナよりも小さい。枝葉は密に茂る。 初夏に、緑色で小さな四弁の花が多数つく。あまり目立たない。 果実は楕円形で、熟すと果皮が割れて、中から赤い仮種皮に覆われた小さい種子が露出する。これを果実食の鳥が摂食し、仮種皮を消化吸収したあと、種子を糞として排泄し、種子散布が行われる。紅葉を美しくするために西日を避けた日当たりの良い場所に植える。 剪定は落葉中に行う。よく芽をつける性質なので、生垣の場合は強く剪定してもよい。 栽培は容易。名前の由来は紅葉を錦に例えたことによる。別名ヤハズニシキギ。
◇生活する花たち「茶の花・犬蓼・吾亦紅」(横浜下田町・松の川緑道)

★起きぬけの目にりんりんと曼珠沙華 正子
山里への旅の朝でしょうか。目を覚まして外に出て見ると群生した曼珠沙華が頂きに真赤な美しい花数個を輪状に咲かせ、そのり辺りを真赤に燃え立たせ、何か妖艶な感じありますね。まさにりんりんの景ですね。 (小口泰與)
○今日の俳句
嬬恋や窓いっぱいの星月夜/小口泰與
嬬恋の秋の夜は、もう寒さを覚えるほどであろう。窓いっぱいの星月夜に新たな感動が湧く。(高橋正子)
○秋の野芥子(アキノノゲシ)

[秋の野芥子/横浜日吉本町]
★丘に来て秋の野芥子は背高よ/高橋正子
アキノノゲシ(秋の野芥子、秋の野罌粟、学名: Lactuca indica)は、キク科アキノノゲシ属の一年草または二年草。和名は、春に咲くノゲシに似て、秋に咲くことから付けられた。高さ50~200cm。大柄だが柔らかく、全体につやがない。はじめは根出葉をロゼット状に出すが、やがて茎をたて、花序を出す。花期は8~12月。花は淡い黄色、直径2cmほどで舌状花だけでできている。種子はタンポポの綿毛を小さくしたような形をしている。東南アジア原産で、日本全土・朝鮮・中国・台湾・東南アジアに分布。稲作と共に日本へ渡って来た史前帰化植物。日当りの良い場所に生える。アキノノゲシには葉に切れ込みがあるが、切れ込みのない細い葉を持つものは、ホソバアキノノゲシ(学名: Lactuca indica f. indivisa)という。飼育するウサギの餌によく使われる。
◇生活する花たち「黄釣舟草・曼珠沙華・白曼珠沙華」(横浜・四季の森公園)

イギリス・コッツワルズ
★水澄んで白鳥軽く流れくる 正子
イギリスのコッツワルズはイギリスでも有数の風景と聞きます。きっと澄んだ水に浮かぶ白鳥も、その風景に馴染んで、優雅に流れてくるのでしょう。 (高橋秀之)
○今日の俳句
朝霧が包む港に汽笛鳴る/高橋秀之
素直な句で、朝霧に鳴る汽笛がのびやかに聞こえる。朝霧に包まれた港がこれから動き出そうとしているのであろう。(高橋正子)
○孔雀草(くじゃくそう)

[孔雀草/横浜日吉本町]
★開ききり咲き重なって孔雀草/高橋正子
きのうの朝は、日吉本町2丁目あたりを散歩した。2丁目は、3丁目が洋風な花が多いのに比べ、古風な花が多い。野牡丹や葉鶏頭をきれいに咲かせている。その2丁目にはコーポの団地があって、ここも花好きな住人がいるのか、紅蜀葵やゼラニュウムなどの昔ながらの花と、今風な、センスのいい花壇を作っている。一番後ろに紫系のハープの花、その前に薄紫と白の孔雀草、その前に千日紅の牡丹色と白が植えられて、同系色の色彩でまとめた花壇であった。秋らしくていいと思った。庭の花も年期である。
孔雀草(くじゃくそう、学名:Aster hybridus 英名:Frost aster)は、キク科シオン属の多年草。Aster : シオン属、hybridus : 雑種の、Aster(アスター)は、ギリシャ語の「aster(星)」から。花のつき方のようすに由来。北アメリカ原産で、わが国には昭和30年代に導入された。花壇や切り花によく用いられている。よく分枝して株立ちし、高さは40~120センチになる。葉は披針形から倒披針形で互生し、7月から9月ごろ、白色から淡紫色の花をいっぱい咲かす。別名で孔雀アスター、キダチコンギク(木立紺菊とも呼ばれます。9月5日、11月23日の誕生花(孔雀草)。花言葉は 「いつも愉快、ひとめぼれ」。似ている花は、都忘れ、紫苑、紺菊、関東嫁菜。
◇生活する花たち「犬蓼・金木犀・白曼珠沙華」(横浜四季の森公園)
