8月15日(木)

曇り、のち晴れ
すじ雲の刷かれて空は敗戦日   正子
銀翼の雲に入りゆく盆の空    正子
  ガザ攻撃
台風の画面につづき血と瓦礫   正子
●台風7号が明日関東地方に接近しそうだ。図書館の本の返却日が明日になっているので、万一の場合を考えて今日返却に行った。またヘッセを延長して借りた。
ヘッセの小説は評価が高いが、詩はリルケなどに比べると評価が分かれている。ドイツ詩集に入れられてない場合もある。だけれども、ヘッセの詩の内容に、共感するものがある。多分、ヨーロッパの詩を鑑賞する態度ではないかもしれないのだ。ヘッセのSchuwalzwaldを刷りだして読むと、ちゃんと韻を踏んでいるが、こうも私に馴染むというのは、ヨーロッパの詩人の詩と違っているのかもしれない。
●幼子の話(一)
3日前だったか、JAへ野菜を買いに行った。帰りの電車で、私の座る向かいの、車椅子や乳母車用のスペースに若い家族が乳母車を止めた。乳母車の赤ん坊が私の顔を見るのだ。私が手を小さく振ると表情は変えないが、じっと見てくる。それで私は、パーにした左手の指を親指から順番に折り、次に小指から順番にすばやく立てる、なんということない指遊びをした。赤ん坊は表情を変えないでうんうんと顔を上下する。父親が気付いて私の方を振り向いて笑った。「かわいいね、いくつ?」と聞くと電車のゴトゴトいう騒音のなかで、赤ん坊はぐっと力強く腕を突き出して、親指と人差し指で2歳だと示した。降りる間際だったので、小さく手を振って、数の示し方はアメリカ人みたいだと思いながら降りた。電車の騒音で聞き取りにくい私の「いくつ?」の問いを聞き取り、ちゃんと答えたのだ。2歳ですでに他人とコミニュケーションがとれているのは驚きでもあった。
●幼子の話ふたつ(二)
電車で2歳の男の子と小さな関わりをもって、わが息子の2歳のころを思い出した。父親の真似をしたがる時期。息子と父親がふたり横になって、片肘を立て、手に頭を載せて寝転がり、同じ格好でテレビを見ていた。父親が置いてある飲み物をひょいと取って飲んだ。それを真似て息子も横になったまま飲み物をとって飲んだ。息子は頭から顔に、バシャッと飲み物を浴びてしまった。胸元で起こった事態にあわてたのは父親。息子は起きた事態に何が何だかの顔。夕食を作る手に、そこらにあるタオルをもって走った。
2歳の息子が父親を真似たがるものの一つに新聞を読むことがあった。父親が新聞を広げて毎日読む。息子も真似て新聞を広げるが、字が読めるわけではない。当時購読していた夕刊には、月の満ち欠けの絵や、満潮干潮の時刻が載っていた。月の絵ならわかるだろうと、私は「これがきょう出るお月さんだよ」と教えた。それからは、月の満ち欠けの絵が気に入ったか見ていた。ある日、「きょうは、おつきさんがふたつでるよ」とうれしそうに言ってきた。「?」の私だ。新聞をもってきて見せてくれた。月の絵がふたつあった。ああ、「ある日」は土曜日だった。つまり、日曜日は夕刊が休みなので、土曜日の今夜と、日曜日の明日の月の絵がふたつ載っていた。いまだに思い出す。

8月14日(水)

晴れ
なでしこの絵の灯籠のまん丸し   正子
盆二日灯してお膳をあげ下げす   正子
鶏頭の真っ赤な色がスーパーに   正子
●台風7号が発生。あす夜からあさって、関東地方を襲う予報。
●私のこの日記を熱心に読んでくださる読者が一人や二人でないことを最近、よく知った。具体的に顔が思い浮かぶのは数人ぐらい。「読んでいる」と葉書をいただいたり、「面白いと言っては失礼かもしれないが面白い」と電話で話してくれる人がいる。中には私の生活を気遣って毎日のように読んでくれている人もいる。俳句に関心をもって句集を送ってくださった方が一人いる。前には、信之先生が亡くなったと日記で知り、元会員の方からお悔みの電話をいただいた。女の人ばかりではなく、男の人がいることも知った。なかには学者がいることも知った。
私自身も一日の終わりに、いくつかの意味をもって日記を書くことは苦痛ではないし、誰とも話すこともなく終わる日が多いなかの、読者がいることを向こうに見て、ある種の楽しみでもある。少しでも、印象に残る、読みやすい日記を目指そうと思い直して、先日はひとり暮らしのアメリカの作家、メイ・サートンの『独り暮らしの日記』を読んだ。その日記から、日本国憲法の付属法である裁判法の草案をつくったGHQのアルフレッド・オプラ―を知った。ケネディ暗殺時やジョンソンのリアルな話も知った。彼女は講演会にもでかけたり、著名であるようなのだ。そのせいかどうか、共感する部分が少なかったが、書いた日記の一年分でも本になっていることを知った。日本には古くから女性の日記文学もある。それは、なんとなく知っている。
このところ図書館からヘッセの著作を借りて読んでいる。『車輪の下』や『郷愁』などは青春の読書のなかにある。雲を見て暮らした人と知っている。後半生の著作は知らない。老境に入って書かれた『人は成熟するにつれて若くなる』のエッセイを読むと、メイ・サートンよりはるかに私の感じ方や心の陰影のありように重なるところがある。『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)には、ここは違うが後は私の感じ、と思う詩もある。彼はヨーロッパ人だし、私は東洋人のなかの日本人。重なるはずもないだろうが、今、大いに考えさせられる。
『人は成熟するにつれて・・』の中の「小さな煙突掃除屋さん」は妻に外出を誘われて祭のなかに立ったときの気分が書かれている。何か、似ている。続く「復元」は自分の野菜畑や果樹園の趣味であろう庭仕事の話は、生家の畑を思えば、話に共感するのだ。読んで、書き方を習うのもいいかもしれない、と思った。
●『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳/草思社刊)の「運動と休止の調和」(『四月の手紙』より)より思うこと。
「春はほとんどの老人にとって、けっしてよい季節ではない。私も春にひどく苦しめられた。(中略)痛みはあちこちにひろがり、ますますひどくなった。(中略)それでも日中は毎日、戸外へ出られるわずかなひとときに、痛みを忘れ、春のすばらしさに没入できる休憩時間を、時には恍惚と天啓の数瞬間をもたらしてくれた。これらひとつひとつの瞬間は、もしも記録することができれば、つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば、どれもそうする価値のあるものばかりであろう。それらは不意にやってきて、数秒間か数分間続く。」
この文は俳句については全く述べてなく、早計に俳句に結び付けるのは問題だが、そうは言っても私の作句経験から見れば、おどろくほど作句の経緯に似ている。また、この文章に続くあとの文章も、長い人生を経ての、回り道をして得られる人生の本質を述べて、これも俳句に通じて、俳句を極めるには歳月がいることを悟らせてくれる。ヘッセの老境に至っての文章であることを考えれば、なお興味深い。
俳句に通じていると感じるのは、私が俳人と言う特性からである。ヘッセがここに「瞬間」と言う言葉を使っていることから、小説ではなく詩の場合を考ええてよいが、ヘッセはこのような瞬間をどうしていたのだろうと思う。「もし記録することができれば」「つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば」と仮定法なのである。俳句を知っていたら、俳句に昇華したかもしれない、と想像するのである。
この瞬間がのちにヘッセに詩を生ませた可能性はあるだろう。それが一つの詩の要素であるなら、そういう特徴にきわめて似ている俳句は詩であるという特徴が明らかになるのではないかと思える。

8月13日(火)

晴れ
とんぼうの影の過れるバスの窓   正子
井戸水を汲み来て墓の名を洗う   正子
病葉の降り来し音や夫の墓     正子
●墓参。朝8時半の電車で出かけた。小田急線の鶴川駅前からバスに乗ろうとすると、句美子ぐらいの年齢の女性がお花を持って墓参とわかるスタイルで、まごついていた。聞くとおなじ墓地に行くとのことで、墓地まで一緒にいくことになった。
今朝京都を6時15分の新幹線で発って今の時間になったとのこと。母親の墓参に年2回は来て、一泊して帰るという。「今年は、京都は暑かったでしょ。」など言うと、「39度になりました、もう、暑くて。」「私も知り合いの方が京都にいますので、大丈夫かなと思いますよ。」京都の様子をいろいろ話してくれた。事務所の泉心庵で冷たいお茶をいただいて別れた。彼女の母の墓は少し奥のようだった。
信之先生のお墓に着くと、ちょうど桜の葉蔭になって、涼しそうだったので安心した。子供たちは7月にお参りに来たので、この暑さなので、お墓には来ないように言っている。社会状況や会社での仕事の様子をみれば、親が気を付けていなければいけない。
●お墓から帰り、昼寝。覚めてから精進料理を作って供えた。精進料理は夕食に。精進料理を食べながら、仏様になったような気分もしないではなかった。迎え火は、去年はほうろくで焚いたが、火が思ったより大きくあがったので、今年は焚かなかった。代わりに苧殻をお盆にのせて仏壇の脇に置いた。灯籠は日が暮れる前に灯した。
●『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス著)が文庫本になって話題になっている。マルケスの本で読んだのは『コレラの時代の愛』だけ。これも長編だが、こちらは一気に読める。『百年の孤独』は複雑で、読み方支援キットのパンフレットまである。これを本屋でもらったが、読む気にはなっていない。
読書家の話を聞いていると、生涯で肝心な本を読んでいない気がしてくる。大切なことを忘れて来たようなさびしさが漂い始める。

8月12日(月)

晴れ
秋夕焼け赤銅色を燃えたたす      正子
遠台風ここに及んで萱を吹く      正子
撫子を一本くわえ仏華の束       正子
●8月句会の入賞発表。正午過ぎにとりあえず発表。最終的には午後2時正式発表になった。
●入賞発表の原稿作るのに、少々疲れたが、お盆の精霊棚を飾り、明日のお墓参りの準備にお花を買うなどした。
●普段は、夕方6時ごろ散歩に出かけていたが、家に着くころには暗くなっている。今日は少し早めに5時半ごろ出かけた。家に着いたのは7時。夕焼けが消え、月に色がつきはじめるときで、まだ少し明るかった。
●贈呈いただいた文庫本の出版年を調べようと、大事な本を入れている本棚を探した。その本が見つかる前に『ヘルマン・ヘッセ全集5ー物語集Ⅲ』が見えた。家にヘッセがあったのだと、いまさら驚いたが、信岡先生が贈ってくださったものだった。ブルーブラックのインクのかちっとした字で、謹呈 髙橋信之様 信岡資生と書いてあって、二人は故人になったが、インクは全く色褪せていない。出版は京都の臨川書店。リンセンと読むようだ。どんな話か読み始めたが、「愛の犠牲」「恋愛」「ある青年の手紙」まで読んで、目がちらちらして3話で止めた。若い時の物語だからこんな感じなのだ。そういえば、トーマス・マンがない。どこへ行ったんだろ。古書店を家に呼んで本を整理したことが3回ある。その時かも、と思う。家に本はほどんどないのだが、まだ整理が足りない。

8月11日(日)山の日

晴れ
●8月月例ネット句会。
今月はコメント欄に投句出来ない問題が生じた。試行錯誤を半日以上繰り返し、修復できないときのために、信之先生のブログを臨時に句会に利用できるように準備もした。大変であったが、結局、単純に、新規投稿で使えるようになった。
正子投句
夕焼けを窓に連ねて東横線
秋蝉の螺子のゆるみて鳴き終わる
溝萩のすっくと立ちて風のなか
●浜梨は木で完熟した横浜産の梨のことで種類は幸水、豊水が多い。今朝、JAの直売所で、今年初めての浜梨が売られた。レジで精算を済ませたところに、浜梨が入荷。みんな5袋ぐらい買って、迎えの車を頼んだりしている。一袋買ったが、家に帰ってラベルを見ると「甘ひびき」と言う品種だった。聞いたことのない品種。甘いが、幸水のほうが味がすっきりしているので、残念な思い。
夕方、句美子が夏バテした様子で、お土産にきび団子を渡してくれた。この暑さに昨日は瀬戸内のコンビナートの工場見学だったらしい。私も句会最中、椅子でうたた寝をして、気分が悪い感じで目が覚めた。消化不良の感じ。お盆の連休がはじまるが、高齢者を自覚し、気をつけなくては。

8月10日(土)旧七夕

晴れ、ときどき曇り
七夕の星の形の菓子いくつ     正子
青き実の充実かりんも橙も     正子
向日葵の葉のがさがさと枯れにけり 正子
●立秋を過ぎて、朝夕は涼風が立つようになった。気温は相変わらず、35度を超えているが、太陽高度は低くなりつつある。この斜めの光りがもたらす陰影は秋の風情。季節は確実に移っている。
●親戚の葬儀に出席した妹たちからのメールに、すっかり世代交代した、とあった。年上の従兄弟や従姉妹の子供世代に移っていると。彼らが取り仕切ってうまく葬儀ができたのだろう。思えば、抱っこしてあげた子がもう60歳近くなっている。この世の用事が無くなることは想像しにくいことだったが、今や現実になってきている。

8月9日(金)長崎の原爆日

晴れ
盆近しあちらこちらの草刈られ  正子
剪定され夏木の匂いよく残り   正子
溝萩のすっくと立ちて風のなか  正子
●昨日、日向灘を震源とする地震が起きた。気象庁は、初めて南海トラフ巨大地震の注意喚起をした。水が一番大事と思って、水を一箱買い足した。前からなのだが、寝室の入口のドアはわざと半開きにしている。窓の構造から、閉じ込められたときの圧迫感とか閉塞感を思うと、ちょっと怖い。
●夜8時前、遅い夕食にスパゲッティを作っていた。すると、スマホの地震警報が鳴ったので、すぐガスを消した。揺れてもいないのに何事かとニュースを見ると、神奈川県西部で震度5弱の地震、とある。実際、わが家は一揺れもしなかった。おととい南海トラフ内の地震があったばかりなので、それとは関係ないと言われてるが、NHKのテレビがオリンピック放送を取りやめ、地震情報をずっと流した。今夜の地震は普通のよくある地震だったが、放送局のテンションが上がっていた。
●長崎の原爆の日の式典にイスラエル(駐日大使)を招待しないことで、政治的決定だと問題が起きている。駐英大使と駐米大使が参加しないと言いだしている。 なるほど。ガザに限らず戦地では、子どもがひどい目にあいすぎている。実際、自分が被爆して皮膚がぼろ布のように垂れ下がる火傷を負っても、核は要るというのだろうか。
●臥風先生は、俳句の鑑賞はその人の身になって鑑賞するのがベストだと言われた。「寄り添う」と言う言葉がよく使われるが、「添う」のではなくて、「その人の身になる」である。原爆なら、被爆者の身に自分を置き換えて、考えるということ。火傷でただれ、喉が渇き、川に飛び込んだ自分は核をどう考えるかだ。核廃絶は遠い道のりのようだ。
私の小学5年生のときの鮮明な記憶に、学校の玄関にその週の大きなニュースを書く黒板があった。その黒板に書く役目の一人が私だった。そのとき、東海村に原子炉が出来たことを書いた。日本も原子炉がある進んだ国になったのだと誇らしく思いながら一生懸命書いた。原子炉のある科学が進んだ国になったのだと疑いもなく思った。子供は何も知らなかったのだ。

8月8日(木)

曇り

●晃さんのアンソロジー『俳句の杜2024』が出来、俳壇から1冊贈呈されたので、仏前に供える。

●月例ネット句会のブログで、コメントが投稿できない不具合が発生。きのう夕方のこと。いろいろやって、半日試行錯誤した結論を言えば、「一つの記事に対するコメント欄にだけ不具合」が起きていた。新しく記事を投稿して不具合が解消できた。わかれば、なんのことはない。インターネットの不具合の原因を突き止めるのは素人では無理。試行錯誤しかない。

●ブログのコメント不具合を確かめるため、美知子さんと、同人会長の有花さんに電話。有花さんには2,3回連絡したので、花冠雑誌のこと、正子の俳句日記のこと、会員の状況など話し、原稿も依頼した。クラッシックの音楽の記事などの読み物が欲しいということだった。ますみさんにお願いするしかない。最後には源氏物語の話まで。「須磨返り」の話も。光の君は話を回す役で、主役は8人の女性たちだとか、有花さんは末摘花がいいと言い、私は六条御息所がいいと、話した。正子の俳句日記が面白いと言ってくれた。

●ブログ騒動で、読みかけのヘッセ詩集も、読む気分にならない。縫いかけていたエプロンを仕上げることにして、夕飯後も縫って仕上がった。あしたから使うが、アイロンをかけて箪笥に仕舞った。

8月7日(水)立秋

晴れ、のち曇り
黄昏の雲の内なる稲光    正子
配達の荷にどっかりと梨袋  正子
立秋の坂ながながと大学沿い 正子
●夕べの雨と雷が嘘のように今朝は、秋めいた朝の空だった。今日は立秋。きのう親戚の訃報を聞いて、お盆が近いことに改めて気づいた。お盆の支度をしなくては。去年は新盆だったので落ち着かなかったが、ことしは静かにお盆が迎えられる。日吉の仏具店で精霊棚の真菰、蓮の葉、牛馬などを揃えた。
●『ヘッセ詩集』(高橋健二訳)を読んでいる。有名な詩には、ドイツ語の原詩があるが、原詩がないものにも、訳の後にドイツ語の原題が書かれている。これは素晴らしい考えと思う。もとの詩に当たりやすいこともあるが、私はもうひとつの価値を見た。
「村の夕べ」の原題は「Dorfabend」。「村」は日本の「むら」、「Dorf」はドイツの「むら」で、おなじ「むら」ながら言葉が喚起する「むら」のイメージは全く違うものになる。だから、「Dorfabend」を目にしたとき、すぐにも「Dorf」に行ってみたいと思ったのだ。ヘッセへの共感は、ヘッセの話す言葉を辿ることから始まるのだろうと思った。
ヘッセの詩集『ロマン的な歌』のなかの「シュッワルツワルトSchuwalzwald)」を読んで、はやもクリスマスカードのことが思い浮かんだ。この詩は意味がやさしいし、モミの木もあるし、クリスマスのカードに素敵なのじゃないかと。(ヘッセはシュワルツワルトの北の玄関口のカルフで生まれている。)
 シュワルツワルト(高橋健二訳)
なんとも言えず美しくつながる丘、
暗い山、明るい草地、
赤い岩、トビ色の谷が、
モミの影にほのかにおおわれている!
その上で、塔の鐘の
つつましい響きが
モミのあらしのざわめきにまじると、
私はいつまでも耳を澄ましていることができる。
そうすると、夜、暖炉のそばで
読んだ伝説のように、
ここを家としていたころの記憶が
私をとらえる。
あのころは、遠いかなたがもっと気高く、柔らかく、
モミの林に飾られた山々が
もっと幸福に、もっと豊かに、
少年だった私の目の中で輝いた。
この第4連に私は自分の子ども時代を重ねた。朝夕に、中国地方の老年期の松におおわれた山の向うに深い空を見、山の向うに彩られた街を想像した。たしかに、「遠いかなたがもっと気高く」、「松の木に飾られた山がもっと幸福に」見えていた。
Copilotに尋ねて、この詩の原詩を教えてもらった。
Schwalzwald 
         Hermann Hesse
Seltsam schöne Hügelfluchten,
Dunkle Berge, helle Matten,
Rote Felsen, braune Schluchten,
Überflort von Tannenschatten!
Wenn darüber eines Turmes
Frommes Läuten mit dem Rauschen
Sich vermischt des Tannensturmes,
Kann ich lange Stunden lauschen.
Dann ergreift wie eine Sage
Nächtlich am Kamin gelesen
Das Gedächtnis mich der Tage,
Da ich hier zu Haus gewesen.
Da die Fernen edler, weicher,
Da die tannenforstbekränzten
Berge seliger und reicher
Mir im Knabenauge glänzten.
第4スタンザの最後の行は、ドイツ語をよく知らない私にも、感銘深く受け取れれて、胸にジンときた。樅の木のTannen(baum)の響きが懐かしく聞こえる。驚いたのは韻が踏んである。

8月6日(火)広島平和記念日

曇り、夜おそく雨と雷
夜の雷のおびただしきに起き出しぬ 正子
広島忌訃報の届く電車内      正子
原爆忌地球の画像の海と雲     正子
●今日は、夜10時ごろになって、急に雨と大雷。今年は雷が多い気がする。
●郵便は、なにかしらほとんど毎日届いている。今朝郵便受けに葉書きが一枚、しずかに入っていた。花冠をお送りしたお礼の葉書きだった。信之先生の俳句も、正子の俳句日記も読んでいると言ってくださった。正子の俳句日記について、「今回も印象的」だったと書いてあったので、「あり得ない」とうれしく、また、励ましなのだとありがたく思った。
●午後、横浜の高島屋とそごうで買い物、紀伊国屋書店と鳩居堂と手芸店と画材店に寄る。横浜に行ったついでに、あちこち寄ったのだ。帰りの電車でスマホを開けると、親戚の者が亡くなった連絡が入っていた。明日が告別式というので、まず、お悔みの電報を帰ったら出そうなどと考えていて、一駅乗り過ごして終点まで行ってしまった。そのまま乗って引き返し、帰ってすぐ、弔電を打った。