11月14日(木)

曇り
 湯島天神三句
境内の隅ずみまでも菊咲かす   正子
猿回しの子猿も晴れ着七五三    正子
七五三の着物つややか抱かれいて 正子

●ネット短信No.427を未明に出す。吉田晃さんの「俳壇」12月号、10月号の掲載句、および、12月号のブックレビューのに取り上げらえた句とコメントの紹介。

●湯島神社へお守りをいただきに朝から出かける。今日も御徒町から行った。天気予報は晴れだったが、電車の窓からはずっと曇り空しか見えなかった。いただいたのは、「学業御守」と「健康御守」と「神札」。境内に着くと菊祭りがあり、千輪仕立ての見事な菊をはじめ、菊愛好家や、商店街、企業、それに湯島の小学生、中学生、教職員の仕立てた菊が展示してあった。地域挙げて、天神様の菊祭りに参加と言う具合。境内でテンツク、テンツク、小太鼓が鳴っているので、近づくと猿回しだった。日光猿軍団から来たといって、2歳の猿が芸を披露していたので、少しだけ見た。2歳の猿は子ザルで、まだまだ耳や手が小さい。

●『篠原梵の百句』(岡田一美著/ふらんす堂2024.4)があることを知った。篠原梵が注目を浴びなくなったのは、人間探求派の座談会で、司会の山本健吉と論争して、互いが「許さぬ」ことになったことに始まると聞いている。実際、その理由だけではないが、その後、篠原梵は、人間探求派からはずされている。山本健吉の父親の石井露月と森鴎外の論争も有名で、その思想の違いが、今に至るまで、尾を引いている。梵の俳句が今なぜ評価されないという著者の問に、誰が答えることができるであろうか。露月と鴎外の考えの違いがいまも日本の思想に尾を引いていて、ときどき噴き出すのを見る。臥風先生は鴎外の考えに賛同していた。

篠原梵は旧制松高俳句会出身で、指導者は川本臥風先生なので、私の年の離れた兄弟子になる。句集『葉桜』『年々去来の花』も手元にある。人が世に出るときに、だれかがストップをかけることは、実際よくある。もっと著名になってい良いはずの人は多くいる。その発掘は難しい。梵は一度は俳壇の寵児であった。梵の俳句は新しいが、再評価されるかどうか。梵は帰省の度に臥風先生を訪ね、俳句に執心はあったが、中央公論の編集長に終わったふしもあるのではないかと言う学者もいる。
俳句でも、詩でも小説でもそれを始めたら、終生それに携わったかどうかが、重要なのではないかと思えた。

11月13日(水)

晴れ
うたた寝よりひとり目覚めて冬の昼   正子

●「俳壇」12月号が届く。今月は晃さんの未発表句「月の島」5句が載った。また、ブックレビュー「本阿弥ラライブラリー」に「俳句の杜2024」がとりあげられ、晃さんの句三句が批評に上った。それによれば、「平明な表現に実直な作者の顔が見える。」所属が「水煙」になっているので、信之先生もよろこばれているであろう。

●同じ「俳壇」12月号で、「宇宙」主宰の島村正氏が8月14日に80歳で亡くなられたことを知った。島村氏は見ず知らずの私に『現代俳句1』を贈ってくださった。そのなかに「誓子山脈の人々」があって、丁寧にに読んだ。お礼の手紙を出したら、長い手紙を頂いた。誓子門の谷野予志先生の事をご存じかと聞いたら、話したことはないと言う返事だった。無名の私になぜ著書をお送りくださったのかよくわからないけれど、ありがたく拝読した。

中学の教科書には、誓子、楸邨、鬼城、草田男、子規の俳句が載っていたのを覚えている。特に誓子の俳句にはスタイリッシュな新鮮さを感じていた。その影響か初心のころの作品は谷野予志先生が喜ぶような俳句を作っていた。
コーヒーの匙の上向きすぐ冷ゆる 正子
予志先生は、匙が「上向く」と気づく敏感さに驚いたといい、句会後に英文研究室でほめちぎったそうだ。これは若い助教授の先生からあとで聞いた。ちょっと困ったことになったのである。英詩の時間には、教師からここはどう思うかなど、特別に当てて聞かれるようになったのだ。訳も分からい人に。

島村正氏のご冥福をお祈りする。

●旅行の切符が買えたのでほっとしたが、窓側席は埋まっていた。ウィークデイでビジネスマンでいっぱいなのかもと想像した。東京から名古屋まではビジネスマンが確かに多い。

●普段は洒落気もなくフリースを着ているが、少し寒くなったので、自分で編んだ、正確には編んであげた、グレーのベストを少し前から重ねている。このベストは信之先生のお古。これを編んだのは一昨年か去年か記憶が曖昧。今年1周忌を迎えたので、亡くなったのは去年。
ベストは最初、模様編みにしていたが、ダサいので解いて表編みで編みなおした。そのため、編みあがりが遅くなり、完成したのは1月半ば。それから2か月少し着ていて、4月になると暖かくなって着なくなり、その後すぐに亡くなった。
こう考えると、編み始めたのは一昨年の12月で、完成して着ていたのは去年の1月の半月、2月、3月。去年の今ごろは生きていたと思ったが、もう亡くなっていた。一昨年の今ごろは生きていた。2023年、令和5年5月に亡くなったということ。

11月12日(火)

曇りのち晴れ
   野生化のインコ
冬空にインコ羽裏の色残す  正子
観覧車円に灯点す冬の暮   正子
白菜を大袋に詰め電車の主婦 正子

●新幹線の切符を買いに新横まで。ついでに横浜そごうまで。切符は往復割引が利用できてよかったが、切符の印字を見ると、途中下車できない。せっかくの一人旅なので途中下車して、東福寺へ寄る予定を立てていた。しばらく旅行していないので、勘が鈍っている。往復切符では途中下車はダメなのだ。

●『若き詩人への手紙』(高安國世訳/新潮社)は、若き詩人カプスから送られた手紙は載っていない。リルケの手紙だけ。訳者の高安國世は旅の鞄には、内容が濃く薄い本を入れると言っていた。まさに、『若き詩人への手紙』がそうだ。その『若き詩人への手紙』のなかで、リルケは詩人へのアドバイスに、本はほんの数冊でいい。自分がいつも持っているのはバイブルとヤコブセンの詩集だと言っている。バイブルは意外だった。ヤコブセンを読むためにデンマーク語を勉強したという。ロシア語も学び、トルストイともロシア語で会話し、もちろんロシア文学も原文で読み、フランス語の詩も手紙も多い。生まれたのはプラハなのでチェコ語も話し、母語はドイツ語とのこと。孤独と集我を求めたリルケは、芸術家や文学者と多く交わっている。創作するときは、孤独を重視し、『若き詩人への手紙』にも孤独の重要性を度々述べている。それにより内面の奥へはいっていく。これが重要だと。

『若き詩人への手紙』は一通り読んだ。10通が収められている。1903年2月17日、パリからの手紙に始まるが、初めの数通の手紙が詩人への忠告としてわかりやすい。

11月11日(月)

晴れ
桜冬芽空ゆく雁にふと見ゆる   正子
冬来たり広葉の森の巣箱にも   正子
冬の日の広葉を透けて吾を包む  正子
●11月月例ネット句会入賞発表
みんなの選を見ていると、選は難しいのだと、つくづく思う。昔、先輩諸氏から、「俳句の選はその人のレベルの選しかできない。初心者は初心者の句をとる」と聞かされた。選のレベルが上がらないとよい句は生まれない。よい歳時記を使わないとよい句が生まれない感じもする。

●朝6時ごろ、小鳥を探しに出かけた。夜の雨で鯛ヶ崎公園は湿って、虫が良く鳴いている。小鳥は鵯が鳴いているが、ほかの鳥の声は聞こえない。

昨日繁茂する葛の蔓を足にひっかけて転びそうになった。蔓を手繰り寄せて、歩く人が引っ掛からないように蔓を振り分けて道を作った。今朝みると、一本蔓が道を横切って伸びている。ひっかけそうなので、引っ張るが、どうにもならない。今年の葛はよく茂っている。日本中に葛がはびこっているのだろう。葛粉が無くなるのを心配したが、それより葛の根を掘る人がいないのが心配だ。

●朝、入賞発表の原稿を書くのに寒い。思い切って、この辺で一人用の炬燵を出した。立方体の炬燵は座布団に乗せ、毛布を折りたたんで掛けるとそれで出来上がり。座るのは椅子。椅子に腰かけて炬燵にあたる。お陰で原稿がはかどる。

●図書館へ。『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著/高安國世訳・新潮社)を借りる。ほかに雑誌3冊。「若き詩人」は、フランツ・K・カプス宛て。「若き女性」は、『リルケ』の本のどこかに書いてあったと思うが、今思い出せない。

●『リルケ』(星野慎一著)に出て来るピアニスト、ベンベヌータは『神様の話』に感激し、書店気付でリルケに手紙を出している。これを読んだとき、私は『神様の話』を読んでいなかったので、読み飛ばしていたところがあった。『神様の話』を読んだリルケとベンベヌータの関係がよくわかる。そういう話からリルケは青い目をして、真面目で高潔な人の印象がした。

11月10日(日)

曇り、夜雨

●11月月例ネット句会
投句
13.初鴨の数をかぞえて座りおり
14.夕鵙のキチキチキチキチ長鳴けり
15.水替える黄菊のつんと匂うなり

●句会の前に5丁目の丘へ行った。住宅地の中の公園にインコが数羽。日本の景色の中でインコの羽は目立つ。そのうち日本に適応して、羽が少しずつ地味な色に変わるのかもしれないと、思ったり。銀杏はまだうすき緑。桜はほどんど散っている。

●夕方、句美子の家へ。電車の若い人たちの服装を見ると、オーバーサイズ、つまり、だぶだぶの服を着た人が多い。ゆったりしたい気分が世の中にあるのかと思ったりした。それに太った人が普通になっている。昔アメリカ人をみるときに思ったことと似ている。

11月9日(土)

晴れ
墓原歩くとつぐみ不意に発つ     正子
背を伸ばし鶫はひろき地を眺む    正子
冬竹林散歩の犬が中を行き      正子

●部屋にいると小寒い。やはり冬なのだと思うが、来週からは暖かい予報。朝鯛ヶ崎に散歩に行った。鶫を見に行ったが、気配はなく、公園の低木の茂みにアオジがいた。チリチリ鳴いている。目白もチリチリ鳴くので、確かめようと思うと、茂みに潜って二度とでてこなかった。アオジに間違いないと思う。そして、竹林を散歩している赤いチェックの服を着た犬を見た。飼い主はうす暗い竹林にまぎれて、いないように見えたが、リードが光って、その先にいた。竹林を散歩する犬もなかなか風流なと思いつつ見ていた。

●窓拭きを少し。きのうは電気毛布を敷いて寝た。寒さや暑さにやせ我慢しないことにした。いままで、この程度の寒さなら、信之先生はともかく、自分は暖房器具を使うことはなかった。この冬からは、自分に甘く、ときどき、褒美もあげて生活するのがいいと思い出した。

11月8日(金)

晴れたり、曇ったり
夕鵙は出でしばかりの月へ鳴く   正子
夕鵙は月へ帰るか鳴き止みぬ    正子
竹林の端の空暮れ鵙鳴けり     正子

●昨日、神宮館の暦を買ってきたので、今日は、テンプレートを使って来年のカレンダーを作った。二十四節季や俳句の行事、家の予定を前もって書き込めるなど、便利がよい。これに味をしめている。A4の大きさも大きすぎずよい。ひとり暮らしにはこれで足りる。

●墓地の管理事務所に来年の法事の予約を入れた。油断して忘れるところであった。お花は今年は洋花だったので、来年は和花にしてもらった。干菓子と果物も頼んだ。

●昨日が立冬だったので、朝冷える感じがする。昨日は丘を越え緑道を通り、日吉まで行ったので、一万歩を越えていた。

今朝は、小鳥のいるところを探して歩いたが、ひよどりぐらいしかいない。ところが、まさかのことに墓地の囲いになかに鶫がいた。鶫がいるとは思わないから、ただ歩いていたら、急に鶫が飛び立った。白と茶色のまだらが目に残る。ようやく渡ってきたところだろう。 

鯛ヶ崎公園の竹林の裾に、公園で見られる小鳥の看板がある。鶫とほおじろをまだ見ていなかった。見たいとは思っていたが、なかなか会えなかった。今日は偶然といえる。公園の上手の樹に巣箱がかかっている。多分、四十雀が入るのだろうとしばらく眺めていた。待っている間もなく、四十雀が飛んで来て巣箱の上に止った。中に入りかけて、入らない。この巣箱は、竹林の近くの樹に掛けていたのを、移動したのではないかと思えた。この森に巣箱がひとつだけ、とういのも面白い。小鳥を見るには、森に入って小鳥が来るのを待っていなければいけない。自分が森に溶け込んで、人の気配を失くしたときに小鳥がやってくることに気づいた。                                                                                                                                                                                                 

11月7日(木)立冬

快晴
スケボーの子らに月出で冬立ちぬ 正子
越えてゆく山路に残る虫の声 正子
立冬の花屋の隅に球根売り  正子
●今朝も未明に目が覚めたので、起きて「自由な投句箱」の秀句を決め、コメントをした。それからメールの点検をし、もう一度寝床に就いた。7時ごろ見たこともない夢で目が覚めた。どうやら文学賞の夢らしい。テーマが「谷崎潤一郎について」、賞金が32万円。それ以外は、締め切りも、どこが募集しているのかもわからない。赤丸が付いて賞金32万円とある。半端な賞金額にテーマがなんで「谷崎潤一郎」。夢とは言え、よくもこんなことを思いついたものだ。
●今日は立冬。東京は木枯らし1号が吹いたそうだ。木枯らしとはいえ、歩けば体が温まっているので、吹く風はここちよかった。
そろそろ来年の予定を組んでおかなくてはならなくなった。それで、今日日吉へ神宮館の暦を買いに行った。二丁目の丘の山路を通り、松の川緑道を歩いて行った。松の川緑道の丘に住宅地が開発されている。滲み出た水が緑道の小さい川に流れだして大丈夫かと思った。日吉病院の跡地というが、そんな病院があったかと思うくらいだ。どのあたりになるのか、丘を上ってみた。小学生が2,3人工事を見に来ていた。こんな小さい子どもも緑道が大丈夫か工事の成り行きを見に来たのだという。後で一人の親も来た。夏の暑い時は、緑道をあるかなかったので、すっかり様子が変わっていた。

肝心の暦だが、一番薄いものを買った。何かするとき、大安とか、仏滅とか、一応知っておかないといけない。来年信之先生の三周忌があるが、お寺と墓地の管理事務所に恃むのを忘れることろだった。来年の五月なのだが、今から頼まないと希望の日日がとれないとか。去年は一周忌の法事を頼んだは10月だったのを思い出した。

11月6日(水)

曇り
鴨来たり少しの群れが少し泳ぎ 正子
鴨の群れ一羽離れて水があき  正子
夕方の子らがにぎやか紅葉散る 正子

●未明に目が覚めた。You Tube で「朝のクラッシック」を探すと、イタリアのレコード会社「ハリドン」見つかった。以前はハリドンをよく聞いていたが、すっかり離れていた。ハリドン・ミュージックはいいと思う。
●1月号の編集が思ったより捗ったので、鶴見川へ鴨を見に出かけた。3時過ぎていたが、真っすぐに鶴見川へ行って帰れば、暗くなる前に帰れる。歩くのにちょうどよい気温なので、疲れないで歩ける。

川の土手を上がると、静かな川面は秋色深く鴨の群れがいた。数えれば七羽。ときどき鳴き声が聞こえる。橋の下手にも鴨の群れが見えたので、そちらに行った。十四羽いる。黒っぽく見える。近くに来ないので、よく見えないが、同じ種類らしい。矢上川へも回ったが、こちらは一羽もいなかった。矢上川の方がみどりの水の色が深い。土手の径は草葦が目の高さほどに育っている。川の水がよく見えない。バスの通る一本橋の袂から綱島街道までまっすぐ歩き、そこで日吉駅までバスに乗った。川にもう少し鳥が来ないと面白くない。

●アメリカ大統領はトランプが勝利。女性大統領の誕生はアメリカでもなかなか難しいようだ。

11月5日(火)

晴れのち曇り
秋の灯を点し円環の観覧車   正子
乗り換えし電車の座席秋温し  正子
駅出口スタジアムへと秋澄みぬ 正子

●新横浜駅に行った。手元にEX予約というカードがある。何回か使ったが、旅行しなかったので、長く使っていない。ネットで調べるがやり直してくださいとのみ。これが使えるものかどうか。駅員に調べてもらうと、問題ないという。新幹線に乗るのさえ、知識を更新しなくてはいけなくなっている。

駅ビルに来たついでに、ビルを見物。三省堂が有隣堂になっている。高島屋はとっくに撤退して、喫茶店と弁当を売る店が圧倒的に多い。ロフトやユニクロやレストラン街を見て歩く。

ロフトを見ていて、来年の干支のガラスの蛇の置物を見つけた。裾に紅梅の絵付けがしてある。そこに金粉がいれてある。ガラスなら、蛇でも可愛らしさがある。

輸入物のクリスマスカードがあった。よさそうと思ったが、もう少し色々見て買うことにした。クリスマスカードを贈って、誰が一番喜ぶかというと、谷間にいる男性。忘られかけている人たち。遠い眼差しで、巷のクリスマスの賑わいを傍目にみている人たち。こういう人たちに、時期が合えば、句集のお礼などにクリスマスカードを贈る。花冠の1月号を送るときに挨拶に入れておく。そうすれば、目が覚めたように、喜びのまさかのお礼状が来る。贈らせていただけて、こちらも楽しんでいる。

●1月号に載せる「リルケと俳句と私」は、第一部「リルケと私」だけを載せる決心がついた。手を入れて思い残しがないように書き直す。第二部の「リルケと俳句」は、次号の七月号に載せることにした。何かに間に合わせようとして、急ぐ癖がある。そういう考えは止めなければいけない。