晴れ
●夕方、句美子の家へ。運よく電車の乗継がよくスムーズに行けた。何か、食べたいものはと聞くと、焼き魚とか、鯛めしと言う返事。魚がほしいと。
魚の種類が少なくて、決まった魚しかないので、魚に目が向かなかったのだ。今日はこの魚が上がったとか、小海老がたくさん獲れたとか、活きのいい鱚が獲れたとか、小鰯が安いとかそんなことは全然ない。今日はこんなの野菜が美味しいとか、貝割菜がとれたとか、全然ない。決まった野菜しかない。つまり、商品しかない。人も商品のようになってるのではと心配になる。
●帰りの電車で『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』を相変わらず読んだ。ある事を言うために、細かく言葉を使う。「内へおはいりなさい。」が彼の信条。この細かい言葉使いのために、しがみついて読む格好になってしまっている。独特の感覚があるのだろうと、ついついしがみついて読むことになっている。作家や詩人にしがみつくことは、これまでなかったのだ。妙なことになっている。
晴れ
●夕方暗くなって、URの団地を歩いた。道に落葉が振り込んでいる。植え込みの萩の枝も栃の葉も寒い風に吹かれて、野辺山の風に吹かれる風情だった。
●一月号を一日編集。「音楽のしっぽ」「散文集」の初校ゲラをそれぞれ筆者にメール。三人から、返信メールあり。
――シューベルトは、朗らかな長調で悲しみの奥底を描いた。レッテルが虚(むな)しくなる。そうした世界は、言葉でも表現できるものか。
「できるかどうかはわからないけど、目指してはいます。モーツァルトの、僕が大好きな数小節に匹敵する詩が書けたら死んでもいいと思ってる」
「散文は絶対、音楽には近付けない。詩も、長ければ散文になるからやっぱり近付けない。意味が生まれちゃいけないんだ」
「意味から一切離れるってことは不可能だから、究極にあるものは、僕は『存在』と呼んでいる。言葉はその存在に一生懸命迫っているわけだけど、存在そのものにはなれない。その場合には、言葉を通して存在の手触りみたいなものに近付くしかないというか。俳句なんて特に、言葉で直接存在に触る世界でしょ」
●和人さんの俳壇投稿原稿についてメール交換。晃さん雑詠の一句について、メール交換。
●「正子の日記」の編集。9月まで済む。何を残し、何を削るか、悩ましい。明日で決着をつけたい。その後、リルケに取り掛かる。
晴れ
墓地晴れて冬木の桜つやつやと 正子
はらはらと落ちし団栗墓地への坂 正子
櫟大樹空へ黄葉をにぎわわす 正子
●墓参。朝、カレンダーに墓参と書いたことを思い出した。近所の店に花が届くのを待って、花を買って出かけた。思いがけずいい天気だった。墓地には納骨の家族と、墓苑の芝や落葉を掃除するひとがいた。今日はスプレー咲きの薔薇とカーネーションを供えた。風があるのか線香が勢いよく燃える。振り返ると、台湾椿が先月よりも増して花が咲かせている。桜の木はすっかり葉を落としてしまったが、幹が太った感じがする。お墓に祈ることもないので、「元気でいてくださいよ。そのうちいいことがありますよ。」と拝んで、バスの時間があるので線香が燃え残っていたが、墓を後にした。
バス停に着くと二人の客が待っていた。軽く挨拶すると、二人が交互に話しかけてくる。老人の男性が、「植物の霜柱を知っているか」といきなり聞いてた。名前は聞いたことがあるが、見たことはない。スマホに写真を出すと、この写真の花に間違いないという。もう一人は50代ぐらいの女性。女性も珍しがってスマホの写真をのぞき込む。男性は若い時高尾山のガイドをしていたと言って、高尾山の動植物に詳しい。今でも週2,3回が高尾山に行くそうだ。墓地のある鶴川は、小田急が八王子まで走っている。行こうと思えば思いついていける。老人は高尾山と書いた桜の木の杖を持っていた。杖は見れば桜とすぐわかるが、女性は、「どこで桜と見分けるのか」と聞く。桜の樹皮は美しいので、茶筒などに使われている。今の人はこんな茶筒を見たことがないのかな。降りるとき二人とも名残り惜しそうに挨拶した。私は「お元気で」と言った。
雨のち曇り
時雨止み電飾星をまたたかす 正子
時雨やみ一番星のただひとつ 正子
●朝は時雨が降っていたが、昼ごろ上がる。E子さんからの喪中はがきに驚くき、すぐお悔みの電話。十一月に入ってご主人が亡くなられたとのこと。まだ日が浅い。
●編集が半分ほどでき、PDFファイル化。晃さんと修さんに電話し、句意のわからない句について聞いて、作者の意図を尊重し、添削しないことにした。問題は自分の原稿。日記とリルケがなかなか苦労。
●リルケを読み始めたのは9月で、読み始めた理由は確かにある、今は別の理由で読んでいる。『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』は繰り返し読んでいるが、根を詰めて真摯に書かれた手紙の根の詰め方が魅力なのだ。人間はここは根を詰め、ここは手を抜く、ことはできないようだ。根を詰める人はすべてに何事にも根を詰める。真摯な人は何にも真摯。詩も手紙もおなじに書いている。
若い詩人に「孤独である必要と内面へ奥深く入っていく」ことをもっぱら説いている。その点が非常に真摯なのである。俳句の仲間を見ていると、「真摯な人」は上達が遅いように見えるが、結局、「忍耐」のあとに上へ抜け出ている。上達の道は一つ、「真摯で忍耐強い」ことしかないと思われる。
時雨、降ったり止んだり
朱に眼凝らせば垂れる烏瓜 正子
銀杏黄葉大樹それぞれ違う色 正子
髪切ると冬がうなじに忍び来ぬ 正子
●時雨のなかを2丁目の山路を歩いて日吉の商店街へ。ほんの少しの山路に落ちている木の実や黄葉が時雨に濡れて光っている。だれもそのことを知らない。帰りも歩いたので、山路でめずらしく買い物の荷物を肩に掛けた主婦に合った。すれ違いざまに挨拶をしたが、息を切らしていた。
●生協の配達。野菜のセットを間違えて2セット頼んでいた。蕪や小松菜、ニラ、キャベツ、胡瓜、レタス。蕪は千枚漬け風に、小松菜は湯がいて冷凍。キャベツとニラは餃子に、レタスはどうしよう。
●編集したり、リルケの薄い本を読んだり。日記に載せる俳句を作ったり。俳句は上達しない。上手い人ははじめから上手い。生協の正月用品を見て、金沢の押しずしと鯛に印をつけて置く。 冬のスラックス、緩いゴムを切ってちょうどよくした。2センチくらいのことなのに、すっきりした。
晴れ
異郷にて柚子の黄色の目立つなり 正子
柚子の黄色青みがちにも鈴なりに 正子
●昨日は北日本は雪、今日も長野や新潟では雪。十二月並みの気温。日中13度。図書館へ本の返却。駅前広場は日当たりはいいが、となりの花壇はすっかり日陰になっているが。紫系のめずらしい花がいろいろ咲いていて、秋までは気づかなかったが、この花壇はビルの北側になっている。南がどちらか、今日気づいた。歩く人の影の倒れる方向を確かめた。
今年は図書館通いを今日で終わりにする。花冠の編集と年末の家事で図書館に通う時間がない。必要な本は文庫で数冊手に入れたので、これを読んで過ごすことに。自分の本でないと、ちょっとしたところを読み落とすことはわかっている。
●晴美さんから電話。シュトーレンが届いたら、一緒にお茶をと誘われる。それは12月のことらしい。私のほうは、センター北のクリスマスマーケットに誘った。「クリスマス・マーケットって?」と言うので面食らったが、近くであるのに、知らなかったようだ。ドイツ学園の人たちが毎年2日間だけ催してくれるこの小さいクリスマスマーケットを楽しみにしている。
●花苗を買ったまま、どの色の花を組み合わせようか迷っていた。Aiに聞いた。ピンクか黄色かどちらかの花はどうかと言う。それでクリーム色のすみれを一株加えて、落ち着いた。スイートピーの本葉が数枚になったので、本植えをした。「まかぬ種は生えぬ」は良く思うこと。春に切り花にできるがたのしみ。
曇り
●循環器の定期診療。9時半の予約。病院に行く前に洗濯物を干そうとベランダに出ると、昨日と変わって冬が来ている。寒々と風が吹くので、ピンチでしっかり止める。すぐにバスの時間に間に合うようにバス停にゆくと、少し違った気配。バスの時刻表を見ると、変更されていた。9時7分が、9時5分に。バスが出たあとだった。病院に遅れることを電話しなければ、と思ったとき、歩いて行けばいいんだと思い直した。着いたら5分遅れだったが、それでも呼ばれるまで、少し待った。
●病院の待ち時間、同じフロア―の靴屋と本屋に寄った。靴は衝動買いっぽいが、白のスニーカーを買った。履き口の水色が可愛いと思い、買う気になった。それがホーキンスなのだ。本は『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(高安國世訳/新潮社)と『ゲーテ格言集』(高橋健二編訳/新潮社)を買った。
晴れ
●一度書いた17日の日記を消してしまった。もう一度書くが、多分、違っているだろう。
●今日こそは俳句を作るぞと、枕元に歳時記を置いた。歳時記を見る前に、俳句の一句も書かないうちに、寝入ってしまった。
●気温が20度くらいの暖かい日。今日は、料理に私的に専心。料理は作れと言われれば作るし、作れば美味しいと言ってくれるが、ほんとうのところ、好きではないのだ。最近は、他人には料理は嫌いだとはっきり宣言している。それでも、週に一回だけ、まじめに料理するようにしている。今日は餃子と酢豚。わが老人のために、蓮根やこんにゃくなどの煮物。紅白なます。
●夕方、友宏さんが山形からラ・フランスとリンゴが届いたと、今日はラフランスだけをもってきてくれた。仏壇のラ・フランスがちょうど食べごろになったので、入れ替えて供える。亡くなる前、信之先生は歯が悪くなって、ラ・フランスをコンポートにしてよく食べた。それで、好物だった柿と、ラ・フランスとを供えていた。
ちょうど花冠1月号の巻頭抄と作品が編集できたので、友宏さんと句美子の抜き刷りをチェックしてもらう。
曇り
冬天の雲の白光窓に入る 正子
木管曲そこいに響く冬の部屋 正子
●一日編集作業。まとめたはずの原稿がパソコン上で見当たらず、探すなどして時間をとられる。全体の目安がほぼつき、前号と同じく70頁ぐらいになりそうだ。『音楽のしっぽ』半ページ残ったが、他の原稿とは合わないので、カットを探す。ディベルティメントK563の第2楽章アダージョがあったので、4小節ぐらいを使う。曲を聞いたがいい。前に貼り付けていたのを操作中消してしまったので、再度探した。
●リュックのポケットに薄い文庫本を入れることが多くなった。以前は、今もそうだが、都会の人は電車に乗った時どうして窓の景色を見ないのだろうとよく思った。今も思う。地下鉄で外が見れないこともあるが、地上に出ることもある。見てないと危険が察知できないではないか。こんなにも空が変化し、あちこちに建築中のものがたくさんあって危なそうだ。そうは思いながらも、このごろは電車で文庫本を読むことが多くなった。都会人化したわけではない。誰と話すでもなく暮らしていると、頼りになる言葉や考えを探そうとする自分がいるのに気づく。おそらく、誰かを探しているのだろう。遠い存在過ぎて、見向きもしなかった、もしや本の中の人かも知れないが、それが誰とはまだわからない。
それで、本を持ち歩くことになっている。
ところが、本を持ち歩いて読むとき、続きが曖昧になって、行きつ戻りつ読むことになる。そうなると、内容より、目に字面を追わせて文体を楽しむことになる。文体の魅力は著者と自分との秘かな息の疎通ができるところだ。これも思いがけず得た楽しみだ。
●『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著高安國世訳)では、「若き女性への手紙」の方が難解だと言われる。リルケ最晩年の手紙であるからが理由のようだ。「ドゥイノの悲歌」が完成したこと、また「オルフォイスのソネット」ができあがった喜びをこの若い女性ハウゼに漏らしている。自分が故郷も家も持たない不安な状態であることも時に吐露している。リルケがこんなことを思いながら、一所不在の生活を続けたことに、心を動かされる。私には「若き女性への手紙」のほうが、具体的にわかりやすい。リルケの心情が知らず,吐露されている。この女性は小児科の院長の娘で愛人と出奔し、一人子供をもうけ、別居して、土地を借り、空と樹を持ち、足りない生活費はピアノを教えるという、ワイマール州で暮らすドイツ女性である。リルケは「あなたの美しい手紙」と度々言っている。特にクリスマス・イヴに届いた手紙はその日にこの上なく相応しく美しい手紙だった書いてある。
作家や詩人に手紙を送るのは、その作品を読み、作家や詩人を知り、自分を理解してくれるはこの人しかいない気持になって文通が始まるらしい。
曇り
手の窪にまるく収まるラ・フランス 正子
夫は柿もラ・フランスも好む
ラ・フランスと柿の色とは相あわず 正子
百合子妃の死をしてストックよく匂う 正子
●ゆうパックを送るのに、初めて郵便アプリを使った。アプリを使うと180円安くなる。初めてなので、窓口で料金を払ったが、宛先ラベルが印刷されて、便利はいい。ほかに持ち込み料と、前送った同じところに送ると安くなり、配送状況の追跡もできるメリットがある。一度利用すればなんていうことはないが、使うまではためらう。
●花冠1月号の雑詠投句を閉め切る。全員の投句があったので、ぼつぼつ初めていた選を今日で終わらせた。巻頭抄と作品ページができあがる。つまり20頁まで。
●Facebookはほとんど見ないが、知らせがあると、少し見る。見ていると、だんだん気持ちが滅入って、落ち込んでくる。人間関係のめくるめく乱舞のように見える。海水浴場のようにも見える。