晴れ
●正子の俳句日記の感想を電話でもらった。「こんな世の中でしょ。日記を読んでほっとする気持ちになった。」これは敬二さんの奥さんから。奥さんは俳句を作っておられない。それでも関心を持って読んでもらってありがたい。
●晃さんよりメール。今日の愛媛新聞に花冠の紹介記事が載り、次の句が採り上げられて
ミニトマト採り来て昼餉の皿豊か 古田 敬二
はつ夏やひめわたすげも風の旅 森下 朋子
老鶯に誘われ参る山の寺 土橋 みよ
●「ヴァレの四行詩」より
(三)
夕日まぶし葡萄畑の金色に 正子
夕翳のワインにありぬ葡萄園 正子
曇りのち晴れ
●今日は朝顔も百日草も咲かなかった。セキチクが一輪土にへばりつくように咲いた。 仏前の百日草がダリアのように咲いて やわらかいオールドピンクになった。種から蒔いた百日草だけに思い入れがある。
●花冠のブログに書き込み。コメント欄にも書き込み。使い勝手をためしてみる。
●午前買い物に日吉東急へ。お礼を送る。午後The Best of Schubert by Halidon を聞く。Halidon の Good Work!シューベルトの最高の音楽と銘打っている。シューベルトのスケルツォを初めて聞いた。5時間ほどのシューベルトの仕舞いはザ・グレート。このごろこればかり聞いている。
●リルケ「『果樹園』付ヴァレの四行詩36篇集」のヴァレの四行詩より
(一)小さな滝つ瀬
滝つ瀬の奔りてすずしき水まとい 正子
滝つ瀬の奔るや草香の春まとい 正子
(二)
中腹に置かれし地や家草若し
2025年8月2日 00:29
曇りのち雨
●花冠のブログは、ホームページとしてまとめられ、それぞれのブログに飛べるようになっている。ITの専門家の友宏さんの弟さんがすべてしてくれたので、大変感謝している。早速、日記から使ってみることにした。
暑中お見舞い申し上げます。
髙橋正子の俳句日記をご愛読いただき、ありがとうございます。
このたびgoo blogサービスの終了にともない、本ブログを移転いたします。移転のため8月1日~8月15日までブログの更新をお休みいたします。
新しいブログのアドレスは改めてお知らせいたしますので、再開をお待ちください。
2025年7月31日
髙橋正子
晴れ
小鳥らに茂みとなりぬ百日草 正子
みんみん蝉窓を開けてから鳴きぬ 正子
盆飾りの牛馬に苧殻の脚がつき 正子
●涼しい風が吹く。百日草が咲く。百日草は、丈が1mばかりに育って、一本に花が咲いた。蕾に色が見えて、つぎつぎ咲きそうだ。
●明日から花冠ブログを夏休みとするための、お知らせを各ブログに書き込む。
●ますみさんから自身のブログ移転が完了したとメールがある。
晴れ
●11時ごろのニュースで津波警報が出ているのを知った。一日中津波のニュース。朝8時ごろ、カムチャッカ半島付近で大きな地震があった。横浜でも30cmの津波が来ている。久慈港で1m30cmだった。海岸線を走る電車も運休、飛行機も欠航便がでている。
●『マルテの手記』が最後の章まで来た。8月中に読もうと計画していたが、読み終えた。だいたい内容が分かったので、またこの夏ゆっくり読めばいいだろう。『果樹園』を読書予定には入れていなかったが、これが入ったので、『マルテ』を読み終えたのは良かったかもしれない。
●「俳壇」8月号を美知子さん、晃さん、秀之さんが買ってくれた。他人の句を買ってまで読んでもらえるのはうれしい。感想をいただいた。
美知子さんから
ほうっと蛍わが吐く息をさらいけり 正子
は、リルケをおもわせて西洋詩のようで、誰も作らない俳句、と。
晃さんは感銘句を3句あげてくれた。
葉隠れに雲にならんと朴の花 正子
手の蛍放せば葦の葉にともる 正子
夕泣きの寝落ちしひまを梅雨の月 正子
晴れ
●歯医者へ。午前中の予約といえど11時45分。日盛りを出かけた。すぐに終わったが、また日盛りを帰った。歯医者に行くということに、えらく神経を使って、一仕事した感じ。
●8月1日からのブログの夏休みに向けて7月31日で書き込みが終わるように気を付けて「自由な投句箱」などの記事を書く。
●暑いので家で『マルテの手記』と『果樹園』を休憩しながら読む。『果樹園』のヴァレの四行詩が心にしみた。リルケにもこんな日があったのだと。休憩に何をしたかというと「刺し子糸」と「刺繍糸」がたくさんあって箱がごちゃごちゃするので、それを三つ編みにして、本の栞を作った。文庫本用とA5の本用の2種類を10本ばかり。滑り落ちないのでいいし、書籍紙に挟むと色が綺麗になるのだ。、また、組み紐も編んだ。組み紐は道具がないので手間取ったが出来は自分用には申し分ない。用途は未定。
晴れ
●朝、まだ涼しいベランダで雀の鳴き声がする。たしかにベランダにいる。窓からのぞくと朝顔が咲いているベランダの手すりに鵯が虫をくわえて止まっている。それでも雀の鳴き声がするので、よく見るとベランダに置いてある椅子に雛がいて、燕のように口をあけている。雀ではなく、鵯の雛が鳴いていたとわかった。ひな鳥はじっとしていたが急に百日草の繁みに飛んだ。そしてまた、今度は椅子の向こう側に止った。30分ぐらいたって、親鳥がまた来た。ベランダには水がないので、洗面器に水を少し入れて置いておいた。どうなったかと2時間ほどしてみるとひな鳥は飛び立っていた。
●『果樹園』を捲ってみる。リルケは彼の二大詩集を書きあげたあと、フランス語のこの短詩集『果樹園』を書いた。リルケがこの詩をフランス語で書いた経緯とでも言うようなことが、あとがきに替えた「ヴァレのリルケ」に書かれていた。リルケが亡くなって、26年経つ1952年に書かれたこの文章には、リルケへの手ざわりが感じられる。詩は現代仮名遣いで書かれている。
『果樹園』から40番の詩を挙げる。
四十(片山敏彦訳)
一羽の白鳥が 水の上を
全く無心の様子で進む、
滑っていく一枚の画面のように、
或る時々には これに似て
愛する人の存在が
動いている一つの空間である。
泳いでいるこの白鳥のように
その存在が 動きのために一つの姿でなくなりながら
当惑しているわれらの魂に近づいて来る・・・
そしてわれらの魂は この存在に
幸福と疑いとのためにふるえる姿を
つけ加える。
この詩からの発想で次の句を昨秋作った。
白鳥のすべる水澄み影二重 正子
Vergers, 40
Un cygne avance sur l’eau
tout entouré de lui-même,
comme un glissant tableau;
ainsi à certains instants
un être que l’on aime
est tout un espace mouvant.
Il se rapproche, doublé,
comme ce cygne qui nage,
sur notre âme troublée…
qui à cet être ajoute
la tremblante image
de bonheur et de doute.
晴れ
北窓に花火あがりぬ菊・柳 正子
揚花火ひとり見ている間に終わる 正子
朝顔の青ひらひらと風を受く 正子
●夕べはアイスノンを枕にして寝たが、それでも暑い。夜中起き出して寝る部屋を変えた。クーラーを強くしてその隣の部屋に寝た。かなり暑さが極まっている。
●今朝の朝顔は、昨日と違って青い色が濃い。青い色がきれいなのを二輪摘んで、一つは仏前に、一つは食卓に挿した。直径は測ると11センチ。なるほど、10センチでもなく、12センチでもないこの大きさに嫌味がない。
●『マルテ・・』の第二部に入る。初めに「女と一角獣」のゴブラン織りの話がある。女性の愛の理想的純粋さを、「ぽるとがる文」尼僧やガスパラ・ガンダを例にみて、あるいは、ゴブラン織りの前に立ち止まり、そのなかの花や小動物を写し取る少女にそれをみた、女性としては読み過ごせない章である。「女と一角獣」についての予備知識がないと、なんのことだか、となる章でもある。最初読んだときそうだった。
この章はリルケが実際パリの中世美術を展示する「クリュニー国立中世美術館」で「女と一角獣」のゴブラン織りの展示を見てからの発想といわれている。このタペストリーはこの美術館の見どころのひとつで、15世紀末に制作された6枚の連作である。五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)を象徴する場面と、「我が唯一の望み」と題された謎めいた一枚が展示されている。このタペストリーはマルテに手記に書かれているようにブウサックの城から持ち出されたものという。
「女と一角獣」は歴史的に意義がある。中世では五感が「人間性の全体性」を示す象徴として理解される傾向があり、各感覚は個別に重要視されたというよりも、「理性」と「本能」のバランスを図るための哲学的要素として使われていた可能性がある。『近代美術入門』(井奥陽子著・ちくま新書)では、ヨーロッパでは視覚と聴覚が特に重視されたとあるが、ここにもそのいきさつが垣間見れる。
ゴブラン織の美術的構造と寓意美術作品としてのゴブラン織は、物語性や寓意を強く持っていて、味覚・触覚・嗅覚といった「軽んじられがちな感覚」を織物という触れる芸術に組み込むことで、「見る」だけではなく「感じる」鑑賞体験を促しているのかもしれない。つまり、視覚と聴覚に対する反省的挑戦とも読める。
●午後古書店に注文していた『果樹園』(片山敏彦訳)が届いた。函入りだった。函には『果樹園』 リルケ詩集 片山敏彦訳 が真ん中に配置され、本体は布ではなく紙。表紙の色はおそらくもっと緑色だったと思われるが73年経った今は黄檗に近い。細い筆記体で「RMR、」と金(銀にも見える)の箔が押してあるだけ。背にリルケ詩集 果樹園 片山敏彦訳 とある。
あとがきに替えて「ヴァレのリルケ」を訳者の片山敏彦が書いている。『果樹園』はリルケが晩年を過ごしたスイスの「ヴァレ」で書いたのでそのころのリルケの周辺を含めて書いているが、すばらしい文章なのでこれから読むリルケの詩が一層楽しみになった。花冠7月号に載せた「白鳥」は40番として、たしかにある。50番「窓」はざっと見て見つからない。「窓」は別詩集『窓』にあるのかもしれない。『果樹園』を早く読みたくてネットから取り出したので、これは私のミスであろう。ネットはやはり注意しなくてはいけない。
晴れ
朝顔の空色十輪ほどひらき 正子
朝顔を供花に氷水に挿し 正子
朝顔に香煙しずかにまとわりぬ 正子
●朝顔、十輪ほど。赤紫と思っていたが、今朝開いたのは、うすい空色。朝顔の種についていた名前は「青雲」。「青雲の志」のイメージとはちがって、うす青い雲の色。一輪切り取って仏前に供えた。
●きのう侑真君が、寝返りを初めて打ったとメールが来る。来月1日で5か月になるが、元気な子に違いない。
●『マルテ・・』の第26断章まで読んだ。退屈なところもあるが、読ませるところもある。たしかに小説ではなく、「手記」に違いない。『手記』と題名があるのに、どうして小説と言っているのか、こちらの方が疑問ではないか。「手記」の意味の取りようもいろいろあるが、「手記」は「手記」なのだ。
●花冠No.374(1月号)に「俳壇」8月号に掲載された正子の新作7句の鑑賞を花冠の誰かに書いてもらうつもりでいた。ネット短信の返信や、花冠を受け取った返事など、いろいろ考えると、もう、自句自解で行こうと決めた。早速7句について自句自解を書いた。どんどん仕上げていなかいと、秋からは忙しくなる予感がしている。日々怠らず。
●古本屋に頼んだ『果樹園』は昨日発送されているが、今日のところ届いてない。クリップ郵便で発送したとある。月曜になるかもしれない。