7月8日(木)

雨。
●俳壇9月号の原稿「結社の声」が朝11時ごろやっと出来上がって、本文はメールした。午後2時ごろ「原稿拝受」と返事。大会などの写真、花冠の雑誌は、郵送。明日届く予定。全部がそろって入稿するとのこと。
昨日は仕事が終わってから、普段なら何もしないところだが、七夕の夜の11時という時間から原稿に手を入れ始めて、縮めて、縮めて、要求された文字数に収めるのに、徹夜になった。書いているうちに窓が白んで5時20分になっていた。朝食後、原稿を点検して、メールで送った。手こずったのは、花冠の歴史。ほぼ60年の歴史を書き落としがないようにしたが、やっぱりメールのあと、書き落としに気づいた。校正ができれば、5文字ほど入れるだけなので、大丈夫と思うけど。みんなの句も「わが主張」と合ういい句を選ぶのに難儀した。てこずっと分、結果が良ければを願うばかりだ。

7月7日(水)

●カサブランカ、すべて咲いてしまった。十分楽しんだので、花を半分ぐらい切り落とし、花瓶にも活けた。一本は残して置いた。咲いているのはカサブランカと知りつつも、話すとき人に、つい「山百合がねえ、」とか言ってしまう。
●生協の配達が大幅に遅れる。

7月6日(火)

●熱海で土砂崩れがあって、4日立つ。盛リ土の崩れが契機となった土砂崩れらしい。地図で見れば、熱海駅の東の方。新幹線で熱海駅を通るが、山が迫った大きいとは言えない駅。その駅を降りて海の方へ行けば熱海のホテルや旅館街となる。
●結社の声の原稿を書く。4ページ分で、だいたい一ページ分ずつ小分けにして書くことにした。①時間のかかるみんなの俳句集め。②結社の主張は、3つあってはっきりしているので、裏付けとなるような言葉や本を集めた。③年間活動。これは、はっきりしている。④結社の成り立ち、歴史は、間違いがないように、書き落としが無いように。⑤全員写真と主宰の顔写真。全身写真を探す。自分のは、前のを回す。
結局、気が重い仕事が最後に残った。明日までに書かねば。

7月5日(月)

●コーヒーメーカーをもらう。FIKAと言う名前。フィーカは、スエーデンンか、どこかのお茶の時間ではなかったかと思う。日本にも朝10時と午後3時にお茶の時間があるけど、会社ではなく、家庭で。FIKAは会社で仕事中でも取れるお茶の時間と聞いている。
使い始めが面倒そう。今は手回しコーヒー挽で挽いている。挽いた粉は下のガラスポットに落ちて溜まる。コーヒー挽の下側にコルクの栓がついて、挽くときはこのコルクを外して挽いた粉を落とす仕組み。それに比べるともらったのは、後始末が面倒そう。
「大どろぼうホッツェンプロッツ」の3部作を孫に買った。プレゼント用の包装紙をそっとはがして少し読むと、読み始めに孫たちがおばあさんにプレゼントしたコーヒー挽が出て来る。このコーヒー挽、コーヒーを挽くとオルゴールのように歌う。コーヒーミルは、こんな連想をさせるんだ、と思った瞬間、そんなコーヒー挽が欲しくなった。

7月3日(土)

雨のち曇り
●夜中に緊急避難指示メールが2回届く。小田原や平塚、箱根の方では、土砂崩れや川の氾濫があった。
●信之先生コロナワクチン、2回目接種が終わる。緊急メールで起きたせいか、朝、11時までぐっすり寝てしまう。信之先生の病院から電話。ワクチン接種に来てくださいと。平身低頭で謝って、診療時間内になんとか間に合った。
●「結社の声」の原稿、なかなか進まない。というより、書く気にならない。結社の歴史、成立過程については何回か書いているけれど。いろいろよそとは違っているし。

7月2日(金)

●梅雨らしい雨が続く。
●カサブランカの白い色が冷たそう。えんじ色の蕊は多すぎる感じ。
●俳句大学の永田さんから信之先生に授賞式に参加してもらいないかと電話。コロナ下でもあるし、年寄りだし、欠席の通知を出していたのだけど。
●肺炎球菌の予防接種の案内がくる。来年3月31日まで。

7月1日(木)

ひと窓をカサブランカの白が占め 正子
月桃の花を見しより海思う   正子
●花冠365号がみなさんの手元に届く。返事が発行所ブログに書き込まれる。
●29日、病院の行き来に、月桃の花かと思う花が咲いていた。月桃は沖縄の花というイメージがあったので、いま横浜ですぐに月桃と思えなかった。写真に撮って調べると、間違いなく、月桃の花だった。ちょうど沖縄忌ごろ咲く。しばらく見ていて、戦禍の記憶がよみがえるように、じわっと美しい花だと思えてきた。
沖縄忌に読まれた少女の詩を思い出した。去年の少女の詩もそうだったが、中学生でよくこんな詩が書けると感心して読んだ。「あなた、あたなた」の連呼が多い現代詩のなかで、それらとは一線を画して違っている。

6月30日(水)

晴れ
乱雑というべく咲きぬ白き百合    正子
百合のしべ臙脂色もて汚すなよ    正子
焼き鮎に塩の白さの残りたる     正子
●『精選アンソロジー俳句の杜2021年』(本阿弥書店)が届く。句美子が参加。昨秋は、柳原美知子さんが参加。今回は16名がそれぞれ100句。参加者は句美子をのぞいて68歳が若く、70代、80代、90代。
●朝起きると、カサブランカがわんさか咲いていた。花粉で花びらがよごれないように、少し隅の方に寄せた。
●夜、なかなか寝つけなく夜明けを迎えることしばしばなので、一案を企てる。寝る前の「本を読むこと、音楽を聞くこと」、これを止める。寝つけないからやっていたことだが、これが眠れなくしていることに気づく。二晩実行したが、早起きができる。

6月29日(火)

●晴れのち曇り、夕方から雨。
●ベランダの花が咲く。カサブランカ、カモミール、ミニバラが、一斉に開いた。なんで一斉に、と思ったが。まさか、おととい液体肥料をやったので、そのせいかも。しかし、急にそんなことはあり得ない。
●病院のはしご。午前に、ハート内科、午後に整形外科。そのあと、バタバタと仕事へ。
●角川の花冠の広告を見て、「師系が臼田亜浪ということで、尋ねたいことがある」と電話があった。その方は、横浜市内に住んでおられて、お母さんが若い時に亜浪先生に添削など直接指導を受けたとのこと。亜浪先生の軸が4本あるが、そのうち一つの意味がわからないから教えてもらえないかと。お母さんは吉野義子さんと親しく、義子さんの句碑を岡山のご自分の母校に建てるのに尽力されたということ。義子さんと言えば、義子さんは大野林火の弟子。臥風先生のお宅の句会でご一緒した。お宅にも伺って、句会をしたことがある。ここで、義子さんの話を聞くとは思わなかった。
亜浪先生の句は
「茸の香を(お)毛へ婆玉梅思ひもす」
今では、ちょっと謎めいている。調べないとわからないので、後程電話しますと言って受話器を置いた。すぐネットで検索したが、まったく出てこない。
「薄田泣菫」の随筆に「茸の香」が青空文庫で見つかった。匂いについて書かれた名随筆とのこと。A4用紙一枚と少しの分量。香魚(あゆ)を食べるのは、香魚を食べるのではなく、淡水(まみず)を味わうのだ、とか。茸を食べるのは、「山の匂い」を味わうのだ、とかいう具合。なにか、このあたりにヒントがありそうな気がしてきた。亜浪が、泣菫のこの随筆を読んでいたのかどうかわからないが。
●電話で、その方に、「花冠の広告、高い広告料を出しているが、役に立ってるのか、立ってないのかと思うんですけどね。」というと、「そんなことはないです。師系亜浪を見つけて、藁にもすがる思いで電話をしました。とても役にたっています。」と。そういう役立ち方かと、広告のいくつもある意義を思った。
●こういう方が日本中におられるだろうから、「花冠」を続ける意味があるというものかも。大結社である必要も、立派な本である必要もない。ただ雑誌が存続することが大切なのだと。
●「あなたは生きている価値があるのか」という問に対して、「ただ存在していることに価値があるのです。」と言えそうな気がしてきた。それは、いま上に書いた理由による。