10月17日(月)

曇り
茸焼くたのしき遊びするように    正子
柚子胡椒うどんによく利き秋深む   正子
洋梨を画を選るように選びけり    正子
●俳句と政治は関係ないようで、ジャーナリズムに敏感な人が多いので、巡っては価値観とか、自由度とか、真実を追求する精神とか関係ある。安倍元首相が銃撃で亡くなって、旧統一教会が日本の政治に入り込んでいることがだんだんはっきりしてきているけれど、溜飲が下がるには程遠い。岸田首相になってみんなは少しはましになるだろうと思っていたが、全然。内閣の支持率は下がる一方。そこで出て来たのが旧統一教会に対して質問権を使うというもの。岸田首相には、今でしょ、と言いたい。村上誠一郎氏は、愛媛選出の国会議員で、おっしゃることはもっとも。国会議員が選挙にびくびくして仕事にならないようでは情けないと思います。

10月16日(日)

晴れ
秋高し花苗どれもきらきらと  正子
蕪の葉の袋はみ出す電車内   正子
新米の煮えたつ音の大きかり  正子
●今日から新米。新米を買うのにちょっと苦労。いつも買うお米は新米ではなく、新米は千葉産がほどんどか、買ってもいいかなと思う銘柄のは安すぎる。これも心配。米屋さんは日曜で休み。日吉の東急で買うことになった。お米を買ったあとセンター北へ。
●JAの直売所で里芋、蕪、ししとう、豊水、椎茸を買った。里芋はスーパーのとは全然違ってほくほく。里芋は絶対直売でないと。蕪がやわらかい。
●JAでは野菜よりも花苗に目が行った。ストック、ビオラ、アリッサムなど元気がよくてきらきらしている。あした買いに来よう。
●夕方句美子が来て、電子ピアノを呉れる話になった。「お母さんは紙のピアノで練習したんでしょ。」というので、びっくり。そんな話をしたかと。私が小学生の時は戦後。音楽の教科書に紙のピアノがついていた。88鍵ではなく60鍵ぐらいだったと思うが、学校でこの紙のピアノを机に広げて使っていた。ピアノについてはいろいろ思い出があるが、一番残念なのは横浜に引っ越すとき売ってしまったピアノ。アップライトだけど惜しかったなあ。

10月15日(土)

曇りのち晴れ。
●朝食は、独り、ビスケットとコーヒーとヨーグルト。土曜日なので、信之先生は起こさない。ビスケットをかじり、コーヒーを飲みながら俳壇11月号を読む。自分の不勉強に落胆する。だいたい自分は勉強が嫌いなのだと思った。いまさらここに書いている重要なことながらを勉強する気にならない。
勉強が嫌いなら詩人かというと、たしかに「君は詩人だ」とよく言われたが、自分が「詩人」である気もしない。自分が詩人になろうと思ったこともない。ただやたら過敏症にすぎないだけだ。これも人言われて知るだけだし。好きに暮らしていいじゃん、と。

10月14日(金)

曇り、ときどき小雨。
ラ・フランス熟れてほんとにすきな色 正子
ほっこりと大きな梨を二つ詰め    正子
どんぐりが落ちて小草の暖かし    正子
●電器店2件を回り、パソコンの下見をした。FujitsuかDellのどちらかにすることにした。新機の入れ替え中とのことで、値下げされた現品物もある。8GB intel i5,のDellが10万円を切っている。Fujutsuは8GB、inetel i3が13万円弱。やっぱりdell の方が値段のわりに性能がいいのだが、使ったことがない。迷う、、、。10月末までには決着を。
●「俳壇11月号」が届く。編集長は発行人の奥田さんがまだ兼ねておられる。11月号とあって菊の句がある。
菊咲けり陶淵明の菊咲けり  山口青邨
有る程の菊抛げ入れよ棺の中 漱石
 (大塚楠緒子への手向け)
特集「今、読み直す耕衣・静塔・綾子・五千石-没後25年」
特別企画「おくのそほ道333年、その地に遊ぶ」(前編)
の二つは、故人に学ぶ安心感を覚える。
●文学系YouTubeに初めて出会った。「スケザネ図書館」という。スケザネ氏と俳人の小津夜景氏の対談があった。対談ではないがほかの情報では、彼女3文字で俳句を作ろうとしている。俳句に575が必要なのかとも言っている。「これは俳句です。」と作った人が言えば俳句なのだ。そんな時代になっている。そのとき、なぜ、詩と言わないでわざわざ俳句を持ち出してくるのか、不思議だ。詩ではなく、俳句を作りたいからと言ってもよくわからない。賞をとる俳人ほど勝手なのだと思うほかない。勝っ手できるので俳句やってるんじゃなかろうかと。真面目人間は思ってしまう。

10月13日(木)

曇りのち雨。
秋雨の明けてたしかな朝の雨     正子
店頭の林檎照るなり雨が降り     正子
しめ鯖買いどこか心の祭めく     正子
●一日同じような気温。
●敬二さんから電話。リハビリに病院に通ったときは、俳句を3句作るのがリハビリだという話。奥さんの話では、前向きになって、楽しいということ。何よりですと返事。
●小さいアクセサリー入れ用の袋を縫おうと思い、製図と縫い方を雑誌でみる。裏を付けて縫う方法が、目からうろこの縫い方。小さいものながら、こんな縫い方を思いつくなんてと感嘆。俳句でこんなことを思いついたこともないから、まだまだプロ俳人には遠い。

10月12日(水)

曇り
●俳句を作るときに、一番迷うことは何かと考えると、イレギュラーと言われる場合のこと。現実、字余り、字足らず、句跨りは、生活や思想の多様化によって起こりうる。日本人の思想はどのように変化しているかを知らないと問題解決は難しい。季語についても歴史的に季節がどのように扱われて来たかも考察しなければいけない。四季の巡る自然のなかで暮らしていると、季節に関係あることに実際は二つも三つも同時に経験することは普通にある。その中から一つ選ぶには無理な場合もあるが、表現効果上一つが選ばれることが普通である。主な問題は二つ。①定型の逸脱(字余り、字足らず、句跨り)②季語の重なり。
俳句を形式的にのみ捉えると、よく勉強する人は、イレギュラーに目くじら立てて意味をなさない句を平気で作っていることがある。負かされるのは私である。虚子は、俊英と、普通の人に俳句を教えるとき、教えることが違っていたということはよく耳にすることである。俳句表現の効果上のことが、俳句の約束のようになっている現状は悩ましい。俳句よりもなお形式を重んじる茶道や華道もその粋に達すれば自在な境地があるのだろう。
俳句を文学とするか、文学としないかで違ってくる。文学とするなら、新しい俳句が生まれてしかるべきと思われる。今「俳句は一体何をしているんだろう」と、今朝、夢を見て思った。

10月11日(火)

晴れ
満月の高く昇りて風はさみし     正子
満月とひとつの星との異郷の夜    正子
満月に襖のすべる音さやか      正子
●昨日29度位になる予報。それほど上がらず、夜には気象予報士が苦笑いを浮かべお詫びをする場面も。今日は秋晴れで暑くも寒くもナシ。
 

10月10日(月) スポーツの日

朝、雨残り、午後曇り
からすうり雨のち寒さ急なりき  正子
舞茸にしみじみ味あり茸飯    正子
菱形の形たしかに水草紅葉    正子
●10月月例ネット句会入賞発表。
●公団に散歩にでかけ、ぎんなんを一つ拾う。銀杏の木を見上げれば、葉隠れにたくさん生って熟れている。
●芒が呆け始める。芒を折ろうとして折りとれたことがない。手に何ももっていなく芒が欲しければ、穂先の部分をすっと抜く。「芒を折りとる」有名な俳句がある。これを信じて折ってみたが芒は折れない。それとも「芒を折る」は違う意味か。じっさい、蛇笏の句のように折りとってみたいものだが、はらりとおもい芒は、開いてまもない芒ではないか。折りとれるのは、茎が乾いてでもなければ、、。矛盾はあるものの、詩としては、蛇笏の句のようでなくてはならない。
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
海鳴りのはるけき芒折りにけり     木下夕邇

10月9日(日)

月白に蓮根さくっさくと切り    正子
落花生甘藷のわきに掘り出され   正子
活けてある芒呆けて秋深む     正子
●10月月例ネット句会
●栗おこわを炊く。料理番組を見て、揚げをみじん切りにして少し入れた。栗がないところに小さく揚げがあって、味の落差が解消されている。
●秋刀魚の不漁が言われる。秋刀魚が出回り出したので、栗おこわのおかずは、秋刀魚に。スーパー1件では決め難く、2件を見て太い方の秋刀魚を買う。食べてみると脂のりが悪い。焼いている時も煙が上がることもない。脂が少ないせいか、アツアツでもない。夕方句美子が来てそれを言うと、「鯛があるから秋刀魚はもう買わなくていいよ」と。「パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない。」と似ているような。違うのは、要は、そこまでして秋刀魚を食べなくていいということ。鯛が手ごろになり、おいしい秋刀魚が手に入りにくくなった。
●駒林神社の秋祭り。早朝5時半ごろ神社に行って見ると灯も灯っていなくて暗く、即刻帰る。昼、神輿が通り過ぎたのも気づかなく祭りは終わった。

10月8日(土)十三夜

杜の樹に提灯かかげ里祭り    正子
宵宮の杜を照らして十三夜    正子
里祭りふうせん売りの日焼けなお 正子
●今日は宵宮。午後信之先生を連れ出し駒林神社まで散歩。提灯が飾られ、神輿が2台据えられて、水ふうせんを売る人も来ていた。お茶を運びこむ人が石段を上がっていった。門前に赤い提灯で門を作って掲げられている。本殿は灯がともされ、新しい注連縄が張られている。歩いたのは往復1700歩。300m。駒林神社まで意外と近い。
●約束のスイートポテトを作るためにさつま芋を裏ごしし、味付けをして冷蔵庫に保存。明日すぐ焼けるように準備。今回は紅あずまなので、味がどうなるか。好みの分かれるところ。舟和の芋羊羹は紅あずまというのが分かっている。