晴れ
●明日の2月月例ネット句会の準備。
●昼過ぎ、延長コードを買いにノジマへ。今日は丘を越えて日吉まで歩くつもりだったが、無意識に赤門坂へ足が向いていた。赤門坂の空き地は造成され、新しい家が立ち並んでいる。ノジマで延長コードを探しているうち暑すぎて気分が悪くなった。コートを脱いでも暑いので、化粧室でセーターを脱いだ。他のお客は分厚いコートを着て平気で歩いている。コードは5mのを買ったが、手にして重い。これは本棚の裏をとおして仏壇のライト用に使う。
●夜、美知子さん、晃さん、秀之さんに電話。雪がちらついたり、少し積もったということだった。美知子さんとは60年近く前の学生時代の話。そのころ、松山は文化的に田舎だったと。思い出して見れば吟行の時、野良犬を一緒につれて畑寺から石手寺へと歩く道は舗装されてなく、道端には草が生えていた。もうその時代には帰れない。そのころ東大や京大を卒業して愛媛大学に次々赴任されてこられた若い先生方は、松山がどんなにか田舎であると思われたのではと思う。
晴れ
●眠ったのが午前2時ごろ。眠ろうとして眠れず、そのまま目を覚ましていたと思う。気づいたら、5時前だったので、起き出して、昨日林檎を炊いていたので、アップルパイを焼いた。200度で20分焼いたが、気温が下がっているせいか、いつもより、焼け具合が弱い。昨日材料の半分包んで嫌になって止めていた餃子の残りを包んで冷凍した。この辺は一人暮らしの気ままが通る。それから大根葉と胡麻と塩で菜飯の素を作った。
●朝、みよさんから花冠のバックナンバーの注文があったので、レターパックで送った。
30周年記念号、合同句集『泉』、花冠No.365,366、367、368、369、370。
●一日家で編み物。75センチ角のひざ掛けが出来上がる。夕方、ユザワヤへ注文していた毛糸を取りに行く。この毛糸5玉買ったので、「まとめ買いで安くします」と言いながら、レジをカチャカチャ打って、値引きしたレシートをくれた。毛糸のバーゲンをしている。買いたい気持ちを抑えて、秋になって新色がでたらそれを買うことにした。寒波が来ている間中編み物をしたが、あと一枚子供ベストを編んで終わりにしよう。
●髙橋正子の俳句日記の文章を生成AIでチェックした。AIは、「日本語、日本文化の影響と英語の文法と言葉の影響を受けて論理的で、短い文のリズム感は英語の影響」と言う。英語の影響は意識下のことなので、恐れ入った。そこまで見破るかとも。
晴れ
●全国子ども俳句協会、インターネット俳句協会、インターネット俳句コンテスト協会の三つの協会は現在活動を休止している。今後続けるかどうかは未定なので、口座管理の事務が残されている。活発に活動したが、終わりにするには、始める以上に困難がある。
●寒波の居座りが長い。ここは雪こそ降らないが、冷えている。暖房をつけなければ、北の部屋は10度に下がっている。普段なら着れば暑いセーターを着てちょうどよい。
●同級生からメール。先日送った去年の花冠が届いたということ。せっかくなら読んでわかる人にあげたいと言って、古典講座の講師の先生に差し上げたとのこと。この講師の先生は妹の高校の同級生。先生も妹からではなく、私の友人から花冠をもらったことに、面食らっておられるかもしれない。
●山田五郎氏のYouTube「大人の教養講座」を時々見ている。絵画の話で、面白くてためになるので、今日は「鳥獣戯画」と「青木繁」を見た。忘れていた話も思い出したり、ニッチな話題も飽きさせない。
「鳥獣戯画の本物は京都博物館にあって、複製が高山寺にあると聞いたことがある。今日の話にそのことは出て来なかった。高山寺の中興の祖の明恵上人が「あかあかやあかあかあかやあかあかや月」と月を詠んだことをふっと思い出した。
晴れ
街までを寒波の底を歩きたり 正子
包まれし紙を湿らせ冬野菜 正子
寒波来て菜飯のための菜を茹でる 正子
●寒波で外は冷え込んでいる。こまごました用事があるので、日吉まで歩いて行くつもりで歩きかけた。はじめは顔が冷たい程度だったが、体まで冷えてしまいそうな気がして、10メートルも歩かないうちに、電車で行くことにした。これは正解だったかもしれない。
●松山の文学サロンでもあった珈琲屋さんに連絡が取れて一安心。お店は続けられるそうだ。笑顔が素敵で、働き者の奥さんはオールドママと呼ばれて、お店に出ておられるそうだ。大きな円形テーブルは老舗珈琲屋さんのシンボルだったが、お店が今のところに変わり、半分に切り落とされて店内に収まっている。浅炒り珈琲は横浜に越してきても時々郵送してもらっていた。
<リルケと俳句と私>
『マルテの手記』(大山定一訳/新潮社)に「ある月の景色」があった。「小さな月の力に、いまさら僕は驚かされた。」は、俳句を作る私にとっては、俳句を作る動機であるが、私は書き表わさないであろう。それに続く月の描写は次のよう。
「月の夜はまわりのものが透きとおって空(くう)に浮かんで見え、きらきらする空気の中に浮き出ず、しかもはっきり見えるのだ。すぐ前にあるものが、はるかな遠方の響きに溶けあい、ただ遠くに見えるだけで決して手もとへ迫って来ない。川や橋や長く続く道や広場など、すべてが茫とかすんで、遠方との奇妙な関係を結んでいる。景色はなんとなくはるかな距離を獲得して、絵絹の上に描かれた風景のように、深い奥行きの中に広げられるのだ。」
ここを読んで、明らかにこの月はヨーロッパの月、であると思った。フランクフルトで見た月は余りにも広い空を渡り、月は小さかったことを思い出した。月が小さい印象なのだ。
曇りときどき晴れ
旧友へ手紙書くとき雪もよい 正子
お花代用意していて雪もよい 正子
読み更けて背筋寒波に冷えており 正子
●寒波が来ているが、それほどの寒さではない。それでも用心して家で毛糸を編んで過ごす。昨日午後から編み始めたのを明日までには完成させたい。
●花冠7月号の花冠のなかの専門家に話を聞くシリーズに、晃さんに登場いただくことにしで、電話で依頼した。体育の専門からの話になる。「言葉と身体」あるいは「言葉の身体性」で書いてはどうでしょうかと提案。乗り気で書いてもらえることになった。
<リルケと俳句と私>
(一)『新詩集』(Neue Gedichte)(1907~08)より
リルケの『新詩集』は事物詩と言われている。以下は『新詩集』を読んで気づいたこと。
①「リルケの深さ」について
『新詩集』の「愛の歌」は本詩集の第3番目に置かれた詩である。一般に「愛」を歌う詩は数多くあるが、愛の詩人とも呼ばれるリルケのここに詠まれた「愛」は、単に互いの魂を触れ合わせることでも、二つの魂が一つになることでもない。それぞれの魂は弦楽器に張られた弦のように触れ合わない。そして誰かが二本の弦を奏でるとき、はじめて愛の歌となって響き合う、というものだ。リルケの独創的な視点から詠まれているが、それぞれの魂の奥深さと独立性を歌い、それぞれの魂が直接触れ合うのではなく、誰かの腕によって奏でられ愛の歌となるのだ。「誰か」の解釈は読者にゆだねられている。ここは読者に、経験をもとにということもあろうか、深く考えさせ、想像を許している。(続く)
曇り
●2月第1号として、ネット短信No.437を出す。「2月月例ネット句会の案内」と、「アンソロジーへの参加者募集」の件。
●午後手芸店へ。青みがかった貝ボタンを買い、コットンの編み糸を5玉注文し、バーゲンのオフホワイト毛糸を10玉入り一袋を買った。明日からの寒波の流れ込みに備えて家籠りのため。編み癖がついている。この10日ほどで、ベストとケープを編んだが、あともう一枚ベストを編むつもり。それに75センチ四方のケープと同じ模様の用途万能のもの。他の予定を組んでいたが、それは10日過ぎから始めることにして、今はせっせと編んでいる。
●故郷の同級生からメール。先月送った花冠1月号を1時間ほど読んだとのこと。長く続けているのが素晴らしいと誉めてくれた。それはありがたいが、彼女も俳句教室に通っていたと言っていた。もっとじっくり読むからとも書いてあった。彼女の作っていた俳句を知りたいが、それは次の連絡で教えてもらうつもり。
曇りのち晴れ
節分の夜の電車にコントラバス 正子
受験生スーツケース引き歩き 正子
●今日は雪の予報だったが、朝冷たい雨が少し降って止んだ。八王子あたりは雪が降ったようだ。
●今年の節分は例年より一日早い今日になった。スーパーには恵方巻がたくさん積まれて、この光景は当たり前になっている。わが家では生協に頼んでいたハーフサイズの冷凍巻きずしが届いているので、これを食べる。恵方を向いて食べることはしない。
●子供のベストにボタンをつけ、ケープを完成させた。ケープに付ける1個のボタン。このボタンは裏側に付けると編み図の説明にある。裏側につけ折り返し表になるようにボタンを嵌める。思いつくまでしばらく考えた。
曇り
●今日は雪かと心配したが、雪は明日らしい。中学受験の日なので、昨夜からひとりで気を揉んだ。受験の日が悪天候だったら、それにどう対処するかが、合否にかかってくる。受験シーズンは急に天気が荒れたりする。それでも今日の天気なら、無事に受験できただろうと、これも一人得心している。
●花冠1月号の読後の感想を発行所ブログに書き込んでくれるよう、ネット短信で依頼した。お陰で、みなさんが、活発に書き込んでくれた。フィードバックがあるのは、嬉しいという気持ちの問題だけではなく、文章は読まれて完成すると言うものではなかろうか。
●3時ごろ横浜のジョイナスにボタンを買いに出かけた。創作意欲を掻き立てる手芸店があるというネット情報があったので、期待してでかけた。ネット情報なので、心配したが、案の定その店はなかった。売り場の地図で確かめたが、確かになかった。しかたなく高島屋の手芸店に行って貝ボタンを4個買った。その値段、18mmのも20mmのも、一個200円。本物の貝で作っているからこの値段なのだろう。昭和のシャツは当たり前に貝ボタンだったことからすれば、高い。貝ボタンは貝のパールのような光が気に入っている。貝ボタンよ永遠なれ。
晴れ
裸木となりし銀杏に芽が太り 正子
グランドへ飛び込む枯木の鵯は 正子
林檎煮て林檎の匂いの台所 正子
●大垣市の「奥の細道むすびの地記念館」の「共鳴」に「一章に心落ちゆく夜の秋 髙橋正子」(No.372 1月号)が掲載される。この句は自分では大切にしたい句なので、採用されて単純にうれしい。よく採ってくれたと感謝。
●中学の同級生から電話。花冠とお礼の手紙を送ったのが届いて電話をくれたのかと思いきや、そうではないとのこと。彼女も俳句を作っていたけれど、みんな10年選手なので、落ちこぼれて止めたとか、冗談交じりに話してくれた。みんな人生一通りの経験をしていることなどは話してくれた。
石州和紙を漉いている人にひとめぼれされ嫁いだ友達のことも聞いた。ご主人がブータンに紙漉きの指導に行き、帰国してから、国王夫妻から夫婦で招待されブータンに行ったとか。他にも病に病を重ねている友人とか、癌で10年も苦しんで亡くなった才媛の友人とかの話も出た。元気だろうとか、人生順調だろうとか思っていた友人がそうではなかったり、人生複雑。
そう思うと、私など少々薬は飲んでいるものの、普通に歩けて、普通に元気なのは稀かも。帰省中に会ったときは、「言葉は悪いけど、残った者勝ちよ。」と実感から言っていたが、実際そういえばそういうことになる。
●子供のケープがあと少しで出来上がる。少し解いてやり直したので、今日できる予定が明日になりそう。編んでみると糸だけの時より、かわいい感じになった。