12月31日(火)

晴れ
剪りくれし水仙の白にまじりなし 正子
水仙のしずけき奥に年移る    正子
水仙の二花の白さに年あらた   正子

●月例ネット句会の賞品が届いたと連絡がある。電話、メール、発行所ブログのコメント欄への書き込みなどがあって、ほぼ全員に届いていると思われる。

●お節を作る。八つ頭を剥いて手頸までかゆくなって慌てた。里芋でかぶれるのだから、八つ頭でもかぶれるのは当然なのだが、すっかり油断していた。この八つ頭は22日の寿餅会のときに境内の野菜の即売会で買ったのを保存していた。すこし色が変わったところもあったが、そこを大きく切り取れば大丈夫で、ホクホクに煮えた。おいしい。

●スーパーから帰る途中、近所の奥さんが庭で鋏を使っているところに出会った。今日は暖かいので、「剪定ですか」と聞くと、「お花が高いから水仙を切って活けようと思って」と言って、切りかけの水仙に少し足して一握りにしてくれた。ようやく花が咲きかけたところで、花は二つ咲いている。花がみずみずしい。帰って仏前に供え、残りは玄関に活けた。ようやく咲きかけた大晦日の水仙は貴重な花。何のお礼をしようかと思っている。
今年がいよいよ終わる日に水仙をもらったのが、最高にうれしかった。まさか、それほど親しく思ってもらっているとは、想像もしなかったから。これらの二重の意味でうれしかった。俳句葉書とコーヒーを喜んでくれる人が、例えば20人のうちにひとりいたとしたら、それは送ったことに意義がある。みんなに意義があることは、ほとんでない。意義は一人にとって、意義であれば、それでいい。

12月30日(月)

晴れのち曇り
●一年の感謝を込めて、月例ネット句会の賞品を送っていたが、皆さんの手元に届いた連絡が入る。郵便事情で、遠いところも近いところも今日届くようになっている。

●正月のお供のお菓子、何がいいのだろう。今日街に行くと源吉兆に年賀のお菓子を売っていた。2種類詰め合わせて絵馬が蓋になっている。おめでたい感じなのでそれを買った。仏具をきれいにして、葉牡丹、菊とカーネーションなどを立てて、お餅、お菓子と果物を供えた。仏壇は正月を迎える準備ができた。買って来た花に松が入っていたので、この松は玄関の花にする。明日薔薇を買ってきて松と合わせて活ける。

●昨日から炊いていた丹波の黒豆が柔らかく煮えた。明日、お節を作る。あかぎれが少し治ったので楽になった。11月に帰省した時に持ち帰った残り毛糸で、普段使いの自分のマフラーを編んでいる。中細毛糸なのでなかなか編み進まないが、厚さとしてはちょうどいい。年末は頭を空にしたい。

12月29日(日)

晴れ
年暮るるみどりの菜飯の塩加減  正子

●今年最後の日曜日。今日餃子を食べたい人から作ってくれるように注文があったので、100個作る。冷凍庫に豚ミンチ500g、冷蔵庫にキャベツ半切りが2個ある。買うのはニラ二把、皮100枚なので、お安い御用。スープは中華スープではなく、ポトフ風の蕪とブロッコリー、人参、ソーセージのスープ。ご飯は菜飯。蕪の葉を茹で、塩と白ごまで。一番おいしかったのは菜飯。餃子を取りに来た人に少し味見に装うとお変わりが欲しそうなので、一膳よそおう。これほど素朴なものが美味しいのは塩と白いご飯と菜っ葉の見た目の緑としゃきっとした歯ごたえ。塩は、尾道の向島の瀬戸内海の海水の天日粉砕塩「シェフの塩」(奥谷茂雄作)。

●掃除の休憩に椅子に座ったまま置いてある一番上の本に手を伸ばしたら『ドゥイノの悲歌』だった。偶然開いたところが「第九歌」。唸ってしまった。一生に一度の大発見をした感じだ。だれがリルケを難しいと言ったのだ。これほどわかるところはないのに、と思いながら、リルケ受容のありかたに別な方向があるのではないかと。年も押し詰まってなんということか。

12月28日(土)

晴れのち曇り
門松の松黒々とデパートに      正子
鳩サブレを買う行列の着ぶくれて   正子
注連飾り離れて見ては良しとする   正子
●高齢の広島の叔母から信之先生へのお供が届いたので、鎌倉のお菓子と花冠1月号などを送った。つぎつぎすることが出て来る。

●今日10時ごろ日吉の東急に行ったら、立派な門松が立っていた。こんな立派な門松はこれまで見たことがない。帰ってわが家にも玄関に注連飾りをつけた。年末の家事はあるが、あかぎれで指が痛いので、あす炊く黒豆の準備だけした。そのあと鍋つかみと、小さい袋を縫った。鍋つかみは自分で綿を挟んでキルティングして、バイヤステープで縁をくるみ、袋は20センチのファスナーを付け、裏地を付けて出来上がり。すぐにて来たので,俳句葉書の残りに筆で句を書いて練習。書くけれど上達するわけではない。線がダメなのだ。線が決まらない。気の弱さが露呈している。

12月27日(金)

晴れ
●整形外科へ午前中、定期健診。午後家の片づけと、正月準備。正月用品ではなく、足りなくなりそうな普段のものを買う。
●信之先生の俳句絵葉書、俳句葉書き、扇子揮毫俳句を整理。坊っちゃん劇場で美知子さんの息子さんが虚子役を演じた「正岡子規」を鑑賞した時の俳句を書いた扇子が出てきた。美知子さんに送るように準備した。その後、夕方4時近くであったが、横浜の高島屋へ出かけた。正月前なので漆器が色々あるのではと思ったからだ。デパートに漆器や陶器類が少ない時は幻滅する。輪島塗の夫婦箸をお祝いに買った。輪島塗は今生産されていなく、注文しても入荷しないとのこと。一点しかなかったので、それを買った。「観桜月」と名がつけられ、桐の箱に入っていた。
「いたどり」時代の臥風先生からの松本功さんへの葉書、かまつかの加藤志偈夫さんからの水煙へのお礼の葉書のファイルを整理。志偈夫さんの葉書は、平成2年から5年で、昭和から平成に移ったころの俳壇の事情がよくわかる内容。今では大変貴重なもの。すでに30年が経った。功さんへの葉書もこれも臥風先生の貴重な葉書。加藤志偈夫さんの葉書の文面は花冠に掲載する価値があると思える。毎月なのでかなりの枚数。
●トゥルン・ウント・タクシス=ホーエンローエ侯爵夫人は、リルケのパトロンとして知られる。今日、ネットニュースを見ていて、「世界の美しいウェディングドレス」のYou Tubeがあったので、どれどれと言う感じで見た。お妃や王女さまのウィディングドレス姿である。どれもたっぷり布が使われている。「女性の美」と言えば、大英博物館のアフロディーテの像が目に浮かぶが、それを美の基準に置くのは無理だとしても、美しい写真が並ぶ。それらの写真に〇〇・〇〇 フォン・トゥルン・ウント・タクシス王女のウェディング姿の写真があった。奇抜なドレスとして紹介されていた。

フォンは貴族の名前に付くが、いまもトゥルン・ウント・タクシス家の王女として紹介されるのには驚いた。貴族の階級は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵と順に続く(ちなみに公爵はウィリアム皇太子など)。トゥルン・ウント・タクシス家は中世から続くヨーロッパの名門貴族。郵便制度を確立させるなど重要な役目を果たし、巨万の富を築いたと言われる。侯爵夫人自身も裕福な家の出身で、夫は銀行家、不動産投資家である。侯爵夫人自身ダンテの神曲を訳したり文学が好きであるが、文学の質を見分ける目も高かったそうだ。リルケなど若い文学者のパトロンとして、社会的にも認められていた。

下世話な話だが、夫のいる夫人が若き詩人のパトロンになることを夫はどう思っていたのか気になるが、十分理解して、何の問題もないようだ。むしろ、誇りに思っていたのかもしれないと想像する。ヨーロッパでは、詩人は神と人間を繋ぐ中間の人として高く評価されている。アドリア海に面した彼女の居城は、海の崖の上に立つ孤城だが、リルケの「ドゥイノの悲歌」の生まれるに必要な城であった。こうして彼女の名はリルケと共に残っている。

12月26日(木)

晴れ
水仙の白き花のみ描く葉書    正子
残り日のゆたかに在るは朝日射し 正子
残り日にペチュニアの白まだ咲いて 正子
●月例ネット句会の賞品を発送。30日(月)に届く。
歩みより梅の匂いの中に入る  信之(コピー)
鉛筆をけずる木の香の春めくを 正子
 ドイツ
鐘の音のわれをつつんで夏空へ 正子
運河ゆく汚れし船もみな涼し  正子
山小屋の湯にいて秋の笹の音  正子
天竜川(てんりゅう)の水あおあおと冬はじめ 正子
以上5句ずつと、キーコーヒー。

●お年玉を送る。これは明日届く。受験生なので「落とし玉」とならないように、表にはMくんへおばあさんより とだけ書く。こういうお年玉用の袋を売っていたのだ。開運シールが付いていて、そのシールをめくると何か書いてあるようだ。多分「大吉」とかだろう。

12月25日(水)

晴れ
クリスマスの街に出て買う和紙はがき  正子
クリスマスケーキを花のごとく売る   正子

●月例ネット句会の賞品を用意。俳句を葉書80枚くらい書き、落款を押した。落款は必要ないが、赤い色を足すために押している。
信之先生の俳句葉書は二輪の紅梅と3つの蕾を描いた「歩みより梅の匂いの中に入る 信之」を選び、鳥の子用紙の葉書にコピーした。

次にドリップコーヒーを用意。送料の関係で、5袋か6袋になる。明日郵送できるようにパッケージ。年内に届くか、どうか。30日か31日には届くか、または年賀便になる。

12月24日(火)

晴れ
聖イヴの明星空に高く出で      正子
On Christmas Eve, a star rises high in the sky. This haiku paints a picture of a quiet, sacred night with the appearance of a significant star, reminiscent of the Star of Bethlehem.
聖イブの暮れたる街をベランダより
  From the veranda, the city on Christmas Eve is twilight. This haiku conveys a sense of calm and introspection as one observes the city's gentle transition from evening to night, perhaps filled with the soft glow of holiday lights.
(Both haikus create a vivid scene of peace and wonder, perfect for the contemplative atmosphere of Christmas Eve. )
●今日も冷え込む。午前中、そごうの鳩居堂へ葉書きを買いにいく。ぼかしの入ったのを4種類計80枚買った。それにお年玉袋。受験生用に「落とし玉」にならないように、「あげ あげ」と書いたお年玉袋があった。それもどうかと思い巳の絵だけのを買った。しかし、何と書いて渡そう。「運気 あげ玉」とでも書きますか。

●午後は晴美さんがお茶に招待してくれたので、二人でシュトレンと紅茶で楽しく過ごした。苺を持参した。ワインとポトフ、柚子大根のサラダ、柿など果物。お赤飯の炊き立て。これはわざわざ炊き立てにしてくれた。圧力釜で15分で出来上がり。とうとう宵の明星が出るまでいて、ベランダからの夜景を見せてもらった。クリスマス・イブらしい夕焼けと明かりの灯った街の景色だった。それに炊き立ての赤飯のお土産を胡麻塩までつけてもらった。

●花冠1月号がみんなのところにやっと届いて、届いた連絡が入る。このごろの郵便事情には気が気でない。20日午前中に出したものが、24日に届く。この配達日数に慣れていない。敬二さんが朝一番に電話をくれ、祥子さんは書き込み。名古屋や秋田には昨日届いたようだ。近くは洋一さんやますみさんから。今日は京都や松山からも。この分ならみんなのところに届いている。

12月23日(月)

晴れ
●寒波の来襲で冷え込んでいる。自分で調合した粉で蒸かし饅頭を作った。100gの粉なので、出来たのは4個。出来立て2個を今日のおやつに。残り2個は明日のおやつに。明日は、美味しいシュトレンが送られてきたからと、一緒にお茶をと招かれたので、友達のところに出かける。何を手土産にしようか、思いつかない。AIに聞いたら、みかんとか、苺とかがシュトレンにあうと言うので、苺を持って行くことにした。
●正月が近くなると子供にもすることがあった。祖母の手伝いで神棚の清めをする。神様のいる社の扉が開いたところを見たことがない。そこに神様がいるのか、どうか。一度見てみたいと思うが、開けるのが怖い。小学2年生のときだったか、近くに住む伯母に、神様見たさに開けてもよいかと聞いたら、笑いながら「いい」と言ってくれた。開けると、何もなかったし、誰もいなかった。その空間は、少し奥行きがあったが、神様を見ることにはならなかった。神棚を見るといつもこの時のことを思い出す。正月には松を飾り、小さい鏡餅を供える。

12月22日(日)

晴れ
墓参の車窓刈田明るく広がれる 正子
冬野とは遠きものまで輝きぬ  正子
手向けたる冬菊一つの花が落ち 正子

●お寺の寿餅会に元と出席。そのあと墓参。寿餅会も墓参も一人で行こう思ったら、元が来ると言うので一緒に出席。お土産に、蜜柑、ぼたもち、切り餅を頂いたので、お墓に供え、下げて持ち帰り、仏前に供えた。
寿餅会はいろんな宗旨の人たちがいるがお経は「なみあむだぶつ」だった。元が浄土真宗のお経だよ、と言う。この子いつこんなことを知ったのかと。手には父親の形見の数珠を持っていた。

お寺の境内には一袋なんでも200円の野菜が売られていた。八つ頭2個とキャベツを買った。キャベツと八つ頭ひとつは元に持たせ、残りの八つ頭は自宅用に持ち帰った。元が八つ頭の名前を「なんだっけ」と何度も聞く。私の舌には、八つ頭は里芋よりおいしいと思える。(八つ頭も里芋の一種ですが、ここで私の言う里芋は一般的に広く出回っている愛媛なら「女早生」などの里芋のこと。この里芋も掘りたてはほっくりしておいしいのは事実ですが。)
●自分の中によく湧いてくる思いは、いったい何であるのかよくわからないが、一つの傾向をもっている。それが「哀愁の想い」であるのではないかと気づいた。