11月20日(水)

時雨、降ったり止んだり

朱に眼凝らせば垂れる烏瓜   正子
銀杏黄葉大樹それぞれ違う色  正子
髪切ると冬がうなじに忍び来ぬ 正子

●時雨のなかを2丁目の山路を歩いて日吉の商店街へ。ほんの少しの山路に落ちている木の実や黄葉が時雨に濡れて光っている。だれもそのことを知らない。帰りも歩いたので、山路でめずらしく買い物の荷物を肩に掛けた主婦に合った。すれ違いざまに挨拶をしたが、息を切らしていた。

●生協の配達。野菜のセットを間違えて2セット頼んでいた。蕪や小松菜、ニラ、キャベツ、胡瓜、レタス。蕪は千枚漬け風に、小松菜は湯がいて冷凍。キャベツとニラは餃子に、レタスはどうしよう。

●編集したり、リルケの薄い本を読んだり。日記に載せる俳句を作ったり。俳句は上達しない。上手い人ははじめから上手い。生協の正月用品を見て、金沢の押しずしと鯛に印をつけて置く。 冬のスラックス、緩いゴムを切ってちょうどよくした。2センチくらいのことなのに、すっきりした。

11月19日(火)

晴れ
異郷にて柚子の黄色の目立つなり 正子
柚子の黄色青みがちにも鈴なりに 正子
●昨日は北日本は雪、今日も長野や新潟では雪。十二月並みの気温。日中13度。図書館へ本の返却。駅前広場は日当たりはいいが、となりの花壇はすっかり日陰になっているが。紫系のめずらしい花がいろいろ咲いていて、秋までは気づかなかったが、この花壇はビルの北側になっている。南がどちらか、今日気づいた。歩く人の影の倒れる方向を確かめた。

今年は図書館通いを今日で終わりにする。花冠の編集と年末の家事で図書館に通う時間がない。必要な本は文庫で数冊手に入れたので、これを読んで過ごすことに。自分の本でないと、ちょっとしたところを読み落とすことはわかっている。

●晴美さんから電話。シュトーレンが届いたら、一緒にお茶をと誘われる。それは12月のことらしい。私のほうは、センター北のクリスマスマーケットに誘った。「クリスマス・マーケットって?」と言うので面食らったが、近くであるのに、知らなかったようだ。ドイツ学園の人たちが毎年2日間だけ催してくれるこの小さいクリスマスマーケットを楽しみにしている。

●花苗を買ったまま、どの色の花を組み合わせようか迷っていた。Aiに聞いた。ピンクか黄色かどちらかの花はどうかと言う。それでクリーム色のすみれを一株加えて、落ち着いた。スイートピーの本葉が数枚になったので、本植えをした。「まかぬ種は生えぬ」は良く思うこと。春に切り花にできるがたのしみ。

11月18日(月)

曇り

●循環器の定期診療。9時半の予約。病院に行く前に洗濯物を干そうとベランダに出ると、昨日と変わって冬が来ている。寒々と風が吹くので、ピンチでしっかり止める。すぐにバスの時間に間に合うようにバス停にゆくと、少し違った気配。バスの時刻表を見ると、変更されていた。9時7分が、9時5分に。バスが出たあとだった。病院に遅れることを電話しなければ、と思ったとき、歩いて行けばいいんだと思い直した。着いたら5分遅れだったが、それでも呼ばれるまで、少し待った。

●病院の待ち時間、同じフロア―の靴屋と本屋に寄った。靴は衝動買いっぽいが、白のスニーカーを買った。履き口の水色が可愛いと思い、買う気になった。それがホーキンスなのだ。本は『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(高安國世訳/新潮社)と『ゲーテ格言集』(高橋健二編訳/新潮社)を買った。

11月17日(日)

晴れ

●一度書いた17日の日記を消してしまった。もう一度書くが、多分、違っているだろう。

●今日こそは俳句を作るぞと、枕元に歳時記を置いた。歳時記を見る前に、俳句の一句も書かないうちに、寝入ってしまった。

●気温が20度くらいの暖かい日。今日は、料理に私的に専心。料理は作れと言われれば作るし、作れば美味しいと言ってくれるが、ほんとうのところ、好きではないのだ。最近は、他人には料理は嫌いだとはっきり宣言している。それでも、週に一回だけ、まじめに料理するようにしている。今日は餃子と酢豚。わが老人のために、蓮根やこんにゃくなどの煮物。紅白なます。
●夕方、友宏さんが山形からラ・フランスとリンゴが届いたと、今日はラフランスだけをもってきてくれた。仏壇のラ・フランスがちょうど食べごろになったので、入れ替えて供える。亡くなる前、信之先生は歯が悪くなって、ラ・フランスをコンポートにしてよく食べた。それで、好物だった柿と、ラ・フランスとを供えていた。
ちょうど花冠1月号の巻頭抄と作品が編集できたので、友宏さんと句美子の抜き刷りをチェックしてもらう。

11月16日(土)

曇り
冬天の雲の白光窓に入る    正子
木管曲そこいに響く冬の部屋   正子
●一日編集作業。まとめたはずの原稿がパソコン上で見当たらず、探すなどして時間をとられる。全体の目安がほぼつき、前号と同じく70頁ぐらいになりそうだ。『音楽のしっぽ』半ページ残ったが、他の原稿とは合わないので、カットを探す。ディベルティメントK563の第2楽章アダージョがあったので、4小節ぐらいを使う。曲を聞いたがいい。前に貼り付けていたのを操作中消してしまったので、再度探した。

●リュックのポケットに薄い文庫本を入れることが多くなった。以前は、今もそうだが、都会の人は電車に乗った時どうして窓の景色を見ないのだろうとよく思った。今も思う。地下鉄で外が見れないこともあるが、地上に出ることもある。見てないと危険が察知できないではないか。こんなにも空が変化し、あちこちに建築中のものがたくさんあって危なそうだ。そうは思いながらも、このごろは電車で文庫本を読むことが多くなった。都会人化したわけではない。誰と話すでもなく暮らしていると、頼りになる言葉や考えを探そうとする自分がいるのに気づく。おそらく、誰かを探しているのだろう。遠い存在過ぎて、見向きもしなかった、もしや本の中の人かも知れないが、それが誰とはまだわからない。
それで、本を持ち歩くことになっている。

ところが、本を持ち歩いて読むとき、続きが曖昧になって、行きつ戻りつ読むことになる。そうなると、内容より、目に字面を追わせて文体を楽しむことになる。文体の魅力は著者と自分との秘かな息の疎通ができるところだ。これも思いがけず得た楽しみだ。

●『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著高安國世訳)では、「若き女性への手紙」の方が難解だと言われる。リルケ最晩年の手紙であるからが理由のようだ。「ドゥイノの悲歌」が完成したこと、また「オルフォイスのソネット」ができあがった喜びをこの若い女性ハウゼに漏らしている。自分が故郷も家も持たない不安な状態であることも時に吐露している。リルケがこんなことを思いながら、一所不在の生活を続けたことに、心を動かされる。私には「若き女性への手紙」のほうが、具体的にわかりやすい。リルケの心情が知らず,吐露されている。この女性は小児科の院長の娘で愛人と出奔し、一人子供をもうけ、別居して、土地を借り、空と樹を持ち、足りない生活費はピアノを教えるという、ワイマール州で暮らすドイツ女性である。リルケは「あなたの美しい手紙」と度々言っている。特にクリスマス・イヴに届いた手紙はその日にこの上なく相応しく美しい手紙だった書いてある。

作家や詩人に手紙を送るのは、その作品を読み、作家や詩人を知り、自分を理解してくれるはこの人しかいない気持になって文通が始まるらしい。

11月15日(金)

曇り
手の窪にまるく収まるラ・フランス   正子
  夫は柿もラ・フランスも好む
ラ・フランスと柿の色とは相あわず   正子
百合子妃の死をしてストックよく匂う   正子

●ゆうパックを送るのに、初めて郵便アプリを使った。アプリを使うと180円安くなる。初めてなので、窓口で料金を払ったが、宛先ラベルが印刷されて、便利はいい。ほかに持ち込み料と、前送った同じところに送ると安くなり、配送状況の追跡もできるメリットがある。一度利用すればなんていうことはないが、使うまではためらう。

●花冠1月号の雑詠投句を閉め切る。全員の投句があったので、ぼつぼつ初めていた選を今日で終わらせた。巻頭抄と作品ページができあがる。つまり20頁まで。

●Facebookはほとんど見ないが、知らせがあると、少し見る。見ていると、だんだん気持ちが滅入って、落ち込んでくる。人間関係のめくるめく乱舞のように見える。海水浴場のようにも見える。

11月14日(木)

曇り
 湯島天神三句
境内の隅ずみまでも菊咲かす   正子
猿回しの子猿も晴れ着七五三    正子
七五三の着物つややか抱かれいて 正子

●ネット短信No.427を未明に出す。吉田晃さんの「俳壇」12月号、10月号の掲載句、および、12月号のブックレビューのに取り上げらえた句とコメントの紹介。

●湯島神社へお守りをいただきに朝から出かける。今日も御徒町から行った。天気予報は晴れだったが、電車の窓からはずっと曇り空しか見えなかった。いただいたのは、「学業御守」と「健康御守」と「神札」。境内に着くと菊祭りがあり、千輪仕立ての見事な菊をはじめ、菊愛好家や、商店街、企業、それに湯島の小学生、中学生、教職員の仕立てた菊が展示してあった。地域挙げて、天神様の菊祭りに参加と言う具合。境内でテンツク、テンツク、小太鼓が鳴っているので、近づくと猿回しだった。日光猿軍団から来たといって、2歳の猿が芸を披露していたので、少しだけ見た。2歳の猿は子ザルで、まだまだ耳や手が小さい。

●『篠原梵の百句』(岡田一美著/ふらんす堂2024.4)があることを知った。篠原梵が注目を浴びなくなったのは、人間探求派の座談会で、司会の山本健吉と論争して、互いが「許さぬ」ことになったことに始まると聞いている。実際、その理由だけではないが、その後、篠原梵は、人間探求派からはずされている。山本健吉の父親の石井露月と森鴎外の論争も有名で、その思想の違いが、今に至るまで、尾を引いている。梵の俳句が今なぜ評価されないという著者の問に、誰が答えることができるであろうか。露月と鴎外の考えの違いがいまも日本の思想に尾を引いていて、ときどき噴き出すのを見る。臥風先生は鴎外の考えに賛同していた。

篠原梵は旧制松高俳句会出身で、指導者は川本臥風先生なので、私の年の離れた兄弟子になる。句集『葉桜』『年々去来の花』も手元にある。人が世に出るときに、だれかがストップをかけることは、実際よくある。もっと著名になってい良いはずの人は多くいる。その発掘は難しい。梵は一度は俳壇の寵児であった。梵の俳句は新しいが、再評価されるかどうか。梵は帰省の度に臥風先生を訪ね、俳句に執心はあったが、中央公論の編集長に終わったふしもあるのではないかと言う学者もいる。
俳句でも、詩でも小説でもそれを始めたら、終生それに携わったかどうかが、重要なのではないかと思えた。

11月13日(水)

晴れ
うたた寝よりひとり目覚めて冬の昼   正子

●「俳壇」12月号が届く。今月は晃さんの未発表句「月の島」5句が載った。また、ブックレビュー「本阿弥ラライブラリー」に「俳句の杜2024」がとりあげられ、晃さんの句三句が批評に上った。それによれば、「平明な表現に実直な作者の顔が見える。」所属が「水煙」になっているので、信之先生もよろこばれているであろう。

●同じ「俳壇」12月号で、「宇宙」主宰の島村正氏が8月14日に80歳で亡くなられたことを知った。島村氏は見ず知らずの私に『現代俳句1』を贈ってくださった。そのなかに「誓子山脈の人々」があって、丁寧にに読んだ。お礼の手紙を出したら、長い手紙を頂いた。誓子門の谷野予志先生の事をご存じかと聞いたら、話したことはないと言う返事だった。無名の私になぜ著書をお送りくださったのかよくわからないけれど、ありがたく拝読した。

中学の教科書には、誓子、楸邨、鬼城、草田男、子規の俳句が載っていたのを覚えている。特に誓子の俳句にはスタイリッシュな新鮮さを感じていた。その影響か初心のころの作品は谷野予志先生が喜ぶような俳句を作っていた。
コーヒーの匙の上向きすぐ冷ゆる 正子
予志先生は、匙が「上向く」と気づく敏感さに驚いたといい、句会後に英文研究室でほめちぎったそうだ。これは若い助教授の先生からあとで聞いた。ちょっと困ったことになったのである。英詩の時間には、教師からここはどう思うかなど、特別に当てて聞かれるようになったのだ。訳も分からい人に。

島村正氏のご冥福をお祈りする。

●旅行の切符が買えたのでほっとしたが、窓側席は埋まっていた。ウィークデイでビジネスマンでいっぱいなのかもと想像した。東京から名古屋まではビジネスマンが確かに多い。

●普段は洒落気もなくフリースを着ているが、少し寒くなったので、自分で編んだ、正確には編んであげた、グレーのベストを少し前から重ねている。このベストは信之先生のお古。これを編んだのは一昨年か去年か記憶が曖昧。今年1周忌を迎えたので、亡くなったのは去年。
ベストは最初、模様編みにしていたが、ダサいので解いて表編みで編みなおした。そのため、編みあがりが遅くなり、完成したのは1月半ば。それから2か月少し着ていて、4月になると暖かくなって着なくなり、その後すぐに亡くなった。
こう考えると、編み始めたのは一昨年の12月で、完成して着ていたのは去年の1月の半月、2月、3月。去年の今ごろは生きていたと思ったが、もう亡くなっていた。一昨年の今ごろは生きていた。2023年、令和5年5月に亡くなったということ。

11月12日(火)

曇りのち晴れ
   野生化のインコ
冬空にインコ羽裏の色残す  正子
観覧車円に灯点す冬の暮   正子
白菜を大袋に詰め電車の主婦 正子

●新幹線の切符を買いに新横まで。ついでに横浜そごうまで。切符は往復割引が利用できてよかったが、切符の印字を見ると、途中下車できない。せっかくの一人旅なので途中下車して、東福寺へ寄る予定を立てていた。しばらく旅行していないので、勘が鈍っている。往復切符では途中下車はダメなのだ。

●『若き詩人への手紙』(高安國世訳/新潮社)は、若き詩人カプスから送られた手紙は載っていない。リルケの手紙だけ。訳者の高安國世は旅の鞄には、内容が濃く薄い本を入れると言っていた。まさに、『若き詩人への手紙』がそうだ。その『若き詩人への手紙』のなかで、リルケは詩人へのアドバイスに、本はほんの数冊でいい。自分がいつも持っているのはバイブルとヤコブセンの詩集だと言っている。バイブルは意外だった。ヤコブセンを読むためにデンマーク語を勉強したという。ロシア語も学び、トルストイともロシア語で会話し、もちろんロシア文学も原文で読み、フランス語の詩も手紙も多い。生まれたのはプラハなのでチェコ語も話し、母語はドイツ語とのこと。孤独と集我を求めたリルケは、芸術家や文学者と多く交わっている。創作するときは、孤独を重視し、『若き詩人への手紙』にも孤独の重要性を度々述べている。それにより内面の奥へはいっていく。これが重要だと。

『若き詩人への手紙』は一通り読んだ。10通が収められている。1903年2月17日、パリからの手紙に始まるが、初めの数通の手紙が詩人への忠告としてわかりやすい。

11月11日(月)

晴れ
桜冬芽空ゆく雁にふと見ゆる   正子
冬来たり広葉の森の巣箱にも   正子
冬の日の広葉を透けて吾を包む  正子
●11月月例ネット句会入賞発表
みんなの選を見ていると、選は難しいのだと、つくづく思う。昔、先輩諸氏から、「俳句の選はその人のレベルの選しかできない。初心者は初心者の句をとる」と聞かされた。選のレベルが上がらないとよい句は生まれない。よい歳時記を使わないとよい句が生まれない感じもする。

●朝6時ごろ、小鳥を探しに出かけた。夜の雨で鯛ヶ崎公園は湿って、虫が良く鳴いている。小鳥は鵯が鳴いているが、ほかの鳥の声は聞こえない。

昨日繁茂する葛の蔓を足にひっかけて転びそうになった。蔓を手繰り寄せて、歩く人が引っ掛からないように蔓を振り分けて道を作った。今朝みると、一本蔓が道を横切って伸びている。ひっかけそうなので、引っ張るが、どうにもならない。今年の葛はよく茂っている。日本中に葛がはびこっているのだろう。葛粉が無くなるのを心配したが、それより葛の根を掘る人がいないのが心配だ。

●朝、入賞発表の原稿を書くのに寒い。思い切って、この辺で一人用の炬燵を出した。立方体の炬燵は座布団に乗せ、毛布を折りたたんで掛けるとそれで出来上がり。座るのは椅子。椅子に腰かけて炬燵にあたる。お陰で原稿がはかどる。

●図書館へ。『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著/高安國世訳・新潮社)を借りる。ほかに雑誌3冊。「若き詩人」は、フランツ・K・カプス宛て。「若き女性」は、『リルケ』の本のどこかに書いてあったと思うが、今思い出せない。

●『リルケ』(星野慎一著)に出て来るピアニスト、ベンベヌータは『神様の話』に感激し、書店気付でリルケに手紙を出している。これを読んだとき、私は『神様の話』を読んでいなかったので、読み飛ばしていたところがあった。『神様の話』を読んだリルケとベンベヌータの関係がよくわかる。そういう話からリルケは青い目をして、真面目で高潔な人の印象がした。