6月20日(木)

曇り
●夕べは疲れて早々と床に就いたので、窓のあかりに朝かと目を覚ましたときは、まだ午前1時。時間がいつであろうが、目が覚めたとき起きなければ、編集が進まないのはわかっているが、もう少し布団に居たいためにラジオをつけ薬膳料理の先生の話を聞いた。薬膳の先生は、梅ジュースを作ったとか、体を冷やさないようにするのが大事とかいう話をした。
●編集作業がようやく軌道に乗る。乗ったと思ったら、立て続けにしなければいけないこと出て来た。前々から予想できたことではあったが。歩くことも半ば仕事になって、それに小鳥がさっぱりいなくなったて、つまらなくなった。つまらないにしても、大きな欅や桜の木のなかにあるブランコをちょっと拝借して乗って下りるくらいの楽しみはある。

6月19日(水)

晴れ
●山開きが近づいたが、富士山への入山規制が行われる。この規制は、山小屋に宿泊する人には適用されないとのこと。今日、規制のためのリハーサルが富士吉田口で県職員によって行われたそうだ。弾丸登山を防いだり、多すぎる入山者を制限したりする。入山できるのは4000人まで。入山はネット予約し、入山に2000円支払う。富士山だけではないが、山が汚れたり、マナーの悪い登山者がいたりするのは、心が痛み残念に思うこと。山はいつもきれいであって欲しい。
●一週間もしないうちに、ずっと私に会いたいと言い続けた人に会うことになった。2、3年前から言っているかもしれない。会う場所は、私の住む日吉ならと言いつつも全然実現しない。会いたい気持ちは薄れているころだろうと思っていたが、そうではないらしい。そう言伝てくれた友人に、「年上の方だし、こちらから出かけます。」と伝えた。それで三人で食事をすることになった。どんな方なのか。手土産を何にしよう。

●花冠の編集をしているが思うほど進まない。きのう、大雨の中を歩いて帰ったので、疲れているのかもしれない。あまり、進まなくてもいいか、と思いつつ仕事をする。編集をしながら思うことだが、自省を含めて、信之先生が亡くなってからの問題は「句の推敲」の問題が大きい。

6月18日(火)

雨 
  大雨警報
梅雨入り(ついり)ともならぬ大雨道が照り 正子
青葉雨われを歩かせ濡れもさせ       正子
青葉雨若く死したるシューベルト      正子
    
●今日は定期受診の日。帰りは待ってもバスが来ないので、本降りの雨の中を歩いて帰った。先月、毎日8000歩歩くように医者から勧められて28日間2日間を除いてほぼ実践した。平均すると一日8600歩。検査数値が改善。運動不足が一番いけないのだと分かる。

●昨日、図書館にヘッセの本を返却。手元に簡単なメモしかないが、面白かったところを書き残す。ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』は「老いと死」に関するエッセイと詩の本。この本の「ニーナとの再会」のページが面白い。
冬の間数か月間街に暮らしたヘッセが第二の故郷ティスーンに帰って、女友達のニーナに再会する話。おそらく初夏のこと。本文を「」で引用しながら述べると、ニーナは、村の一番辺鄙な丘の村にひとりで暮らしている。ニーナを訪ねるには、夏はシクラメン、冬はクリスマスローズが咲く「難儀な道」を越えなければいけない。ニーナは1927年に生まれの78歳で、「新時代の洗礼をまだ受けていない」。ヘッセは50歳。ヘッセがニーナに会う理由ははっきりしている。ヘッセの目には彼女は模範的老人なのだ。「教会の塀のそばでいつも嗅ぎ煙草を嗅いでいる毅然たる老人の姿の模範なのだ。年齢、痛風、貧困、孤独にしたたかに冗談をとばし、世間にとりいるような馬鹿なまねはしない。卑屈になったりせず、世間など屁とも思わず、最期のときまで、医者や牧師の世話になるつもりのない、という毅然たる老人」の模範。彼女は「石と冷気と煤とコーヒーの匂いと生木の燃える煙の匂いの中にいて、炉に少しばかりの火を燃やす煙のために涙目で、鋭い怜悧な悲しげな」眼をしている。
< ここに出て来る「嗅ぎ煙草」のことはよく知らなかったが、調べると、貴族の間で流行したようで、鼻腔に耳かきほどの煙草の砕いたものを擦り付けてその匂いを嗅いだということだ。ムーミンに出て来る「スナフキン」は嗅ぎ煙草を吸う人という意味とのこと。 スエーデンで始まったらしい。>
ニーナは私にも魅力的だ。彼女の年齢にほぼ同じ私も、彼女ほど腹が座っていないことをよく知った。一時期、世の中をひどく疎ましく思ったとき、「山姥、あれはいいのじゃないか」と思ったことがある。そんなことを思いだした。それから、ひどい雨なので、シューベルトを聞いた。シューベルトを聞く自分は、テスィーンの老女ニーナのように性根が入っていない証拠、と自省しつつ。

6月17日(月)

曇り
日日草夾竹桃たち暑につよし  正子
  昨年
昼顔に熟睡(うまい)の夫(つま)の死にゆくか  正子
  愛媛・北条
浜ひるがお記憶の浜の舟と砂  正子
●恵子さんからはがき。
「ほうたる ほたる 父と母とが 在りしころ 恵子」が書き添えてあった。
●朝一番、梅ジュースを見ると、昨日夜仕込んだばかりだから、氷砂糖が少し溶けかけているだけ。

●今朝は5時なのに日が昇っていた。この時間はまだ日陰が多いので、日陰ばかり選んでURの中を歩いた。槿が咲き始めている。栴檀が立派な木陰を作って涼しそうなところが2か所。URから帰る道の別の団地に、合歓の花が目覚めたように咲いて、泰山木がたったひとつ花を咲かせていた。古い団地なので、昭和も懐かしい合歓や泰山木がある。

●明日大雨の予報。明日が図書館の本の返却日なので、今日返しに行った。延長して借りるつもりだったが、図書整理のため閉館。返却ポストに入れて帰った。「花冠の編集に精出せよ」と言う意味と考えてあきらめもついた。

6月16日(日)

朝小雨、午後晴れ
ぱっちりと目覚め朝(あした)の合歓の花   正子
泰山木白き花を葉が抱き           正子
咲きはじむ宗旦むくげは裾にのみ       正子

●本格的に暑くなってきた。わが家は角部屋なので、部屋の前を誰も通らない。玄関前を洗って、少しドアを開けていたら、北から涼しい風がよく入る。だからまだ今年はクーラーを使っていない。部屋の中はそれほど暑くない。

●夕方、いつもより遅く句美子が来る。Thanks Fatherの包み紙が可愛かったのでとユーハイムのテーゲベックを買って来た。今日は父の日だという。「包みを渡したとき、びっくりしてお母さん顔色が変わったよ」と句美子がいう。たしかに、少し驚いた。仏前に供える。信之先生はテーゲベックは好物で小さい箱なら次々手がでて一度でなくなっていた。柩にも入れてあげたし、好物中の好物になった。晩年はお酒が飲めなくなっていたなんて、だれが信じるだろうか。そんな具合だった。
●梅ジュースを仕込む。2日間冷凍していた青梅を取り出して氷砂糖と交互にいれて梅ジュースを仕込んだ。保冷バッグに保冷剤を入れて仕込んだ壜を入れた。こうしないとせっかくきれいなジュースがとれても、暑さで発酵する。疵のある梅は別の壜に入れて、おととい仕込んでいる。こちらは壜が小さいので冷蔵庫に。

6月15日(土)

晴れ
夏暁の空よりくぐもる鳩の声  正子
リンデの実青葉の寺の一樹なり 正子
夫の亡き夏となりけり何につけ 正子
●ほどんとの朝顔の蔓が伸びて巻き始めた。今朝は白いペチュニアだけが涼しそう。午前、センター北のJAの直販所へ野菜の買い出しに。葉つき人参、胡瓜、ブロッコリー、蕪、茄子、キャベツ、山芋。これでエコバッグにいっぱいになって、重い。トウモロコシと枝豆がおいしそうだったが、これらは来週に。
●信之先生の数珠の修理ができたと電話があったので、暑い昼下がりだが、仏壇店に取りに出かけた。京都の数珠屋さんで直すとのことだったが、予定より早かった。この数珠はもとは信之先生の父の数珠。十六の珠にそれぞれ違う仏様が彫られているが、紐が切れて珠がひとつ外れていた。仏壇店の人が良いものだと言う。数珠に合うよう相応の数珠入れを薦められた。見せられたのが、表が黒で裏が柿色。江戸初期の茶人、今井宗薫の愛用した裂の紋様で仕立てていると言う。確かに一目みていい。黒地に七宝つなぎの輪の中に梅の紋と八宝がそれぞれ織り込まれている西陣織。裏地の柿色と表地の黒は茶人好みと言えそう。この数珠は元に持たせる。
八宝がなにかよく知らなくて絵柄が判じがたいが、八宝とは仏教の経典に基づいた、仏教での吉祥を八種類の荘厳具などで示したものとのこと。それらには法螺貝や蓮華がある。

6月14日(金)

晴れ
胡瓜揉み若布と紫蘇と存分に   正子
切西瓜黄色も交え売られたり   正子
梅酒壜わが家を守るごと隅に   正子

●早朝、ネット短信No.420を出す。

●今日はデジカメに撮った去年と今年の写真をL版に印刷した。余分な印刷はしないよう、吟味しつつ。それでもかなりの枚数。去年は俳壇の原稿のために2月の四季の森の写真、信之先生の亡くなるほんの少し前の写真、葬儀や初盆、9月の七里ヶ浜、秋の里山ガーデン、今年の春の里山ガーデン、妹が来たので山下公園、5月の終わりの四季の森公園の菖蒲や睡蓮、翡翠など。スマホの写真はまたあとで。妹に写真を送るのに、L版用のお洒落なアルバムを売っていたので一冊購入。

写真を選びながら、自画自賛だが写真を撮るのが上手になっていると思った。いい写真機が欲しいなどは言わないが、ペンタックスを使っていたころが懐かしい。ペンタックスは何がいいかって、レンズがよかった。佐夜子さんご夫妻が松山に来られたときは、カメラマンのご主人からフィルムを入れるライカをもらった。時代は変わって、使わないうちにデジタルカメラになってしまった。でも大事にしている。

スマホにはこの前アオゲラの写真を撮っている。望遠レンズがあるわけではないので、拡大して見ないとよくわからない。それでもうれしいことに頭にベレー帽のような赤い色がはっきり見えた。これで目撃した鳥は啄木鳥に間違いない。スマホのチョイとが役に立つ。

6月13日(木)

曇り、夕方晴れ
青葉して啄木鳥笑うような声 正子
啄木鳥の頭に赤き色青葉の木 正子
夏空の光に口開けけらつつき 正子
●昼間閉めていた窓を開けると、夕方の空は晴れていた。差し芽をしたポーチュラカが一つずつ花を開いている。朝顔の蔓も伸び始め、一つは支柱に巻いている。
●午後、「俳壇7月号」が届いた。花冠の広告と合同句集『泉』の紹介記事が掲載された。7月号は、「虚子生誕150年」の特集。「ホトトギス」からは、今もって多くの問題が提起される。虚子は女性に俳句の道を開いたが、今の俳人の8割が女性という。昭和40年代、私が俳句を作り始めたころは、8割が男性だった。男性が多いとも思わなかった。
●今朝は5時すぎに散歩にでかけた。鯛ヶ崎公園の丘の道を歩いていると、啄木鳥が木を叩く音が聞こえる。音のするところを探すと、民家の枯れた木にいた。横向きで木を叩いている。そのうちもう一羽飛んで来た。幹をくるっと回っては枝を移る。コゲラのようだ。さらに歩いて、崖っぷちの公園まで来た時、アオゲラだろう、鳴く声が聞こえた。ケラの声はもう聞き分けられるようになった。公園の椎の大木にいる。そのうち近くの枯木に移ったので、よく見えるようになった。もう一羽がやってきて、今朝はここでも2羽になった。
ケラの鳴き声を何とか表すと「キョ、キョ、キョ」でもあるが、「ケケケケ」でいいかと思う。書き表わすと笑い声のようでもある。啄木鳥が笑う鳥に思えてきた。今日は4羽の啄木鳥を見たことになる。帰りにも同じ鳥なのだろうが、欅で「ケケケケ」とよく鳴いていた。
●興禅寺の菩提樹に手を伸ばして花をよく見ると、ミモザが枯れたような花は実に変わりつつあった。葉柄の根元から葉と花の茎が出て、花の下には一枚の細長い丸い葉がついている。デザインされたような小さな葉と実である。持ち帰った葉っぱは押し花にした。実はその辺において乾燥させる。

6月12日(水)

晴れ
紫陽花は青ばかりなり木下闇  正子
古寺のあじさいか細く青き花  正子
●生協の配達で青梅が届いた。今年の梅は出来が悪いと聞いていたが、その通りで、疵や傷みがあるのが、10個ばかり見つかった。よく洗って笊にあげ、蔕(ヘタ)をつまようじでとった。バットに布巾を敷いて水気をとり、疵ものは、傷んだところを取って別に冷凍して、きれいなのは1kgずつビニール袋にいれ冷凍庫に。これで氷砂糖など準備ができたら漬ける。去年の梅は。春先、梅ジュースが欲しくなった時のために1㎏は冷凍庫に入れたままにして、年が明けてから梅シロップを作った。今年は梅が悪いので、夏に飲むのだけに。

●散歩コースは、楽なように、なるべく平坦な道を選ぶ。この町は丘の上まで家が建って、たとえ選んだとしてもずいぶん坂を上り下りする。今朝も一番平坦な道を選んで丘の上の方の興禅寺まで往復した。いつもの崖っぷちの公園までもどったとき、鳥のめずらしい鳴き声を聞いた。大きな声でなので、聞きそびれることはないが、しばらく聞いていた。もしかしたら、ケラかもしれないと直感した。姿を探して、鳴き声のする大木を見あげていると、枝に姿が見えた。そして急に飛んだ。飛ぶ姿を見て、ケラであることを確信した。さほど離れていない大木の枝に止まったので羽の色を見ることができた。枝を移り、ただ鳴いている。しばらく鳴いてすぐそばの小学校の校庭の木に止まった。そしてすぐまた、校庭の一番端の桜の木に止まった。この町にはケラがいる。これで三度目の目撃だ。

6月11日(火)

晴れ

●『人は成熟するにつれて(常に)若くなる』(Mit der Reife wird man immer ju?nger)(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳)は老いと死についての詩とエッセイの本。夕べ読んだ詩「八月の終わり」とエッセイ「秋の体験」は、ヘッセ75歳の時の執筆。今の自分に添っていると思えた。突然、ジョン・レノンの「イマジン」の言葉のない曲だけが耳底に響いた感じだった。

 八月の終わり
もうあきらめていた夏が
もう一度力をとりもどした
夏は、しだいに短くなる日に濃縮されたように輝き
雲ひとつない空に灼熱の太陽を誇らかに示す

そのように人間もその努力の終わりに
失望してすでに身を引いたのに
突然もう一度大波に身をゆだねて
命の残りを賭けて跳躍してみることがあろう
恋に身をやつすにせよ
遅まきの仕事を始めるにせよ
彼の行為と欲望の中に終末についての
秋のように澄んだ深い自覚が響きわたる

「秋のように澄んだ深い自覚が響きわたる」は言い得てる。「恋に身をやつすにせよ/遅まきの仕事を始めるにせよ」は友人たちにこのケースのどちらを選ぶか聞いて表情を見てみたいもの。
「秋の体験」は生まれ故郷のシュヴァーベンの同級生オットー・ハルトマンとの再会と、そのほどない死のエピソードが味わい深い。ヘッセは貧しい時もあり、ズボンの裾の擦り切れを肩身せまく思う日もあったようだ。そんな清貧のヘッセの写真はスマートだと思うが、本人の身になればそうではないようだ。ヘッセもオットーも幸福を目的にしなかった、とある。私も「幸福」とか「楽しさ」を人生の目的としたことはない(つまり、幸福になりたいとか、楽しく過ごしたいとか、願うことはない)ので、これはヘッセと同じ感覚かもしれない。また、ヘッセは賢明な言葉として「目立たず生きるものはよく生きる」(オクタビアヌス)を人生のモットーにしたというが、実際は、オットーもヘッセも、オットーは弁護士や故郷の市長に、ヘッセは知るとおり著名になった。そのせいでナチスにも目をつけられた。