藤沢
★きらきらと靴かがやせ冬の坂 正子
藤沢まで足を延ばされた時の御句かと存じます。冬の澄んだ空気の中で坂路を元気よく上がっててゆく女性の足元。冬の日の陽光を反映してきらきらと耀いて見えます。先生ご自身を詠まれたのかもしれないと思いました。(河野啓一)
○今日の俳句
さわさわと光と影を水仙花/河野啓一
水仙に日の光りが当たると、花にも葉にも影ができる。日のあたるところはより輝いて、当たらないところは静かに深く影ができる。その光と影が「さわさわ」とした印象なのは、水仙の姿から受け取られるものであろう。(高橋正子)
○金柑

[金柑/横浜日吉本町] [金柑/東海道53次藤沢宿]
★金かんや南天もきる紙袋 一茶
★乳児泣きつつ金柑握り匂はしむ/加藤楸邨
★金柑を煮てぬくもりし妻の頬/小林康治
★金柑のありたけ点る観音堂/高澤良一
★金柑は黄に仏塔は金色に/佐野五水
★金柑のほほ笑みを掌につつむなり/田村 實
★金柑の一樹とありし少年期/宮地玲子
★金柑の甘煮に移る日ざしかな/井上 雪
キンカン(金柑)は、ミカン科キンカン属 (Fortunella) の常緑低木の総称。別名キンキツ(金橘)。中国の長江中流域原産で、英語などの「Kumquat」もしくは「Cumquat」は「金橘」の広東語読み「gam1gwat1 (カムクヮト)」に由来する。
果実は果皮ごとあるいは果皮だけ生食する。皮の中果皮、つまり柑橘類の皮の白い綿状の部分に相当する部分に苦味と共に甘味がある。果肉は酸味が強い。果皮のついたまま甘く煮て、砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にする。甘く煮てから、砂糖に漬け、ドライフルーツにすることもある。果実は民間薬として咳や、のどの痛みに効果があるとされ、金橘(きんきつ)という生薬名でいうこともある。果皮にはヘスペリジン(ビタミンP)を多く含む。観賞用として庭木として植えられることも多い。剪定に強いので生垣や鉢植え、盆栽にもできる。広東省や香港では、旧正月を迎える際に柑橘類の鉢植えを飾ることが多く、キンカンも好まれる。
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・芽柳」(横浜・四季の森公園)
★寒林を行けばしんしん胸が充つ 正子
落葉樹は葉を落としてしまい、寒むざむとした冬の森を歩けば寒さが胸いっぱいに沁み渡り冬の厳しさを感じます。 (小口泰與)
○今日の俳句
冬落暉瞳に残し帰宅せり/小口 泰與
冬落暉のイメージとしてその荘厳さが目に浮かぶ。今日の無事を思い、明日もそうであることを願う落暉を自分の心に取り込んだ思いがよい。厳しい寒さの一日の終わりなればこそ。(高橋正子)
○葉牡丹

[葉牡丹/横浜日吉本町]
★葉牡丹のおごる葉のありしづむあり/吉岡禅寺洞
★葉牡丹にうすき日さして来ては消え/久保田万太郎
★葉牡丹やわが想ふ顔みな笑まふ/石田波郷
★葉牡丹の一枚いかる形かな/原石鼎
★二株の葉牡丹瑠璃の色違ひ/西山泊雲
★葉牡丹の深紫の寒の内/松本たかし
★紫も白も葉牡丹雪被り/高橋正子
ハボタン(葉牡丹 Brassica oleracea var. acephala f. tricolor)は、アブラナ科アブラナ属の多年草。園芸植物として鮮やかな葉を鑑賞するが、観葉植物より一年草の草花として扱われる事が多い。名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたもの。 耐寒性に優れ、冬の公園を彩るほか、門松の添え物にも利用されるが、暖地では色づかず、寒地では屋外越冬できない。様々に着色した葉が、サニーレタスのように同心円状に集積した形態のものを鑑賞する。大別して葉に葉緑体以外の色素を持たない品種と、赤キャベツ同様に色素(アントシアニン)を持つものがあり、一定以下の低温に晒されてから出葉すると葉緑素が抜け、白やクリーム色、または紫、赤、桃色等に色づく。 それまでに分化した葉が周縁部を緑色に縁どり、着色した中心部の葉とのコントラストが美しい。主に冬期の花壇やプランターなどで、屋外栽培される。花は黄色で4-5月に開花するが、観賞の対象とされず、薹が立つ前に処分されてしまうことが多い。 但し、近年は薹が立って(節が伸びて)葉の密集した形態が崩れた状態を愛でる人もある。 また、多年草として育てれば樹木のような枝を出し、それぞれの枝の先端にハボタンがついた姿(踊りハボタン)となる。
◇生活する花たち「冬椿・冬の梨園・冬田」(横浜市緑区北八朔)
★初旅にみずほの山の青を飛び 正子
新年になって初めての旅は飛行機。東京から故郷への旅でしょうか。天気も良く、眼下に山脈を望むことができる。日本の美称である「みずほ」の山の青を飛ぶという詠み方惹かれます。今日だけは日常の多忙から少し離れて旅する高揚感をも感じます。 (古田敬二)
○今日の俳句
寒禽の影滑る野に鍬を振る/古田敬二
野に懸命に鍬を振っていると、寒禽の影が滑っていった。土と我との対話があって、寒禽がそれに色を点じて景がたのしくなった。添削は、「冬禽」を「寒禽」として、鳥のイメージを際立たせ句に緊張感をもたせた。(高橋正子)
○沈丁花の蕾

[沈丁花の蕾/横浜日吉本町(2013/01/06)]_[沈丁花の花/横浜日吉本町(2012/03/11)]
★沈丁花どこかでゆるむ夜の時間/能村登四郎
★疲れゐて沈丁の香をすぐまとふ/加倉井秋を
★沈丁花の赤き蕾や路地晴れて/廣瀬雅男
★沈丁の蕾びっしり立ち止る/芝尚子
★沈丁花香り待つ日の紅蕾/成木文作
★沈丁の蕾の明日を待つことも/高橋信之
★卒業のときが近づく沈丁花/高橋正子
沈丁花は、蕾を付けてから咲くまでが長い。紅色の蕾を見ると、いつ咲くかと待たれるが、咲いたことに気付くのはその匂いが漂って来てからである。子どものころ、生家には沈丁花がなかったが、すぐ前の家の上級生の家に沈丁花があった。一緒によく遊んだが、沈丁花が咲くころになると、呼び寄せて、沈丁花の花の匂いを嗅がせてくれた。紅色の内側に反る白い花弁が魅力で、この白いところが匂っているのだと子どものころは思っていた。はたしてどこが匂っているのであろう。その匂いは、卒業の季節の希望と不安の入り混じったおぼつかない感覚を象徴していると思える。
★沈丁花どこかでゆるむ夜の時間/能村登四郎
★疲れゐて沈丁の香をすぐまとふ/加倉井秋を
上の二句は、沈丁花の咲くころの人間の感覚をよく捉えた実感の句だと思う。「ゆるむ夜の時間」は、次第に暖かくなってくる三月のふっくらとした夜の時間、そして、「疲れゐて」は、春浅い頃のなんとなくの疲労感が詠まれていて、私も実感するところである。
ジンチョウゲ(沈丁花)は、ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木。チンチョウゲとも言われる。漢名:瑞香、別名:輪丁花。 原産地は中国南部で、日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたとされる。日本にある木は、ほとんどが雄株で雌株はほとんど見られない。挿し木で増やす。赤く丸い果実をつけるが、有毒である。花の煎じ汁は、歯痛・口内炎などの民間薬として使われる。
2月末ないし3月に花を咲かせることから、春の季語としてよく歌われる。つぼみは濃紅色であるが、開いた花は淡紅色でおしべは黄色、強い芳香を放つ。枝の先に20ほどの小さな花が手毬状に固まってつく。花を囲むように葉が放射状につく。葉は月桂樹の葉に似ている。
沈丁花という名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられた。2月23日の誕生花。学名の「Daphne odora」の「Daphne」はギリシア神話の女神ダフネにちなむ。「odora」は芳香があることを意味する。花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「歓楽」「永遠」。
◇生活する花たち「冬椿①・冬椿②・山帰来の紅葉」(横浜・綱島)
★初旅にみずほの山の青を飛び 正子
新しい年を迎え、心も新たに飛行機でお出かけなのですね。機内の小窓からは青々とした山々をはるかに見渡すことができ、日本列島上空を飛ぶことの晴れやかさが、「みずほの山」と詠まれたことからも伝わってくるようです。(小川和子)
○今日の俳句
治水橋
何処までも青空冴ゆる橋向こう/小川 和子
人は「橋」に特別な思いを寄せることが多い。橋の向こうは、知らない町へと続く。橋向こうの冴えた青空にその続きを思うこともある。(高橋正子)
○福寿草(元日草)

[福寿草/横浜・四季の森公園]
★花よりも名に近づくや福寿草 千代女
★小さくても昇殿すなり福寿草 一茶
★暖炉たく部屋暖かに福寿草 子規
★日の障子太鼓の如し福寿草 たかし
★南窓にはれし筑波や福寿草/大竹孤悠
★福寿草家族のごとくかたまれり/福田蓼汀
★福寿草ひらきてこぼす真砂かな/橋本鶏二
フクジュソウ(福寿草、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。別名、ガンジツソウ(元日草)。毒草である。1月1日の誕生花。日本では北海道から九州にかけて分布し山林に生育する。シノニム(同一種を指す同意語)の種小名である amurensis は「アムール川流域の」という意味。花期は初春であり、3-4cmの黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつくが、次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。この花は花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)する。葉は細かく分かれる。夏になると地上部が枯れる。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルである。根はゴボウのようなまっすぐで太いものを多数持っている。
春を告げる花の代表である。そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味がある。江戸時代より多数の園芸品種も作られている古典園芸植物で、緋色や緑色の花をつける品種もある。正月にはヤブコウジなどと寄せ植えにした植木鉢が販売される。ただし、フクジュソウは根がよく発達しているため、正月用の小さな化粧鉢にフクジュソウを植えようとすると根を大幅に切りつめる必要があり、開花後に衰弱してしまう。翌年も花を咲かせるためには不格好でもなるべく大きく深い鉢に植えられたフクジュソウを購入するとよい。露地植えでもよく育つ。また、根には強心作用、利尿作用があり民間薬として使われることがある。しかし、毒性(副作用)も強く素人の利用は死に至る危険な行為である。薬理作用、毒性共にアドニンという成分によるものと考えられている。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。
◇生活する花たち「冬桜・水仙・万両」(横浜日吉本町)

★七草の書架のガラスの透きとおり 正子
正月七日、ようやく日常に戻る七草のころ、きれいに磨かれた書架のガラスに、整然と並ぶ書物が見えるようです。年の始めの清々しさとともに、清潔感漂うお暮らしもうかがえます。(藤田洋子)
○今日の俳句
刻ゆるやかに七草粥の煮ゆるなり/藤田洋子
主婦にとって、正月はなにかと落ち着かなく過ぎるが、七草のころになると一段落する。ふつふつと煮える七草粥に、「刻ゆるやかに」の感が強まる。(高橋正子)
○霜柱

[霜柱/横浜日吉本町]
★戦没の友のみ若し霜柱/三橋敏雄
★掌に愛す芙美子旧居の霜柱/神蔵器
★ふと踏んで瞬の童心霜柱/林翔
★昼の灯のもとの消えざる霜柱/宮津昭彦
★凸凹の人の道なり霜柱/高橋将夫
★霜柱さわさわ育てローム層/高橋正子
愛媛・出石寺
★霜柱苔の真下にきらめき伸び/高橋正子
一月六日、日吉五丁目の丘を歩く。丘の上の農家に空地があって、そこには、剪定した木の枝などが積まれ、こぶしなどもある。その土の崩れかけたところに霜柱ができていた。五センチ位もあろうか。靴で踏んでしまって気付いたが、すぐ傍を見ると、霜柱が育っている。 植物と言えそうなほどの成長だ。畑に置く霜とはまた別のものだ。
愛媛に出石寺という寺がある。雲海の上にあって、そこで春先に俳句の合宿があった。八十八ケ所のお参りが一度にできるような小遍路が作ってあって、その路だったと記憶している。なにしろ、四十数年前のことなのだが、その石仏の並ぶ路に苔を持ち上げて、霜柱が育っていた。伸びすぎてやや曲がっている。これほどまで成長した霜柱は初めてだったので、印象は鮮烈だった。
霜柱(しもばしら)とは、地中の温度が0℃以上かつ地表の温度が0℃以下のときに、地中の水分が毛細管現象(毛管現象)によって地表にしみ出し、柱状に凍結したものである。霜柱の発生メカニズムはまず地表の水分を含んだ土が凍る。そこで、凍っていない地中の水分が毛細管現象で吸い上げられ、地表に来ると冷やされて凍ることを繰り返して、霜柱が成長するというものである。霜柱は地中の水分が凍ってできたものであり、霜とは別の現象。固まった土では土が持ち上がりにくいため霜柱は起こりにくく、耕された畑の土などで起こりやすい。また、関東地方の関東ロームは土の粒子が霜柱を起こしやすい大きさであるため、霜柱ができやすい。霜柱が起こると、土が持ち上げられてしまい、「霜崩れ」と呼ばれるさまざまな被害をもたらす。植物は根ごと浮き上がってしまい、農作物が被害を受ける。これを防ぐため、断熱材として藁を地面に敷き詰め地表の温度を地中の温度に近づけ、気温との断熱を行う。斜面などでは霜柱により浮き上がった土が崩れやすくなり、侵食が起きやすくなる。霜柱を見かけることが少なくなったという地域が増えているとの声もある[1]。地球温暖化による影響も考えられるが、都市部や郊外ではヒートアイランド現象による影響もあるほか、道路が舗装されて水分が少なければ霜柱は形成されない。地表と地中の温度差が必要なため、霜より短い期間しか起こらない。主に冬期に見られる現象なので、冬の季語となっている。
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・さんしゅゆの実」(横浜・四季の森公園)

★水仙の向きを変えみて正月花 正子
お正月の清々しい活け花。その中の水仙が香ってます。活けながら向きをかえながら思うままに活けあがりました。(祝恵子)
○今日の俳句
元日や神樹に守られ遊ぶ子ら/祝恵子
元旦の境内であろうか。周りを森の樹に囲まれ、守られて、子どもたちが楽しそうに、遊んでいる。注連飾りや御幣のある境内なので、「神樹」を余計意識したのであろう。(高橋正子)
○エリカ(ヒース)

[エリカ/横浜日吉本町]
ブロンテ姉妹が住んでいた「嵐ヶ丘」のハワース
★ヒースの丘をはるかに秋の雲増える/高橋正子
イギリスの旅から帰って一週間が過ぎた。強く印象に残ったものの一つに「ヒースの丘」がある。ヒースの花は終わっていたがそれも秋らしい風景で、和子さんとも俳句を通じてのいいつながりが出来た。(自句自解/2011年10月3日)
★師は遥か秋のヒ-スの丘に立つ/小川和子
正子先生の<ヒースの丘をはるかに秋の雲増える>に応えた句。俳句と俳句でのコミュニケーションは素晴らしい。言葉が少なくて、心の深いところでつながる。他に、正子先生の「嵐が丘」の句に<村の丘に立てば秋風巻いて吹く>がある。(高橋信之)
信之先生、「師は遥か秋のヒ-スの丘に立つ」の句をお選び頂き、正子先生の二句を挙げて私の心情そのままにお読みとり頂きまして心より感謝申し上げます。ブロンテの「嵐が丘」と聞いて私の記憶が甦り、「ヒ-ス」が目の前に広がっているようでした。暖かいご講評を本当にありがとうございました。(小川和子)
★花エリカ雪後のごとくさびしけれ/角川源義
★エリカといふさびしき花や年の暮/山口青邨
★嬰児にもあるためいきや花エリカ/岡田史乃
★空港に帰着の刻をエリカ活く/横山房子
★エリカ咲くひとかたまりのこむらさき/草間時彦
★鷗啼く絵里香や折ればこぼるるも/小池文子
★横文字の名札に翳すエリカかな/吉田洋一
エリカは、ツツジ科エリカ属(学名:Erica)の常緑性樹木で、日本では学名エリーカから、エリカと呼ばれることが多い。エリカ属は、700種類以上の種があり、多くの種は高さ20-150cmほどの低木であるが、E. arborea、E. scopariaのように高さ6-7mに達する種もある。エリカの群生地としては、北ドイツの自然保護地区、リューネブルガーハイデが有名。また小説『嵐が丘』の館の周囲に生えていたのもエリカ、英語ではヒース(heath)と呼ばれる。主な種は、ジャノメエリカ(学名E.canaliculata)とスズランエリカ(学名E. formosa)。ジャノメエリカの名前の由来は、花の中の黒い葯(花粉袋)が蛇の目に見えることから。 スズランエリカの名前の由来は、花がスズランに似ていることから。
エリカ属の大部分は南アフリカ原産で、残りの70種程度がアフリカの他の地域や地中海地方、ヨーロッパ原産である。園芸では性質などの違いで南アフリカ原産種とヨーロッパ原産種にざっくり分けられる。名前はギリシア語のエイレケー(砕く)に由来するとされ、エリカが体内の胆石をとる(砕く)薬効があるされていたため、そんな名前が付いたとされている。葉は短い針型や線形で、枝にびっしりと付く姿は、枝に葉が生えているといった感じです。花はタマゴ型や壺状の小さな粒々のもの、紡錘形などがある。
◇生活する花たち「冬椿①・冬椿②・山帰来の紅葉」(横浜・綱島)
★独楽の渦記憶の底を回りたる 正子
独楽を回した子どものころを思い出しました。独楽の回る様子をじっと見ていると不思議な感覚を覚えます。「記憶の底」は子どものころのことを象徴しているともさらにもっと大きなものにつながっている、とも思えます。 (多田有花)
○今日の俳句
よく晴れて風の激しき寒の入り/多田有花
いい嘱目吟である。今年の寒の入りは、よく晴れて風が激しく吹いた、ということだが、自然は、刻々、折々に、さまざまの変化を見せてくれる。それに触れての嘱目は、自然への素直な観照として尊ぶべき。(高橋正子)
○寒の入り
今日は寒の入り。寒の入りは例年1月5日か6日にあたるが、今年は、今日5日が寒の入り。小寒となる。この日から節分(立春の前日)まで、小寒、大寒をあわせた、およそ30日間を寒の内といい、寒さもますます本格的となる。寒に入って四日目を寒四郎九日目を寒九といい、水なども清浄感じがする。寒行や寒参りなど行事もいろいろある。
個人的に言えば、私はこの寒の季節から二月が終わるまでぐらいが、もっとも好きな季節である。そう思い出したのは、たぶん高校生ぐらいのときからであろう。もっとも静謐な季節である。
★焚火して林しづかに寒の入/水原秋桜子
○万両
[万両/東京白金台・自然教育園] [万両/横浜日吉本町]
★万両の赤を要に活けらるる/稲畑汀子
★万両に日向移りて午後の景/岡本眸
★千両も万両も生ふ旧き家/村越化石
★退院の待たるる日々や実万両/水原春郎
★実生なる万両として日をはじく/豊田都峰
★碑のもと万両のまだ青し/阿部ひろし
★万両の赤い実も鉢もつやつやと/高橋正子
★万両の鉢泥洗うも冬支度/高橋正子
★万両の根もとを猫が通り抜け/高橋正子
横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。
マンリョウ(万両、Ardisia crenata Sims)はヤブコウジ科の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいのでセンリョウ(千両)などとともに正月の縁起物とされる。東アジア~インドの温暖な場所に広く分布する。日本では、関東地方以西~四国・九州・沖縄に自生するほか、庭木などとしても植えられている。なお、アメリカのフロリダ州では外来有害植物として問題になっている。高さは1mほど。同属のヤブコウジと似ているが、ヤブコウジは高さ10cmほどなので区別ができる。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。葉は縁が波打ち互生する。葉の波状に膨れた部分には共生細菌が詰まった部屋が内部に形成されている。また、葉は光に透かすと黒点が見える。花は白色で7月頃に咲き、小枝の先に散形花序をなす。果実は液果で10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。栽培品種には白や黄色の果実もある。いわゆる古典園芸植物のひとつで、江戸時代には葉が縮れたりした変異個体が選抜されて、多様な品種群が栽培された。
◇生活する花たち「冬椿①・冬椿②・山帰来の紅葉」(横浜・綱島)
★餅を焼く火の色澄むを損なわず 正子
古来より日本の折々の行事、吉事、ことにお正月にはもっとも縁のある食物のお餅。その清らな餅を「火の色澄むを損なわず」、大切に焼かれる行為に、はれの餅への厳かな思いを感じ取れます。澄む火の色に、ふっくらと美しく焼き上がる餅も目に浮かびます。 (藤田洋子)
○今日の俳句
四日はや高々と干す濯ぎもの/藤田洋子
主婦の若々しい生活俳句。四日になると、正月にたまったものの洗濯に精を出し、日に風に高々と掲げて干す。若々しさと清潔感に好感がもてる。(高橋正子)
○侘助
[侘助/横浜日吉本町]
★侘助の莟の先きに止まる雪/松本たかし
★侘助や波郷破顔の大写真/水原春郎
★侘助や茶釜に湯気の立っており/多田有花
★侘助へ寺の障子の真白かり/高橋正子
★日表も葉影も侘助うす紅/高橋正子
横浜日吉に移って来る前は、愛媛に住んでいたが、松山郊外の砥部の自宅は百坪を少し超えていたので、いろいろ好のみの庭木や草花を植えていた。特に椿は三十本以上もあっただろうか。冬の初めに初嵐が咲き、それから赤い侘助が咲いて、名の知らないものから、肥後や乙女なども順次咲いた。裏の谷川に添って藪椿が茂り、年末からほちほち花を咲かせた。不意に来客があるときは、この枝を一本もらうこともあった。それなりの恰好がついたのである。
ワビスケ(侘助) 中国産種に由来すると推測される「太郎冠者(たろうかじゃ)」という品種から派生したもの。「太郎冠者」(およびワビスケの複数の品種)では子房に毛があり、これは中国産種から受け継いだ形質と推測される。一般のツバキに比べて花は小型で、猪口咲きになるものが多い。葯が退化変形して花粉を生ぜず、また結実しにくい。なおヤブツバキの系統にも葯が退化変形して花粉を付けないものがあるが、これらは侘芯(わびしん)ツバキとしてワビスケとは区別される。 花色は紅色~濃桃色~淡桃色(およびそれらにウイルス性の白斑が入ったもの)が主であり、ほかの日本のツバキには見られないやや紫がかった色調を呈するものも多い。少数ながら白花や絞り、紅地に白覆輪の品種(湊晨侘助)などもある。 名前の由来としては諸説あり、豊臣秀吉朝鮮出兵の折、持ち帰ってきた人物の名であるとした説。茶人・千利休の下僕で、この花を育てた人の名とする説。「侘数奇(わびすき)」に由来するという説。茶人・笠原侘助が好んだことに由来する説などがある。
◇生活する花たち「冬椿①・冬椿②・山帰来の紅葉」(横浜・綱島)
★誕生日正月三日の眉月に 正子
誕生日と言っても、正月三日なので、正月の用事に取り紛れて、特に感慨は湧かないが、私自身は、何かにつけて、月に恃む気持ちがあるので、美しい眉月にほっとして、今日は誕生日だと思ったのである。(自句自解)
○今日の俳句
★破魔矢の鈴鳴らして自転車帰りくる/祝 恵子
近くに初詣に出かけたのであろう。破魔矢を買って、鈴をちりちり鳴らし、楽しそうに帰ってくる。破魔矢の鈴の鳴る音に、正月を過ごす庶民の気持ちがよく出ている。(高橋正子)
○第20回(新年)フェイスブック句会入賞発表!
【金賞】
★注連飾りわが手造りへ日の当たる/佃 康水
慎ましく、礼をもって手造りの注連飾りで正月を迎える丁寧な暮らしがよい。当たる日にも温かさある。(高橋正子)
▼その他の入賞作品:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02d
○ネット短信No.173/2013年1月3日発信
◆後記/正子◆
あけましておめでとうございます。元旦から3日にかけて横浜は穏やかな晴天に恵まれました。皆さまのところは、いかがでしたでしょうか。FB新年句会のご投句を拝読しましても、大方のとことがよいお天気のようでしたので、幸先の良さを思う正月となりました。新年句会の入賞発表をいたしましたので、ご確認ください。入賞の皆さまおめでとうございました。花冠2月号も昨年の暮には発行所に届き、松の内には皆さまのお手元に届くように発送することができました。お楽しみください。巳の年も全て順調にすべりだしました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
▼その他の記事(ネット短信保存版):
http://blog.goo.ne.jp/kakan107
○南天

[南天/横浜日吉本町]
★南天の実をこぼしたる目白かな/正岡子規
★口切や南天の実の赤き頃/夏目漱石
★あるかなし南天の紅竹垣に/瀧井孝作
★実南天奈良から一人少女来る/青木啓泰
ナンテン(南天、学名:Nandina domestica)は、メギ科ナンテン属の常緑低木。和名の由来は、漢名の「南天燭」の略。高さは2m位、高いもので4~5mほど。幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしている。葉は互生し、三回羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、革質で深い緑色、ややつやがある。先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつける。中国原産。日本では西日本、四国、九州に自生しているが、古くに渡来した栽培種が野生化したものだとされている。山口県萩市川上の「川上のユズおよびナンテン自生地」は、国の天然記念物(1941年指定)。
庭木として植えられることが多い。音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。稀に太く育ったものは、幹を床柱として使うことがあり、鹿苑寺(金閣寺)の茶室、柴又帝釈天の大客殿などで見られる。以前に発行されていた日本の6円郵便切手の意匠としても親しまれていた。花言葉は「私の愛は増すばかり」、「良い家庭」。活け花などでは、ナンテンの実は長持ちし最後まで枝に残っている。このことから一部地方では、酒席に最後まで残って飲み続け、なかなか席を立とうとしない人々のことを「ナンテン組」という。
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・さんしゅゆの実」(横浜・四季の森公園)

★木賊生う地より突き立つ濃き緑 正子
木賊(とくさ)は一気に立ち上がって群れ、鮮やかな緑が新鮮です。その「生う」姿を「地より突き立つ」と形容されたところに清清しさを感じます。お正月に読ませていただくとき、この一年に向けて勇気が与えられる思いです。 (小西 宏)
○今日の俳句
★初富士の雲をまとうて穏やかに/川名ますみ
富士山が見えるところに住む人にとって、富士山はどういう山であろうか。偉大な山でありながらも日々の生活に添うように姿に変化を見せる山である。初富士がまとう雲が目に見えるようである。(高橋正子)
★幼子の大地踏ん張り凧揚げる/小西 宏
2日は、横浜あたりは風が強かった。そんな日に凧を揚げる幼子は、大地を踏ん張って糸を引いていなければならない頼もしい男児である。(高橋正子)
○午前9時半ごろ氏神様の駒林神社に初詣に信之先生と出掛けた。駒林神社のお札を買い、おみくじを引いたが、出たのは「吉」。待てば、これからよいことがあるというのでしょう。その後、神社の山をぐるっと回って金蔵寺へ初詣。本堂では、線香の煙で咳がひどくなってしまった。境内には、侘助が一輪開きかけて後は蕾。蝋梅も蕾。侘助の根もとに万年青が赤い実をつけていた。今年の初詣は元旦ではなく、二日となったので、人もまばらであった。
蝋梅の蕾を風がぬけている/高橋正子
侘助の蕾銀色正月は/高橋正子
○水仙

[水仙/横浜日吉本町]
★水仙やホテル住ひに隣なく/久保田万太郎
★水仙やすでに東風吹く波がしら/水原秋櫻子
★あるだけ剪りあるだけ挿して水仙花/大橋敦子
★水仙や日本の詩の潔し/瀧春一
★水仙に昃り易さの日射なる/鈴鹿野風呂
★潮の香を海に返しぬ野水仙/稲畑汀子
★水仙や潮砕け散る烏帽子岩/朝妻力
★上げ潮や水仙のよく匂ふ街/今瀬剛一
★自画像の芙美子に会へり水仙花/神蔵器
★水仙や向き合ふ暮し取り戻す/井内佳代子
★向き合えば吾に水仙のみずみずし/高橋信之
水仙の花を「古鏡」といった俳人もいたが、向き合うことができる花である。向かうと、以外にもみずみずしい花である。(高橋正子)
★水仙の枯れし終わりを折りて捨つ/高橋正子
庭に咲いているのでしょうか、可憐な水仙花、でもいのちあるものには最後があるのです。ありがとうの気持ちでしょうか。(祝恵子)
★水仙の一花二花咲き正月へ/高橋正子
スイセン属(スイセンぞく、学名:Narcissus)は、ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の属のひとつ。この属にはラッパスイセンやニホンズイセンなど色や形の異なる種や品種が多くあるが、この属に含まれるものを総称してスイセンと呼んでいる。多年草で、冬から春にかけて白や黄の花を咲かせるものが多い。狭義には学名Narcissus tazettaや、その変種であるニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)をスイセンということも多い。
原産地は主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、アフリカ北部まで広がり、原種は30種類ほど知られている。また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されている。日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したといわれている。分布は、本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、群生が見られる。越前海岸の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。
◇生活する花たち「万両・千両・百両」(横浜日吉本町)