★手袋に手を入れ五指を広げみる 正子
○今日の俳句
やや白く割れて万朶の梅つぼみ/古田敬二
寒中の寒さに堪えて咲く梅であるが、咲く兆しが見えると非常に嬉しい。白梅の蕾に白が認められる。しかも万朶の蕾に。待春の気持ちが明るくてよい。(高橋正子)
○寒牡丹

[寒牡丹/鎌倉・鶴岡八幡宮]
○鎌倉吟行
藁傘の中なる陰り寒牡丹/高橋正子
雪よりもはるかに透けて白牡丹/高橋正子
寒牡丹匂うは花を平らかに/高橋正子
寒牡丹開きし花は風を受く/高橋正子
黄の牡丹ほどよく開き描かれいる/高橋正子
銀杏をカンカン炒って大鉄鍋/高橋正子
寒中も繭玉掛けて酒屋の柱/高橋正子
1月31日はまだ寒中であるから、寒中の鎌倉へ出掛けたいと思っていた。鶴岡八幡の寒牡丹、竹の寺で知られる報国寺の冬桜と冬椿、北鎌倉の東慶寺の水仙などを計画した。しかし、句集の編集などで、疲れ気味なので、八幡様と東慶寺の二つに絞って出掛けた。朝、9時半前に家を出て鎌倉に向かった。駅に着き、先ず鶴岡八幡へ。段葛(参道が一段高くなっている)を通ってお参りをし、おみくじを引き、句美子に開運の桜のお守りを買った。参道では、名物の銀杏を鉄鍋でカンカンと炒りながら売っていた。受験の合格祈願か、高校生や中学生であふれていた。神苑内の牡丹園へは、鑑賞券一人五百円を払って入園。寒中の牡丹は、咲くのもままならないのではと思ったが、ちょうど、見ごろを迎え咲き揃っていた。藁傘や傘に守られて疵もなく見事に咲いている。色は、牡丹色、白、ピンク、黄色などで色どりも豊か。牡丹をカメラに撮ろうとするが、藁傘の下では陰りがあったり、傘がないところは、日が当たりすぎたりして、明るさの調節が難しい。オートにしてかなりの枚数を撮った。撮り終わり休憩所で甘酒を頼んで一服。今日は牡丹だけで東慶寺へ行くのはやめた。帰り、参道前の鎌倉彫の店に見物に寄ったが、鎌倉彫の小さな二段重があったので衝動買いをしてしまった。それから、小町通りの入口の長嶋家で切山椒を買う予定で寄るが、出来上がりを待たねばならず、昼食を先に摂った。銀座ルノアールという鎌倉駅前の喫茶店で昼食。「フォレ」の蜂蜜とマスカルボーネと付けて食べるフランスパンを食べたが、美味。喫茶店を出て、長嶋家に切山椒を買いに行き、豊島屋で鳩サブレなどを買って、帰りの電車に乗った。今日は、寒牡丹を見る吟行となった。
◇生活する花たち「寒牡丹」(鎌倉・鶴岡八幡宮)

鎌倉・報国寺
★竹林に踏み入るところ冬椿 正子
鎌倉・報国寺の竹林と聞くだけで深閑とした佇まいを想起いたします。その竹林へ踏み入ろうとしたとき、寒気の中に色鮮やかに咲いて居る冬椿が見え、緑の竹林と凛とした椿に感動されたことでしょう。 (佃 康水)
○今日の俳句
ジャムを煮る夕べの窓に寒の月/佃 康水
ジャムをことこと煮る夕べの静かな時間。厨の窓をのぞくと寒そうな月が懸っている。なおさら、ジャムを煮る時間の豊かさを思う。(高橋正子)
○三椏の花蕾

[三椏の花蕾/横浜・四季の森公園]
★三椏や英国大使館鉄扉/佐藤鬼房
★三椏の花三三が九三三が九/稲畑汀子
★三椏の花に暈見て衰ふ眼/宮津昭彦
★三椏の花じやんけんを繰り返す 大串章
★いかるがの草は低さに花蕾/伊藤敬子
★花蕾立春の音たてている/ぽちこ
★三椏の花の蕾のその勢い/高橋信之
ブログ「古い日記の続きの日記 by kokoro-usasan」
きょうもいい天気。庭では、すっかり葉を落とした三椏の木に、白い花蕾がたくさんの小さなぼんぼりのように愛らしくついている。これは不思議だったよ。だって、この木は暮れのある日まで、大ぶりの葉っぱがたくさん茂っていて、芽生え始めた花蕾を覆い隠すようにしていたのだもの。毎年、そういう営みをしているはずなのに、わたしは、そのへんの流れを記憶していなくて、あれぇ、三椏って、常緑樹だったけかなぁ、おかしいなぁ、葉っぱ落ちるよねぇ、これじゃ、花が咲いても見えないよねぇ、なんて訝しく思ってた。そうしたら、それから程ない年明けのある朝、あれだけたくさん茂っていた葉が一枚残らず、地面に落ちて、可愛い蕾たちだけが、裸木にいっぱい残されてたの。なんじゃ、こりゃ、だよ、ほんとに。笑。
花芽が小さいうちは、大事に葉っぱで守っていたんだろか。葉っぱたちは、寒さのなか我慢に我慢を重ねて、花芽が、もう充分成形できてきたかねっていうころを見計らって、お日様の光が思う存分当たるように、一斉に落ちていったってことかな。ねぇ、ねぇ、そういうこと?って、霜柱の立った地面の上に落ちてる葉っぱを一枚拾い上げて訊いてみたけれど、何にも言わなかった。自然は人間と違って謙虚だからね。ふふ。
三椏は地味な木だけれど、とてもユニークな花を咲かせる。色合いの変化も中々面白くて、おや、そうきますか?なんて、ちょっとからかいたくなっちゃう。この木は、以前は我が家にはなくて、父が亡くなる前年くらいに、まだしっかりしていた母が、ホームセンターで苗木を頼んで植樹したものだった。三椏を植えるんだと母に聞いたとき、わたしは内心、わ、うれしいなって思ったんだよね。なんでかっていうと・・・。(2013-01-25記)
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・芽柳」(横浜・四季の森公園)
★あたらしき薪を傍積み暖炉燃ゆ 正子
暖炉の温か味は、紅くゆれる炎の視覚的な助けもあって、私たちの体と心をゆったりと和ませてくれます。特にここでは、傍に積まれた新しい薪の豊かさが新鮮です。「あたらしき」から「傍積み」に連なる音の調べが「燃ゆ」という柔らかな響きに収まってゆき、詩的ドラマを感じさせてくれます。(小西 宏)
○今日の俳句
光るもの鈍(にび)なるものもみな冬芽/小西 宏
光の当たる冬芽はよく光っている。一方光りの当らない冬芽は鈍い光を放っている。それらは、どちらも冬芽で、日向にも、日陰にも、冬芽が「今」をしっかりと育っている。(高橋正子)
○東大・小石川植物園
高橋正子の俳句日記(小石川植物園吟行)/2008年4月19日(土)
▼俳句
植物園
やわらかに足裏に踏んで桜蘂
風冷えて残花飛ぶことしきりなる
たんぽぽの草の平らに散らばりぬ
▼小石川植物園吟行句会。
経路は、グリーンラインで日吉本町から日吉まで、日吉から武蔵小杉まで東横線、武蔵小杉から目黒線、目黒からは南北線に変るが直通なのでそのまま乗って後楽園まで。後楽園から丸の内線で、次の駅の茗荷谷まで。約1時間。420円。
参加者は、信之先生、圭泉さんご夫妻、秀之さん、淳子さん、みのるさん、荘二さん、宏さん、弦さん、愛代さん、加代子さん、正子。(12名)
句会・昼食は、茗荷谷駅前のラ・クローチェのイタリア料理。あとジョナサンで喫茶。
小石川植物園は、ゆるい坂になっていて、森の雰囲気がある。こういうところで働ければいいと思った。ドイツでは、森林保護員というか、そういう職業があって、地位も高いと聞く。さすが森の国ドイツではある。
ハンカチの木も見た。苞ができていたが、開花は4、5日あとになるそうだ。なにげなく若葉していて、見逃してしまいそう。一才藤の紫と白が咲き始めていた。日本庭園には、みずすまし、おたまじゃくしがいる。里桜が花を散らす。ひえびえとした若葉の植物園だった。
○寒中であったが、信之先生が小石川植物園に花を探しに出掛けた。梅はまだであるし、大方は芽である。土佐水木の冬芽の明るい茶色に、土佐水木の淡い黄色の花が思い浮かんだ。冬の植物園でいちいち芽を探すには広すぎるのではと思われた。2008年の4月19日の小石川植物園は、桜が散って、一面に桜蕊が降り重なって、踏めばやわらかなクッションとなって、足裏に応えてくれた。その記憶が今蘇った。
○笑顔(はるさざんか)
[笑顔/大船フラワーセンター]
「笑顔」という名前に思わず頬が緩む。「春山茶花」と呼ばれるものだが、花弁がひらひら砕けて、いかにも山茶花に系を引く花らしい。ピンク色で幼子の笑顔のような花だ。言葉として「笑顔」はあまりに俗すぎるが、幼子の笑顔ならば、許されよう。
◇生活する花たち「獅子頭(寒椿)・素心蝋梅・老鴉柿(ロウヤガキ)」(東京・小石川植物園)

早稲田大学
★枝打ちの銀杏冬芽が地に弾み 正子
銀杏にも冬芽が見えるようになり、大地にも弾みがついてきました。春はもうすぐそこまできています。(高橋秀之)
○今日の俳句
汽笛鳴るフェリーの後にゆりかもめ/高橋秀之
フェリーが汽笛を鳴らし港を出てゆく、その後を追って、真白なゆりかもめが飛んでゆく。ゆっくりとした明るい景色がよい。(高橋正子)
○咳
★咳の子のなぞなぞあそびきりもなや/中村汀女
★誰か咳きわがゆく闇の奥をゆく/篠原梵
★上の子が咳して下の子が咳を/高橋信之
おもに気管や喉頭の粘膜が寒さの刺激を受けて起こるものだが、結核によるもの等もあり、その原因は複雑である。俳句での「咳」は冬の季語となっているので、俳句に詠まれる「咳」は風邪の咳となる。
○マスク
★マスクして我を見る目の遠くより/高浜虚子
★マスクして北風を目にうけてゆく/篠原梵
冬になると白いマスクで鼻・口を覆っている人を多く見かける。欧米では、こうした習慣がないので、医者が街にあふれていると思い、驚く。
○梅開花
[梅の蕾と花/横浜日吉本町(2013年1月27日)]
★竹柵の青き香りに梅開花/偕楽園好文亭
★梅開花一輪晴れのうれしさに/高橋信之
★開きたる梅一輪のかく尊とし/高橋正子
この寒中、花を探すが花はなく、何もかもが皆蕾。カメラを持って、蕾ばかりを撮っている。しかし、日脚も伸びた実感がするきのう今日、梅の蕾が白くなったのが、ちらっと見える。明日か、今日かと、花の開くのを期待して出掛ける。大方は、まだまだであろうと。ある日は、雨の降る前は、錯覚かもしれないが、蕾の梅を取り巻く空気が匂っていた。その後は、さっぱり匂わないが。けれども、期待はするものだ。一月二十七日、遠目に一輪梅が開いているのに気付く。横浜の梅の開花としては早い。梅一輪が咲いた場所は、後ろにお屋敷があり、民家に囲まれてはいるが、日当たりのよい風のさほど当たらない場所だ。南紀の温かさが保障されているのかもしれない。たった一輪の梅を方向をいろいろ変えたり、爪立ちしたりて映した。
梅の開花前線
和歌山県南部に位置する月向農園では、1月下旬~2月に梅が開花します。南北になが~い日本列島!あなたの処ではいつ頃かな?梅は百花に先駆けて咲き、桜などに比べ休眠が浅いために開花時期が天候によって大きく左右されます。
高温・適湿・多照の年は開花時期が早まり、乾燥の激しい年や気温の低い年はやや遅くなります。また、品種によって多少差があります。寒い中、いち早く春の訪れを知らせる梅の花は、1月下旬~5月上旬まで、約3ヶ月間かけて、ゆっくりと日本列島を北上します。
◇生活する花たち「満作・立寒椿・蝋梅」(大船フラワーセンター)
★枯るる葦そよがぬときはほの赤し/高橋正子
水辺に生え、枯れつくした葦は冬場、寒々とした景を映しだしますが、その葦も風のないときなどよく見ますと、ほの赤い芽が見えたのではないでしょうか。冬枯れに見る春の兆しが思われます。 (小川和子)
○今日の俳句
寒中の樹に日当るを触れてみる/小川和子
何もかもが寒中の寒さにある中、日当る樹がいかにも暖かそうに思える。つい手に触れてみたのだ。(高橋正子)
○花びら餅
花びら餅を最初に食べたのは、いつだったか。記憶をたどると、50年近くも前、新年句会に出された茶菓子の一つではなかったかと思う。松山に「有家」という小さなお菓子屋があって、松山のお茶事のお茶はこの店がまかなっていた。たしかに、饅頭も、餡が薄紫の小豆色でほどよい甘さでおいしかった。松山は裏千家が主流なので、新年のお菓子に花びら餅が入っているのも自然である。それから、いくどか食べている。横浜に移る前だが、横浜の三渓園の古民家の和風レストランでも花びら餅を頂いた。食べ物の美味しさは、大抵のものは、自分基準で判断でしているが、花びら餅に関しては、どれが美味しいかどうかよくわからない。
昨日大船の「三鈴」の花びら餅を信之先生がお土産に買ってきた。これは、ごぼうが二本の味噌餡である。餅から餡が薄く桃色に透けている。今日17日で、花びら餅は終わりだということだった。一月も過ぎてゆく。
★花びら餅売らるることも今週まで/高橋正子
★ガラス戸の外をつい見て花びら餅/高橋正子
菱葩餅(ひしはなびらもち)は、ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子である。通称花びら餅。平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年にわたり宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになった。さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡でかたどったものとなった。宮中に菓子を納めていた川端道喜が作っていた。明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流である。
○満作の花
[満作の花/大船フラワーセンター]
★まんさくや小雪となりし朝の雨/水原秋桜子
★まんさくに水激しくて村静か/飯田龍太
★まんさくや町よりつづく雪の嶺/相馬遷子
★万作咲く丘の麓の空晴れて/高橋信之
★満作のひらひら咲くや寒波来て/高橋正子
昨日のことだが、1月26日の満作が花の盛りであった。大船フラワーセンターの南面の丘の麓である。なるほどマンサクの語源は、「まず咲く」が訛ったものともいわれているのだ。春は、冬の先に確かにある。満作は嬉しい花である。(高橋信之)
マンサク(満作、万作、金縷梅、学名: Hamamelis japonica)は、マンサク科マンサク属の落葉小高木。マンサクの語源は明らかでないが、早春に咲くことから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。葉は互生し、楕円形で波状の鋸歯がある。2-3月に葉に先駆けて花が咲く。花にはがく、花弁と雄蕊および仮雄蕊が4個ずつあり、雌蕊は2本の花柱を持つ。がくは赤褐色または緑色で円い。花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状になる。果実はさく果で、2個の大きい種子を含む。日本の本州の太平洋側から九州に分布する。日本各地の山林に多く自生するほか、花木として栽培もされる。
◇生活する花たち「辛夷の花芽・水仙・千両」(横浜日吉本町)

★大寒の水道水の真すぐ落つ 正子
○今日の俳句
瀬戸海を区切りて冬の牡蠣筏/迫田和代
穏やかな瀬戸内海ではあるが、冬は寒々として黒く浮かぶ牡蠣筏が力強く印象的である。その様子が、瀬戸海を「区切りて」となる。もとの句は、「区切るか」と疑問の「か」を用いているが、俳句では、率直に自分の気持ちを述べるのがよい。(高橋正子)
○綿入
★綿入の袂探りそなじみ金/正岡子規
★綿入の朝楽しまた晩楽し/高橋信之
★文人柄の綿入れ好みパソコンす/高橋正子
綿入れ半纏というものが、今も健在で売られているので、信之先生のものをコープで購入した。柄は、「文人柄」と称して、紺地に白い小さな長格子が織り込んであり、お尻まですっぽり隠れる長めのもの。最近新聞広告に若い男性が綿入れ半纏を着てパソコンを使う姿が大きく載っていた。(パソコンの広告だが)日本の冬にはこれが一番、なかなかかっこよい。受験期の子供二人も半纏の愛用者だった。信之先生は、大連育ちで、ドイツ文学者であるが、読書に物書きには半纏やちゃんちゃんこが一番よいようで、長年愛用している。ほっこりと体を包み、中の体は自由に動く。こういう半纏を着て炬燵に足を入れれば心地よい。足を温め、頭は冷やす。故人の知恵はいまも我が家で暮らしに生きている。ちなみに子供たちのは、女の子はピンクに兎の柄、男の子は黒に、詳しは忘れたがスポーツチームのマーク。もっと小さいときは、かわいい汽車が裾回りを走っているもの。思い出しても懐かしい。
○つつじの冬芽
[さくらつつじの冬芽/東京・小石川植物園] [つつじの冬芽/横浜・四季の森公園]
★冬芽無数に明日を信じる素朴な目/高島茂
★風呂の蓋立てかけ干して冬芽垣/岡本眸
★全山の冬芽のちから落暉前 能村研三
★火事近しつつじの冬芽呼びおこす/久保東海司
▼冬芽(ふゆめ、とうが)
秋になって葉の落とした落葉樹は、翌年の春の芽吹きのために早くも準備を始めている。近づいて枝の先っぽをよく観察してみると小さな芽を見つけることができるが、これが「冬芽」。(ちなみに、常緑樹にも「冬芽」は見られる。)そして、硬い鱗片で覆われているものを「鱗芽(りんが)」、芽がむき出しで毛などで覆われているものを「裸芽(らが)」といって、それぞれの方法で冬の寒さや乾燥から芽を守っている。(「冬芽図鑑 by 吉野・大峰フィールドノート」より)
▼ドウダンツツジ(ツツジ科)の冬芽
8~10枚の芽鱗に包まれた卵形の冬芽が互生します。側芽は発達せず頂芽だけが大きくなります。
▼さつきとつつじの違い
いわゆる「さつき」は、花もですが葉も小さいです。つつじは種類も多いですが、道路の歩道の植え込みなどに使われている普通の「つつじ」「さつき」で比較しても、葉についてはつつじの葉は長さ5~7cm、巾約1.5cm、光沢がなく、葉の裏側は服などに付着し易いく、子供がワッペンの替わりにして遊びます。一方[サツキツツジ]の所謂[皐月:サツキ]の葉は、長さ2~3cm、巾も6mm程度、表側の光沢はつつじとは別種かと思うほどです。一般に「つつじ」と言われる方は落葉性で、「さつき」と言われる方には常緑樹が多いようです。ツツジは4~5月頃紅色、ピンク、絞りなどの花をつけ、俳句の季語は[春]なのに対し、さつきの季語は[夏]なのです。サツキの名前は陰暦五月皐月に咲くところからきていますが、こちらはツツジよりやや遅く5~6月頃、真紅、淡い紅色、ピンク、絞りなど多様な花をつけ、小さい花で特に真紅の色はサツキらしい色だと思います。ツツジ・サツキとも低い植え込みや他の樹種と一緒に[大刈り込み]などにします。(「教えて!goo」より)
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・芽柳」(横浜・四季の森公園)
★波立てば鴨の勇みて泳ぎけり 正子
○今日の俳句
耳よぎる風に音なき枯野かな/桑本 栄太郎
風はものに当たって音を立てる。広い枯野に立てば、風は耳元をよぎるだけで、音は聞こえない。枯野の広さ、さびしさが自然と一体となって詠まれている。(高橋正子)
○花冠3月号校了
花冠3月号の発行日は、3月1日だが、印刷・製本が出来上がるのは、2月上旬となる。
http://kakan.info/km/k1303.pdf
○手袋
★雪白の手袋の手よ善きことを為せ/中村草田男
★手袋に手を入れ五指を広げみる/高橋正子
冬の生活に身近なもの。布や毛糸、皮で作られ、防寒・保温のために手指を包む。手袋をはめて手を広げてみることがある。てぶくろの模様とか、指の長さとかがよく見える。私が小学生のころ、中学生や高校生は自分の手袋、マフラーは自分で編んでいた。マフラーは小学生でも編めるが、手袋はちょっとむずかしい。バスで10分ほどのところに母の実家があって、そこに高校生の従姉がいた。冬休みにゆくと、残り毛糸をいろいろ取り出してミトンを編んでくれたことがあった。親指ができるのがなんとも不思議だった。できたミトンは二つが離れないように、紐がつけられて、首にかけられるようになった。手袋って、ふたつが離れやすい。
○ミモザの花蕾
[ミモザの蕾/横浜日吉本町] [ミモザの花と蕾/横浜日吉本町]
★邂逅やミモザ咲く坂上りつつ/草間時彦
★教会の仰げばミモザの花たわわ/戸田菜穂
★狭くなく広くもなき庭ミモザ咲く/竹酔郎
★教会へ続く坂道ミモザ咲く/浜元さざ波
葉に刺激を与えると古代ギリシアの身振り劇ミモス”mimos”(マイム、パントマイムの前身)のように動くことからこの名がついた。ラテン語本来の発音はミモサ、英語発音はマモゥサあるいはマイモゥサとなり、日本語のミモザはフランス語発音に由来する。ここから以下のような転用により語義が広がっている。
オジギソウ(本来のミモザ)。 フサアカシア(ミモザ)は、マメ科オジギソウ属の植物の総称(オジギソウ属のラテン語名およびそれに由来する学名がMimosa)。フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属花卉の俗称。イギリスで、南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を”mimosa”と呼んだ事から。アカシア属の葉は、オジギソウ属の葉によく似るが、触れても動かない。しかし花はオジギソウ属の花と類似したポンポン状の形態であることから誤用された。今日の日本ではこの用例がむしろ主流である。
◇生活する花たち「獅子頭(寒椿)・素心蝋梅・老鴉柿(ロウヤガキ)」(東京・小石川植物園)
★寒厨卵も餅も白ほのと 正子
寒卵にお正月のお餅、寒中の台所には、優しい白い食べ物がありました。底冷えのする寒厨に、小さなぬくもりを見つけられた明るさ。思い描くと、ほっといたします。 (川名ますみ)
○今日の俳句
富士山と冬夕焼の中に居る/川名ますみ
富士山はいつもしっかりと座っている。さびしさもあるけれど、あたたかさのある冬夕焼けに包まれて過ごすとき、大きく、偉大なものといる安心感がある。(高橋正子)
○寒木瓜

[寒木瓜/横浜日吉本町(2013年1月23日)]_[寒木瓜/横浜日吉本町(2012年12月5日)]
★近江路や茶店茶店の木瓜の花/正岡子規
★木瓜咲くや漱石拙を守るべく/夏目漱石
★木瓜の花こぼれし如く低う咲く/大谷句仏
★寒木瓜の蕊のぞきたる花一つ/阿部ひろし
★寒木瓜の刺の鋭き女坂/増田栄子
★寒木瓜を見つけし後の足軽し/819maker(ブログ俳句の風景)
★丘晴れていて寒木瓜の赤の濃し/高橋信之
★今青空に冬木瓜の実の確とあり/高橋信之
★寒木瓜の紅色深きをいぶかしむ/高橋正子
ボケ(木瓜)は、バラ科の落葉低木。学名Chaenomeles speciosa(シノニムC. lagenaria)。花:3~4月に葉よりも先に開く。短枝の脇に数個つき径2.5~3.5cm。色は基本的に淡紅、緋紅。白と紅の斑、白などがある。実は花梨のように大きな黄色い実がつく。樹高:1~2m。枝:若枝は褐色の毛があり、古くなると灰黒色。幹:樹皮は縦に浅く裂け、小枝は刺となっている。葉:長楕円形・楕円形。長さ 5~9cmで鋭頭でまれに鈍頭。基部はくさび形で細鋭鋸歯縁。
寒木瓜と木瓜と同じ品種だが、ふつうは3月から4月に咲くのに対して、11月頃から咲き出す花は、春に開花するものと区別するため「寒木瓜(かんぼけ)」と呼ばれることがある。木瓜と同属の植物にクサボケ(草木瓜、Chaenomeles japonica 英名Japanese quince)がある。50cmほど。実や枝も小振り。本州や四国の日当たりの良い斜面などに分布。シドミ、ジナシとも呼ばれる。花は朱赤色だが、白い花のものを白花草ボケと呼ぶ場合もある。日本に自生するボケはクサボケといわれる同属の植物。果実はボケやカリン同様に良い香りを放ち、果実酒の材料として人気がある。減少傾向にある。
花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」「平凡」。原産地:中国大陸。日本に自生するボケはクサボケといわれる同属の植物。
◇生活する花たち「辛夷の花芽・水仙・千両」(横浜日吉本町)

★雲刷かれ梅の冬芽の枝真すぐ/高橋正子
真っ直ぐに立つ梅の冬芽と、真横に刷かれる薄雲との構図が真新しく感じられます。寒さ極まる冬の光の中に春の兆しをくっきりと楽しむことができます。(小西 宏)
○今日の俳句
丘まるく夕日孕みし冬木立/小西 宏
なだからな丘の冬木立ちがいま夕日を孕んでシルエットのように美しく立っている。ずっと留めておきたいような冬景色。(高橋正子)
○寒(小寒、大寒)
★寒浄し床に白磁の観世音/川本臥風
★寒禽の啼きいて晴れの空を飛ぶ/高橋信之
★寒空の青に鳥らの飛ぶ自由/高橋正子
寒の入りから寒の明けの前日までの小寒と大寒とを合わせ、およそ三十日間が寒である。今年の寒の入りは、1月5日に、寒の明けの立春は、2月4日となった。寒という特別に寒く冷たい期間を人々は大いに利用しているように思う。正月のお餅が無くなったころ、「寒餅」と称して普段食べる餅を搗いていた。寒中なので、黴が生えにくこともあったろうが、なにか、引き締まったような餅の味がした。お酒なども寒造りといって、水がより清浄となるせいか、よい酒ができる。寒中は澄み切って晴れる日も多く、気持ちのよい寒さと向き合うことになる。鳥たちもひろびろと自由に空を飛んで、うらやましいほどだ。厳寒の地に住んでいないので、こういうことがいえるのだろうが。
○楓の実(楓の種)

[楓の実(冬枯れ)/横浜・四季の森公園(2012年1月26日)]_[楓の花/横浜日吉(2011年4月13日)]
★花楓こまかこぼるる又こまか/皆吉爽雨
★苔あをし更に影置く若楓/水原秋櫻子
★沼楓色さす水の古りにけり/臼田亜浪
★花楓日の行く所はなやかに/小野房子
★通行手形持たずに通る花楓/御崎敏江
★池の面に梢ひろごる楓の実/加藤暢一
★楓の実みどりの風に乗る構へ/桐一葉
★楓の実寒禽の胸見えており/高橋正子
楓の実は、楓の花が咲くからこそ付けるものであるが、楓の花も、楓の実も見過ごされがちではないだろうか。若葉の色の中に紅暗色の小さな花をつける。若葉と花の色の対比が美しい。その実は、プロペラのようで、これもまた可愛らしい。落ちるときを目撃したことはないが、くるくる回りながら落ちるなら、まるで竹とんぼではないか。
カエデ(槭、槭樹、楓)とはカエデ科カエデ属 (Acer) の木の総称。モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、その場合は様々な樹木の紅葉を総称している場合もある。主に童、謡などで愛でられるものはそれである。赤・黄・緑など様々な色合いを持つ為、童謡では色を錦と表現している。日本のカエデとして代表されるのは、イロハモミジ (A. palmatum) である。福島県以南の山野に自生しているほか、古くから栽培も行われている。園芸種として複数の栽培品種があり、葉が緑色から赤に紅葉するものや最初から紫色に近い葉を持ったものもある。一般に高木になる。落葉樹が多く落葉広葉樹林の主要構成種であるが、沖縄に自生するクスノハカエデのように常緑樹もある。葉は対生し、葉の形は掌状に切れ込んだものが多く、カエデの名称もこれに由来する。しかし、三出複葉(メグスリノキ)や単葉(ヒトツバカエデ、チドリノキ、クスノハカエデ)のものもある。花は風媒花で、花弁は目立たなく小さい。果実は二つの種子が密着した姿で、それぞれから翼が伸びる翼果である。脱落するときは翼があるので、風に乗ってくるくる回って落ちる。
◇生活する花たち「蝋梅①・蝋梅②・芽柳」(横浜・四季の森公園)
★水仙の枯れし終わりを折りて捨つ 正子
いい香りを放ってくれた水仙、その水仙の枯れた姿をいとおしまれ、丁重に折って捨てられました。花を愛し、大切に育てられ、生き生きとした姿を楽しまれ、最後は感謝の気持ちを込められました。人に接するように、水仙に向き合われ、優しさが溢れています。(藤田裕子)
○今日の俳句
寒念仏ひととき街が浄土なる/藤田裕子
寒の三十日の間、僧侶が修行のために、鉦や太鼓を叩き、念仏を唱えながら市中を巡る。僧たちの念仏が相重なり街に響きわたると、街がひととき、浄土となったような気持ちとなる。寒念仏を自分の生活に引きつけてよく捉えた。(高橋正子)
○水菜
★水菜洗う長い時間を水流し/高橋正子
水菜は、くじらといっしょにはりはり鍋にするのが関西風だろうが、さっぱりと食べたい菜ものだ。鍋にいれたり、漬物にしたり、油揚げとお総菜にたいたり。高橋家では代々、正月のお雑煮に水菜を入れる。水菜、里芋、人参、かまぼこ、ささみで東京風の味つけ。最近の水菜は生のままサラダに使われる。水耕栽培のようで、根元に土が噛んでいるいるよなことはない。畑に育った水菜は株も大きく根元に土があって、これを落とすのに結構丁寧に冷たい水で洗わなければならなかった。上掲の句はその頃の句。
○毬栗

[実の落ちた栗の毬/横浜四季の森公園(2012年1月26日)]_[青栗の毬/横浜市緑区北八朔(2011年8月7日)]
★誰も手に触れざる栗の毬置かれ 稲畑汀子
★毬栗を蹴つて日暮れの村となる/小澤克己
★毬栗や祖母に優しく叱られし/大串章
★毬栗に袋かぶせてありにけり/高橋将夫
★栗の毬そだちはじめし小ささよ/阿部ひろし
★毬栗の落ちてすとんと暗くなる/杉浦典子
★栗の毬心の毬と踏みしだく/中尾廣美
★峡の子の足もてさがす栗の毬/江頭信子
★栗の毬掌に水平にのせにけり/大東由美子
★毬栗を剥くに大事や鎌と足/田中英子
クリの雌花の集まりは雄花の穂の基部につきます。雌花は普通3個集まって鱗片のある総ほうに包まれています。受精が済むと総ほうが発達し雌花全体を包み込んだ、いわゆる「いが」になります。実が熟する頃になると四裂し実が現れます。“いがより栗”“いがも中から割れる”といった「いが」に関したことわざもあります。前者は“痛い「いが」より中のおいしい栗が良い”ということから、ガミガミ怒る人よりもご馳走してくれる人(甘いことを言う人)の方が良い、という意に、後者は実を固く包んでいる棘のある「いが」も秋になると自然に割れることから、人も年頃になると自然に色気が出て熟れることを意味しています。以前は栗の「いが」を天井に播いてネズミ除けにしていましたが、現在は「いが」に含まれるタンニンを利用した草木染めに使われるだけになりました。
◇生活する花たち「獅子頭(寒椿)・素心蝋梅・老鴉柿(ロウヤガキ)」(東京・小石川植物園)