★藤袴スカイツリーのいや真直ぐ 正子
秋の七草の一つである藤袴が、藤色の粒の蕾みを見せている、今や話題になっているスカイツリーが真直ぐにある。何処なのか見に行きたくなります。(祝恵子)
○今日の俳句
おしゃべりの後に摘みけり赤のまま/祝 恵子
おしゃべりに夢中になったあと、ふっと足元を見ると赤のままが咲いている。思わず摘み取りたくなるなつかしさ。自分に帰るほんの小さな時間。(高橋正子)
○第17回(15夜)フェイスブック句会
①投句:当季雑詠(秋の句)を計3句、十五夜・満月など
②投句期間:2012年9月30日(日)午後3時~午後8時
③互選期間:9月30日(日)午後8時30分~午後10時
④入賞発表:9月30日(日)午後10時
⑤伝言・お礼等の投稿は、9月30日(日)午後10時~10月1日(月)午後10時
※句会場は、facebookページ「インターネット俳句センター」です。
○句会主宰:高橋正子(花冠発行所代表)
○当番スタッフ:藤田洋子・高橋秀之・井上治代
http://blog.goo.ne.jp/kakan02d
○洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)

[ヨウシュヤマゴボウ/横浜・四季の森公園] [ヨウシュヤマゴボウ/ネットより]
★森行けば洋種山牛蒡の花と実よ/高橋信之
★秋山を歩けば洋種山牛蒡/高橋正子
「ヨウシュヤマゴボウ」は、意外と身近な植物なのかも知れなくて、小学校の理科の教科書に出てくる。なぜ「ヨウシュ」がわざわざつくのかも気になったが。野山でなくても茂みのはずれに花や実をつけている。、私は、私の子どもたちの理科の教科書ではじめてこの植物の名前を知った。しかし、私は、現実、ヨウシュヤマゴボウを身近な植物とは思いにくい。
ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡、学名: Phytolacca americana[1])は、ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の多年草。別名、アメリカヤマゴボウ。花言葉は野生、元気、内縁の妻。別名の通り北アメリカ原産。日本では明治時代初期以降、各地で雑草化している帰化植物。茎は無毛で赤く、根は太く長い。葉は大きく、秋になると紅葉する。花は小さく、白色ないし薄紅色で、夏の時期に扁平な果実をつけ、秋の初旬に黒く熟す。熟した果実は柔らかく、潰すと赤紫色の果汁が出る。この果汁は強い染料で、服や人体に付くとなかなか落ちない。この特性のため、アメリカ合衆国ではポークウィード(Pokeweed)[2]、インクベリー(Inkberry)などとも呼ばれている。
ヨウシュヤマゴボウは有毒植物で、全体にわたって毒があり、果実も有毒である。毒性は、根>葉>果実の順であるが、果実中の種子は毒性が高い。果実は、ブルーベリーと間違って誤食する事故もあり、注意が必要である。特に、幼児は影響を受けやすいので、果汁が直接皮膚に触れることも避けるべきである。毒成分は、アルカロイドであるフィトラッカトキシン(phytolaccatoxin)、サポニンであるフィトラッカサポニン(phytolaccasaponins)、アグリコンであるフィトラッキゲニン(phytolaccigenin)などである。また、根には硝酸カリウムが多く含まれる。誤食すると、2時間ほど経過後に強い嘔吐や下痢が起こり、摂取量が多い場合はさらに中枢神経麻痺から痙攣、意識障害が生じ、最悪の場合呼吸障害や心臓麻痺により死に至る。幼児の場合、種子を破砕した果汁を誤飲すると、果実数粒分でも重篤な症状を引き起こしうるので、十分な警戒を要する。ヒト以外では、草食動物は、一般に本草の摂食を避ける傾向が強いが、下痢、体温低下などをもたらす。また、鳥類では、成鳥が果実を摂食しても種子を破砕しないかぎり影響は少ないが、雛が摂食すると、死亡率の増加や運動失調などが見られる。
味噌漬けなどに加工して売られている山菜の「山ごぼう」は、本種または近縁の在来種ヤマゴボウとは全く異なる、アザミの一種モリアザミまたは野菜のゴボウの根であり、いずれもキク科であり、類縁関係は遠い。
◇生活する花たち「藪蘭・曼珠沙華・金木犀」(横浜日吉本町)
★式部の実色づき初めしに空晴るる 正子
ムラサキシキブが色づいてきました。空は高く澄み始め景色は明るく透き通ってきます。そのころのあらゆるものの色が式部の実の向こうに見えます。(多田有花)
○今日の俳句
さわやかに心を決めていることも/多田有花
この句は、心にきめていることがあって、それはさわやかなものだ、というのみである。体内をさわやかに風が吹く感じだ。(高橋正子)
○オクラ(秋葵)
[オクラの花と実/横浜日吉本町] [黄蜀葵(トロロアオイ)/ネット(野平美紗子)より]
★口楽しオクラの種を噛むことも/中村文平
★薄刃もて刻むオクラの糸を引く/松下裕子
★陽を浴びるオクラの花を訪ひにけり/山元重男
★一晩の時間オクラのふとりかな/松田秀一
★黄蜀葵花雪崩れ咲き亡びし村/加藤楸邨
★市原野とろろあふひの花咲かす/加藤三七子
★空を謳歌するごと黄蜀葵/野平美紗子
★オクラの花と実と出会う小さな旅よ/高橋信之
★秋葵川は南へ流れ去る/高橋信之
★秋葵花は黄色を澄ましきる/高橋正子
オクラの実は最近こそ食べるが、それまでは食べたことがない。軽く茹でて刻み、鰹節にだし醤油をかけて食べたり、天ぷらにする程度だ。ごく最近は、山芋とオクラの薄く切ったものを合わせて、だし醤油で味を付けて食べる。山芋もオクラも食べたい人向き。比較的評判はよい。さてオクラの花だが、綿の花に似ている。綿は小学生ごろまで我が家で栽培していた。夏休みに綿の実が弾ける。それを摘み集める。その後はどうなったがよく知らないが、綿の花と弾けた実の記憶はある。息子や娘たちに綿を育てて見せたことがあった。オクラの花よりも綿の花のほうが印象強く残っている。
「綿の花」で思い出したが、あの9.11の事件が起きる直前、「詩によるダイアローグ」という国連主導の仕事をしたとき、その仕事のあと、その時の仲間が、私のネット句集をアメリカで出してくれることになった。「綿の花」と題をつけてメールで送っていたが、その編集中に、9・11事件が起き、その話は立切れになった。アメリカがそれどころではなくなったのだろう。オクラや綿の花を見ると、全く関係ないような個人の私も、9.11事件の影響を思うのである。
★露消えしばかりの時間秋葵/高橋正子
オクラ(秋葵、Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaから。沖縄県や鹿児島県、伊豆諸島など、この野菜が全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という日本語で呼ばれていた。今日では当該地域以外では「オクラ」という英語名称以外では通じないことが多い。
以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたが、現在ではトロロアオイ属に分類されている。短期間で50cm-2mほどに生長し、15-30cmの大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイに非常に似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ5-30cmの先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する。原産地はアフリカ北東部(エチオピアが有力)で、熱帯から温帯で栽培されている。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた。アメリカ州では、主に西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。日本に入って来たのは明治初期である。熱帯では多年草であるが、オクラは少しの霜で枯れてしまうほどに寒さに弱いために、日本では一年草となっている。
オクラは、刻んだ時にぬめぬめした粘り気が出るが、この粘り気の正体は、ペクチン、アラピン、ガラクタンという食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっている。日本では、生あるいはさっと茹でて小口切りにし、醤油、鰹節、味噌などをつけて食べることが多い。他にも、煮物、天ぷら、炒めもの、酢のもの、和えもの、スープ、すりおろすことによってとろろの代用にするなどの利用法がある。加工食品として、ソースやケチャップの原材料としても用いられる。種子は煎じてコーヒーの代用品として飲まれた歴史がある。
トロロアオイ(黄蜀葵、学名:Abelmoschu manihot )は、アオイ科トロロアオイ属の植物。オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。原産地は中国。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。花の色は淡黄からやや白に近く、濃紫色の模様を花びらの中心につける。花は綿の花に似た形状をしており、花弁は5つで、朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると地面に落ちる。花びらは横の方向を向いて咲くため、側近盞花(そっきんさんか)とも呼ばれる。
◇生活する花たち「露草・藪茗荷の花と実・曼珠沙華」(東京白金台・国立自然教育園)

横浜北八朔・梨園
★梨の実に白雲の空広がれる 正子
白雲の流れる秋空の下、たわわに実をつけた梨園の景を描かれたものと思います。春から初夏にかけてこの梨園には白い梨の花が雲のように広がって見えたでありましょう。季節の移り、自然の妙をふと感じさせられます。(河野啓一)
○今日の俳句
バッタ飛んで青空は見ざるかな/河野啓一
バッタはよく飛ぶが、はたして青空が目に入っているのであろうか。その貌はいつも草や土を見て、空を見ないようではないか。(高橋正子)
○杜鵑草(ほととぎす)
[杜鵑草/横浜日吉本町] [ヤマホトトギス/東京白金台・国立自然教育園]
★杜鵑草暮れ母の忌の仏間暮る/林 翔
★時鳥草顔冷ゆるまで跼(セグク)みもし/岸田稚魚
★紫の斑の賑はしや杜鵑草/轡田 進
★杜鵑草壺中にくらき水湛う/養学登志子
「杜鵑」は鳥のほととぎす。「杜鵑草」と書けば、植物のほととぎすである。我が家の庭の下草に植えていた。なかなか丈夫で秋になると赤紫の班がある花をつける。暗いようでもあり、にぎやかなようでもある。玄関に花がない日には、この花を一茎摘んで籠に挿した。それだけで結構様になる。庭や近くの野辺の一輪の花が空間にうるおいを与えてくれた。杜鵑草もそんな花のひとつである。
★活けたれば花が飛びたる杜鵑草/高橋正子
ホトトギス属(杜鵑草属、学名 Tricyrtis)は、ユリ科植物の属の多年生草本植物である。山野の林下や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生する。葉は互生し、楕円形で長く、葉脈は縦方向で、表面には毛が生える。花期は初夏から秋にかけてで、雌雄同花で上向きに咲き、花弁が 6枚で直径数cm程度のもので 2〜4日程度咲くことが多い。東アジア(日本、台湾、朝鮮半島)に分布し、19種が確認されている。そのうち日本では 13種(変種を除く)が確認されており、うち 10種は日本固有種である。 日本列島を中心に分布していることから、日本が原産であると推定されている。
ホトトギス Tricyrtis hirta (Thunb.) Hook 代表種。草丈は 1m になり、花は葉腋に 1〜3個ずつ付き、4日間咲く。花期は秋。関東・新潟県以西に分布する。 ヤマホトトギス Tricyrtis macropoda Miq. 関東以西の太平洋側および長野県に分布し、草丈は 1m ほどになる。花は 2日間で、茎の先に花序を伸ばし、晩夏に咲く。花びらの折れたところに斑紋が入らず、花びらが反り返るところで判別できる。
◇小紫・白萩・金木犀/横浜日吉本町◇

イギリス・コッツウォルズ
★秋夕日羊にそれぞれ影生まる 正子
秋の夕日を浴びた羊の影は長く長く伸びまるでガリバーの巨人の世界のようですね。秋の爽やかさがひしひしと感じられますね。(小口泰與)
○今日の俳句
とんぼうととんぼの影の水面かな/小口泰與
とんぼうが水面を飛ぶ。そのとんぼの影も水面にある。澄んだ水面と、とんぼうの翅の透明感がよい。(高橋正子)
○曼珠沙華

[曼珠沙華/東京白金台・国立自然教育園]・[白曼珠沙華/横浜日吉本町]
★曼珠沙花あつけらかんと道の端 漱石
★木曾を出て伊吹日和や曼珠沙華 碧梧桐
★駆けり来し大烏蝶曼珠沙華 虚子
★彼岸花薙がば今もや胸すかむ 亞浪
★悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる 山頭火
★曼珠沙華無月の客に踏れけり 普羅
★崖なりに路まがるなり曼珠沙華 石鼎
★葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華 蛇笏
★曼珠沙華五六本大河曲りけり 喜舟
★投網首に掛けて人来る彼岸花 汀女
★曼珠沙華茎見えそろふ盛りかな 蛇笏
★曼珠沙華傾き合ひてうつろへり 泊雲
★むらがりていよいよ寂しひがんばな 草城
★考へても疲るるばかり曼珠沙華/星野立子
★曼珠沙華今朝咲きぬ今日何をせむ/林翔
★青空に声かけて咲く曼珠沙華/鷹羽狩行
★水に水ぶつかり勢ふ曼珠沙華/能村研三
曼珠沙華は、稲が熟れるころになると、突然に咲く。花が咲くころは、葉も茎もないから、ある日赤い蝋燭の炎のような蕾がついて、蕾があるな、と思うともう開くのである。稲田の縁や小川のほとりに数本のこともあれば、群れて咲くこともある。彼岸のころ咲くからだろう、学名がヒガンバナである。やっと気候がよくなって旅をすれば、車窓から真っ赤な曼珠沙華が稲田を彩って咲いているのをよく見かける。日本の秋には欠かせない花だ。曼珠沙華には毒があるから、さわったらよく手を洗うように言われた。摘んで帰っても、家に活けてはだめと言われた。
毒があると知りながらも、こどもたちは曼珠沙華を折って、茎を2センチほど、茎の表皮を残してに繋がるように折り、首飾りを作った。つくったけれど、首にかけたことはない。野原の草で遊んだころだ。
白彼岸花というのもある。これは俳句を作るようになって知った。俳句仲間には、こうした珍しいものを育てている方もおられる。赤があれば、白がある。金があれば銀がある。これは、対よろこぶ日本人的な発想か。曼珠沙華の時期が過ぎれば、あっという間に消えて、いよいよ秋が深まってゆく。
★旅すれば棚田棚田の曼珠沙華/高橋正子
★曼珠沙華日暮れの空の青きまま/〃
★起きぬけの目にりんりんと曼珠沙華/〃
日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化したものと考えられる。人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。
◇生活する花たち「黄花コスモス・露草・芒」(横浜日吉本町)

★もろこしのつめたさつまり露の冷え 正子
○今日の俳句
石段を下りて清流芋水車/桑本栄太郎
石段をおりれば清流がある風景が爽やかでよい。芋水車は、芋を洗うために小川に仕掛けられた小さい水車。昔ながらの清流が想像できる。(高橋正子)
○稲刈

[稲刈/横浜市緑区北八朔] [稲干す/横浜市緑区北八朔]
★世の中は稲刈る頃か草の庵 芭蕉
★みるうちに畔道ふさぐ刈穂哉 杉風
★稲刈れば小草に秋の日のあたる 蕪村
★落日が一時赤し稲を刈る/青木月斗
★稲を刈る夜はしらたまの女体にて/平畑静塔
★月の水ごくごく飲んで稲を刈る/本宮哲郎
早苗取り、田植え、田草取り、稲刈り、脱穀、籾干しなど、一連の稲作の仕事は、小学生から中学生ぐらいまではすべて手伝って経験した。稲刈りは、今よりもっと遅く、日暮れが早かったと思う。子どもは、手が小さいので、刈り取る稲も少しずつしか刈り取れない。鎌で指を切ったこともあるが、それでも猫の手よりましだったのだろう。子供の主な仕事は、大人が束ねた稲を運んで稲架(はざ)架けることだった。稲を刈ったあとの田んぼは広くなり、虫も飛び出し、自由に遊べたので、稲刈りは結構面白かった。夏の田草取りは、手ではなく、小さい回転刃のある農具を稲株と稲株の間に入れてざぶざぶと押して田草の根を切るものだった。暑い盛りだったが、田んぼを吹く風が気持ちよかった。大人は苦労だったろうが、子供には、田草取り以外は楽しいものだった。親類が集まって、早苗を植える間隔を決めるコマのついた綱を張り田植えをした。稲は鎌で刈る。脱穀も足踏み式のものだったが、ごりんごりんと調子よく稲穂が藁から離れていった。籾干しは、筵に広げて干すが、籾干し用たの農具があった。グランドを均すような溝のある道具だ。庭に干すので、籾を干した傍で遊ぶのは厳禁。ボールが飛んで行ったときは、ひやひやして筵の端を踏んで取りにいった。小石が籾に入ったのでは大変だから。そのほかにも籾と玄米を風を起こして振り分ける大げさな農具もあった。50年ほども前のことで、今なら農具資料館などに展示されてあるようなものだ。
★田の土の匂いが強し稲を刈る/高橋正子
★稲を刈りバッタ飛びたる弧が澄みぬ/〃
稲刈り(いねかり)とは、熟したイネを収穫するために切り取る農作業で、普通は根元からその穂ごと切り取る。古代には穂のみを切り取ったと考えられるが、現在では株の基部で切り取るのが普通である。刈り取った稲は、普通はその基部で縛って束ね、ぶら下げて乾燥させる。実際の米の収穫はこれ以降の脱穀の過程で行われる。人力のみで行われていたころは、大きな人数を要し、集中して行う必要のある作業であった。稲刈りは古来より、日本の農村部における秋の代表的な風物でもある。秋祭りは、その年のイネが無事に収穫されたことを祝い、来年も豊作であることを祈願する祭りである。日本では第二次世界大戦後も久しく、鎌を用いて手作業で稲刈りが行われた。稲刈りに使用する鎌は、刃先が鋸になった特殊なもので、イネの茎の切断が容易に出来るよう工夫されている。稲刈りの実際の作業は、近年のコンバインの登場によって大きく様変りした。
コンバインは1940年代に初めて登場し、徐々に普及した。稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるのがコンバインの特徴である。稲刈りから脱穀をまとめて行うが、その間籾の乾燥工程がないので、脱穀された籾は直ちに専用の穀物乾燥機にかけられる。現在でも、山間地や棚田など大型の農業機械の導入が困難な田んぼ(圃場整備が行われていない千枚田など)では、バインダーで刈り取り、稲架にかけて乾燥、ハーベスターで脱穀するという組み合わせで収穫するか、もしくは鎌を用いた従来通りの作業方法が採られている。
コンバインの普及により作業時間は大幅に短縮されたが、車両後方に排出される藁のくずが皮膚に付着すると、比較的大きな痒みや(人によっては)肌荒れが起きる為、コンバイン搭乗者以外の作業従事者は作業時の風向きに十分注意する必要がある。稲刈りを行っている農家が顔を覆うようにタオルや手ぬぐいを着用しているのは、その痒みを事前に防ぐ為である事が多い。近年は高価ではあるがキャビン(操縦席が密閉されているもの)付きの車両も登場しており、エアコンが搭載されている事も含め、搭乗者の負担は大幅に減少しているようだ。
刈り取られた稲は水分が多いので、稲架にかけて天日干しされ、十分乾燥した頃に脱穀を行う。人力のみに頼ったころは、多人数が必要であったから、当然のように子供も動員された。そのため農村域では学校でも休暇を設定しているのが普通であった。農繁休暇と呼ばれたが、一般には稲刈り休みと呼んでいた。
神社で神に捧げる少量の稲を神職や氏子などの手により作られている場合もあり、この場合、稲刈りはだいたい手作業で行われる。皇居でも生物学御研究所脇に御田があり、毎年9月下旬頃に天皇が自ら手作業で稲刈りをする。この行事は昭和天皇が始めたもので今上天皇にも引き継がれている。収穫した稲は伊勢の神宮に納めたり、皇居内の神事に使うほか、天皇一家の食事にも使用されている。
◇生活する花たち「秋海棠・ベゴニア・紫蘇の花」(横浜日吉本町)
●イギリス俳句の旅第7日~8日/2011年9月26日~27日●
◇帰国 成田国際空港へ◇
[ロンドン・ヒースロー空港] [成田国際空港]
2011年9月25日(日)午後1時45分(日本時間午後9時45分)発のヴァージン・アトランティック航空0900便に搭乗し、ロンドン・ヒースロー空港を離陸、帰国の途へ。
日本時間26日(月)午前9時30分、成田国際空港着。所要時間11時間45分。
予定より少し早く成田に着き、午後1時前に自宅に帰りました。今年のイングランドの秋は、温かく、傘、レインコートを使うことなく、晴れた日に恵まれました。チェスターではアン王女に、大英博物館ではキャメロン首相の一家の姿も見ましたので、ラッキーな旅でした。俳句と写真はこれから追々整理してゆくつもりです。ともかくも、無事帰国したことをご報告します。
○イギリスの旅をして1年経った。昨夜は、ベランダで採取したハーブが乾燥し、句美子がポプリ袋を作るというので、小切れを探した。探している最中に漱石の本が2冊崩れ落ちた。開けてみると、ちょうど「倫敦塔」と「倫敦消息」などが入っている。イギリス旅行で、倫敦塔はバスの窓から眺めただけで、以前「倫敦塔」を読んだときも、勉強不足で霧の中のものを見るような感じだった。しかし、今読み返して納得するところが多かった。烏や、暗殺される二人の王子、衛兵が鎧を見たかと聞く話など、見てもいない倫敦塔の内部が想像できた。
書き残したことも多くある。ポントカサルテ水道橋の架かるディー川のこと、シェークスピアの生家のあるエイヴォン川のこと、教会の庭のことなど。私は、俳句を作っていることもあって、初めての土地ながら、そこが嫌いでなければ、比較的自然体でその土地に馴染むことができる。多分外国であっても。その風景を体に刷りこもうとする意志が無意識に働く。こういうことでよりよく旅を楽しむことが出来ていると、俳句の効能を思う。イギリスのバイブリーで出会った犬を連れて散歩する人たちからも親切を受けた。旅行者には決して開放されてない庭も見せてもらったり、素敵な近道も教えてもらった。ただ、勉強不足のままイギリスを訪ねたのが、悔やまれる。
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イギリス・コッツウォルズ
★栃の実のかがやき拾いポケットへ 正子
「イギリス・俳句の旅」を楽しく拝見させて頂いております。コッツウォルズもとても静かで、美しいところですね。栃の実は栗によく似ていますけれど、毬に棘がありません。リスなどが容易く齧って、外皮だけを落としてきます。濃い茶色の殻は丸く艶やかで、とても親しみを感じます。「ポケットへ」の表現はにそんな優しさから生まれたのではないでしょうか。 (小西 宏)
○今日の俳句
静かなる海の遠さや稲光/小西 宏
海ははるかに遠くに静かに横たわる。全く平らかに。ところが、その海をいらだたせるかのように、稲光が走る。平らな海と稲妻が好対照。(高橋正子)
◇生活する花たち「秋海棠・金木犀・小紫」(横浜日吉本町)

●イギリス俳句の旅第6日/2011年9月24日●
◇ロンドンシティ◇
[ハロッズの電飾] [睡蓮(キューガーデン)]
今日は、今回のイギリス旅行の最後の観光となる。明日、ロンドンヒースロー空港発の便で帰国の予定。
今日の予定は、ヒースローのホテル(ホリディインロンドンヒースロー M4 JCT 4)を午前8時15分に出発。午前がロンドン市内観光。午後は自由行動。
○ロンドン
ロンドンの観光名所はすでにたくさんの写真で日本でもみんなに知られている。国会議事堂の時計ビッグ・ベン、ロンドン塔、タワーブリッジ、ロンドン橋(なんの変哲もない橋)、ウェストミンスター寺院、セント・ポール大聖堂、バッキンガム宮殿をバスの窓から。バッキンガム宮殿は降りて写真を撮ったりした。それからテムズ川の水。昼食は、イギリスの代表的な料理フィッシュアンドチップスを食べたが、これはフリーメイソンの建物の近くにある。「フリーメイソン」と聞くと、不思議な気分になる。昼食後、ロンドン三越で40分ほど買い物。その後自由行動。キューガーデンに行くことにした。三越があるところは、ピカデリーサーカス。このピカデリサーカスから、地下鉄(チューブと愛称されるが)でキューガーデンまで行く。ロンドン市内から3、40分。ピカデリー線のハンマースミス駅まで行き、そこからリッチモンド行きに乗り換え、キューガーデン駅で降り、徒歩15分ほどで、キュウーガーデンに着く。駅からほぼ真直ぐな道だ。
二階バス次々来たり秋暑し
○キューガーデン
キューガーデンでは、時間があまりないので、まず温室を見学。温度は28度Cに設定され、水蒸気をふかしているところもある。アフリカ、オーストラリア、などと分けられそこの熱帯植物が沢山集められている。いちいち名前を確認して写真をとることもできないので、よいと思ったものを次々に映した。日本で観葉植物として売られているものも多く見かけた。日日草などはアフリカの花である。胡蝶蘭は見事。温室の地下は水生植物や海藻などもあり、魚もいる。これはさすがと驚いた。
温室の後は、オニバスを見ようとウォーターリリーハウスに入ったが、運よく、水連の見ごろで、色とりどりの花が咲いていた。黄色、ピンク、紫、白など。日本で見かけるのと違って、花が大きい。茎も水の上に出て、やがて倒れて花が水に浮くようだ。蓮の花があったが、これに注意書きがあり、これは睡蓮ではないのだと書かれてあった。
温室を見たあと、なんとか伯爵公園、とか薔薇園を見る。もっと奥へゆくと宮殿があるのだが、そこに行く時間はない。薄の類を集めたとろこがあり、チカラシバまであった。歩けば、野菊、ほととぎす、日本の楓もある。ガチョウだろうか芝生に飼われて糞に気をつけながら歩いた。芝生には、マーガレットより小さい野菊ほどの白い花が芝に埋もれるように、日本でいえば、蒲公英のように咲いている。見学のあとショップでこの花を周りにあしらった写真立てを句美子が買った。三越集合が5時45分なので、四時半過ぎにキューガーデンを後にした。キューガーデンの駅にも咲きほどの白い小花のイラストが描かれてかわいいえきであった。苗や球根を売っている店も駅前にはいろいろあった。
睡蓮の花いろいろに水を出る
夕食は、三越近くの中華料理。夕食後、ヒースローのホテルへ向かうが、ハロッズがデパートの建物を小さな電飾で飾っていた。添乗員さんも初めて見たとのことである。ハロッズはロンドンシティのはずれにある。シティを出れば一路ヒースローのホテルへと走った。夜は帰宅の準備となって、カッスル・クームで拾った栃の実を残念ながらゴミ箱へ捨てた。
栃の実を捨てて旅の終わりなり
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★霧に育ち大根くゆりと葉を反らす 正子
「霧に育ち」とはやや標高の高い山間部に育った大根でしょうか。大根は見た目に大きく育っていても未だ食べごろになっていない葉っぱは真っ直ぐに立っていますが、食べごろのサインとして「くゆりと葉を反らす」状態になってきます。美味しい収穫時の大根が目に浮びます。 (佃 康水)
○今日の俳句
ゆきあいの空へコスモス揺れどうし/佃 康水
「ゆきあいの空」がなんともよい。出会った空にコスモスゆれどうしている。そんな空に明るさと夢がある。(高橋正子)
◇生活する花たち「茶の花・犬蓼・吾亦紅」(横浜下田町・松の川緑道)

●イギリス俳句の旅第5日/2011年9月23日●
◇カッスルクーム・バース◇

[カッスルクームの街] [バースの街]
カッスルクーム
教会の秋ばら色も白がちに
朝霧に日が散り馬の立ちつくす
栃の実のかがやき拾いポケットへ
バース
ローマの温泉(ゆ)深くのぞきて秋の旅
バースの街の道を伝いて秋日燦
○カッスルクーム
カッスルクームは、コッツウォルズ地方なのだが、観光は翌日にまわりバースへ行く前に寄ることになった。駐車場でバスを降りて、谷へと森の坂道を15分ばかり下ったところにある街で、50メートルも歩かないうちに尽きてしまうような小さな町である。30件ほどの家があろう。バイブリーよりもずっとしっとりとした町で、町の中心にはマーケットクロスという十字架のあるお堂風の建物がある。ここで市を開いてよいという許可の印ということであった。ボードン・オン・ザ・ウォーターにも、マーケットクロスがあり、こちらが7,8メートルの塔でてっぺんに十字架があった。われわれは集合場所の目印にした。
カッスルクームもウールで栄えた町で教会がある。かわいい教会で、入口や祭壇はもちろんのこと、教会に集まる人たちの席のわきにも、ブーケの薔薇がそれも生花がそれぞれに活けられてあった。四角な箱様の足置が置かれていたが、一つ一つクロスステッチの刺繍がされている。信者たちが作ったのであろうが、やさしく、かわいらしいものばかりである。ステンドグラスも小花がちりばめられて、かわいくやさしい印象である。この教会も町には不似合いなほど立派で、ウールの財によって造られたので「ウール教会」と揶揄されて呼ばれている。イングランドには、あちこちに「ウール教会」がある。
カッスルクームも人々が普通に暮らしているが、秋の草花がきれいに咲いている。家の壁とよく似あって、絵本のような町である。ピンク色の貴舟菊が咲き乱れ、しゅうめい菊もあった。窓にもそれぞれに花を飾ったり、ハンギングバスケットを下げたりしている。真黒に熟れた葡萄が窓を飾っている家もある。庭としは決して広くない。日本の普通の家にある庭ほどであるが、見事なセンスで花をまとめ上げている。近所との調和も忘れていないのだろう。イングランドに花が多いのは、気候のせいも大いにあるだろうと思った。5月ごろから咲く花が9月の終わりになってもまだ咲いている。盛りのときとは色も変わり、姿も衰えているが、それはそれで、いい風情なのである。盛りを過ぎた花と、今を盛りの花がうまく混ざり合って、絵画的な色彩となっている。貴婦人の衣装を思わせるようなところもある。
一緒に来た日本人で教会に入ったのは私と句美子のほかは、二人ぐらいであったと思う。時計の仕掛けを硝子張りで見せていた。教会の小さな墓地をよぎると出口があるのでそこから出て、十歩ほど歩き車の通る道に出た。出たものの、そこは、マナーハウス(領主の館)の敷地のようであった。緑の芝生がきれいに手入れされて広がっている。パラソルがひとつ立ててある。その敷地を囲んで農機具のようなものを置いている家が何軒があったが、どうも芝刈り機のようである。マナーハウスには、宿泊客以外は入れないが、しかし、どこから出ればよいものか。うろうろしているうちに、マナーハウスの敷地からは出たようだ。喫茶店も家具屋もあるがしずかで、歩いている住民らしい人はだれも見かけなかった。車は通って行ったが。家は思ったより小さく、日本の家がウサギ子屋と笑われるほどでもないと思えた。しかし、丁寧にしずかに、おろらくこころ豊かに暮らしている。カッスルクームはバイブリーよりもしっとりと落ち着く谷の底にある町であった。
○バース
世界遺産に登録されたバースは、ローマ浴場跡が楽しみ。ヨーロッパのあちこち、イギリスにも、ローマ人がやってきた遺跡がある。バースは、予想以上の大きい都会であった。バースの町は、中世の作家チョーサーによる「カンタベリー物語」に出てくるバースの女房で初めて知ったのであったが、陽気で善良な(good)な女房である。その印象そのままに陽気な街でミュンヘンの町の雰囲気もあった。教会の広場では楽器を演奏したり、歌ったりして人を楽しませていた。人が入れ替わり演奏するのである。どら焼きのよう大きな金属で出来た楽器を二人で演奏していた。それを小学生が教師と親に引率されて見に来ていた。バースではローマ時代の浴場があるが、見学すると1時間以上かかる。一部分見えるところがあるのでそこから浴場を見物した。黄土色の石、まさに「ローマの色」の浴場の白緑色の水がたまってあった。現在は使用されていなく、温泉水だけを売って飲ませている。あまり美味しいものではないらしい。1時間以上かかるところを15分ぐらいで済ませたので、句美子と教会とバースの街を見物して回った。教会の内部の建築は垂直様式。真直ぐ白柱が天井まで立って、天井で花が開くようにパッと開いて優美である。柱ごとにそうなっている。見物していると高いところから赤い洋服の老人が降りてきたので、そこから上へあがれると思ったが違っていた。彼女の右手には水差しがあった。花に水を差しに上っていたようだ。教会も人々の奉仕で賄われている。入場料は無料だが、寄付を2,5ポンドほど求められる。女性の司教?がパンフレットを渡してくれた。
バースの街の繁華街は本屋やファッションの店が並んで、花屋が道にテントをはっている。リューマチの病院があったり、さすが温泉街である。商店街を上り詰めると50メートルくらいは続いている一つの建物があったりする。どれも古く、横道にそれれば、落葉がからから転がり、ろくに掃除のしていないところもある。偶然にも「ジェーン・オースチンセンター」の小さな建物に出くわした。センターといってもショップなのである。入ってみると「自負と偏見」の小説をはじめ、彼女の本を売っている。レースばかりのパラソル。レースの扇も売っている。そこでは買うほどのものはなく、また街をやたらと歩き、教会の塔を目指して、もとの場所に帰った。
▼カッスルクーム
http://homepage3.nifty.com/E-RoseCottage-Garden/page020.html
▼バース:
①http://www.linkclub.or.jp/~kiki/omake/bath.html
②http://www.romanbaths.co.uk/
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★虫籠に風入らせて子ら駈ける 正子
草原で秋の虫を追いかけて、虫籠を持って走り回る元気な子どもたち。そんな様子が軽やかに感じられます。(高橋秀之)
○今日の俳句
涼新た一直線に船が出る/高橋秀之
新涼の季節。港を出てゆく船も、かろやかに一直線に航跡を残して出てゆく。新涼の気分に満ちた句。(高橋正子)
◇生活する花たち「水引の花・吾亦紅・チカラシバ」(横浜下田町・松の川緑道)
●イギリス俳句の旅第4日/2011年9月22日●
◇コッツウォルズ◇ストラトフォード・アポン・エイボン◇

[白鳥(バイブリー)] [シェイクスピアの家(ストラトフォード・アポン・エイボン)]
○バイブリー
コッツウォルズ地方と言えば、日本ではバイブリーの景色がなじみとなっている。この町は世界一きれいな町として、実際ここに住んだウィリアム・モリスが言っている。彼は町の保存に力を尽くしているが、もとはウールで栄えた町だった。産業が下火になり、家を建て替えたりする資金がなく、昔のままが保存されたということである。家は、近くで多く産出されるライムストーンという砂岩で出来たブロックを積んで造られて、独特の風合いとなっている。小川も大変きれいで、ウールで栄えたころの教会がある。ライムストーンは、湿度や気温などその土地によって、変色がさまざまであるそうだ。花が家を飾り、これが普段の人々の生活そのものであることに驚かされる。教会のとなりに小さな小学校があるが、しずかに授業をしている声が聞こえた。乗用車がひっきりなしに通るのも不思議なほどだ。
水澄んで白鳥ふうわり流れくる
○ボードン・オン・ザ・ウォーター
ボードン・オン・ザ・ウォーターは、町を浅い川がながれ、川のほとりは、芝生が植えられベンチが置いてある。川に六本橋がかかっているが、二〇歩ほどで渡れる橋だ。観光にきた老人も多く、町の人に交じってゆっくりお茶を楽しんでいる。ここのティーハウスで、お昼前だったが、クリームティーを句美子と楽しんだりした。クリームティーは、紅茶とスコーンのセットを楽しむお茶のことで、スコーンにジャムとバタークリームが付いて供された。アールグレイを頼むとゆったりとしたティーポットに入れてきてくれた。
お茶のあと、観光街を外れてあるいていると、「ポッタリー175ヤード」の小さな標識があったので、そのポッタリーをさがして歩いた。ヤードはたぶん、「ひとひろ(両手をのばした長さ)」ではなかったかと、思いつつ歩くと間もなく見つかった。
店に入って驚いた。益子焼とバーナードリーチの作品に非常に似ている。なにかそういう影響を受けたのかと店の女主人に聞くとそうだという。彼女も芸術家で彫刻と絵付をしている。主人が焼いている。ミルクピッチャーを一つかった。益子焼に似ている。彼女によれば、浜田庄司の湯呑をひとつもっているとのことだった。パンフレットにはリーチイーストセンターでご主人が勉強したと書いてあった。近くで産出されるこれもライムストーンを使っているようであった。モリスにしろ、リーチの影響を受けたご主人にしろ、思ってもみなかった縁がここにあることに、驚かざるを得なかった。
秋夕日羊にそれぞれ影生まる
○ストラトフォード・アポン・エイボン
シェークスピアの生家を訪ねる前に、妻のアンの生家を訪ねた。趣のある藁ぶき屋根の家で庭には当時植えられていたであろう花がいろいろ植えてあった。屋根には小さな金網を掛けてあり、小鳥が巣づくりで藁を抜いていかないようにするためと聞いた。
シェークスピアの生家は、街のなかにあり、写真で見るより小さかった。シェークスピアが生まれた両親の部屋なども見たがベッドもずいぶん小さい。大きくなると、背に大きな枕当てて、半身を起して寝たようだ。体を伸ばして寝ると死んだように見えるからとも言っていた。暖炉があり、冬は湿った薪を焚くので、部屋は煙りがもうもうとなり窓を開けて寝たとも。そのために、ナイトキャップが必要とされたそうだ。父親は皮職人だったので、皮手袋をぶら下げて売っていた部屋もあった。今は裏庭に秋のはなが咲き乱れていたが、トサツ場であったようで、牛の骨が見つかっている。ドラマ仕立ての説明があったが、ドラマティックに仕立ててあって、演劇の素地がこの街にあることを十分に感じた。著名演劇人に交じって日本人では黒沢明の写真が1枚あった。
この街の中学生や高校生をバスが停車しているとき見たが、日本人とわかると、「こんにちは。」と声をかけてくる。日本の普通の中学生と変わらない。明るい雰囲気のする街であった。シェークズピアが眠る教会を訪ねたが、アプローチに12使徒を表す菩提樹が12本両脇に植えてあった。エイボン川の流れが静かであった。
シェイクスピアの生家
秋晴るる日射し庭の花々に
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四国88ヶ所45番札所 岩屋寺
★月明の寺に湯浴みの湯をたまわり 正子
閑寂そのものの月下の寺の佇まいに、いっそう澄み渡る月の光を思います。その清澄な、月明の寺での湯浴みが、ことのほか清浄に感じられ、賜る湯浴みの湯への感謝の念が心静かに伝わってまいります。 (藤田洋子)
○今日の俳句
湯のはじく乳房の張りよ夕月夜/藤田洋子
生命を産む母体の尊厳と美しさをあまさず伝えていて衒いがない。衒いのなさは、ある意味、少年ぽさなのかもしれない。(高橋正子)
◇生活する花たち「藻の花・萩・藪蘭」(鎌倉・宝戒寺)

●イギリス俳句の旅第3日/2011年9月21日●
◇チェスター・トレヴァー◇

[市庁舎のバルコニーとアン王女(チェスター)]
リバプールへ
秋草の朝日にそよぎリバプールへ
牧の草秋草なれば黄の花も
九月の牧遠く羊が草食める
青草も露の草なり牧牛に
露けくて牧の草色みな深し
リバプール
聖堂を出でて仰げる秋の空
リバプール街は雑多に落葉あり
チェスター
チェスターに王女迎えて秋晴るる
城塞を歩むと黄葉の樹に触れぬ
トトレヴァー・ポントカサルテの水道橋
黄葉はじまる水道橋の高さにも
今日の予定は、チェスターのホテル(ホリディインチェスターサウス)を午前8時(日本時間午後4時)に出発し、午前はリバプールとチェスターを観光。午後はトレヴァーへ。水道橋と運河を観光。観光後、午後3時、約120km南のバーミンガムへ向かう。バーミンガムのホテル(パークインバーミンガムウェスト)到着は、午後5時(日本時間22日午前1時)。イギリスでの移動は、すべてバス。
○リバプール
リバプールは、宿泊しているチェスターから近い港町。それもそのはず、チェスターが港として栄えていたが、港が流れ込む砂で浅くなって使えなくなったため、リバプールが港として使われるようになった。チェスターの港であったところは、競馬場となっていた。
リバプールはビートルズの生まれた街としても有名だが、リバプール大聖堂もあり、降り立っただけでも街の風景に活気が感じられる立体的な街だ。ここでの観光はリバプール大聖堂であったが、聖堂の回廊などを歩くことができた。祭壇のステンドグラスなは、どの教会にもあって、ステンドグラスがなければ、天からの光がとどかないので、信仰心にも影響を与えるだろうと不謹慎な思いもしないでもなかった。この聖堂は、庶民のくらしに入っているようで、ハート型の10センチ足らずの紙に、「息子がよくなりますように!」などと書いて、チャンドルスタンドに似たツリーのようなものに、たくさんかけられていた。聖堂のなかには、ブックストアと称して、観光客用に文房具やカレンダー、ビートルズのCDなと実にいろんなものが売られたいる。教会の回廊を歩いていて、冷たい感じがしないのが不思議だ。この街の素地がビートルズを生んだとも言えるのだろう。リバプールの聖堂で、カレンダーやボールペンを買って次の観光地チェスターへ向かった。
○チェスター
チェスターの市庁舎近くでバスを降りると、楽隊の音楽が聞こえ、人だかりがしている。やがて、目の前を兵隊の楽隊が行進してきた。楽隊も楽しいが、きょうはアン王女がチェスターに来ておられ、間もなく市庁舎のバルコニーにお出ましになるということで、ローマ時代の遺跡の城塞の見学そっちのけで、みんなで王女の登場を待った。登場までには、まだ20分ほどあるというので、句美子と二人、城塞を見に出掛けた。街を歩いて城塞へ上る階段を見つけたので上ると市内が見渡せた。城塞の外側の街と内側の街がよく見える。ハーフチンバーという木組みの家が美しい。世界で最も美しい街の一つだという。黒い木の部分と、壁の白いところが半々なのだそうだ。建築材料の木が不足するようになり、この建物が造られなくなったそうだ。外観は昔のままに保たれているが、中は改装されてモダンな商店街になっている。ローズという回廊のような部分があって、人はここを行き来して買い物を楽しむ。特殊な建築様式である。城塞の上で通りがかりの人に黄葉の美しい木の名前を尋ねたが知らないという。代わりにここを降りれば教会の庭に出るからと教えてくれた。その通りに行くと、教会の庭に出た。ふいにりすが二匹姿を見せたので、カメラを向けたが、写ったのは尻尾だけであったかもしれない。城塞と街を見物して、集合場所にもどると、運よくすぐに王女の登場となって、これも記念にカメラを頭上高くあげてカンを頼りにアン王女を写した。遠くであったが、赤い洋服を着た王女が確かに写って安心した。イギリス国民に人気のある王女だそうだ。これも記念となった。
○トレヴァー
ポントカサルテの水道橋は、運河となっていて、そこを「ナロウボート」という細長い観光船が行き来している。ボートには菫の鉢植えなどをきれいに飾ってある。橋の上ではボートはすれ違えないと思うほど狭い。幅は4メートルぐらいだろう。
▼港湾都市リバプールは、ザ・ビートルズ誕生の地として名高い:
http://www.visitliverpool.jp/
▼チェスター:
http://urara-y.at.webry.info/201007/article_10.html
▼トレヴァー・ポントカサルテの水道橋と運河
http://yukainatousan.blog2.fc2.com/blog-entry-609.html
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★パイプ椅子天の川へと向け置かれ 正子
七夕伝説と結びつき、万葉のころから詩歌に数多く詠まれてきた天の川。そのような天空に流れるように連なる満天の星座に向けて、パイプ椅子が置かれているという。秋の夜空と一体となった景に「パイプ椅子」が印象的です。(小川和子)
○今日の俳句
石榴今枝にほどよき重さあり/小川和子
石榴の実は、弾けるころには、重くなって、細い枝がぐんと撓む。そうなると、重すぎないかと思うが、重くならない手前の湾曲した枝に、「ほどよさ」がある。視点が面白い。(高橋正子)
◇生活する花たち「桔梗・女郎花・稲穂」(横浜市緑区北八朔町)
