1月21日(土)

★日は燦と冬芽の辛夷生かしめて  正子
春に芳香のある白い六弁花をつける辛夷の蕾は冬の柔らかな日差しを受けて、春を迎える準備にいそしんでいる素晴らしい景ですね。 (小口泰與)

○今日の俳句
枯野にもほのかに朱かきもののあり/小口泰與
枯野となっても、枯一色ではなく、薄にしろ、ほかの草にしろ、ほのかに朱をもっている。「もののあり」と、多くを述べないので、却って句に膨らみと深みがでている。

○寒椿/冬椿
★寒椿つひに一日のふところ手/石田波郷
★木の葉中つき出て咲けり冬椿/松瀬青々

(寒椿)

早咲きの椿のこと。八重咲きの大神楽や、一重の侘助など、あるいは山椿の早咲きのものを、寒椿という。自宅のある横浜日吉本町の丘に探梅に信之先生と出掛けた。そこで寒椿と出会った。

★寒椿そよげる竹の葉にふれて/高橋正子
★寒椿葉が焼けながら咲いており/高橋正子

◇生活する花たち「茶の花・侘助・梅の花芽」(横浜日吉本町)

1月20日(金)

★水仙を活けしところに香が動く  正子
庭に咲いている水仙は、その辺りがとてもいい香りがしています。その水仙を部屋に活けると、また芳しい香りが漂ってきます。「香が動く」に感銘いたしました。 (藤田裕子)

○今日の俳句
寒念仏ひととき街が浄土なる/藤田裕子
寒の三十日の間、僧侶が修行のために、鉦や太鼓を叩き、念仏を唱えながら市中を巡る。僧たちの念仏が相重なり街に響きわたると、街がひととき、浄土となったような気持ちとなる。寒念仏を自分の生活に引きつけてよく捉えた。

○蕗のとう
涸滝のにじみそめたる蕗の薹/清崎敏郎

昨日、平成24年1月19日、寒中に蕗のとうを見つけた。農家の畑の隅には蕗の葉が小さくなってちらほら残っている。その葉の根もとに目を凝らして見ると予想にもしなかった蕗のとうが見つかった。丸みにはやや欠けるがふっくらとしている。早春の蕗のとうの黄みどり色と違って、緑が霜に当たったような色であった。
早春、蕗のとうが出るとやはり嬉しい。春が来たと思う。黄みどり色がうれしい。あのまるっこい形を摘んで手に収めるのもうれしい。蕗のとうにはよろこびがある。

蕗の葉の小さきに護られ蕗のとう 正子

◇生活する花たち「藪椿・冬椿・梅の花芽」(横浜日吉本町)

1月19日(木)

★寒林を行けばしんしん胸が充つ  正子
葉を落とし切り、枝をあらわにして鎮まる冬の林。地中深く根を張り近づいてくる春を待つ木々。想像力を刺激する冬の森で、詩人はいろいろな思いで胸を膨らませる。 (古田敬二)

○今日の俳句
寒禽の影滑る野に鍬を振る/古田敬二
野に懸命に鍬を振っていると、寒禽の影が滑っていった。土と我との対話があって、寒禽がそれに色を点じて景がたのしくなった。添削は、「冬禽」を「寒禽」として、鳥のイメージを際立たせ句に緊張感をもたせた。

○冬菫
★冬菫咲く万貫の巌を割り/藤井亘

「すみれは早春に花をつけるが、日当たりのより野山では野生のすみれは冬の半ばでも咲いているのを見かける。」と角川歳時記にある。金蔵寺の寺の裏山に登ったが、だれも人が来ぬらしく積もった落葉に埋もれてすみれが咲いていた。たったひとつということが多い。菫はかれんな花に似ず生命力が旺盛。子供のころ、畑にすみれが咲き喜んでいたら、すみれは瞬く間に増えて作物の邪魔になると、あっけなく抜き捨てられた。上掲の「万貫の巌割り」のすみれも、強靭な生命力を詠っている。
このごろは、パンジーも冬の花壇や鉢に植えられ、花の少ない季節に彩りを添えている。寒そうではあるが、生活の風景を変えている。

★冬すみれ日はしろがねに高くあり 正子

○グーグルの検索
グーグルで「俳句」と検索すれば、「インターネット俳句センター」がウィキペディアの次、2位の位置に来ている。昨夜の検索で驚いた次第。アドレスをkakan.infoに変えたので検索順位はぐんと下がったままではと思ったが、suien.ne.jp以上になった。おかげさまです。

インターネット俳句センター:http://kakan.info/

◇生活する花たち「梅の花芽・エリカ・蕗のとう」(横浜日吉本町)

1月18日(水)

 早稲田大学
★学生喫茶ジャズと会話と暖房と  正子
学生喫茶という言葉が若者が集い活気のある光景をうかがわせてくれます。ジャズの流れる中、きっと会話も弾んでいることでしょう。(高橋秀之)

○今日の俳句
冬草に海の青さが押し寄せる/高橋秀之
海の岸辺近くの冬草。日にかがやく海の青が強くて、冬草にまでその光が及んでいる景。テーマは「冬草」で、添削はテーマをはっきりとさせた。

○冬薔薇
★冬薔薇の一輪風に揉まれをり/高浜虚子

薔薇は花卉界の寵児でその種類が非常に多い。一般的には薔薇といえば初夏の花。初夏に薔薇展も多く開かれ、薔薇園も開放されて明るい季節にふさわしい花である。オールドローズもどこかの花園で咲いているのだろうと想像すると優美な気持ちになる。
冬の薔薇は、上掲の虚子の句のように、冷たい風に揉まれて、何かに耐えているが、自分を崩さない美しい女性の表情にも似ている。先日散歩の途中に、北側の窓の格子に黄色い冬薔薇を見たが、このような女性を思った。黄色い花弁の端が、寒さでほんのりオレンジがかって、完全に咲いて風に揺れていた。

★冬薔薇ほんのりオレンジ色の咲く/高橋正子

◇生活する花たち「冬薔薇・侘助・乙女椿」(横浜日吉本町)

1月17日(火)

★寒厨卵も餅も白ほのと  正子
寒中の寒々とした台所ですが、滋養に富む卵と餅のほのかな白さに、ほっと安らぐあたたかさを感じます。その白の優しい温もりは、寒厨ならではといえるのでしょう。(藤田洋子)

○今日の俳句
一路澄み石鎚見ゆる寒の晴/藤田洋子
行く手の一路の道が澄んで、その先に雪を冠った石鎚山が見える。寒晴れがくれたすっきりと、晴れやかな景色。(高橋正子)

○慈姑(くわい)
くわいを掘りにゆくからついてくるように言われたのは、もう半世紀以上も前。母の里には、蓮根やくわいが植えてあって、泥の中から青いくわいを伯母が掘りだして見せてくれた記憶がある。丸くて青いくわいは子供心にも魅惑的だった。これは、備後地方のこと。四国松山では、青くなく、その形も扁平である。正月料理に芽が出ていることから目出度いということで使われる。正月料理用には、一個150円から200円近くで売られているが、値段のことを言ってはおれないので買うのだが、私は、普段でもこのくわいを食べたい。しかし、正月を過ぎるとこのくわいが八百屋の店頭からも姿を消してしまうので、残念なのだ。昔、昔夏休みのころ食べた菱の実の味に似ていると思う。くりっとして、ほっこりしている味である。

◇生活する花たち「冬桜・水仙・万両」(横浜日吉本町)

1月16日(月)

★水仙の香をすぎ山路急となり  正子
寒い冬を待って咲き始める花。春の黄水仙と違って葉の割に花は小さい。群れて咲くとあたりに香りを溜める。その香りを横切って急な坂を登る。登りきった頂から眼下に海が広がる、そんなことを想像した。(古田敬二)

○今日の俳句
寒禽の影滑る野に鍬を振る/古田敬二
野に懸命に鍬を振っていると、寒禽の影が滑っていった。土と我との対話があって、寒禽がそれに色を点じて景がたのしくなった。添削は、「冬禽」を「寒禽」として、鳥のイメージを際立たせ句に緊張感をもたせた。

○白菜
白菜を夜は星空の軒蔭に  正子

白菜は、鍋に漬物に大根に劣らず日本で多く食される野菜のひとつ。白菜の漬物が美味しい。白菜に丸ごとに包丁を根もとのほうだけ入れ、あとは割いて四等分なり八等分なりして、太陽の恵みがありますようにと日向で干す。日向で干すことにより白菜に甘味が増す。一日では十分でなく夜は霜露がかからないように軒下に入れる。こうしてしんなりしてきた頃漬物につける。十分な重石がなければ、おいしいものができない。目下の悩みは、漬物に十分な重石を持っていないこと。それでも小さい漬物器で初めから小さく切って漬物を楽しんでいる。

◇生活する花たち「椿・蝋梅・ひいらぎ南天」(横浜日吉本町)

1月15日(日)

★波立てば鴨の勇みて泳ぎけり  正子

○今日の俳句
牡蠣揚がる瀬戸の潮(うしお)を零しつつ/佃 康水
広島は牡蠣の産地として知られているが、牡蠣の水揚げを詠んだ句。潮を零しながら、しかも瀬戸の、と具体的な詠みに情景がくっきりと浮かび上がり、臨場感が出た。

○水菜
★水菜洗う長い時間を水流し/高橋正子

水菜は、くじらといっしょにはりはり鍋にするのが関西風だろうが、さっぱりと食べたい菜ものだ。鍋にいれたり、漬物にしたり、油揚げとお総菜にたいたり。高橋家では代々、正月のお雑煮に水菜を入れる。水菜、里芋、人参、かまぼこ、ささみで東京風の味つけ。最近の水菜は生のままサラダに使われる。水耕栽培のようで、根元に土が噛んでいるいるよなことはない。畑に育った水菜は株も大き根元に土があって、これを落とすのに結構丁寧に冷たい水で洗わなければならなかった。上掲の句はその頃の句。

◇生活する花たち「百両・千両・万両」(横浜日吉本町)

1月14日(土)

★雪晴れに鴨のまばらにそれぞれに  正子
雪がちらついたり止んだりの晴れ間、池の面には鴨たちが三々五々、思い思いに展開して夫々に晴れ間を愉しんでいる。そんな風情が目に浮かんできます。「まばらにそれぞれに」で一つのリズムを感じさせてくれます。 (河野啓一)

○今日の俳句
さわさわと光と影を水仙花/河野啓一
水仙に日の光りが当たると、花にも葉にも影ができる。日のあたるところはより輝いて、当たらないところは静かに深く影ができる。その光と影が「さわさわ」とした印象なのは、水仙の姿から受け取られるものであろう。(高橋正子)

○蕪 
★雪降らぬ伊予の大野や緋の蕪/高浜虚子

蕪は絵になる。大根もなるかもしれないが、蕪のほうが形と葉に面白みがある。信之先生が絵を描くときは、野菜は絵になったあと台所へ回される。小蕪は、寒い時期なら、まるごと煮て葛あんをかけるのが評判がいい。あとは、ポトフやみそ汁に入れたり、漬物や酢の物になっている。最近男の子は酢の物を嫌うので、蕪の酢の物はあまり作らなくなった。酢の物はサラダにとってかわられている。
大根と呼ばれながら、蕪としか思えないものもある。さくらんぼのような赤い二十日大根、千枚漬けの聖護院大根。私のイメージでは、この二つは蕪の仲間に入っている。聖護院大根は、子供のころ、冬の保存食として、京都の千枚漬けとは違っているが、薄く銀杏切りにして甕いっぱい酢漬けにされていた。今思えば、寒い季節のわりに酢が強すぎたという感じだが、この聖護院大根をかぶらを呼んでいた。
子供にとっては、蕪といえばロシアの民話の「大きなかぶ」の話だろう。佐藤忠良の挿絵の「大きなかぶ」の絵本を何度も子供に読まされた。

◇生活する花たち「蝋梅・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月13日(金)

 石鎚山
★雪嶺にこだま返すには遠き  正子

○今日の俳句
澄みていし枯野に響く貨車の音/迫田和代
枯れが進んでくると、枯れも澄んだ感じとなる。枯野を長い貨車がことことと走り抜けて行く音が、人間的な懐かしさをもって訴えている。

○葱
折鶴のごとくに葱の凍てたるよ/加倉井秋を
葱太る日が高々と駅裏に/高橋信之

広島の備後地方に育った私は、葱は子どものころ嫌いな野菜であった。父母の世代までは、葱というより根深と呼んでいたような記憶がある。根元に深く土を寄せていた。土から掘り上げて、枯れた葉や薄皮を剥くと、葱の匂いがぷんとして、手に泥がかたまったように黒くつく。一皮むけば、葉葱ながらまっ白い茎が現れた。すき焼きにもこの葉葱が使われる。みそ汁や、ただ葱を油揚げや豆腐と炊いたような惣菜にも。霜の朝、家の前の畑に行くと、加倉井秋をの句のように、葱の葉は、くの字に折れている。折鶴を連想させるのも無理もない。根の白い部分を食べるものを、「東京葱」と呼んでいたが、田舎では見たことはなかった。今は横浜に住んでいるので、もっぱらこの白い根を食べるものを使っている。葉葱の代表の九条葱も売られているが、これは、めったに買わない。小葱と呼ばれる薬味に入れる葱は冷蔵庫に切らすことはなく、この小葱は普段大活躍。厚焼き卵に入れるし、小葱の小口切りにしたものだけをいっぱい入れたみそ汁もたまに作る。これがまた美味なのだ。葱は、地方によってさまざまの品種があるようだ。焼き鳥の肉の間に挟んだ焼いた葱もおいしい。焼いたり、煮たり、刻んだままで、嫌いだった葱も好きとは言わないがよく食べている。
葱剥けばすぐ清冽な一本に  正子

◇生活する花たち「茶の花・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月12日(木)

★水仙を活けしところに香が動く  正子
水仙の魅力のひとつはあの高い香りです。水仙を活けられて飾られたお部屋なのか玄関なのか、そこに人が出入りして動くたびに水仙の香りも動く、繊細にとらえられた水仙の姿、水仙のある生活です。 (多田有花)

○今日の俳句
髪洗う耳に木枯し届きけり/多田有花
髪を洗うときに耳の辺りが一番ひんやりするが、そこに木枯らしが吹く音が届いた。「耳に届く」は、リアル。季語は「木枯らし」。

○平成24年3月号投句

遊行寺坂
高橋正子

 戸塚
水仙の二三花朝日の清源院
徒歩旅にはやも椿の赤い花
冬がすみ富士のこちらの山いくつ
 藤沢
栴檀の実に藤沢の白き雲
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
きらきらと靴かがやせ冬の坂
 藤沢宿
山茶花の一樹咲き添う古き壁
 金蔵寺
除夜の鐘鳴りはじめなる一の音
 駒林神社
かがり火に開きて読める初みくじ
正月の山の落葉のかく深し

○すずしろ(大根)
★流れ行く大根の葉の早さかな/高浜虚子
虚子写生の代表な句で、昭和3年11月10日、九品仏吟行のときの作品。句の対象が「大根の葉」のみで、そこに焦点が絞られ、他が切り捨てられているので、作者の思いが何処にあるか、見極め難い。そこが評価の分かれるところであろうが、私は、この句をよしとした。俳句というものを教えてくれる佳句である。(高橋信之)

「すずしろ」は大根の昔の呼び名で、1月7日の七草粥では大根のことを今でも「すずしろ」という。

大根は日本でもっとも消費量の多い野菜と聞く。大根が昔ながらの食生活を牽引しているとも言えるのではなかろうか。日本の食卓から大根が消えるときがあろうか。

大根の食べ方もいろいろ。ごく最近では、朝食のポトフに蕪ではなく、大根を入れた。朝食用なので、野菜は小さめに切った。大根はいちょう切り。キャベツとともに、あっさりとして体が温まる。ポトフに大根を入れるのは、私のアイディアではなく、伊豆の今井浜のホテルに泊まったときに、地元野菜を使った料理がいろいろと出されたがそのうちのひとつ。
これもごく最近のぶり大根。おなじみの料理だが、大根は皮を剥かずに乱切り。ほんの少し甘味だが、大根くささ、苦味などがほとんどなく、しかも確かに大根の味がする。子どもから大人まで楽しめる味だと思う。料理家の土井善晴さんのレシピをネットからダウンロード。
それから、秋には、大根を千六本に切ったものに、ちりめんいりこをトッピングして昆布ポン酢で食べる。浅漬け大根も寒い朝にはさわやかでよい。信之先生は、千六本に切ったものを湯豆腐に入れるのが好きで、たまに、そういう食べ方もしている。

◇生活する花たち「蝋梅・椿・こぶしの花芽」(横浜日吉本町)