★散ればすぐ桜冬芽の鋭がりたり 正子
秋になり紅葉となる樹木の中でも、いち早く散るのが桜紅葉ですね!。「散ればすぐ」との措辞に、生命のある樹木のたくましさと、命を繋ぐものへの讃歌が巧みに詠われ素敵です。 (桑本栄太郎)
○今日の俳句
咲き満ちて山茶花高し村の垣/桑本栄太郎
「村の垣」がよい。いく年も経った山茶花の高い垣根に囲まれて暮らす村の生活が美しい。すっきりとした句である。(高橋正子)
★山茶花の高垣なればよく匂う 正子
高垣もいろんな木がありますが、山茶花であればこそ、花の香りが漂います。よく匂うので、きっとたくさんの花が咲いていることでしょう。(高橋秀之)
○今日の俳句
賀状書き並べテーブル埋め尽くす/高橋秀之
年賀状を書くときの様子は、まさにこのよう。版画を押したり、絵の具や墨を使ったり、昨今は、パソコンで写真を印刷したりして、思い思いの年賀状を作る。乾くまで重ならないようにすると、テーブルが埋め尽くされていく。新年の挨拶を楽しみながら書く、歳晩の日本のほのぼのとした家庭が知れる。
◇生活する花たち「ブーゲンビリア・ウィンターコスモス・木瓜」(横浜日吉本町)
平成24年2月号作品10句
湖水に向きて
高橋正子
ひつじ田の明るいみどりを疾走す
トンネルを抜けて手帖に差す冬日
十一月のはだらな雪の富士が右
湖北四句
平らかな湖水に向きて冬はじめ
波音の湖に生まるる冬はじめ
胸までの波に浮かびて湖の鴨
栴檀の実の散らばりに湖晴るる
大阪城天守二句
冬がすみ生駒の山の青透かし
六甲も金剛山も冬がすみ
柿の葉ずし車中の冬灯に広げたり
★跳躍の真紅の花のシクラメン 正子
シクラメンの花の形は確かに跳躍しているようです。こうして言葉にしていただくと、確かにそうだ、と気がつきます。まして真紅となれば華やかな跳躍です。(多田有花)
○今日の俳句
石蕗の花はや日輪の傾きぬ/多田有花
句の姿が整っている。暮れ急ぐ日にしずかに灯る石蕗の黄色い花が印象に残る。(高橋正子)
○新聞を読む
日経12月6日付け朝刊「私の履歴書/松本幸四郎」
父は常に言っていた。「弟子は師匠の悪いところを真似(まね)て、いいところをとらない。自分で覚えろ」と私にあまり教えなかった。芸の伝承の難しさを実感させる言葉である。
日経12月6日付け夕刊「こころの玉手箱/興福寺貫首 多川俊映」
「真言は不思議なり 観誦(かんじゅ)」すれば無明を除く」「真言つまり真理の言葉は、本質を洞察したもの。だから、とりあえずの意味など考えず唱えなさい。そうすれば無明すなわち煩悩は除かれてゆく。理屈っぼい私に温厚な和上がくださった、弘法大師の名句だ。寡黙な父も同じことを教えてくれていたのだと後年、気が付いた。」
偶然にも同じ日に内容の同じような記事が掲載された。松本幸四郎の父の言葉には、とくに感じ入った。
先日若い俳人と称される人たちが俳壇の外で、ネットを使って読者を広げているという紹介があったが、今日の二つの記事を読むと、「真理」とは程遠い、伝統文化とはほど遠い、愚にもならない若者俳人である。
★臥風忌の今日にわが句の刷り上がる 正子
臥風先生の薫陶を受けられた正子先生、臥風忌にはひときわ強いお気持があることでしょう。ご遺志を継ぐべく、詠んだ俳句と創刊した俳誌が、その忌日に刷り上がった。まず臥風先生に見て頂く。何と仰るかしらと緊張しつつ、晴れやかな正子先生のお顔が浮かびます。(川名ますみ)
○今日の俳句
水鳥の来て多摩川の和らぎぬ/川名ますみ
多摩川はますみさんにとって、日常の身近な川。そこに水鳥がやってきて川に生き生きとして、和やかな表情が生まれる。楽しい冬の川である。
○臥風忌
臥風先生が亡くなられたのは、昭和57年12月6日であった。ちょうど庭の八つ手の花が満開で、ヒヨドリがよく啼く日だった。今年31歳の長男の元は2歳であった。はや29年経った。花冠を創刊したのは、翌年の昭和58年で、臥風先生が亡くなられたあとは、公私ともにいろんな出来事があった。現在臥風先生の弟子で雑誌があるのは、花冠だけとなっている。よくここまで続いた。「細く長く」は、臥風先生のときからのモットーでこれを実践してきたわけだ。信之先生の当日の句に<先生が居ない乾いた風の吹く師走>がある。
★冬鵙の囃すは水照る向こう岸 正子
今年は暖冬気味の気候と言われ、本来冬になれば鳴かないと云う冬の鵙も、明るい向こうの岸から元気良く鳴き声が聞こえて来る・・。それは恰もお囃のように聞こえ、冬の明るいひと日が想われて素敵な一句です。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
落葉踏む紅も黄色もさみどりも/桑本栄太郎
落葉と言えど枯れ色の葉ばかりではない。紅も、黄色も、またさみどりもあって、色鮮やかである。今落ちたばかりの葉も混じって、冬に入れば冬の明るさがある。(高橋正子)
○木瓜の花
木瓜と書いて「もっこう」と読む場合もあるが、普通「ぼけ」と読む。この音を聞いてほとんどの人は「あほ、ぼけ」の「ぼけ」を想像するだろう。それがこの花のおもしろいところで、木瓜は春の花であるが、花の少ない冬、暖かい陽だまりなどに咲き始める。棘があって、花は梅のように枝について咲く。葉は花の後から出るのであるが、この朴訥な枝と少ない花を生かして春の先駆けを思わせて生花にも使われる。雪が降ったりすると、雪を冠った花がうれしそうに見える。実は花梨のように大きな黄色い実がつくのも、「ぼけな」感じだ。
○第6回フェイスブック日曜句会入賞発表
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