8月1日(月)

★撒き水の虹を生みつつ樫ぬらす  正子

○今日の俳句
炎天に祭り用意の男たち/黒谷光子
炎天下、祭りの用意に余念のない男たち。汗をいとわず動く意気込みが、男らしさとなって、用意の段階から祭りを盛り上げている。(高橋正子)

○電話

第一話
朝、一息ついてお茶を飲んでいると、電話が鳴る。
「広告代理店のコウハクドウ(確かそう聞こえたが)と申しますが。高橋正子先生でいらっしゃいますか。」
「そうですけど。どういったご用件でしょうか。」(とこう言いながら、廣済堂、博報堂は知っているけれど、聞いたことないなあと思う。)
「実は、原爆記念日に祈りの句として読売新聞に先生の俳句を載せられてはいかがでしょうかと思いまして。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。」
「・・」(どこで私のこの句を知ったのかしらと頭を回す。俳句年鑑しかないね。)
原爆犠牲者への祈りの句と言ったり、去年の夏の思い出の尾瀬の句を出してきたり、俳句に感じいった演技に、電話を切るタイミングを一瞬逸して、次のことを聞く羽目になった。
「みんなで八人なんですがね。元文部大臣の有馬先生の奥様や、俳人の高橋先生のお嬢様の瑠璃子様とか、それからですね。そういった方々に去年は句をいただいたのですが。今年は先生に是非お願いしたいのです。」
「少しお待ちください。」
朝のお茶を飲んでそのまま椅子に座っている信之先生に、電話の内容を三言、四言話す。言いながら、私は信之先生の顔付きにひらめいて、
「広告代はおいくらですか。」
「25万円です。」
「それでは、結構です。」
(やはり。)
信之先生は、「長々電話を聞いて、馬鹿だなあ。」という。
(しかし、自分の句を他人が知っていれば、次に何を言うか聞いてみたくなるも人情ではないか。)
「安ければ出していいけどな。」
「有馬先生の奥様はお金がおありなんでしょう。」
「そうだろうな。」

第二話
翌日、飛騨三十三観音霊場、第三十三番札所、高野山真言宗「千光寺」から、ダイレクトメールが来た。「千光寺」といえば、懐かしい寺の名前。封筒の中を開けないで、裏表見返して、差出しの寺の住所を確かめる。私の知る「千光寺」ではない。私の知るのは、尾道市にある桜の名所の千光寺。尾道は林文子や志賀直哉が一時住んでいた文学の町。子どものころ、鞆の浦から岬を回ってくる安正丸という小さな客船に乗って桜の季節には家族で花見にでかけたところ。港の石段がみどりの潮に浸って潮の香りが漂う尾道の港。桜とみどりの潮が脳裏を横切った。封書は、その寺からではなかったが、開けて見た。
「飛騨円空の里」「標高八百メートルの静寂」「千二百年の法灯を今に活かす」「円空物六十三対を安置」これは、パンフレットに記された飛騨千光寺のうたい文句。円空仏といえば、惹かれる。ここのご住職が東日本大震災の支援活動を宮城県でされて、あまりの悲惨さに心を悼め、山内に八十八ヵ所霊場を「祈りの道」として作り、犠牲者の慰霊と復興を祈願するということであった。八十八の霊場ならぬ句碑を建てるが、参加してはいかがかというもの。御影石に句を刻んで三十万円。四国に長年住み八十八ヵ所は生活に近いもので、高橋家も弘法大師の真言宗。弘法大師のご縁もあるが、なんとも。標高八百メートルの飛騨山中に句碑を建てても、そこへ見に行けるかどうかと、くだらぬことを思ったり。

第三話
そして、翌日、京都の三木半というホテルから俳句吟行宿泊の案内。三木半の女将は俳人。六角通麩屋町角にあるホテル。三木半からは、水煙の時には年に一回くらいパンフレットがよこされていたが、花冠となっては初めて。
「お母さん、こんなところからパンフレットが来て、お母さんは有名なん?」と句美子が言う。面白い娘である。
「有名になりかけているかも知らんけど(少々からかう)、有名ではないよ。商売はこういう風にして、お金を出してくれそうな人に大勢やたらと当たるのよ。」

どの件も、縁がないわけではないが、お金に縁のない身には、全く縁がない。かくして、詐欺にも合わず、お金に取り込まれることもなく、過ごしている。

◇生活する花たち「月見草・コリウス・白粉花」(横浜日吉本町)