俳句
どこまでも眩しい一月の太陽
晴れ
○昼間はいいお天気。ヒアシンスの蕾が膨らんで、色が見え始める。ヒアシンスというと、その香りもいいが、東大の建築科にいた詩人の立原道造の設計に、「ヒアシンスハウス」というのを思い出す。まぼろしの設計書のようだが、小さな部屋に、ベッドがあり、好きなときに詩作し、疲れるとベッドに寝ころがれるような家らしい。
○新年吟行句会の昼食は、インターネット俳句コンテスト協会の交流会とするので、第18回インターネット俳句コンテストの審査員諸先生にメールでご案内。
○小口さんから、鬼平糖ことかりんとうが一箱宅急便で届く。中に手紙があり、ブログ句会の年間賞第2席のお礼と、かりんとうは、新年オフ句会にみなさんで召し上がってください、とある。一箱といってもお菓子の卸問屋さんの一箱なので、楽しくなるくらいどっさり。お楽しみに。
○新年吟行句会は、早稲田大学にある会津八一記念博物館の見学など、句会は、関口芭蕉庵で。関口芭蕉庵の横の胸突き坂を上ると、目白台に出る。そこに、細川家の文庫がある。細川元首相は、政界を引退後、趣味に世界で過ごされているようだが、一度、松山三越で作陶と書展があり、たまたま立ち寄ると、元首相が作品集にサインを入れておられた。一冊買い、会場出口でサインをいただいた。大ぶりの茶碗が多かったように思う。書は、仮名がお得意かな、とも思った。その作品集は、引越しのとき手放したので、今はない。
俳句
○14日の新年吟行句会(早稲田界隈)の案内を電話。10名程度になりそう。
○松山行きを4月上旬と決める。
○正月の間水遣りを忘れていたプランターの水遣り。
俳句
曇りときどき晴れ
○昨夕、花冠2月号が印刷所から届く。今朝、信之先生と発送準備。夕方発送。
○メール便用のバーコードシールを1000枚クロネコに頼む。
俳句
晴れ
○信之先生早稲田まで外出。旧友の元フジテレビの尾崎さんと会う。梅の絵の俳画に俳句を書いたものと、花冠1月号を持参。
○あすは七草。買えば揃う七草だが、買うべきか、足らずとも自分で揃えるべきか。
○今日のブログ句会、5日の句の入賞は女性ばかりになった。
俳句
晴れ
○ブログ句会の年間賞1席藤田洋子さん、2席小口泰与さん、3席黒谷光子さんに。12月月間賞を藤田洋子さん、祝恵子さんに、新年ネット句会の金賞を友田修さんに、銀賞を井上治代さんに、銅賞を佃康水さんにそれぞれメール便で送る。
今回は、信之先生の俳句葉書と正子の俳句葉書を賞品とする。
○大阪の秀之さんによれば、大阪では4日ににらみ鯛をくずすというか食べる習慣がまだ残っているそうだ。お子さんたちの句にその句がある。我が家は今日になって崩した。
俳句
追悼宮本和美さん
新年の月に発ちゆくさびしさよ
○本年度橘俳句賞の宮本和美さんが、元旦に逝去。本日葬式。葬儀の前に、気丈にも奥様から電話がある。橘賞の賞状と副賞の扇子は28日に届き、ご本人が見て、玄関にかざるように言われたとのこと。奥様は特に喜んでくださり、我が家の家宝とまで。
泰次さんにつづき、和美さんと、気骨のある俳句を作る方が相次いで亡くなられる。
○和美さんの訃報を聞く前に、ブログ句会年間賞、12月月間賞、新年ネット句会の金銀銅賞の賞品を信之先生と準備。送るのは、明日とする。今回は信之先生の俳句はがきと正子の俳句はがきをそろえて送る。
<ネット句会投句>
元旦の空へ欅が芽を張れる
雲遠し全く蒼き二日の空
水仙の花さ揺るるを持ち運ぶ
晴のち曇り
○新年ネット句会。26名投句。78句。
○昼過ぎ、長男が寮に帰る。今年は寒いので、電気コタツを持たせて帰す。
○夜、正子の誕生日を祝う。句美子がケーキとプレゼントをくれる。
すき焼きをしたが、いまひとつ不人気。おせちのほうがおいしいらしい。奮発した牛肉も影がうすい。来年からは、肉やハムは見直しということに。
俳句
晴れ
○新年句会に投句のための句を拾いに鯛ヶ崎公園へ。
○夕方長男が来て、御節で新年を祝う。午後5時到着の予定が午後7時。関越道の渋滞のため、所沢から日吉まで4時間かかったとのこと。
数の子は、やはり、限定品の北海道産のものが当たりでした。
黒豆は今年はとくにふっくら煮えました。
田作りは、もとの魚がよかったようです。
海老は、ミソが一品でした。
○元旦のラジオ深夜便。高村薫氏への新春インタビューの終わりあたりから聞く。
経済も、社会も、政治も行き詰まった感じがあります。では、今年の希望は?の質問に「言葉の深みでしょうか。」の意味のことを話された。やはり、そうでしょう。同感です。
○新春インタビューに引き続き、石川啄木の『一握の砂』が朗読され、合間に唱歌が流れる。唱歌は「灯台守」など、美しいもの。そして「青葉の笛」も。なぜ、『一握の砂』を今日正月に、と思いつつ聞く。派遣の切捨てなど社会問題のある世のせいか、とも思いつつ。最後にきて、『一握の砂』出版100年に当たりますとの紹介。
唱歌は、深夜便を聴く人の年齢に合わせたものだろう。唱歌を聞きながら、今、美しいもの、善なるものは、否定されていると思う。日本人の感じ方の特徴であった「もののあはれ」。それにしても、やはり驚くのは、笛の名手と和歌の名手二人の平家の公達を歌った「青葉の笛」が流れるとは。平家の話をすれば、夜中、私の祖先は清和源氏と聞かされていることを思い出だし、日本人は、文学好きの民族ではないかと言う考えも浮かぶ。平家物語があればこそ、「青葉の笛」がしみじみと聞かれる。首をはねた武将もあわれ公達の弔いのために、寺を建て祀る。戦が物語として、言葉になる。それこそ、高村薫氏のいう、言葉の深み、重みであろう。世の中の行き詰まりのとき、言葉は深む。
謹賀新年
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
千両の実があかあかとわが街に 正子