俳句
天気
俳句
天気
俳句
青嵐の丘をあてなく上りけり
さきがけて咲きし菖蒲の青紫
青葦原戦ぎて青のひと色に
寄せ来る波のごとくに青葦の丈
きらめいて風と消えたりルリタテハ
若葉蔭水車が汲みだす水ひかり
若葉蔭水車が時を生みつづけ
山桑の実が熟れてるよこの道は
睡蓮の茂れる葉より花蕾
アキニレの若葉さやがす山の風
時鳥去りしあとなり青葉山
卯の花はわがふるさとの庭の花
晴れのち曇り
○昼食を摂りながら、吟行に出かける話が出て、2時半過ぎから、中山の四季の森公園に出かける。
今回は、中山駅から、動物園行きのバスに乗り、白根上口でバスを降り、南口から四季の森公園に入る。展望台の丘まで登り、森の道を伝う。あっと言うまに森の中の道は尽きてしまった。結局、前に行ったところの最終地点の藤棚のところに出て、菖蒲園を巡る。菖蒲は二.三花咲き始めたばかり。青蛙が盛んに鳴くようになった。菖蒲田の外れ、流れに近いところに、蛍を保護している草原がある。覗いてみると、蓬の葉柄辺りに泡がついて、幼虫が居ることが確認できる。菖蒲田をあとに、道を伝う。葦原に出る。睡蓮池があり、その奥に水車が設えてあって、水をゆっくりと汲み出している。さらに奥へゆくと、炭焼き小屋があるようだが、そちらへは回らず、北口のほうへ向かう。ヤマグワの実がたくさん熟れている。前に来たときは、白い花が散ったあとで、実がつくなど、想像すらさせてはいなかった。卯の花が咲いている。事務所の情報掲示板に、五月十八日に時鳥が通過したとあった。事務所の指導員の方に聞くと、一日だけいたようだ。砥部ではよく聞いた時鳥であるが、ここでは、「通過」である。また来るかもしれない。菖蒲は、あと十日もすれば、見ごろだろう。
今日もルリタテハを見た。アキニレの葉が美しい。アキニレは、日本で一番小さい楡だそうだ。樹形は対象ではない。
公園を出てすぐにいた例のからすは、今日は不在。中山駅へ向かう道脇にも卯の花が盛り、見事だった藤の花は消えて葉が茂っていた。道々思い出すのは、<卯の花の匂う垣根に 時鳥はやも来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ>の歌。まさに、この歌の通りの季節。帰宅は五時半ごろ。
○横浜市営のグリーンラインで、窓から見える最もいい眺めは、川和町(かわわちょう)であろう。
○吟行から帰り、夜、子ども俳句協会の件で小西さんに電話。有花さんに花冠の原稿の件で電話。
○新型インフルエンザ、いよいよ広まる。店頭には、マスクが品切れ。
○苺がひとつ、熟れている。前の一つを食べた人は、家の水道水の味だと言った。今回これを食べる人は、なんというか。
○ミニ薔薇が散った。ミニながら、ケンのある薔薇で、十九世紀のような色になって終った。
俳句
晴れ
○昨日、見切り品の苺を一箱買った。今朝は、それでジャムを作る。煮つめが足りない分は、レンジで煮つめ、すぐにできあがり。レモンと砂糖だけだが、結構よい。おいしい苺ならもっとおいしいだろうが、贅沢はいうまい。
俳句
晴れ
俳句
晴れ。今日は少し暑い。
○インフルエンザの新型に感染した人は、朝刊では96人であったが、夕刊では、130人となっている。世界で四番目に罹患者が多い国になった。メキシコ、アメリカ、カナダ、日本。
○横浜俳話会(昭和33年創設)から、横浜開港150周年記念の俳句大会の案内が届く。子ども俳句の部もある。選者は大勢おられる。7月21日の締切。大人は投句に千円必要。
○俳句界の林編集長さんから、作品6句が届いたと葉書。桐の花の句が特に好きだとのこと。動物園での作。
俳句
晴れ
○夢を見た。ここ何年来、夢など見たことがなかった。(忘れているのかもしれないが。)
背景が竹林のような緑。そこに老人が立って、私を呼んでいる。声も出さず、手招きもせず。(これが夢なのだろう。)招かれて、茶室にあがると、私でなく、私である代わりに小学生の男の子が(息子の小さい頃のようでもあるが)、黒い半ズボンに白い半袖シャツで畏まって座っている。老人は茶を立てようとして、茶釜からお湯を掬ったところである。お湯の入った杓を上げたままのところで、夢は終った。竹林の光のなかに居るような夢だった。
今朝は、寒くてよく眠れないので、5時ごろ目が覚めた。4月からだろうか。朝日の木曜日夕刊に、「茶のある暮らし」という、武者小路千家十五代家元後嗣の千宗屋氏のエッセイが載るようになったので、共感し、考える部分もあって、楽しみに読んでいる。夢の解釈はともかく、お茶のことがなんらか気になって、頭にあったようだ。我が家でも、お点前なしで、抹茶を毎日いただく。
俳句
大股に女走れり薔薇の風
薔薇垣の肩に触れつつ香りつつ
初夏のオレンジの香が手に残り
曇り
○信之先生は、JRで八王子、立川、青梅あたりまで出かける。
お土産は、ダークチェリーのチーズケーキ。立川駅には、ケーキが沢山並んでいるそうだ。
○白水社の図書新聞「出版ダイジェスト」が届く。
今月のトップは、「絵を見て怖がるーー絵画の鑑賞法について」を中野京子氏が書いる。中野京子氏は、よく知らないが、ドイツ文学者で、著書に『怖い絵』『怖い絵2』(朝日出版)『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』(光文社新書)。訳書にツヴァイク『マリーアントワネット』(角川文庫)などがある。『怖い絵3』が5月下旬に刊行されるそうだ。
いつの頃からか、「絵は自分の感性で見るのがよい。」と暗に教えられるようになった。余計な知識は先入観を与え、鑑賞の邪魔になるだけだから、いっさい予備知識ぬきの白紙状態で作品と向き合い、色彩、タッチ、画面の空気感(!)などを全身で味わうこと、というのだ。
このことは、美術展を退屈にしてしまう、と。絵画、特に19世紀以前の作品は、「見る」「感じる」より、詠むのが先だと教えるべきではないのかしらん。と。
こういうことがあって、一枚の絵には、その時代特有の常識、その国独自の文化、長い歴史がからみあっていること。さらに絵の注文主の思惑やら画家の計算、意図的に隠されたシンボルにも満ち満ちている。感性だけでは、決してわからないものがあることを、ざっと学ばせるべきと思う。要は知ること。背景を知ることで、絵はそれまでとがらりと様相を変えて立ち現れる。
たとえば、ドガのいっぱんに言う「踊り子」(エトワール、または舞台の踊り子)を挙げる。この『怖い絵』をざっと読んで見るのも面白そうだ。日本画については、どうもなさそうだが。
○絵ではないが、大学受験の国語の中に「現代文」というのがある。この点数を上げるために、『現代文解釈の方法』と言ったような題名の参考書が多々出版されているのは、ご存知のことと思うが、内容は、接続詞の果たす役をよく見て、段落の構成から論理の展開を考えれば、解答が得られるというもの。また、多く読書しろとも。田舎の高校生にこんなことを言われても、感性で絵を見よというのと同じようなもので、一向に点数は上がらない。あがらないはずだ。現代文は主に論文が出題されるが、筆者は、現代のなんらの思想に拠って書いている。主には西洋思想だが。世界の主な思想を、ざっとでもよいから学ばせておかないと、現代文の論文を読みこなすのは、無理と言えそうだ。普段そういった思想を話す仲間が居ればべつだろうが。しかし、幸いにも竹田青嗣氏の『現代思想の冒険』と言った本が高校生むきに出ている。よくは分からないまでも、ざっと知っておけば、いい。逆に言えば、それほど、独自な思想を持っている方はいたとしても、われわれの知る範囲に出て来られない。書かれたものの背景の知識は、囚われてはいけないのだろうが、知って損ではない。
因みにお粗末な話だが、高校の現代文の問題のプリントの一部が印刷不明瞭のがあった。あとに続く言葉を論者の考えにそって()に入れよ、というのがあったが、その答えは、不明瞭な部分の文章を読まなくても、決まっている。答えは当たるのである。これで高校生を驚かすのは、それほど困難ではない。知って損をすることではない。
感性に頼るだけ、知識に頼るだけ、のどちらもいけないなのだろう。兎に角、感性も、知識も身より出たもの、身についたものでないといけないのだろう。
俳句
晴れ
○夕べは、寒いくらいの風が吹いた。いつまでも、寒さが残る。
俳句
晴れ
○花冠7月号入稿。
今月は、はやばやと原稿がそろい、表紙の字も書いていただき、本日、印刷所へ、エックスパックで、原稿を送った。
○心太を天草から煮出して作る。今回は、酢を入れてみたが、固さは変わりないので、次からは酢を入れないで作ることに。
○かんもどきを手作り。塩昆布、人参、牛蒡、大和芋、卵を入れる。揚げたてをレモンを少しかけて醤油で食べる。がんもどきらしくないがんもどきだが、結構おいしい。大和芋で手がかぶれてしまった。
○プランターのミニトマトの伸びすぎが気になる。日当たりがよくないのかもしれないので、ベランダの真ん中に出す。
俳句
朝小雨。
○花冠7月号の編集がほぼ済む。子ども俳句のコメントと後記を残す。明日、編集を終える予定。
○蕗が二把手に入ったので、きゃら蕗に。愛知産だがこの蕗は太くなく、細いのがよい。煮た蕗も少々暑い感じがする。
○ミニバラのテディベアが咲いた。なかなか良い色。