NEW10月4日(土)

曇り
木の葉髪気づけばいつも身に添える 正子
秋山の黒ぐろ暮れて太鼓の音    正子
すすきの穂はらり開きてみずみずし 正子

●3時に目覚め、自由な投句箱。昨日の分の選と秀句を選ぶ。その後、5丁目の丘へ散歩にでかけた。

●周囲では、『源氏物語』を読むのが流行っている。「夕霧巻」の景色をたしかめるために、文庫本の『源氏物語 若い人への古典案内』(秋山虔著/社会思想社)を開いた。そのなりゆきで、今日は『源氏物語』の桐壺・帚木のところを読んだ。残念なことに字が小さくて裸眼では読めなくなっている。この間までは読めていたと思うが。木の葉髪とやらは落ちて来るし。

●『小西昭夫句集』(ふらんす堂/2025年10月刊)
花綵列島6句
わが影の棒立ち秋の日を追ひて
硝子一枚隔て激しき雪となる
満月や音なき匂ひなき空に
落ちてくる雪に思はぬ速さあり
父といて焚火に枝をつぎ足しぬ
間引き菜の色鮮やかに捨てられる

小西昭夫句集6句
こんなにも青田があって鉄工所
逆さまに吊るす鶏雪の山
大雪や最後にひろう喉仏
浮力あるごとし桜の小学校
雪だるま星の時間を生きるべし
初雪の積みそうもなし給料日

小西昭夫句集以後8句
鶏頭のとなりに石を置きにけり
上流の水も下流の水も澄む
落鮎に落ちゆく流れありにけり
頂上に野菊の咲けり握り飯
冬の薔薇母よお疲れ様でした
かく群れてかく静かなり赤とんぼ
鳥獣の気配が少し冬の山
春の野に座るのによき石二つ

 

NEW10月3日(金)

晴れ
吾亦紅・菊・鶏頭を束ね売り    正子
パソコンを使ういかにも夜なべめき 正子
青蜜柑うんどう会のころ思う    正子

●「若竹」の会員のK氏に拙句鑑賞のお礼の葉書きを出す。
●『小西昭夫句集』(ふらんす堂)のお礼の手紙を出す。

●「バガテル」25章(終章)まで書き終える。約5万字、400詰めで125枚。100枚ぐらいにコンパクトにするのが、いいと考える。

●「現代俳句」10月号(No.722)に草田男とデューラーの関係について美術史家の元木幸一氏の評論がある。デューラーは文人によく取り扱われる。その名前も文学に似つかわしい感じがする。デューラーの何がよくて、なのだろうか。以下AIの分析。
文人にとってのデューラーの魅力
• 線の精神性
デューラーの銅版画や木版画には、線の緊張と沈黙が宿っています。これは俳句の「切れ」や「間」に通じるもの。草田男の句にも、言葉の奥に沈黙があるように、デューラーの線には語られぬものが潜んでいます。
• 象徴と寓意の深さ
『メランコリアI』や『騎士と死と悪魔』など、デューラーの作品は象徴に満ちています。文人はその象徴を読み解き、詩的な解釈を重ねることができる。草田男の句における自然や季語もまた、象徴として機能します。
• 名前の響きと文学性
「デューラー」という名には、どこか詩的な響きがあります。硬質でありながら、柔らかく、ドイツ語圏の文芸的な香りを漂わせる。文人がその名に惹かれるのは、音の詩性もあるでしょう。
• 自画像に宿る内省性
デューラーの自画像は、まるで文人の肖像

10月2日(木)

晴れ
萩咲いて月がぼんやり浮いている  正子
夜目におなじ白き芙蓉と白木槿   正子

●ゆうべの雨が残って、道路が濡れていた。きのうより起床は遅かったが、散歩に出かけた。坂は歩きたくないので、平坦なところを探して歩く。保育園のビオトープに、とちかがみの白い三弁の花が咲いていた。
今朝開いた花は、レースのような透明感がある、2センチもないような花。一日でしぼむらしい。昨日は、雨だったので蕾んでいて、白いビーズのようにしか見えなかった。

紅萩の花は昨日も見たが、今朝の方が開いている。銀杏が数個落ちているが、木には青い実がある。銀杏の実は、葉が青いうちに熟している。これは想像と違う。黄葉して熟すイメージだったが違っている。秋がたしかに進んでいる。

●俳壇より原稿依頼。「編集室の風景」のタイトルで11月10日締め切り。2026年1月号に掲載される。同人会長の有花さんに相談し、承諾することにした。10月になり、周りが動き出して、忙しくなりそう。

●「俳壇」8月号(2025年/本阿弥書店)「梅雨の月」の髙橋正子の俳句が、「若竹」10月号の「一句一会」に掲載されました。

手につつむ蛍のあかり指をこぼれ 髙橋正子
  「俳壇」八月号「梅雨の月」より
 俳句の調べ、と言うことを考えるとき、やはり五七五のリズムを言葉の意味とどう結びつけるか、ということが勝負なのだろうと思う。そういう意味では掲句は、下五を「指こぼれ」と「を」を抜かして詠んでも意味は
通じるし、五七五にも収まる。しかし、「指をこぼれ」と「を」を入れて
六音にすることで、蛍のあかりが、ふっとこぼれるような、こぼれたあかりを見る作者も、はっと驚いたような、そんなニュアンスを感じさせる。リズムと言葉の関係性の魔法がある。(川嵜昭典)

 

10月1日(水)

雨のち曇り
ふるさとの空にあるのみ天の川 正子
天の川辿る記憶の中にのみ   正子
秋雨に白き花をばとちかがみ  正子

●天の川を全然見ていない。記憶の中にしかなくなっている。
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 草田男
妻がいない夜、外に出て空を見上げtら、すばらしい天の川が流れていた。それが二晩続いたのだ。この句は、もっと若いころ、「妻二タ夜あらず」が天の川よりも強く感じられた。上五を強く受け取ってしまっていた。今日改めて読むと「天の川」が強く読めた。おそらく、歳時記で「天の川」を意識してい読んだからだ。

●雨だったが朝のウオーキングに。涼しくなったので、一日7000歩を目指すことにした。ウオーキング中、とちかがみの白い花を発見。保育園にあるビオトープに咲いていた。朝なのか、雨のせいなのかわからないが、花は閉じてまん丸くなっていた。

9月30日(火)

曇り
咲き初めし萩に昇れる白き月   正子
桜落葉はや踏みしだかれて参道に 正子
秋暑しミシンが音を立てている  正子

●今朝は涼しい。朝5時半ごろから1時間近所を歩く。金蔵寺に立ち寄る。桜の落葉が参道に降り敷いてこなごなに砕けているのもある。落葉が進んでいる。夏の花がまだまだ咲いて、名残りの風情がいい。朝顔、百日草など。朝顔はどこも小ぶりで、とりどり植えられている。百日草はわが家にもプランダーで咲き続けているが、緑や肌色のようなピンクなど、微妙な色合いが多い。夏の花の強さがいい。空家だったところに家が建っている。このあたり敷地が広いので、空家のあとは、2軒から3軒新築の家が建つことになって、狭苦しい。
●洋子さんの『俳句の杜2025』ができ、午前に配達された。洋子さんに電話するが、まだ届いていないとのこと。グリーン系の装丁。12名参加。6月の予定が3か月遅れの発刊になっている。

●向瀬美音さんから信之先生宛て『国際俳句歳時記 夏』(ふらんす堂)が送られてきた。ペルーラ紙に菖蒲の絵柄。
英語あるいは、フランス語の俳句とその翻訳。翻訳は、ホトトギス系の印象。歳時記と言うだけあり、掲載句が季語中心。リズム感はどうなんだろう。

●チャックを付けた20センチ繰りの袋を縫った。グレーの地に青いバラ。これはモリスのデザイン。仕立てがほうが、映える。結局、青いバラで小さいキャンディ用の袋、いちご泥棒の記事たティッシュケース。残らず使った。同じ生地で2点ずつできたことになる。1日モリスにとっぶりとなった。具象性があるのに、飽きがこない。手元に置けば味わい深い。

9月29日(月)

晴れ

●朝夕は涼しいが、昼間は蒸し暑い。
●『小西昭夫句集』(現代俳句文庫II -3/ふらんす堂 2025年10月1日刊)が送られて来る。一通り読む。
●ようやくコッズウォルズの3村について書けた。今日はストウ・オン・ザ・ウォルドを書いた。
●阪急の八百屋で買った、さつまいものシルクスウィートを蒸かした。実入りもよく、甘くて十分美味しかった。最近おいしいさつまいもに出会っていなかったので、幻滅して、さつまいもは買わないようにしていた。店を選ぶといいのかもしれない。

9月28日(日)

曇りときどき晴れ

●「私のコッズウォルズ」のバイブリ―どボードン・オン・ザ・ウオーターまで書けた。もう一村が残る。一日に町一つ書くのがやっとだ。

●モリスのイチゴ泥棒の端切れで、ブックカバーを作った。端切れだけ見ていると、そんなにいいものが出来そうにない。縫ってみて、文庫本のカバーにとても似合っている。『マルテの手記』が傷んでいるので、この本専用にした。モリスの柄はいいのだと、つくづく思った。いちご泥棒は
ストローベリー シーフが英語の名前。意味は「いちご こそどろ」。

9月26日(金)

晴れ
葛の花夜雨降り出し降りやまず  正子
バス降りてすぐ数本の曼殊沙華  正子
歳時記の秋の名草はみな親し   正子

●ハート内科定期受診。動脈硬化度の検査をした。血管年齢が50代後半だと言う。去年は、年相応だった血管が若返るとは、信じられない。一度固くなったものが復元するとは。何でも入れる味噌汁とご飯という粗食のせいかもしれない。このごろは、ほとんど独りで過ごしている。眠くなったら、昼寝をする。これは一日2回のときもある。夜、寝床で本を読まない。酷暑でほ2か月ほどは、ほとんど歩いていない。血管若返りの理由は不明だが、おそらく、マイペースの独り暮らしのお陰。そろそろ歩かねばと、帰りは1キロほどの道を歩いて帰った。自分では絶対買わない、母の形見のぺらぺらのブラウスを着ていたせいで暑くなかった。

「ウィンダミアの風」と「紫陽花は古色をたたえ」を推敲し、書き直す。「ウィンダミアの風」はうまく書けたと自信があったが、「紫陽花は古色をたたえ」の方が中身が濃くなった。これは読み手にあきさせないために書いたが、結構、核となる話となった。書いてみないとわからないものだ。

9月24日(水)

晴れ
昼の虫一匹鳴けるわが住まい     正子
月見まんじゅう小さきものが五個並び 正子
秋彼岸菊のお香をくゆらしぬ     正子

●みよさんの俳句にコメントを書くために、「源氏物語 夕霧巻」を読む。源氏を読むのは久しぶり。以前読んだときより、切実に感じる。こういうことが読み取れるようになったということか。

●今書いている、「こんなにさびしい山々が」のために、漱石の『三四郎』を読む。三四郎の一場面を確認するため。初めの方にあったので、たすかった。『三四郎』は六年生の時に初めて読んだ。その時の印象がまだ残っていて、その場面を確かめるためだった。日常のことを言葉にし、それを読めるようにするには、「胆力」がいるらしい。「胆力と繊細さ」を持ち合わせねばならないと言う。
今日は、一つ書き進めて、「紫陽花は古色をたたえて」を書いた。昨日書いた「ウィンダミアの風」を手直し。昨夜「ピーター ラビットのお話」を12巻読んだ。農夫の「マクレガー」の名前を忘れていた。

●朝夕はめっきりすずしくなった。センター北へ買い物。秋刀魚1尾580円。これはよく太ったもの、痩せたのは、2尾で780円。それにしても高い。太刀魚が旬を迎えているので、太刀魚にした。

●ユザワヤによって、端切れ2種類かった。一つはモリスの苺泥棒、もう一つは、灰色が買った水色に青いバラの布。苺泥棒は好きと言うわけではないが買った。