NEW9月3日(水)

晴れ、午後曇り
朝顔の色褪せ保つうす紫 正子

●9月というのに、猛暑はいっこう収まらない。むしろ、いっそうひどくなっているように感じる。ベランダのプランターの朝顔は水が足りなくて枯れたも同然の姿になる。水は如雨露一杯では足りなく、たっぷり2杯、鉢の底に水が溜まるほど注いでいる。半日もすれば水が底をつく。朝顔の色も濃い青だったのが、今朝は色を失って薄紫になっている。いつものように2輪を摘んで今朝の食卓に置いた。

●9月1日の有花さんの投句の「八月尽」ついて自由な投句箱に説明した。私が俳句の問題で説明するのが一番難しいと思っているのは「季語」である。歳時記には、机上で使うもの、吟行などに携帯するもの、さらに詳しい大歳時記と言われるものがある。問題はこの「大歳時記」である。新季語が取り上げられることもあり、著名人がそれを使う場合もある。しかし私から見れば、内容によっては慎重に見極める必要があると感じることもある。著名人の句を批判するのは難しい。俳句を褒めるのは私にとっては、やりやすい。句の問題点を指摘することは、私にとって容易ではない。褒めておけば無難、というわけではない。俳句の問題点は、技術だけでなく、言葉の象徴性や倫理性など、複雑な要素が絡み合っている。季語の範囲があまりに広がり、もはや何でも季語になり得るように感じる。象徴としての季語の働きが弱まっているものもある。季語に触れるには慎重さが求められるが、私自身、慎重さを忘れるというより、つい手を伸ばしてしまう——それもまた、季語の魅力なのかもしれない。季語が「なんでもあり」となれば、逆に季語がないと同様になる。今後、季語はどう変容していくのだろうか。

On September 1st, I offered an explanation in the free submission box regarding Yuka-san’s haiku using the seasonal phrase “End of August.” What I find most difficult when discussing haiku is the matter of kigo—seasonal words. There are various types of saijiki (seasonal word dictionaries): those for desk reference, those carried during ginko (poetic outings), and the more detailed ones known as daisaijiki. The issue lies with this daisaijiki. New seasonal words are sometimes introduced, and prominent figures may choose to use them. Yet from my perspective, depending on the content, I often feel that careful discernment is required.
It is difficult to critique the haiku of well-known individuals. For me, praising a haiku is far easier. Pointing out a poem’s weaknesses is not something I find easy. That said, simply offering praise for safety’s sake is not the answer either. The problems within a haiku are not limited to technique—they involve complex elements such as the symbolic nature of language and ethical considerations.
The scope of kigo has expanded so much that it feels as though anything can now be considered a seasonal word. Some kigo seem to have lost their symbolic power. Engaging with kigo demands caution, yet for myself, it’s not that I forget to be cautious—it’s that I find myself reaching out to them nonetheless. Perhaps that, too, is part of their allure.
If kigo become “anything goes,” then they may as well not exist at all. How will kigo evolve from here?(the translarion by copilot )

9月2日(火)

晴れ
  ゆうまくん二句
秋の蚊のさしあと赤く児がねむる 正子
寝返りがあそびで暑き日が暮れる 正子
秋暑しラッシュアワーに乗合す  正子

●朝の日が少し斜めに差すようになって、秋めいてきた。角川の自選5句のについて、美知子さんからメール。「谷水を啄み鶺鴒水の上/美知子」の句について、好きな句なのだが、すこしもわっとした感覚が残るのはなぜか考えた。「啄み」が説明になっているのだ。「啄む鶺鴒」とすれば鶺鴒のイメージがはっきりする。そこなんだと気づいた。

●かなりリルケに頭が侵されている。夜中、イタリア語講座を見ていた。語学よりも文化的なものを伝えてくれるので面白いから見ていたのだが、講師の男性の一人が髭を生やしたリルケの似顔絵によく似ているのだ。

最近では、髭を蓄えた男性が目につくようになった気がする。私の父親も戦地で軍馬に乗り、髭を生やした姿で写真に収まっていた。これは第二次世界大戦中のこと。最近では、テレビの広告に「どうする?GOする」に出て来る髭の男性も魅力的だし、某企業の社長の髭は文豪の誰かのようだ。某社長は、たまごサンドが外国人に人気なので、これの世界展開を考えていると、一見ミニマムでありながらも世界規模の話を自然な日本語で話した。わたしはてっきり、彼を日本人と思い、「日本人の髭もジェントルマンらしくなった」と感想をもったのだ。ところが、字幕に出た彼の異国人らしい名前に思い込みが外れた。「日本人の」は、行き場を失った。

髭を生やした男性について。私は旧知のある方を若い時しか知らないでいる。ところが最近、ウェブサイトを検索中に、偶然にその方らしい写真をネット上で見て、思わず息を呑むほど驚いたのだった。本当にその方かどうか確認したかったが、二度とそのサイトが出てこなかった。その方の若い時のイメージからは、決して想像できない変化なのだ。その写真は現役時代の講演の時の写真らしかった。夜ねむりながら、その方のイメージを作り直していた。その口髭は、彼の地位を表し、彼の人生の成熟の現れなのか、彼はお洒落を楽しむ余裕があるのかなどを思い、口髭を蓄えたその方を静かに受け入れた。その方の若い時、わが家でみんなで食事した時の楽しそうな会話を思い出した。そうだ、その方にはそういう一面があったのだと思い直した。それは多分、その方の色気というものであろうと。時の流れをまとい、成熟と余裕が滲むような魅力とでも言おうか。

I seem to be quite possessed by Rilke lately.
Late at night, I was watching an Italian language program—not for the language itself, but because it conveyed something more cultural, which I found fascinating. One of the male instructors bore a striking resemblance to a bearded sketch of Rilke.
Recently, I’ve noticed more men with beares catching my eye. My father, too, once rode a warhorse during World War II, and in the photograph from that time, he wore a mustache. These days, even the bearded man in the “Dō suru? GO suru” television commercial seems charming, and the CEO of a certain company sports a full beared reminiscent of a literary giant. That CEO spoke in fluent, natural Japanese about expanding the popularity of egg sandwiches among foreigners—a seemingly modest topic, yet he spoke of global ambitions. I assumed he was Japanese and thought, “Even Japanese beards have become gentlemanly.” But then his foreign-sounding name appeared in the subtitles, and my assumption collapsed. The phrase “Japanese beards” lost its place.
As for bearded men—I’ve only known a certain acquaintance from his youth. But recently, while browsing online, I stumbled upon a photo that seemed to be him. I gasped in surprise. I wanted to confirm it was truly him, but the site never appeared again. The transformation was unimaginable based on my memory of his younger self. The photo seemed to be from a lecture during his professional years. That night, as I drifted to sleep, I began reconstructing his image. I wondered: was that mustache a symbol of his status, a sign of his maturity, or simply an expression of his refined taste? Quietly, I accepted this bearded version of him.
I recalled the cheerful conversation we once shared over dinner at my home in his youth. Yes, he did have that side to him. Perhaps that was his allure—an elegance shaped by time, a charm steeped in maturity and ease.  (the translarion by me and copilot)

●俳句日記を8月1日にWordPressに移転してはじめてUSAからアクセスがあった。
Thank you for visiting and viewing my Haiku Journal. This is the first time someone from the USA has accessed it since I opened the journal on August 1st on WordPress.

9月1日(月)

晴れ
朝の餉に朝顔二輪を摘んで来し   正子
青葡萄供えて厨子のあかるかり   正子
パンと食ぶ葡萄の粒のつゆけくて  正子

●句美子の家へ。梅ジュースが出来たので持って行く用事、句美子の誕生日祝いの焼き菓子を持って行く用事、角川の俳句年鑑の原稿のことを連絡する用事。これらが主な用事なのだが、梅ジュースを持って行くのを忘れた。玄関のチャイムは鳴らさず入ることになっている。なかなか寝ない侑真くんがすぐに起きるから。今日も部屋に入るとぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。しばらく見ていると目をこすって欠伸をしてうん?というような顔をして目を覚ました。私の顔を見ている。誰だろうかと思っているふうだが、顔を左右にふったりすると、声を出して笑ってついに完全に目を覚ましてしまった。20分しか寝ていないそうだ。なかなか楽しい子なのだが、遊び飽きると抱っこしてもらいたいらしく、悲しそうな顔をしてぐずる。抱くとすぐにこにこ。現金なというか自由なというか。

6時頃、句美子が暗くなるといけないから帰っていいというので、従う。この時間帯は通勤ラッシュ。新横浜行がきたが満員なので、後の電車に乗ることにした。5分ほどして日吉行が来たが、前の電車より混んでいる。もういいわ、とこれに乗ると徐々に降りる人が増えて座れるまでになった。日吉に着いた時は老女はさすがに疲れた。

●夜は、「リルケの俳句世界」(柴田依子著)の論文を読み直す。可なり読み込んだと思ったが、その時必要のないところを忘れていた。そして「ヴァレの四行詩」18番から数篇書き写す。

8月31日(日)

晴れ
朝顔の色が見え初め夜明けなり 正子
夏霞朝日火球となり昇る    正子
天草から心太を作る
心太うすき綠を固めたり   正子

●夜明けも蒸し暑かった。角川年鑑の原稿は依頼が来る前から予測して書いているが、美知子さんと句美子さんの自選5句の葉書きが届いてないので、気分がふさぐ。それでまだ、原稿を送っていない。

●「詩返」という語を造って、その俳句を作ろうとしているが、「詩返」としての俳句の妥当性と、詩論として成り立っているか問題。どのように論理を組み立てるかが課題としてある。8月25日と8月29日の日記に一通りは書いてはみたものの、例に示す俳句や詩、論理の抜け落ちなどを検討しなくてはいけない。いろいろあるので、頭が回らない。

●妹から今年も葡萄が届く、シャインマスカットとピオーネ。房ごとでは大きすぎるので、小房に分けて仏前に供えた。果物として葡萄は完璧。味、幹や葉、房の形。梨、柿もなかなかおいしい。最近残念なのが、新さつま芋。新さつま芋といいながら、よく太って、大きい。新さつま芋のよさは、もう育ったか、育ったかとわくわくしながら、試しに少し掘ってみようとして掘った者の未熟なもの。ずいぶん細いものや人参より少し大きいものなどが連なって出て来る。蒸かして食べると未熟でまだ青白い色をして、初心な味ながら、特別な新芋の匂い。この楽しみが全然ない。野菜全般も、酷暑のせいか、形ばかりよくて、味が悪い。こちらの味覚が鈍ったかと思うほどだ。

8月30日(土)

晴れ
亡骸となってわが家に秋の蝉  正子
かっかっと腹を鳴らして秋の蝉 正子
初秋のネットに列なし椋鳥ら  正子

●昨夜WPブログに統計情報を加えた。情報の分析無しで記事を書き続けるのは暖簾に腕押しと言える。書いたものへの抵抗といっていいかもしれない、統計情報をプラグイン。

●去年秋の終わりに帰省したとき土産に持ち帰った天草を2時間ばかり煮だして心太を作った。酢を入れると天草がよく抽出できて、殺菌作用とのど越しがよくなるが、酢を省く。酢の入ったのは嫌いなのだ。小さいバット1枚できたが、誰も喜ばないかもしれない。柚子ポン酢にひねりごまをかけた食べた。

●今朝5時過ぎ5丁目の丘へ散歩に行った。細い道を避けて、大きい道を歩く。丘に来ると風が吹いている。冬ならばこの時刻は小鳥がよく鳴いているが、今朝は疲れた声で鳴く蝉だけ。だけ、と言ってはいけない。小学校のネットの上に一列にずらりと椋鳥。そろそろ秋が来ている。この夏は胃腸炎になり、すっかり健康に自信を無くしたが、今朝は丘の坂が軽く歩ける。脚はまだ大丈夫そう。脱水と疲れに気をつければまだ身体は持ちそうだ。4000歩歩いた。

●アレマンの「時間と形象」の訳本があるかと探したら、中古書で370ページペーパーバックで18000円。零が一つ多い。あきらめて似たものがないかとネットを探したら、訳者の山本定祐氏の「充実した時間としての詩」がj-stage に掲載されていたので、DLして印刷。読んでみるが難しくてリルケが言った言葉、例えば「垂直の時間」などがわかる程度。「充実した時間」については、リルケの詩「毬」の解説があて、大山定一訳の解釈と違っていて、どちらがいいのかわらなかった。直接は役に立ちそうにない。

J-STAGE(Japan Science and Technology Information Aggregator, Electronic)とは、日本の学協会が発行する学術雑誌や論文をオンラインで公開・検索できるプラットフォーム。文部科学省所管の国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)が運営.1998年にスタート。

8月29日(金)

晴れ
空色の朝顔氷水に挿す 正子

●今朝は涼しい風が吹いていたので、窓を開けて風を入れた。朝顔の色が今日は空色で咲いた。「青雲」という名前の朝顔を植えたが、これは青色だが、毎日青の色が違っている。「違っている」のではあるが、それは「違って現れる」と言ったほうがいい。

●「以下に示すのは、リルケ晩年の風景詩に対して、俳句による「詩返」を試みる一考察である。詩返とは、詩に詩で応える営みであり、単なる翻案ではなく、詩的精神の対話である。ここでは、熊谷秀哉氏およびベダ・アレマンの研究を踏まえ、俳句による応答の可能性を探る。」

「リルケの最後期の風景詩」について
リルケは『ドゥイノの哀歌(悲歌)』、『オルフォイスへのソネット』という彼の二大詩篇を書いたあとに、1924から1926年に「最後期の作品」を書いている。フランス語で書かれた『果樹園付ヴァレの四行詩』も、最後期の詩群に挙げられる。これらのたくさんの詩群を大作を書いた後の余技的なものと見るか、最後期の一群の詩作品として位置付けるかの二つの考えがある。この最後期の作品についてはようやく研究が進みつつある状況にあるようだ。俳人の立場にいる私は、余技ではなく、詩群としての位置を与えた立場に立ちたいと思う。これは私情による評価ではなく、詩的本質に基づく判断である。

さて、『果樹園付ヴァレの四行詩』が「風景詩」と呼べるのかの疑問があるが、岐阜聖徳学園大学の紀要に「最後期のリルケにおける風景詩について」(熊谷秀哉著)が載っていた。この論文から、『果樹園付ヴァレの四行詩』は風景詩であることが確かめられる。この論文からリルケの風景詩についての部分を要約すると以下のようになる。。

リルケ晩年の作品には「魔術的言語」の詩群と、平明で軽快な詩行を特徴とする風景詩群に分けられていて、『果樹園付ヴァレの四行詩』は、後者の風景詩群に分類される。これは、一見穏やかで親しみやすい印象を与えるが、実は深い抽象性を内包してる。 風景の描写は、単なる視覚的再現ではなく、精神的な「乗りだし」—つまり、既存の安定した状態から新たな存在の地平へと踏み出す姿勢—を象徴しています。これはリルケの人生観や詩作の根幹にも関わる概念である。

つまり、リルケの風景詩は、単なる自然描写を超えて、彼の精神的探求や存在論的な問いを映し出す鏡のようなもので、晩年の作品群には、スイス・ヴァレー地方の山間の風景に触発された詩が多く含まれ、そこには静謐さと抽象性が共存している。

この立場に立って「ヴァレの四行詩」に取り組むことになる。私は「ヴァレの四行詩」に自分で造った「詩返」という言葉を使って俳句で応えようとしている。俳句で応えるとき重要な心構えとして、熊谷秀哉氏が指摘しているリルケの風景詩の重要な部分が関係してくる。再度引用すると、「一見穏やかで親しみやすい印象を与えるが、実は深い抽象性を内包してる。 風景の描写は、単なる視覚的再現ではなく、精神的な「乗りだし」—つまり、既存の安定した状態から新たな存在の地平へと踏み出す姿勢—を象徴しています。これはリルケの人生観や詩作の根幹にも関わる概念である。」
この文章にある「抽象性」は、俳句の季語のもつ「象徴性」で解決をできる限り図る。季語が明確に使えない場合は、季感(季節感)で埋め合わす。「乗りだし」については、これは俳句を作る態度として内面・内部への精神の集中と新境地への展開や飛躍を考慮にいれて出来る限り解決を図る。

またリルケの詩に対して「詩返」という俳句の短詩形式で応えてよいかという重要な問題がある。そのことについては、同じ論文にアレマンの「時間と形象」についての考察があった。

ここでアレマンの「時間と形象」についてのべると次のようである。

アレマンの「時間と形象」
「Zeit und Figur beim späten Rilke(晩年のリルケにおける時間と形象)」は、スイスの文学研究者ベダ・アレマン(Beda Allemann)が1961年に発表した重要な詩学研究であり、このタイトルは、リルケの晩年の詩作品において「時間(Zeit)」と「形象/人物(Figur)」がどのように詩的に構築され、意味づけられているかを探るものである。

「Zeit(時間)」の意味
リルケの晩年詩には、時間が単なる連続や過去・未来の流れではなく、心の深層に垂直に立つものとして描かれる。たとえば彼は「消えゆく心の方向に垂直に立つ時間(Zeit, die senkrecht steht auf der Richtung vergehender Herzen)」と表現し、時間を存在の深みと関係する詩的・哲学的な次元として捉えている。

「Figur(形象/人物)」の意味
「Figur」は単なる登場人物ではなく、詩の中で時間や空間と交錯する象徴的な存在です。リルケの詩では、人物や物体が「動き」や「曲線」として描かれ、それが詩人の内面と外界の関係を象徴するのである。たとえば、鷹の飛翔やボールの放物線などが「Figur」として詩的空間を構成する。

この研究の意義
アレマンの研究は、それまで空間(Raum)に偏っていたリルケ研究に対し、時間という詩的構造の重要性を強調した画期的なものです。彼は、晩年のリルケが「世界内面空間(Weltinnenraum)」を詩的に構築する中で、時間と形象がいかに深く絡み合っているかを明らかにしたことにある。

では、このアレマンのリルケ研究が俳句とどう関係しているかを考察すると以下のようになる。

「見る人」としての共鳴
アレマンはリルケの詩における「時間」を、単なる流れではなく、存在の深層に沈み込む凝縮された時間として捉えた。これは、俳句において「観照」や「呼吸」(詩は呼吸であるーー正子)を重視し、事物が内面に沈み込む過程に共鳴がある。

また、リルケが「見ること」を「集我(しゅうが)」——つまり、対象が自己の内部に沈み込む精神的営みと捉えたように、俳句において、「観照」は、主観を交えずに冷静に見つめ、内的洞察を深めるという詩的姿勢の重要性をもっている。

「時間」と「形象」の詩学
アレマンは、晩年のリルケが詩の中で「時間」と「形象(Figur)」を交錯させ、詩的空間を構築する方法を明らかにしたが、俳句もまた、自然や事物の一瞬を切り取りながら、その背後にある根源的な時間や存在の気配を捉えようとする。たとえば、臥風先生の句「若葉蔭砂うごかして水湧ける」は、時間の凝縮と形象の動きが一体となった詩的瞬間であり、アレマンが論じたリルケの詩的構造にも通じるものだ。

以上のような理由からリルケの風景詩に「詩返」としての俳句で応えることは、俳句の一在り方として許容されるものと思える。

 

 

 

8月28日(木)

曇りのち晴れ
秋の蚊の声もなく来て刺しにけり 正子
帚木の売らるることのさみしさよ 正子
ハンカチの水色選りぬ初老子に  正子

●ハート内科受診。先生からは状態がキープできていると。「だいぶ暑さが落ち着いて来ましたなあ。」「はい、風が吹くようになりました。」と返事。きのう料理中にふらついたことを話すと「脱水症状」だと言われた。少しお茶とか飲み方が少なかったかもしれないが、すぐに症状に現われるのも年のせいかもしれない。

●昨日ダウンロードしたリルケの風景詩についての論文を、病院の待ち時間に読んだ。私がそうではないかと勘をつけていたことが、書かれていて、大いに収穫になった。何度か読みこまなくてはいけない。

●昨日から、アガサ・クリスティの探偵ポワロの映画を字幕付きで見ている。50分ものなので、セリフは少ない印象。アガサの話はイギリスの推理小説らしく、”She has class.”と思わず言いそう。

8月27日(水)

晴れ
街中にほてい葵を咲かせたり 正子

●朝顔が、二十ほど咲いている。咲き始めたときは濃い青だったが、今は薄い青色。栄養が足りないのかもしれないが、微妙な青で青い雲の印象。伸びに伸びた蔓に困っているが、花はその蔓に咲いている。

出汁を取った後の昆布を冷凍しているのが溜まったので、二センチ角に切って、佃煮風に炊いた。今日も危険な暑さで熱中症アラート。料理していたとき、ふらっとしたので十分注意。「こんなはずはない」と思う一方、まさかの、年寄りの脱水状態かも知れないと思った。

●今読んでいる「ヴァレの四行詩」を「風景詩」と呼んでいいのかどうか悩んでいる。ネットを探し、「最後期のリルケにおける風景詩について」(熊沢秀哉著・岐阜淑徳大学の紀要)があったのでダウンロードして印刷。最後期がどの詩にあたるのか、論文を読んでみないと分からない。自分でそうだと思っても学者が言ってくれないと、「風景詩」という一言が使えない。

『リルケ詩集』(富士川英郎訳/新潮社)にリルケの「風景詩」の説明が載っているか探した。詩集には「ヴァリスのスケッチ七篇」があった。「ヴァリス」は「ヴァレ」のドイツ語の言い方。この七篇が「ヴァレの四行詩」が「ヴァレの四行詩」あるか確かめたが、なかった。では、土の詩集にあるのか。これを調べなくてはいけない。『果樹園』なのかもしれない。

●それにしても気になるのが、WPのコメント欄に書き込めない人がいること。なぜ書き込めないのか、エラーの出るケースを注意書きとして書いているのに、なぜかだ。
パソコンが本格的に家庭に浸透しはじめたのは1995年。そのころ、通産省の外郭団体からシニア情報アドバイザーの資格をもらっていた信之先生と私は、パソコンの電源の切り方をシニアに教えるのに苦労した。ほかにも、マウスを自然な手の形でにぎれない。キーボードがスムーズに打てないなどは例外としてあったが。一般の電気製品を使う感覚でスイッチをいきなり切ってしまう。

今回のWPの場合、何のためにエラーが出ているのか、その意味の理解がない。専門用語、英語が使われるので、直観的に理解しにくい。あるいはユーザー側の問題をこちらでくまなく把握するまでの技術的知識が私にない。例えば、Cookieの設定、JavaScriptの有効化、ログイン状態などが関係しているなどがあげられるが、これを本人に伝えてもそれがわからない。けれど、当の本人は泰然として、いままでパソコンを使ってきたのだら、出来ないはずはない。こちらの設定の不備を言ってくる。ウィンドウズ開始世代の何割かは、技術のバージョンアップについていけなくなっている。日常使うパソコンが、専門用語と英語だけで語られる不便さ。パソコンが一般に開放された時、慶応大学のSFCの教授は学生だった息子に「6歳から90歳までが使えるものでなくてはならない」と強く言っていたそうだ。そうであって欲しいがその理念はどこへ行った。

8月26日(火)

晴れ
松手入れ枝の切り口きりりとし     正子
朝顔のうす青ばかり雲に似て      正子
プランターに旱というものありにけり  正子

●夕方、今日は5時過ぎに外を見ると陰ってきたので散歩に出た。風が吹いて、昼間の暑さは和らいでいた。近所を歩いて、新しくできたスーパーに入ってみた。少しずつ歩く距離を伸ばそうと思う。昨日1キロ。今日、1.2キロ3000歩ほど歩いた。

●角川年鑑2026年版への原稿依頼が来る。まだ届いていないものもあるので、少し様子を見る。夕方郵便受けを覗いたが、届いていなかった。
事務手続きの問題か、郵便事情なのか、このどちらかなのだが、この区別がつきにくいのがこの頃の事情。

●美知子さんから電話。角川俳句年鑑の事など。それと、先日出した、もういつか忘れたが、郵便の届いたお礼。『マルテの手記』の第53フラグメントにあった、組み紐の栞のこと。それに似たものを郵便に入れて置いたら、きれいだと喜んでいた。祥子さんの郵便にも入れたが祥子さんも喜んでいた。三つ編みの糸にすぎなくて、屑箱直行となっていいものなので、人にあげるにはどうかと思っていたのも。色合いがきれいというだけのもの。

8月25日(月)

晴れ
トラックの疾駆す青萱吹き上げて 正子

●夕方6時過ぎ、URの中を散歩した。暑すぎて2か月半ぐらい散歩に出ていなかったが、陽が落ちてから風が吹いているようなので出かけた。歩くと涼しい風が吹いている。今日の気温はかなり高かったが、夕方の風のすずしさには救われる。1キロほど歩いた。

●リルケを読むとき、いつも頭にちらつくのだ。緻密な、私を畏れさせるリルケ研究があることが。いつも不安な思いで読んでいる。どれひとつ安心して読めない。そうしたなかで、ここに記すのは、読んだことを覚書として書いておくだけのことの文章なのである。今日は『果樹園付ヴァレの四行詩』について書く。

リルケの最後期にフランス語で書かれた『果樹園』という短い詩の詩集がある。『果樹園』の詩は墨絵のような詩だと言われている。「墨絵のような詩」に魅かれて読んでみたくなった。「墨絵のようなとは?」の好奇心からである。フランス語の原詩も見てみたいが、『果樹園』の出版のいきさつから(リルケの亡くなった翌年の1927年、フランスで出版され、のちドイツのインゼル書店からリルケ作品集の補遺として出版された)、日本の一俳人にすぎない私がフランスやドイツのネット書店から原詩を手に入れるのは億劫なことである。日本語訳をネットで探して『果樹園付ヴァレの四行詩』(片山敏彦訳・人文書院/1957年刊)の古書を見つけた。堀口大學訳の文庫本も古書もあったが、片山敏彦訳を選んだ。早速注文し、三日後に届いた。「ヴァレの四行詩」の存在を、この『果樹園付ヴァレの四行詩』を手にして初めて知ったのだ。届いた本は、表紙の真ん中に「RMR、」だけ書いてある。おそらくリルケのサインをどこからか、持ってきたのだろう。筆記体の真面目な字で、RMRの終わりに「、」が打ってある。『果樹園』の詩はネット上で2篇読んでいたので、『果樹園』から読むつもりだった。ところが「ヴァレの四行詩」は俳句を意識して作ったと言われていることを知り、緻密なリルケ研究のある事を忘れて、この詩集から読み始めた。一つの詩は、四行を1連として、2連~3連からなっている。こういった詩が、36篇ある。

訳書は1957年の初版本なので、経年劣化はやむを得ず、数日読んでいるうちにページが一枚抜けた。もとに嵌めようとするが、もとにはもどらない。これ以上ページを落としたくないので、繰り返し読むために、別の紙に書き写すことにした。必要な時、必要な詩を2,3篇ずつ書き写している。さしあたっては、A5のブルーの横罫の便箋を縦書きに使って。書き写していると、翻訳者になって一語一語言葉を生んでいる感覚になった。こうして書いたんだろうな、と訳者の机上が思い浮かんだ。

「ヴァレの四行詩」は、スイス、ヴァレ地方の風景、鐘の音や水の音、塔や山々を、リルケは、ヴァレへの挨拶のように詠んでいると私には思えた。日本の俳句も挨拶の要素をもっていて、四行詩を読んだときに、俳人である私はそれに応える俳句を自然に作っていた。この俳句は普段私が作っている俳句といくぶん違った風にできた。西洋の詩と日本の俳句との二つの間にあるものではないかと思えた。四行詩に触発されてできた俳句は、季語があるものも、季語はないが季節感があるものもある。定型であるものも、字余りや破調の句もある。出来た俳句は緻密なリルケ研究から見れば、全く的をはずれたものかもしれない。だが、リルケの詩にふれて、詩として俳句を詠んだことは確かだ。これはリルケを詳しく知らない私が、それでもリルケの詩に触れるのに、いい方法となった。

そうしてできた俳句のことをいつも「リルケの詩にふれて、その俳句」というのは、長すぎる。それを呼ぶ、適当な言葉がない。私はこれに「詩返」(しへん)という言葉を造った。この俳句は、リルケの詩の解釈でも、詩への共鳴を詠んだものでもない。「詩返」を定義づけるとすれば、次のようになる。<「詩返」とは、詩に触れた感興から生まれた俳句であり、単なる解釈や 共鳴ではなく、詩との倫理的・詩的対話を志向する応答のかたちである。>

「詩返」という名前まで付けたのにはもう一つ理由がある。花冠7月号(No.373)を送ったお礼の返事をいただいている。この号には、「髙橋正子の俳句日記」に、リルケの初期の詩からインスピレーションを得て俳句を作った経緯を記した箇所がある。ここについて、N先生から、「興味深い」との葉書をいただいた。N先生には信之先生の「水煙」時代からずっと「花冠」を送らせていただいている。この度も、お忙しいにもかかわらず、私が書いたものを、丁寧に読んでくださっての返事だった。

先生からの「印象的」「興味深い」という返信の言葉は、私への最大限のほめ言葉であり、励ましであると思っている。私はこの言葉を「花冠」をお送りした返事の中で、何度か拝読している。同じ言葉であるが、その指す内容はその度に違っている。今回の7月号の返信にもこの言葉を拝読した。そして、「興味深い」という言葉に、今回は特に「何らかの意味がある」と感じた。先生の言葉は平明ながら含意が深く、返信を読んだあとに「読み落としていることがあるのでは」とふと思ったり、時には、一度しまった葉書きを確認のために読み返すこともある。

今回、私が返信に感じた「何らかの意味」は、すぐには思いつかなかった。「いったい何なのだろうか」と考えていた。そして思い至ったのが、それは先生の意図ではなく、私の単なる取りようなのだが、 私が名づけた「詩返」を、詩論として、また俳人としての倫理のかたちとして、きちんと位置づけるべきではないか——そんな思いに至ったのだ。

「詩返」は、どんな形態で、効果的に公表するかが難しい。原詩や訳文の提示が不可欠であり、著作権の壁は避けて通れない。引用の範囲や方法を慎重に見極めなければ、詩への敬意を損なうことにもなりかねない。こういう問題を孕んでいる。この理由で「詩返」は一度はあきらめた。しかし、先生の言葉に、私は俳人としての倫理的な応答の可能性を見出し、『詩返』を詩論として位置づけることに、もう少し頑張ってみることにした。この「詩返」の考えには多くの議論がある事は容易に想像できるが、あえて現代の俳句の一在り方として示したい。この一在り方は私にとっては楽しい在り方なのだ。「詩返」は、「届かないものへ」それでも「魂を届けようとする」詩人の試みなのだ。それはとりもなおさず、私の詩の源泉なのだ。

このように、詩返とは、詩的精神の応答である。では、リルケの晩年の風景詩に対して、俳句による詩返は可能なのか。以下に、その試みを記すことにする。
(2025年8月25日)→(8月29日へ続く)