9月23日(月)

晴れ、のち曇り
朝顔をさ揺らす風はさびしくも 正子
夕暮れは秋風草を靡かせる   正子
飯を炊くガス炎青し月を待つ  正子

●今朝は急に涼しくなった。朝9時半の室温26℃。夕方散歩に出たが、長袖を羽織っても風が吹くので肌寒い。晩秋のような感じだ。
 
Essay
(六)リルケと俳句について
●リルケは「ハイカイ」と題した三行の短い詩を作っている。リルケが「ハイカイ」を作るようになったのは、ジャポニスムの影響と言われる。今日は、この事を知りたくて、マイペースではあるが、ネットや本を探して一日を費やした。

ジャポニスムは19世紀に西洋で広がった「日本趣味」の流行と、浮世絵をはじめとする日本美術の技法やアイディアを西洋芸術に取り入れた芸術家たちの運動を指す言葉 とされる。
ジャポニスムは1867年(慶應2年)のパリの万国博覧会、遅れて1873年(明治4年)のウィーン万国博覧会が契機となってブームとなっている。ウィーンの方は、『世紀末ウィーン文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳・岩波文庫2019年刊)や『世紀末ウィーン文化探究』(西村雅樹著.晃洋書房2009年刊)で読むことができて、クリムトに代表される分離派など絵画への影響や蕪村の俳句紹介のことなどについて教えてもらった。

万国博覧会について知るために、国立国会図書館のHPを見てみると「展覧会」のページに「ウィーンのジャポニスム(前編)1873年ウィーン万国博覧会」(西川智之著/言語文化評論集 第XXVII巻第2号)という論文があった。印刷して読んでみると、知りたいところは後編にあるようなので、後編の論文を探すと名古屋大学の論文にあった。「ウィーンのジャポニスム(後編)パリとの比較を中心に」(西川智之著)。これにもヘルマン・バールの事が言及されていた。丁寧に事例が上げられ、疑問に思うこともないと思えたので、理解が深まった気がするし、面白いことも書いてあった。

『リルケ』(星野慎一・小磯仁著/清水書院)に戻って、一度は読んでいるのだが、この本の「序論 リルケと星野慎一」の章に、リルケがハイカイを知った経緯が書かれているので、丹念に読もうと思う。、「序論」とあるが、重要な章である。今日は、二つの論文を読んで面白かったけれど、もう疲れたので、明日の楽しみとする。

●『ドゥイノの哀歌』の第一哀歌に「美は無である、美はなんでもない(das Schoene ist nichts als・・・)」が4行目にあった。(nichtsを「無、なんでもない」と言っていいのかわからないが、ただ理解のために「無、なんでもない」とするが。)なぜか納得してしまう。

das Schoene is nichtsに出会ったあとのこと。お墓に持って行くのに買ってきた花束に竜胆が入っていた。その竜胆を俳句にしたいと思い眺めるが、何を詠んでいいのかさえも思いつかない。そんなときに、das Schoene ist nichts が思い浮かんで、nichts がつよく感じられて、
「りんどうの青濃きことを胸に留め 正子」
の句が浮かんだ。なんとなく、言いたいことが言えたと思えた。”Das Schoene ist nichts.”
これ、今一番気に入っているかもしれない。

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