7月16日(月)

★射干を活ける鋏が濡れてあり  正子
雨の中から射干を剪ってきて活けられたのでしょうか。水切りをして鋏が濡れたのでしょうか。鋏が濡れているという事柄をそのまま俳句にされていますが、剪る前の射干の清楚な姿や活けた時の整った姿などが想像でき、改めて俳句の奥深さを感じることができました。 (井上治代)

○今日の俳句
嵐去り蜻蛉生れ​て田の上に/井上治代
嵐が去ると、さっそく生まれ出た蜻蛉が田の上を勢いよく自在に飛んでいる。田の緑、蜻蛉のすずやかさに、生き生きとした爽やかさ季節が読みとれる。(高橋正子)

○百日紅(さるすべり)

[百日紅/横浜日吉本町]

★明日もあるに百日紅の暮れをしみ 千代女
★百日紅浮世は熱きものと知りぬ 漱石
★武家屋敷めきて宿屋や百日紅 虚子
★日除して百日紅を隠しけり 鬼城
★百日紅咲く世に朽ちし伽藍かな 蛇笏
★武者窓は簾下して百日紅 龍之介
★百日紅地より分れて二幹に 風生
★独り居れば昼餉ぬきもし百日紅 みどり女
★百日紅燃えよ水泳日本に かな女
★少女倚る幹かゞやかに百日紅 麦南
★真青な葉の花になり百日紅 立子
★百日紅乙女の一身またたく間に 草田男
★地福寺は山を負ふ寺さるすべり 万太郎
★朝雲の故なくかなし百日紅 秋櫻子
★百日紅われら初老のさわやかに 鷹女
★いつの世も祷りは切や百日紅 汀女
★百日紅出征の花火突と鳴り 不死男
★乳子ほのと立ちて新し百日紅 不死男
★夕栄にこぼるる花やさるすべり 草城
★百日紅この叔父死せば来ぬ家か 林火
★百日紅片手頬にあて妻睡る 楸邨
★女来と帯纏き出づる百日紅 波郷

さるすべりには、白、赤、ピンクの花がある。赤とピンクの色は、微妙に違った花が見られる。夏の間、夾竹桃と並んで咲き継ぐのが「さるすべり」。幹がつるつるして木登り上手な猿が滑り落ちるから、こんな名がついたのか。四国松山に住んでいた頃、わが家の庭の真ん中にあったのが、薄紫に近いピンク。風が吹けばフリルのような花がこぼれる。真っ青な空も、炎昼の煙るような空にも似合う。
さるすべりには、古木も多く、日吉の金蔵寺には、幹の半分以上がなくなっているが、残った幹がよく水を通わせるのか花を相次いで咲かせている。県の名木に指定されている。

★煙むるほどの高き空なり百日紅  高橋正子

サルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、学名:Lagerstroemia indica)は中国南部原産のミソハギ科の落葉中高木。種子から栽培する「あすか」という一才物の矮性種もある。8月頃咲く紅の濃淡または白色の花が美しく、耐病性もあり、必要以上に大きくならないため、しばしば好んで庭や公園などに植えられる。葉は通常2対互生(コクサギ型葉序)、対生になることもある。花は円錐花序になり、がくは筒状で6裂、花弁は6枚で縮れている。果実は円いさく果で種子には翼がある。サルスベリの名は幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新して行くことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)。つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもある(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。英語名Crape myrtleはギンバイカ(myrtle)の花に似て花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。中国では唐代長安の紫微(宮廷)に多く植えられたため紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから百日紅ともいう。江蘇省徐州市、湖北省襄陽市、四川省自貢市、台湾基隆市などで市花とされている。

○海の日
今日は海の日。素敵な日ではないか。世界中で「海の日」を制定しているのは、日本だけだそうだ。「世界山岳年」というのが国連主導で行事が催うされた。この年に我々は富士山頂で俳句の朗読をした。世界海洋年があるかどうか知らないが、あるといいと思う。今日は朝から暑い。9時過ぎに30度を越えた。7時半ごろ大聖院に句美子と蓮の花見に歩いて出かけた。家から徒歩20ぷんほどか。本格的な暑さだが風があるのが救い。白蓮も咲いて、大聖院では一番たくさん蓮の花を見た。朝日に花弁が透けて涼しい風に翻っている。大聖院には4度目だが、このお寺に少し慣れた。茶室があるのに気付いた。そういえば、庭は塵もなく苔なども大切にされ茶庭の雰囲気がある。お参りの人影を見ることはない森閑とした天台宗のお寺だ。

◇生活する花たち「蓮の花」(横浜市港北区箕輪町・大聖院)


コメント

  1. 井上治代
    2012年7月13日 2:24

    お礼
    正子先生
    「今日の俳句」に「蜻蛉生れて」の句をお選びくださり、丁寧な句評を頂きましてありがとうございます。

    射干を活ける鋏が濡れてあり
    雨の中から射干を剪ってきて活けられたのでしょうか。水切りをして鋏が濡れたのでしょうか。鋏が濡れているという事柄をそのまま俳句にされていますが、剪る前の射干の清楚な姿や活けた時の整った姿などが想像でき、改めて俳句の奥深さを感じることができました。