6月21日(日)夏至


曇り。

夏至の朝光あまねく白みたり      正子
夏至はしずか父の日はまたしずか    正子
よく匂う青紫蘇握り飯に巻き      正子
コーヒーに暖を取るべく夏至の夜    正子

●今日は夏至。今朝の「音楽の泉」は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。バイオリンは、アンネ・ゾフィー・ムッター。その途中、横浜、神奈川に大雨注意報。穏やかな曇り空の朝に、信じられない予報。夜干したままの洗濯物を取り込む。

バイオリン協奏曲のあと、「真夏の夜の夢」。
シュークスピアの「真夏の夜の夢」を思い起こしたが、この「真夏」は、いつのことを指すか、私はいまだ頭が混乱している。真夏の夜は夏至の前日なのか、五月祭の前日なのか。「夏の夜の夢」と訳した作品もある。「真夏の夜の夢」と最初に訳したのは坪内逍遥。いま、この訳を擁護する人が出てきている。メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を聞くと、夏の明るい白んだ空気感に包まれる。一番いい季節の明るさが想われて夏のヨーロッパに行きたくなる。

●ラジオ「朗読の時間」で『二十四の瞳』が放送されて、今日三十五回で終わり。ラジオをつけたとき放送されていれば聞く程度だったが、大石先生が戦後教師として復職したからの物語は、忘れてしまっていた。たぶん、復職してからは、大人の話。機微がよくわからなかったのだろうと。思えば、大いなる反戦物語である。戦後、夫に戦死され、青柿を食べた末の女の子も、母親も亡くし、復職して出会った小学一年生たちは、ちょうど私と同い年ではないかと思った。書かれていることは、リアル。私の村でもあった。戦後の庶民の悲劇や苦難が、友達や親や近所の人たちの様子がありありと思い出される。思い出して沈みこんでしまった。

物語は、復職した大石先生の歓迎会で、海の見える窓に寄りかかって荒城の月を歌う女子に、教師となった女子が背中にしがみついて泣くところで終わる。戦後7,8年経ったときのこと。アルマイトの百合の絵の弁当箱が印象に残るが、これは、私もあこがれた弁当箱。百合の絵の弁当箱は持つことはなかった。今わが家に四十になる息子が幼稚園のとき使ったアルミの弁当箱がある。プラスチックもあったのに、アルミのが少し高いが欲しくて買った。ドナルドダックの絵。まだ新しい感じもあって、使わないのに捨てがたいのは、二十四の瞳のせいかもしれない。


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