2月4日(火)

曇りときどき晴れ
旧友へ手紙書くとき雪もよい    正子
お花代用意していて雪もよい    正子
読み更けて背筋寒波に冷えており  正子 
●寒波が来ているが、それほどの寒さではない。それでも用心して家で毛糸を編んで過ごす。昨日午後から編み始めたのを明日までには完成させたい。

●花冠7月号の花冠のなかの専門家に話を聞くシリーズに、晃さんに登場いただくことにしで、電話で依頼した。体育の専門からの話になる。「言葉と身体」あるいは「言葉の身体性」で書いてはどうでしょうかと提案。乗り気で書いてもらえることになった。

<リルケと俳句と私>
(一)『新詩集』(Neue Gedichte)(1907~08)より
リルケの『新詩集』は事物詩と言われている。以下は『新詩集』を読んで気づいたこと。
①「リルケの深さ」について
『新詩集』の「愛の歌」は本詩集の第3番目に置かれた詩である。一般に「愛」を歌う詩は数多くあるが、愛の詩人とも呼ばれるリルケのここに詠まれた「愛」は、単に互いの魂を触れ合わせることでも、二つの魂が一つになることでもない。それぞれの魂は弦楽器に張られた弦のように触れ合わない。そして誰かが二本の弦を奏でるとき、はじめて愛の歌となって響き合う、というものだ。リルケの独創的な視点から詠まれているが、それぞれの魂の奥深さと独立性を歌い、それぞれの魂が直接触れ合うのではなく、誰かの腕によって奏でられ愛の歌となるのだ。「誰か」の解釈は読者にゆだねられている。ここは読者に、経験をもとにということもあろうか、深く考えさせ、想像を許している。(続く)

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