★芽麦まで遠き夕陽の差しいたり 正子
青々と並ぶ芽麦の畑に注がれる柔らかな夕日の光、まるで印象派の絵画を見るような心豊かな情景です。冬枯れの中、健気に伸びる芽麦の、命の息吹へ寄せるあたたかな心情が感じられます。(藤田洋子)
○今日の俳句
短日の街を灯して書店混む/藤田洋子
短日の街の様子が書店を通してよく見える。短日の人で混む書店に充実感が見える。(高橋正子)
○四季の森吟行
昨日、四季の森へ行った。今回は中山中学校入口のバス停で降り、さくらの園から廻った。桜の園の入口近くに冬桜と十月桜が咲いていた。背景には櫟や楢が黄葉しているので、黄葉のなかに桜を見ることになった。思えば、不思議である。十月桜も冬桜の一種であるが、花の風情から言えば、十月桜が勝る。十月桜は蕾のとき紅色が差している。
さくらの園を出て、ワークセンターのある入口から公園に入る。入口に黒鉄もちの実が赤く熟れている。蓮池は蓮の植えてあるところのコンクリートの囲いの中の水が古色漂ううすい灰色。田んぼは、ひつじ田となり、収穫祭が行われた祭壇が田んぼの中にそのまま残っている。幣のついた笹を立て人参や大根などを供えている。池には鴨が羽繕いをしていた。そこより山路を登る。遊具広場に出たが、皇帝ダリアが数本花を咲かせている。これも黄葉を背景に写真を撮る。今年ほど皇帝ダリアを見た年はない。山路の花は白嫁菜くらいで山はすっかり紅葉している。楓の類はもちろん、万作、桜、櫟、楢、泰山木、辛夷、木五倍子、あきにれ、蔓のものなど。実のものも多い。落葉は朴、泰山木など大木の葉も降り重なっている。
芦原は少しを残して刈り取られている。芦原の水は鉄分を含むらしく、水表面が青光りしている。はす池から芦原周辺では、紫式部、かまずみ、まゆみが実を零しはじめている。いつもは「はす池」のほとりに翡翠を撮る人たちがカメラを構えて十数人はいるが、今日はだれもいない。公園を散策する人も目立たない。芦原の手前までは鴨がしきりに餌をぴしゃぴしゃと食べている。なにか虫の出も食べているのか。初めてみる光景だ。北口(中山駅からの入口)左手には、さんしゅゆの実が見事鈴なりに真っ赤に熟れている。橋があって水の少ない川があるが、ほとりに三椏と蝋梅がある。蝋梅は黄色い蕾を数個見つけた。三椏は花芽が開いた状態で緑の苞がかわいらしい。
公園を出てより、プロムナードでひいらぎの花に出会った。立ち止まれば香しい匂いが届いてきた。ひいらぎの花を撮りおさめに家路についた。土産に泰山木の落葉を一枚持ち帰った。我が家の玄関には朴の落葉と泰山木の落葉2枚になった。
あらぬ方から朴の落葉の降っていし/正子
黄葉して万作その葉を照らしあう/正子
がまずみもまゆみもすでに実を零し/正子
葦刈られ水鉄漿を浮かべたる/正子
冬山路辿れ燦燦日が降りぬ/正子
木の実落つ山路を空の日が温め/正子
○枳殻(からたち)の実
[枳殻の実/東京大学・小石川植物園]
★父母存(ま)せば枳殻の実の数知れず/石田波郷
★この眼いつまでからたちの花月夜/藤田湘子
★嘘ひとつからたちの実は上向きに/中原幸子
★枳殻の実やア・カペラの聞えきて/819maker
★ひたすらに駅より歩き枳殻(きこく)の実/819maker
カラタチはミカンの仲間で、原産地の中国長江上流域から8世紀ごろには日本に伝わっていたと言われています。病気に強い、早く実がなる、樹の高さが低い、接ぎ木品種の味が良いなどの利点からミカンの台木として使われています。果実は生では食べられませんが、果実酒の材料として使われています。未成熟の果実を乾燥させたものは枳実(きじつ)と呼ばれる生薬となっています。健胃、利尿、去痰作用があるとされています。(農研機構果樹研究所)ホームページ)
カラタチ(枳殻、枸橘)はミカン科カラタチ属の落葉低木。学名はPoncirus trifoliata。原産地は長江上流域。日本には8世紀ごろには伝わっていたといわれる。カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったもの。樹高は2-4メートルほど。枝に稜角があり、3センチにもなる鋭い刺が互生する。この刺は葉の変形したもの、あるいは枝の変形したものという説がある。葉は互生で、3小葉の複葉。小葉は4-6センチほどの楕円形または倒卵形で周囲に細かい鋸状歯がある。葉柄には翼がある。学名のtrifoliataは三枚の葉の意でこの複葉から。葉はアゲハチョウの幼虫が好んで食べる。春に葉が出る前に3-4センチほどの5弁の白い花を咲かせる。花のあとには3-4センチの球形で緑色の実をつける。秋には熟して黄色くなる。果実には種が多く、また酸味と苦味が強いため食用にならない。花と果実には芳香がある。
コメント
お礼
正子先生、今日の俳句に「短日」の句を取り上げていただきありがとうございました。
★芽麦まで遠き夕日の差しいたり 正子
青々と並ぶ芽麦の畑に注がれる柔らかな夕日の光、まるで印象派の絵画を見るような心豊かな情景です。冬枯れの中、健気に伸びる芽麦の、命の息吹へ寄せるあたたかな心情が感じられます。