曇り
冬天の雲の白光窓に入る 正子
木管曲そこいに響く冬の部屋 正子
●一日編集作業。まとめたはずの原稿がパソコン上で見当たらず、探すなどして時間をとられる。全体の目安がほぼつき、前号と同じく70頁ぐらいになりそうだ。『音楽のしっぽ』半ページ残ったが、他の原稿とは合わないので、カットを探す。ディベルティメントK563の第2楽章アダージョがあったので、4小節ぐらいを使う。曲を聞いたがいい。前に貼り付けていたのを操作中消してしまったので、再度探した。
●リュックのポケットに薄い文庫本を入れることが多くなった。以前は、今もそうだが、都会の人は電車に乗った時どうして窓の景色を見ないのだろうとよく思った。今も思う。地下鉄で外が見れないこともあるが、地上に出ることもある。見てないと危険が察知できないではないか。こんなにも空が変化し、あちこちに建築中のものがたくさんあって危なそうだ。そうは思いながらも、このごろは電車で文庫本を読むことが多くなった。都会人化したわけではない。誰と話すでもなく暮らしていると、頼りになる言葉や考えを探そうとする自分がいるのに気づく。おそらく、誰かを探しているのだろう。遠い存在過ぎて、見向きもしなかった、もしや本の中の人かも知れないが、それが誰とはまだわからない。
それで、本を持ち歩くことになっている。
ところが、本を持ち歩いて読むとき、続きが曖昧になって、行きつ戻りつ読むことになる。そうなると、内容より、目に字面を追わせて文体を楽しむことになる。文体の魅力は著者と自分との秘かな息の疎通ができるところだ。これも思いがけず得た楽しみだ。
●『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著高安國世訳)では、「若き女性への手紙」の方が難解だと言われる。リルケ最晩年の手紙であるからが理由のようだ。「ドゥイノの悲歌」が完成したこと、また「オルフォイスのソネット」ができあがった喜びをこの若い女性ハウゼに漏らしている。自分が故郷も家も持たない不安な状態であることも時に吐露している。リルケがこんなことを思いながら、一所不在の生活を続けたことに、心を動かされる。私には「若き女性への手紙」のほうが、具体的にわかりやすい。リルケの心情が知らず,吐露されている。この女性は小児科の院長の娘で愛人と出奔し、一人子供をもうけ、別居して、土地を借り、空と樹を持ち、足りない生活費はピアノを教えるという、ワイマール州で暮らすドイツ女性である。リルケは「あなたの美しい手紙」と度々言っている。特にクリスマス・イヴに届いた手紙はその日にこの上なく相応しく美しい手紙だった書いてある。
作家や詩人に手紙を送るのは、その作品を読み、作家や詩人を知り、自分を理解してくれるはこの人しかいない気持になって文通が始まるらしい。
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