NEW10月6日(月)中秋の名月

曇り
杉木立つくつくほうしが奥に鳴く  正子
葛の蔓地にのび今宵の月を待つ   正子
冷えびえと風よく吹いて無月なり  正子

●曇り空で名月は見られなかった。夕方からは風がよく吹き、うすら寒さを覚える。

●日吉駅まで歩いて金蔵寺の横から山路を越えいった。左の腰が固くなって違和感があるので、歩けるか心配だったが、歩いているうちに違和感がとれた。杉の多いところでは、つくつく法師がまだ鳴いている。山がかりのところに、無患子の実生が育ち、葛が、葉のない蔓をコードのように地面に伸ばし、一番先に若い芽が出ている。初め何の蔓かと思ったら、葛で小さい花が2つついていた。

●ブックカバーを句美子の小学生のときの残り布で縫った。これで3枚縫ったことになる。今日縫ったのは、『リルケ詩集』用。『マルテの手記』には、モリスのいちご泥棒の絵柄。詩集、マルテには、水をこぼして、本の紙が伸びてうねっている。そのためにカバーを縫った。あと一枚は文庫本用フリーサイズ。

●『源氏物語』若紫を読む。物語の筋もだが、風景描写を丁寧に見る。

●『詩を読む人のために』(三好達治著/岩波文庫)「千曲川旅情の歌」についての文章で、
<要するにこの詩一篇は、通じていって、――すべての芸術がそれに向かって憧れるといわれる、「音楽の状態」に最も近いものであります。文芸作品としては、もっともそれに近いものの一つといって過言ではありますまい。>が注目できる。

これは誰の言葉かというと、19世紀イギリスの美術批評家・文芸評論家 ウォルター・ペイター(Walter Pater) によるものだ。
「すべての芸術は音楽の状態に憧れる(All art constantly aspires towards the condition of music)」は、。彼の代表的な評論集『ルネッサンス』(The Renaissance: Studies in Art and Poetry, 1873年)に登場する。
ペイターは、音楽が他の芸術よりも抽象度が高く、感情に直接訴える力を持つことから、絵画や文学などの芸術がその「状態」に憧れると述べた。つまり、芸術が言葉や形を超えて、純粋な感覚や感情の領域に達しようとする理想を「音楽の状態」として表現したのだ。
この思想は後の象徴主義や印象主義の芸術家たちにも影響を与え、音楽的な構造や感覚を他の芸術に取り入れようとする試みに繋がった。

これを、俳句に置き換えると、どんなことになるか。俳句は意味をもたなく、言葉により五七五とされに細かい音律で感情に訴える。季語は読者と作者の共通基盤として必要思う。

俳句の音律と感情
五七五という定型は、意味を運ぶ器ではなく、感情の波を整える枠。意味を削ぎ落とし、音の配置によって感情を響かせる。

 


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