NEW10月3日(金)

晴れ
吾亦紅・菊・鶏頭を束ね売り    正子
パソコンを使ういかにも夜なべめき 正子
青蜜柑うんどう会のころ思う    正子

●「若竹」の会員のK氏に拙句鑑賞のお礼の葉書きを出す。
●『小西昭夫句集』(ふらんす堂)のお礼の手紙を出す。

●「バガテル」25章(終章)まで書き終える。約5万字、400詰めで125枚。100枚ぐらいにコンパクトにするのが、いいと考える。

●「現代俳句」10月号(No.722)に草田男とデューラーの関係について美術史家の元木幸一氏の評論がある。デューラーは文人によく取り扱われる。その名前も文学に似つかわしい感じがする。デューラーの何がよくて、なのだろうか。以下AIの分析。
文人にとってのデューラーの魅力
• 線の精神性
デューラーの銅版画や木版画には、線の緊張と沈黙が宿っています。これは俳句の「切れ」や「間」に通じるもの。草田男の句にも、言葉の奥に沈黙があるように、デューラーの線には語られぬものが潜んでいます。
• 象徴と寓意の深さ
『メランコリアI』や『騎士と死と悪魔』など、デューラーの作品は象徴に満ちています。文人はその象徴を読み解き、詩的な解釈を重ねることができる。草田男の句における自然や季語もまた、象徴として機能します。
• 名前の響きと文学性
「デューラー」という名には、どこか詩的な響きがあります。硬質でありながら、柔らかく、ドイツ語圏の文芸的な香りを漂わせる。文人がその名に惹かれるのは、音の詩性もあるでしょう。
• 自画像に宿る内省性
デューラーの自画像は、まるで文人の肖像


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