小雨ときどき曇り
新米を朝の仏のために炊く 正子
新米を小さく盛って仏前に 正子
秋の夜黒糖かりんとカリッと噛む 正子
●新幹線の時刻表と運賃を調べる。しばらく新幹線に乗らなかった間に、運賃が安くなったのか、ほどんど変わらないのかという印象だ。それとも単に往復運賃を片道運賃として記憶していたのかもしれないが。もう、そのことはわからないが。601㎞からは往復で買えば、片道ずつ1割引きになる。これにしよう。早朝出発か、8時代出発かのどちらにするかが残った。
(十七)リルケと俳句について
「リルケと俳句について」の考察が一段落した、と思ったが、リルケについて思い違いがないか、不安がよぎった。手元にある『世紀末ウィーンの文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳)に何か載っているかも知れないと読み返したが、リルケの名前は出て来なかった。
リルケはオーストリア人となっているが、彼は現代の吟遊詩人といわれるほど一所不在の生活をしていたから、言及されなかったのか。それとも個人的すぎたのか。リルケがハイカイに出会ったのが1920年なので、彼が、小さすぎる詩ハイカイやフランス語の短い詩を作っていたことが知られていなかったのか。
ジャポニスムの影響を受けた文学者として、「日本展」の章でドイツの詩人ゲオルゲ派(ホーフマンスタールなど)やクヌート・ハムスン、ペーター・アルテンベルクに言及があった。ハムスンもアルテンベルクも私は知らないので何とも言えないのだが。ゲオルゲは1868年~1933年、リルケは1875年から1926年。ヘルマン・バール は1863年~1934年。
●リルケとは関係ない話だが、この評論集の「日本展」で、バールは日本文化について分析し、浮世絵など日本文化に対する深い理解を示し、西洋人にとって新しい視点を提供していている。日本人の私も、新しく日本文化の本質を知らされるところだ。
脱俗の人間の一人として蕪村のエピソードもある。日本人から見ると落語のネタのような話で、風流や脱俗をいうのに、無風流な話である。それもそのはず。カタログの説明からの引用というのだらか無理もないのだが、異文化の理解というのは本当にむずかしい。
「蕪村はある晩横になって寝ていたが、またすぐに目を覚まし、その晩、月が照っているのを思い出した。そのとき、すぐにも月の光を見たいという気持ちにかりかてられたので、蕪村はろうそくに火を灯し。その火で住まいの屋根に穴をあけ、この穴から空を眺めた。その結果、街の半分が炎に包まれ焼け失せてしまった。」
バールは日本文化や芸術を讃えながらも、すぐに、明治時代の日本が早も西洋文化に汚染され、日本の良いものを失くしかけていると指摘しているのは、鋭い。彼はドイツ文学とは違うオーストリア文学を強調している。
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