快晴
晴れやかに一木を染め寒入日 正子
寒晴の空の青さを珠といい 正子
ひとりには白菜多すぎざくと切り 正子
●今日はとくによく晴れて、「寒中の快晴の空」となった。寒波が来て、西の広島の奥地も雪だという。炬燵に熱を入れ『リルケ』(星野慎一・小磯仁共著)を読んだ。今日で5,6回は読んだろう。ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を聞きながら読んだ。「オンブラ・マイ・フ」は何度も繰り返し流れていたが、音楽に助けられた格好で、ようやく『リルケ』が本当に読めた。私は、リルケをはじめは「俳句に関係するものだけ」読もうとしたが、次第にリルケに魅了された。彼の魂がいいと思えた。純粋で崇高な精神が読み取れる。
●『ドゥイノの悲歌』(手塚富雄訳/岩波文庫)の第一悲歌だけをひっくり返しながら、数度読んでいて、「なーんだ、そういうことか」と気づいた。第一悲歌はリルケがこれから詩に歌おうとしていることを書き連ねている。そうなれば、実によくわかる。第一悲歌だけは、信之先生の『リルケ作品集』の原詩で曲がりなりにも読んだ。そんなに気構えることではないのだろう。この解釈は違っているか?
●リルケは結婚し、一人娘が生まれた後、「ヴォルヴスヴェーデの画家」「ロダン論」を書くことになった。都会のパリに放り出された「孤独と不安」が、『マルテ・ラウルリッツ・ブリッゲの手記』を書かせたが、この状態が、人間存在の本質をリルケに問わせたのは自然なことであろう。だが、ここまで身をそぎ落とさなければ本質が見えないという
なら、それを何人ができると言うのか。
●リルケやゲーテがつぎつぎ恋愛をするわけ。
AI:ゲーテとリルケの両者にとって、多くの恋愛経験は彼らの探求に深く関わっています。彼らの恋愛経験は、単なる個人的な出来事にとどまらず、彼らの文学的・哲学的な探求と密接に結びついています。
ゲーテの場合、愛は彼の人間理解の中心にありました。彼の恋愛経験は彼の作品の多くに反映されており、人間の感情や心理を深く掘り下げる助けとなりました。『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』のような作品は、愛とその影響を通じて人間の存在についての洞察を提供しています。
リルケも同様に、愛の経験を通じて自己探求を深めました。彼の詩には、愛の喜びと痛みが織り交ぜられており、それが彼の哲学的な問いと絡み合っています。リルケにとって愛は、存在の意味や人間の孤独、そして超越的なものへの探求において重要なテーマでした。
つまり、彼らの恋愛経験は、彼らが本来探求する人間存在の意味や感情の複雑さを理解するための重要な要素となっていたのです。
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