晴れ
●夜、独り暮らしの、料理を楽しんでくらしている男性の台所を紹介したテレビ放送があった。贅沢な料理にも暮らしにも見えなかった。普通の感じ。独り暮らしの男性の姉が、「大切な人は最後まで残る。誰もいなくなることはない。心配しないでもいい。」と言ったと言う。真をついた言葉だ。男性は寂しいと思ったことはない、とのこと。それで、年賀状のことが思い浮かんだ。私がもらう年賀状は年々少なくなっているが、無くなってはいない。子供家族や兄弟姉妹とか親戚とか、友人とか。年賀状を取りやめるのが流行っているが、その流行とは関係ない。年賀状をくれている人の気持ちは本当のところは、わからない。しかし、年賀状は私に、「あなたの大切な人は、彼らですよ」と教えてくれているとも言える。
●午前中美容室へ。すぐ前が丸善なので新書・文庫のコーナーに立ち寄る。『マルテの手記』(大山定一訳・新潮社)を買った。リルケを読むのに、『マルテの手記』を読まずには前に進めないと思ったから。リルケの後期の詩は『マルテの手記』が母胎になっている。リルケの俳句だけ、俳句部分だけ関わろうと思っていたが、俳句だけ取り出しては考えられなくなっている。俳句を60年近く経験してきたことでわかることが多い。リルケの詩を裏側から見ているような感じがする。リルケの詩の正統な読み方とは違うかもしれないと思わないでもない。正統派的読み方だけでは読み落としがあるのでは、と思うこともある。この年になると、リルケをどう読もうが個人的の問題なのだ。ちょっと気楽なのだ。
ハイディガーは「私の哲学はリルケが詩で表現したものを思索的に展開したにすぎない」(『リルケ』星野慎一・小磯仁共著/清水書院)と言っている。リルケの詩は実存哲学を詩として表現したということになる。
●昨日モーツアルトの「2台ピアノのための協奏曲 K365 」をマルタ・アルゲリッチとマリア・ジョアン・ピレシュ が弾いているYouTubeに出遭った。二人は80代初めだと思うと奇跡の共演に感激した。女性ピアニストのうるわしき友情がある感じだった。
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