生活する花たち 冬②
◆生活する花たち/高橋正子◆
○侘助
侘助や障子の内の話し声/高浜虚子
侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。
○水仙
水仙の香を吸いながら活けており/高橋正子
町内のあちこちで水仙が咲き始めた。正月が近い。
水仙について脳裏にある光景がある。昭和30年代前後、家庭では、着物や布団などを洗って仕立て直していた。洗った布は、糊づけして皺を伸ばすために、板張りや針子張り(しんしばり)にしていた。木綿は小麦粉で作った糊を使うが、銘仙など絹ものは、水仙の糊を使っていた。水仙の葉を切ると、滴る水のような透明な液で良い香りがする。この液にひたして、針子張りにした布が、庭いっぱいにゆれていた。それもなぜか、水仙の花が咲いている時期に限られていたように思う。糊に使うだけの水仙が庭に咲いていたとも言えるが。冬ばれのうららかな日と共に思い出す。
○茶の花
茶の花垣朝の光頬通る/森澄雄
茶の花は、この季節好きな花のひとつ。生家には、道から一段高くなったところに菜園があり、柿の木がありました。その西側にお茶の垣根があって、ちょうど柿が熟れるころ、お茶の花が咲き始めました。お茶の木には、まだお茶の実が残っていて、その独特な形は面白いものです。祖母の話では、戦前までは、家でお茶を作って飲んでいたようです。お茶を作らなくなっても垣根だけは残っていました。白い絹のようなお茶の花とその実には、子どものときから、いい感じで受け止めていましたから、生来好きな花なのでしょう。鉄瓶の蓋の持ち手にお茶の実を模したものがついていたのを覚えていて、いいデザインだと、小学生のときから感心したりしていましたので、多少は骨董眼があったのかもしれないと思うのです。お茶の花の白は、絹のような白で品がありますから、寒くなり始めたころにふさわしい白だと思っています。
○万両
万両の丈伸びて実を輝かす/高橋信之
横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。
○千両
花束の中より散らばる実千両/平田弘
千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両を一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。
○南天
南天の実も水音もかがやかに/高橋正子
冬が来ると、縁側にふれそうに南天の実が色づいた。その南天は私の記憶では、一間(1.8メートル)ぐらいの高さで、大きくもならなかった。築山のほかの木が剪定されても南天はそのままで、正月用にその実も葉も残されていた。年末のごみを焼くけむりにも巻かれていた。これは、広島の生家の話であるが、南天はどの家にもある。「難を転ずる」の意味で植えられるらしい。松山の家の庭隅にも、植木屋さんが勝手に持ってきて植えてくれて、正月料理や赤飯にその葉を飾りに使ったりした。一枝切って、正月花にも使った。今住んでいる横浜の日吉本町を散歩すると、農家の藪のようなところにも木の姿は乱れているが、たわわに実を付けている。もう年末だな、もうすぐ正月が来るな、と思う。そう、正月が過ぎて、雪が降る日があると、赤い実が雪を冠り、かわいいのだ。雪うさぎの目にもなったりする。墨彩画に書かれたものも実だけが赤くて面白い。書きだせばきりがないほど、南天は身近にある。
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