★這いはじめし子に展げ敷く花茣蓙 正子
はいはいを始めた赤ちゃん、その様子をうれしく思いながら花茣蓙を広げるお母さん。明るく涼しげな母子の微笑ましい様子が伝わってきます。(多田有花)
○今日の俳句
頂の青筋揚羽雲に触れ/多田有花
山の頂には、こんなところまでよくも、というような蝶などを見かける。飛べば雲に触れそうな青筋揚羽もいて、驚き、また楽しい世界を作っている。(高橋正子)
○簾
古家や奈良の都の青簾 正岡子規
すだれ立てかけて店頭トマトの赤 高橋信之
熟睡(うまい)の子に簾の内の青き部屋 高橋正子
マンション1階の西端がわが家族の住居で、その北西に信之先生の書斎がある。書斎の西窓と北窓に簾を吊って、北からの涼しい風が吹きこんでくる。
信之先生の書斎は、真夏でも涼しいので、そこがネットの仕事場にもなって、時には、私の仕事場ともなる。今日は、涼しすぎて、西窓を締めた。ネットは、毎日の決まった仕事がある。花冠ツイッター句会での入賞句を毎日欠かすことなく選んでいる。今日の秀句・佳句である。
http://twilog.org/kakan_haiku
全国俳誌協会の新設IT事業部の部長になったので、協会公式のホームページを作っている。今日制作の試作版は、下記アドレスの表紙で、蒲の穂の写真と草田男の俳句を選んで制作した。
http://zenkoku-haishi.info/index3.html
協会公式サイト試作版は、第1号から第6号までを制作し、IT事業部のブログにリンクを貼った。
http://blog.goo.ne.jp/zhk2011
○現代俳句一日一句鑑賞
★見おぼえの山百合けふは風雨かな/ 星野立子
この前通って見た山百合が、今日は、雨に打たれ、風に煽られて咲いている。風雨のなかの山百合に、この前見た山百合が重なり、山百合の姿がしなやかに捉えられている。山百合に「見覚えの」を持ってきたのは、立子の真骨頂。(高橋正子)
▼その他は、下記アドレスをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/kakan2011
◇生活する花たち「槿①・槿②・蒲の穂」(横浜日吉本町)
★撒き水の虹を生みつつ樫ぬらす 正子
○今日の俳句
炎天に祭り用意の男たち/黒谷光子
炎天下、祭りの用意に余念のない男たち。汗をいとわず動く意気込みが、男らしさとなって、用意の段階から祭りを盛り上げている。(高橋正子)
○電話
第一話
朝、一息ついてお茶を飲んでいると、電話が鳴る。
「広告代理店のコウハクドウ(確かそう聞こえたが)と申しますが。高橋正子先生でいらっしゃいますか。」
「そうですけど。どういったご用件でしょうか。」(とこう言いながら、廣済堂、博報堂は知っているけれど、聞いたことないなあと思う。)
「実は、原爆記念日に祈りの句として読売新聞に先生の俳句を載せられてはいかがでしょうかと思いまして。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。」
「・・」(どこで私のこの句を知ったのかしらと頭を回す。俳句年鑑しかないね。)
原爆犠牲者への祈りの句と言ったり、去年の夏の思い出の尾瀬の句を出してきたり、俳句に感じいった演技に、電話を切るタイミングを一瞬逸して、次のことを聞く羽目になった。
「みんなで八人なんですがね。元文部大臣の有馬先生の奥様や、俳人の高橋先生のお嬢様の瑠璃子様とか、それからですね。そういった方々に去年は句をいただいたのですが。今年は先生に是非お願いしたいのです。」
「少しお待ちください。」
朝のお茶を飲んでそのまま椅子に座っている信之先生に、電話の内容を三言、四言話す。言いながら、私は信之先生の顔付きにひらめいて、
「広告代はおいくらですか。」
「25万円です。」
「それでは、結構です。」
(やはり。)
信之先生は、「長々電話を聞いて、馬鹿だなあ。」という。
(しかし、自分の句を他人が知っていれば、次に何を言うか聞いてみたくなるも人情ではないか。)
「安ければ出していいけどな。」
「有馬先生の奥様はお金がおありなんでしょう。」
「そうだろうな。」
第二話
翌日、飛騨三十三観音霊場、第三十三番札所、高野山真言宗「千光寺」から、ダイレクトメールが来た。「千光寺」といえば、懐かしい寺の名前。封筒の中を開けないで、裏表見返して、差出しの寺の住所を確かめる。私の知る「千光寺」ではない。私の知るのは、尾道市にある桜の名所の千光寺。尾道は林文子や志賀直哉が一時住んでいた文学の町。子どものころ、鞆の浦から岬を回ってくる安正丸という小さな客船に乗って桜の季節には家族で花見にでかけたところ。港の石段がみどりの潮に浸って潮の香りが漂う尾道の港。桜とみどりの潮が脳裏を横切った。封書は、その寺からではなかったが、開けて見た。
「飛騨円空の里」「標高八百メートルの静寂」「千二百年の法灯を今に活かす」「円空物六十三対を安置」これは、パンフレットに記された飛騨千光寺のうたい文句。円空仏といえば、惹かれる。ここのご住職が東日本大震災の支援活動を宮城県でされて、あまりの悲惨さに心を悼め、山内に八十八ヵ所霊場を「祈りの道」として作り、犠牲者の慰霊と復興を祈願するということであった。八十八の霊場ならぬ句碑を建てるが、参加してはいかがかというもの。御影石に句を刻んで三十万円。四国に長年住み八十八ヵ所は生活に近いもので、高橋家も弘法大師の真言宗。弘法大師のご縁もあるが、なんとも。標高八百メートルの飛騨山中に句碑を建てても、そこへ見に行けるかどうかと、くだらぬことを思ったり。
第三話
そして、翌日、京都の三木半というホテルから俳句吟行宿泊の案内。三木半の女将は俳人。六角通麩屋町角にあるホテル。三木半からは、水煙の時には年に一回くらいパンフレットがよこされていたが、花冠となっては初めて。
「お母さん、こんなところからパンフレットが来て、お母さんは有名なん?」と句美子が言う。面白い娘である。
「有名になりかけているかも知らんけど(少々からかう)、有名ではないよ。商売はこういう風にして、お金を出してくれそうな人に大勢やたらと当たるのよ。」
どの件も、縁がないわけではないが、お金に縁のない身には、全く縁がない。かくして、詐欺にも合わず、お金に取り込まれることもなく、過ごしている。
◇生活する花たち「月見草・コリウス・白粉花」(横浜日吉本町)

★冬瓜にさくっという音のみありぬ 正子
大きく武骨でユーモラスな形の冬瓜、包丁を入れるとさくっという音がします。冬瓜そのものは無味無臭でまさしく「さくっという音のみありぬ」です。しかし、料理次第でどんな風にもなるところが冬瓜の大物たるところでしょうか。 (後藤あゆみ)
○今日の俳句
弧を描く夜汽車の灯り大夏野/後藤あゆみ
平野の果を走る夜汽車の灯が弧を描いてみえるのは、さすが「大夏野」。(高橋正子)
○向日葵
わが家から東へ数軒先に毎年決まって向日葵を咲かせる家がある。小さな用事の外出に通りすがりに見上げて楽しむ。この家には、2年ほど続けて2メートル以上になる「木立ダリア」が咲いていたが、何の花だろうと、これも見上げて楽しんだ。背丈の高い花がお好きなようだ。
最近大輪の向日葵を見ることが少なくなった。子どものころの向日葵は大輪だった。種が実ると重くて頭を垂れた。この大輪が「ロシア向日葵」だということを、はるか昔、たぶん中学生のころだろうが、知った。ロシアンケーキ、マ-マレードを入れる紅茶、ロシア民謡など、ロシアのイメージの一つとして記憶していた。それを、今日ここで思い出した。
向日葵の原産地は北アメリカ西部で、ネイティブアメリカンの食用作物だったとのこと。食用向日葵に、ノースクイーンとか、アメリカンスナックという品種があるらしいが、もっともなこととうなづける。が、私のイメージは、向日葵は東欧かロシアの花のイメージが強い。食用向日葵の種子の生産の先進国は、ロシアとのこと。理由は、ロシア正教のものいみの食品制限で、油脂食品の禁止食品に向日葵が入っていなかったので、ロシアで盛んに栽培されたとのこと。こういうこともあるのか。
丘をなす一面の向日葵畑は、ロマンティックな叙情がある。ゴッホの向日葵も有名だ。ゴッホの向日葵は、向日葵とその背景の色彩が、さすがゴッホと思わせる素敵な色だ。これは大輪ではない。花瓶に活けられた向日葵もまたよい。
向日葵の蘂を見るとき海消えし 芝 不器男
ゴッホの向日葵切りとられ切口を見せ 高橋信之
向日葵に空の青さがあり余る 高橋正子
向日葵の丘ひろびろと雲の旅 小西 宏
◇生活する花たち「向日葵」(横浜日吉本町)

★熟れきってまるきトマトの冷やされし 正子
中夏から晩夏にかけてまるまると大きく熟した真っ赤なトマトが滔々と流れくる水を受けた樽の中でころころとまわりながら冷されている景は涼しそうですね。夏の素敵な景色ですね。(小口泰與)
○今日の俳句
湖へ虎杖の花咲きいそぎ/小口泰與
湖のほとりに虎杖の花が咲き急いでいる。夏が短い北国を思わせる。虎杖の花は小さく白い。散れば葉に埃がかかるように散る。夏の短さも、花のもろさも、みな移ろいやすさでえある。(高橋正子)
○小諸と上田
ホトトギスと自由律の中間派といわれた「石楠」を大正4年に創刊した臼田亜浪は、信州小諸の生まれで、私たちの「花冠」は、この師系に連なる。亜浪の軸物が古美術商でも扱われる。東京千駄木の「ふじもと」の藤本洋子さんもそういったお茶道具や軸物を扱うお一人で、信之先生にときどき電話がかかってくる。先日は、臼田亜浪筆、桃太郎画賛の俳句を読んでもらいたい、との依頼で、句は、「廣ヽの草に伸びあがる小松の穂」であった。このなかの「草」の字がなかなかユニークで判読できなくて、お困りだった。後日、お軸のお嫁入り先がきまりましたとのお知らせをいただいた。
小諸は、花冠の誌友と吟行で訪ねたこともあるが、その隣町の上田は、真田十勇士で有名であって、千駄木の藤本洋子さんは、そこのご出身である。上田の銘菓「くるみそば」を藤本洋子さんに頂いた。いかにも山国らしいお菓子で、白あんをそば粉で包み、砕いた胡桃をまぶした棒状にした饅頭。これを、1,2センチほどに切ってお茶といただくと、美味しい。蕎麦も胡桃も信之先生の好物なので、思いかけなく美味しい判読料となった。
◇生活する花たち「白百合・桔梗・小豆の花」(横浜日吉本町)

★わが視線揚羽の青に流さるる 正子
○今日の俳句
沢蟹や水音絶えぬ作業場に/安藤智久
沢蟹は、梅雨のころからしきりに出歩く。水音の絶えずしている作業場にも赤い爪を振って沢蟹が現れ、作業場の景色が涼しく、作業にも弾みがつきそうだ。(高橋正子)
○黄昏
7月28日、バスとトイレをいつもより念入りに掃除し、床を拭き、そしてバスにお湯をため、夕飯は天婦羅を揚げることにして、黄昏どき、日吉本町5丁目あたりへ写真を撮りに出かけた。幸いに、猛暑のあとに台風6号が訪れ、去ったあとには、避暑地ほどの涼しさが舞い降りた。今日も曇りで時折気づかないほどの雨粒が落ちるが降りもしない。4時25分、正確には黄昏前、西に傾いた太陽の在り処が薄雲を透けて確かめられる。
黄昏に何をする当てがあろうか。何もしないでよいのであろう。あの人は誰かしらと顔もよくわからないが、という時間。人生の黄昏ともいう。写真を撮るのが目的で片や名目で、やるべき仕事はあっても、それは家に置いてきて、5丁目あたりを風に吹かれながらパカパカのシャツを着て歩く。団地の坂を上ると、ランタナの白い花がふんだんに垂れている。左手のグレーがかったタイルの家には、北側の部屋にオレンジ色の灯が点っている。その家の横を覗いてわかった。高いがけの上に建っている。この家は、本町駅前を走る道路から見ると、ちょうど農家の花梨の木の上のほうにある。私が一人勝手に、ユトリロの家と名づけている家だ。
ユトリロの絵に似て雨の花梨の実 正子
この家がなければ、ユトリロなど思いも着かなかったろう。この家の北側の道を通るときは、いつも部屋にオレンジ色の灯りが付いている。撮りたい花もあるが、やたらにシャッターを押すものどうかと、いつも撮らずに通り過ぎる。その家の角を曲がれば、春には満作が咲いていた家がある。白い壁が歳月が経って灰色がかって、小粋な窓がある。今日は、ななかまどの青い実が成っていた。ユトリロの家とこの家はもう秋の気配が漂っている。
黄昏はただ一人歩くだけ。団地には人ひとりいない。ミンミン蝉にまじり、つくつく法師が鳴いている。竹藪のはずれの桜かなにかの木にいるのだろう。葛が生い茂る様を写真に撮る。もしや、気づかぬところに葛の花が写っているかもと期待して。丘にある5丁目は、まだ荒地もある。月見草の原っぱがあるが、どれも凋んでいる。中学校には、マリーゴールドが元気よく咲いている。青桐に実が成っているいるので、写真に撮るとストロボがたかれた。もう、確かに黄昏がやってきた。ライオンズマンションの下に公園がある。その上に保育所があって、泣きながら母親に手を引かれて帰る女の子がいる。おかあさんは、機嫌をとらないのかしら。ただ、だまって、怒りもしないし、なにも言わないで、手を引くだけ。太ったお父さんが自転車でやってきて、保育所の門を開けて中に入っていった。お母さんが幼い子をおんぶしてあわただしく出てきた。
もう、引き返そう。坂をくだる途中の塗装屋さんの塀から白い桔梗が覗いている。金柑の白い花が咲いている。狭い歩道を若い小柄な娘さんが携帯を見ながらすたすた歩いて、追い抜きそうになる。だから道を譲ってあげる。坂を下ると日吉本町駅前の通りに出る。知り合いが向こうでにこっとするので手を降る。民家に睡蓮鉢がある。そうだ、金蔵寺にもう、蓮が咲いているかもしれない。行こうかと思ったが、あそこは、午後5時きっかり、山門を閉めてしまう。もう5時はとっくに過ぎて、6時20分。ならば、まっすぐに家に帰ろう。
たそがれ。古くは「たそかれ」。「誰(た)そ彼(かれ)は」の意味。ネットで黄昏を調べていて、面白い箇所にあたった。
<松浦寿輝著 「物質と記憶」より
(吉田健一は)
黄昏とは荒廃した衰滅の時刻ではなく、昼間の光のすべてを同時に湛えたもっとも豊かな時刻であることを強調する。黄昏の光線に「魅力があるのはこれが一日のうちで最も潤いがあるものだからである」と彼は言う。>
この吉田健一は、吉田茂の長男。外交官時代の吉田茂について英国にも暮らしている。「物質と記憶」は、フランスの哲学者ベルクソンの主著の一つだが、吉田健一の黄昏について引用した松浦寿輝著「物質と記憶」は、(読んでいないのだわからないが)日本文学論のようだ。
「黄昏」のイマージュは、ベルクソンで言えば、どうなんだろう。物質と記憶の間の表象。
◇生活する花たち「ランタナ・紅蜀葵・白槿」(横浜日吉本町)
ドイツの旅平成2年夏
★ラインのぼる巨船の人の裸かな 正子
川風がよほど気持ちよかったのでしょう。川を行く船の上で裸になっている人がいる。想定外でちょっと驚いてしまいますね。(上島祥子)
○今日の俳句
立つものは向日葵ばかり畑の昼/上島祥子
真夏の昼の畑は、南瓜が地を這い、茄子は低く育ち、小葱なども葉が白けて、立ってるものは、向日葵ばかり。それだけに向日葵の姿が独特に浮かび上がる。(高橋正子)
◇生活する花たち「カンナ・朝顔・百日紅」(横浜日吉本町)

★初蝉は一蝉遠く鳴いて止む 正子
待っているとなかなか聞けない初蝉の声です。遠くからひと声、じーと聞こえて、それで終わり、少し拍子抜消したような-気分です。やかましく鳴き出すのは2,3日さきかもしれませんね。 (河野啓一)
○今日の俳句
空晴れて祭り太鼓の試し打ち/河野啓一
「試し打ち」に、祭への張り切りようが想像できる。「空晴れて」なので、思い切りの試し打ちだろう。まだ不調子があれば、本番でない面白さと思える。(高橋正子)
◇生活する花たち「百日紅・蓮①・蓮②」(横浜日吉本町金蔵寺)

★白すぎて花おおらかに泰山木 正子
泰山木はモクレン科、直経20cmはあろうかという大きな白い花を開きます。その花の雰囲気を「白すぎて」と「おおらか」で見事に詠まれています。 (多田有花)
○今日の俳句
月涼し静かに夜を渡りおり/多田有花
「月涼し」と感じる月は、「静かに」夜を「渡る」ところにある。平明な描写に、作者の心境にの「涼しさ」が出ている。(高橋正子)
◇生活する花たち「百日紅・のうぜんかづら・カンナ」(横浜日吉本町)

★枇杷の実のあかるさ葉ごと買いにけり 正子
まるまるとした黄赤色の枇杷の実、葉の付いた新鮮な枇杷の実、そのあかるさが、とても美味しそうで幸せな気持ちにさせてくれます。「買いにけり」にうれしい喜びの気持ちが伝わってまいります。 (藤田裕子)
○今日の俳句
飛機の灯も遠のき後は星涼し/藤田裕子
星空を動く飛行機の灯が遠くへ去り、その後は、満天の星が、涼しげに輝く。飛行機の灯があればこそ、永久に輝く星の明かりが美しく心に残る。(高橋正子)
◇生活する花たち「百合・朝顔・白粉花」(横浜日吉本町)
