4月3日(火)

★煽られて花のゆるるは大いなる  正子
美しく咲き満ちた花の重量感が、風に煽られて、より一層存在感を増して迫ってきます。爛漫の花のあふれんばかりの明るさに、心も晴れやかにふくらみます。(藤田洋子)

○今日の俳句
山辛夷一気に空の青へ咲く/藤田洋子
「一気に」が野生である山の辛夷らしい。待ちこがれたように噴き出して咲く。辛夷の見方に元気があり新しい。(高橋正子)

○年金
昨日年金事務所に出かけ、年金を給付してもらえるよう申請した。1月3日が誕生日で65歳になったからであるが、申請書類をひととおり揃えるまでが、面倒である。揃えてみればたいした書類ではないが、郵便局で年金相談があるので出掛けてもみたが、私の年金についてすべてわかったわけではない。年金事務所でも、ここですべての年金相談が済むわけではない。年金は自分が積極的に申請しなけらばもらえないシステムだとわかった。わずかだが、60歳からもらえる年金もあった。4月2日に受け付けて、2ヶ月後に年金証書というものが届いて、それから50日以内に年金が振り込まれるということであった。もらえるのは、誕生月の翌月から、6月の支給の5月分までの4カ月分だそうで、実際の支給まで4か月、もたもたしていると誕生日から半年もかかる。それにつけて想像するのだが、餓死する親子の報道がよくあるが、生活保護を受けようとする人は、書類をそろえるだけの気力があるのだろうかと。

★年金申請桜がひとつ二つ咲く/高橋正子

◇生活する花たち「桜・こぶし・土佐みずき」(横浜日吉本町)

4月2日(月)

★来るまでを辛夷のひかり見て待てる  正子
人を待つ期待感、あるいはのりものを待っていられるのでしょうか。待つあいだをうららかな日を浴びて明るくひかる辛夷を見てすごされる、豊かなひとときが思われます。(小川和子)

○今日の俳句
風集め宙に弾める白木蓮/小川和子
風を集めて白木蓮が、弾んでいる。「弾む」という捉え方が作者らしさであって、風の中の白木蓮の姿がよく詠まれている。(高橋正子)

○フェイスブック
フェイスブックの本「Facebook Perfect GuideBook」を読む。8日(日)に第11回(花祭/釈迦誕生日)フェイスブック句会(主宰)を開催し、9月には、第1回フェイスブック俳句コンテストを予定しているので、その準備のため。

▼第11回(花祭/釈迦誕生日)フェイスブック句会のご案内
①当季雑詠(春の句)を計3句、花祭、花御堂、甘茶の句など
②投句期間:2012年4月7日(土)午後​9時~8日(日)午前​11時
③選句期間:4月8日(日)正午~午後4時
※入賞発表:3月4日(日)午後4時
※フェイスブック句会参加の方は、下記アドレスからフェイスブックに<アカウント登録>
を済ませてください。
http://www.facebook.com/

フェイスブックの本「Facebook Perfect GuideBook」によれば、フェイスブックの特徴は、必ず実名で登録しなければならない、という実名主義のサービスです。日本人に不得意な「開示」の問題があります。第2の特徴は、次々とサービスが進化していく、という柔軟な姿勢です。YouTube,Amazonなどの外部サイトにフェイスブックのボタンが設置され、ボタンひとつで共有できるようになっています。ツイッターやブログとの連携もあります。もっともシンプルな投稿ツールであるツイッターとは違って、多機能があるソーシャルサービスであることに初心者は戸惑いますが、初心者は、多くの機能に手を出さずに、少しの機能に絞り込んで利用すればよいでしょう。

○牡丹の芽
★ふくらみし夢に雪ふる牡丹の芽/菅井冨佐子
牡丹の芽は、初めつやつやとしているが、少し葉らしき形が見えると、火炎大王の髪の毛を思い起こす。そのように燃え立っている。

★牡丹の芽あらしがよけて牡丹寺/高橋正子

◇生活する花たち「桜」(横浜日吉本町)

4月1日(日)

★雪柳の自由な茎と空気と触れ  正子
雪柳の枝ぶりは自由気ままに伸び、その周りの空気まで、見るものには自由な気持ちで触れさせてくれる感覚は、この季節ならではなのでしょう。 (高橋秀之)

○今日の俳句
風光る沖で入港待ちの船/高橋秀之
きらきらと耀く沖で、入港を沖で待っている船。船の待つ沖は、心地よい風が吹いているであろう。急がない春の時間がここにある。(高橋正子)

○桜
★桜昏しはげしき天の白光に/川本臥風
★山の鳥来てさわぎゐ桜かな/山口青邨

 桜ばバラ科サクラ属の落葉高木の総称。山桜、染井吉野など自生種・園芸種を含めて数百種ある。古くから農作業開始の目安としても親しまれてくた。染井吉野は、明治初期に東京の染井村(豊島区)から急速に全国に広まった。

 今日は、自由が丘に句美子と出掛けた。東横線で多摩川を渡るのは久しぶり。多摩川の桜もまだ蕾のようで、色が見えない。自由が丘は電車の乗り換えで降りるものの、街を歩いたことはない。目的は、「浜陶」という本店が松山にある砥部焼の店に出向くため。首都圏で砥部焼がたくさんあるのは、この店だけとなったとのこと。店員は松山の山越から赴任している20歳代の男性一人。梅山窯のものがほとんど。句美子が懐かしいという。砥部焼の代表的な絵付けのサラダボール風の鉢と、中皿をセットとしてかった。贈るつもりであるが箱はないとのことで、クッション材で包んでもらう。
 そのあと街を歩く、通りにはベンチが置かれ、桜が三分咲き。それでも早い。通りの縁台風の広台の上では、花見の宴が二グループ、佳境にのっていた。こぶしが、満開であった。「クオカ」という製菓器具や材料店による。マドレーヌ型は一つ5000円ほどである。なかなかの代物で、いつか買おうと思う。雑貨の「アフターヌーンティー」、マカロンで有名な「ダロワイヨ」、布地の店などに寄る。自由が丘は、以前はおしゃれな街として婦人雑誌に多く紹介されたが、いまはどうだろう。「ヤング・ミセス」という店があったが、売っている洋服の柄は、初老婦人向け。店の名前を変えるわけにもゆかず、お客に合わせて売る洋服が変わったしか思えない。自由が丘の特徴かもしれないが、パンケーキ屋があって、パンケーキにポテトサラダを巻いたようなものもある。風が冷たいので、2時間足らずで引き揚げた。

★多摩川の奥へ連なる桜かな/高橋正子

◇生活する花たち「桜①・桜②・こぶし」(東京・自由が丘)

3月31日(土)

★ヒヤシンスの香り水より立つごとし  正子
ヒヤシンスの水栽培をされているのでしょう。ガラスの器からの花の香が、水より漂っていい香りを放っています。(祝恵子)

○今日の俳句
春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ/祝恵子
たとえば、畑に突っ立っている棒に、鳥が飛んで来て止まり、辺りを見たり、鳴いたりして、飛び去る。飛び去るときのはずみで棒が揺れる。春になると特に小さな生き物がいきいきと動き始める。春らしい景色。(高橋正子)

○たんぽぽ
★たんぽぽや日はいつまでも大空に/中村汀女
★蒲公英の絮とぶ下を千早川/杉山岳陽

たんぽぽは、すみれと並んで、春の野の花の代表かもしれない。キク科の多年草。菊と同じような花の付き方をする。西洋たんぽぽに押され気味らしいが、、関東のたんぽぽ、関西たんぽぽ、白花たんぽぽなとど、何も調べないでもいろいろあることと知っている人は多い。植物学的ではなく、「たんぽぽ」をどう発音するかだが、おそらく関東の人は、「たん」にアクセントを置いて発音されるだろう。私は中国地方で育ったから、「たん」は平板に発音して「ぽぽ」で少し上げて「ぽぽ」のところは同じ強さで発音する。「たん」を強くいう標準語は、どうも言いにくい。ただそれまでのことだが。おとといも横浜市内の緑道や里山公園ですみれを見つけたが、たんぽぽが咲き揃えば、いよいよ桜も数日内には加わってくるだろうと、楽しみだ。

★たんぽぽの野の平らかに空の下/高橋正子

◇生活する花たち「カタクリの花・キクザキイチゲ・満作」(横浜四季の森公園)

3月30日(金)

★春雷のいなづま明かりを胸に受く  正子
夏の雷には即物的な力を感じますが、春雷となると少し感情に響くところがあるようにも思います。「いなづま明かり」にはいささか艶めかしささえ感じられます。どんな思いを胸に受けられたのか、それは読者の読みに任されていますけれど。 (小西 宏)

○今日の俳句
水色のそらに連翹の明るい岸/小西 宏
元の句は、「水色のそら」で切れ過ぎ。感動のありどころを、論理的に詰めて表現するとリアルな句になる。水色の空であるから、真っ黄色い連翹の咲く岸がくっきりと眼前に見える。そのコントラストが美しい。(高橋正子)

○横浜都筑・ふじやとの道緑道
きのう、3月29日、都築区にある「ふじやとのみち」を歩いた。横浜市営地下鉄グリーンラインの北山田(きたやまた)で降りてそこから始まる緑道を歩いたのだが、空は青く晴れて、小さな雲が浮かび、春の陽気となった。新緑のころは、木々の緑の枝が差し交わし、せせらぎがさらさらと流れ、さわやかな道となる。きのうは、春の日差しが溢れ、新設された外灯が工事現場の柵を残したまま、道沿いに突っ立っている。黄水仙がやっと。葵葉すみれを見つけたが、歩けど歩けど春の日差しが行き届いているが木の花草の花はまだ。緑道が尽きる手前に一本だけ辛夷の花。。辛夷を写真に撮ろうとするが、剪定がまずいのか、樹形が壊れてしまっている。首が痛くなるほど見あげて、結論を出した。辛夷を画に描くとしたら、どう描くかなど思いながら、つまり、画を描くつもりで写真を撮った。紙くずのような感じでほどけた花びら、中心にうすい赤みがあるところ、背景は空の青。枝があること。

緑道の終わりは、徳生公園で鴨が泳ぐ池がある。残った鴨は羽が白と黒の鴨がほとんど。水輪をつくりのどかに泳いでいる。鵜の番も杭に止まりひなたぼっこ。ベンチに座り、水筒からコーヒーを飲むと、老人となったような、ならないような心持である。緑道は、保育園児と、犬の散歩をさせる人、たまに自転車の主婦が通るくらい。「散歩」は、外国からの輸入らしいので、散歩が日本の文化になじむにはまだ時間がかかるのかもしれない。都筑阪急で、讃岐うどんの昼食を済ませて、センター北駅から帰宅。

○生活する花たち「梅・ヒイラギ南天・山茱萸(さんしゅゆ)」(東京関口・江戸川公園)

3月29日(木)

★沈丁の香の澄む中に新聞取る  正子
いつも其処に在る沈丁花ですが、同じに匂うわけではありません。朝一番、扉を開けた時の、ひときわ澄んだ香り。それは「新聞取る」日課に得る、よろこびです。清かな香の中に、今日のよくあらんことを想います。(川名ますみ)

○今日の俳句
残る鴨みずから生みし輪の芯に/川名ますみ
「残る鴨」なので、みずからが生んだ輪の中心にいるという事実が生きる。温んだ水が、しずかに輪を描き、その中心にいる鴨に、独りでいる意思が読み取れる。

○辛夷

[横浜都筑・ふじやとの道緑道2012年3月29日撮影]

★丘の上総身白き花辛夷/高橋正子
辛夷は、高さ6-9メートルに達する落葉喬木。新葉の出ぬ前白色の花を、梢頭樹間に開く。私にとっては、堀辰夫の小説のイメージが強い。横浜に転居するまでは、辛夷は、希に、もしくはほとんどと言っていいほど見たことがなかった。どんな花だろう、この目で見てみたいと思っていたものだ。似ている花の白木蓮は、庭木などで、家々によく咲いていた。新しい住宅が建つなどすれば植木にも流行があるのか、どの家にも同じ木が植えられる。白木蓮もその一つではなかったかと思う。横浜に転居してからは、近所に始まり、至るところに辛夷を見かける。旅をすれば、雑木山に辛夷が咲いているのが目撃できる。辛夷の花が咲くころは風がたしかによく吹く。風に雑木山ごとなぶられるようなこともある。白木蓮のように明らかな形で咲かないで、くしゃくしゃと咲く。この決まりなさがいい。スケッチするなら、白木蓮より辛夷がいい。風に打たれやすく、雨に傷みやすくて、儚く美しい文人好みの花であろう。シデコブシというのがあって、いい花だと思う。

◇生活する花たち「辛夷・花水木・柳の花」(横浜都筑・ふじやとの道緑道)

3月28日(水)

★花にらはいつも樹のそば垣のそば/高橋正子
にらに似た匂いがあり、花は星型で白色の花を咲かせる花にらは野生化して樹のそばや垣根のそばに映えているのが多いですね。ぞばのリフレインがとても素敵ですね。素敵な春の景ですね。(小口泰與)

○今日の俳句
揚ひばり畑ねんごろに打ちにけり/小口泰與
ひばりが空高く揚がり、のどかな日和。畑の土を丁寧に打ち返す。行いを丁寧にすれば、心の内も平たんになる。また逆も。(高橋正子)

○花にら
★花にらはいつも樹のそば垣のそば/高橋正子
花にらは、春の季節感があるが、俳句の季語ではない。夏の季語の「韮の花」とは違う。日本では、明治時代に園芸植物(観賞用)に導入され、逸出し帰化している。葉にはニラやネギのような匂いがあり、このことからハナニラの名がある。野菜のニラ(学名Allium tuberosum)とは同じ科の植物であるが、属が違うのであまり近縁とは言えない。球根植物であるが、繁殖が旺盛で植えたままでも広がる。鱗茎から10-25cmのニラに似た葉を数枚出し、さらに数本の花茎を出す[3]。開花期は春で、花径約3cmの白から淡紫色の6弁の花を花茎の頂上に1つ付ける。地上部が見られるのは開花期を含め春だけである。

◇生活する花たち「花にら・辛夷・菜の花」(横浜日吉本町)

3月27日(火)

★春の夜のむかし炭火を持ち運び  正子
炭火は今は貴重なものとなりましたが、むかしは火鉢や七輪によく使われたものでした。御句からは、熾きのもつ色合い、ぬくもりなども伝わり、春の夜のしっとりとした趣に懐かしいあたたかさを感じます。(小川和子)

○今日の俳句
湧水の流れに椿一花あり/小川和子
きれいな湧水に一花の椿が落ちてまだ色鮮やかである。水と花のクリアなイメージが美しい。(高橋正子)

○連翹(レンギョウ)
★遠くゐて連翹の黄と思ひをり/森 澄雄

連翹とは、広義にはモクセイ科レンギョウ属(学名: Forsythia)の総称(それらから品種改良で作られた園芸品種をも含める)。狭義には、レンギョウ属の種の一つ、学名 Forsythia suspensa の和名を指す。一般には広義の意味で称されることが多い。特徴は、雌雄異株。繁殖力が旺盛で、よく繁る。樹高は1 – 3mまで育ち、半つる性の枝は湾曲して伸び下に垂れ、地面に接触すると、そこからも根を出し新しい株ができる。枝は竹のような節を持つ。また、枝の髄が早期に消失するため、節の部分を除いて中空になる(このことから“空の木”、レンギョウウツギ(連翹空木)という別名が付いた。まだ葉が芽吹く前の早春、2 – 3cmの黄色い4弁の花が、細い枝に密に多数開く。その花が咲き終わる頃、入れ違うかのように今度は、緑色の葉が対生に芽吹き、それが秋になると濃緑色、概憤色(くすんだ黄緑色)、紫色と順に変色し、最後に落葉する。付いた果実は漢方薬として用いられる。中国原産。日本への渡来は古く、『出雲風土記』や『延喜式』にもレンギョウの名前が見られる。江戸時代前期に栽培の記録がある。

★飛び出でて子ら連翹の黄と遊ぶ/高橋正子

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◇生活する花たち「クロッカス・木瓜・山茱萸(さんしゅゆ)・」(横浜日吉本町)

3月26日(月)

★宵風の白みて強し犀星忌  正子
犀星といえば、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」との詩が浮かびます。私生児として生まれ、生後間もなく養子に出されるという複雑な生い立ちは犀星文学の原点でしょう。「白みて強し」にその感覚がうかがえます。傷は裏返せば持ち味であり、強さにもなります。(多田有花)

○今日の俳句
頂の三角点に蝶降りぬ/多田有花
世の中あるいは自然界には、説明のしがたいものの良さが多くある。この句もそのひとつ。山頂の三角点に蝶が留まった。敢えて意味づけると、山頂、三角点、三角形の翅。危ういがしかし確かなピンポイント。山頂の春の日の輝きである。(高橋正子)

○雪柳
★月うるむ地にただようて雪柳/石原八束

ユキヤナギ(雪柳、学名:Spiraea thunbergii)は、バラ科の落葉低木。別名にコゴメバナ、コゴメヤナギなど。春に小さい白い花を咲かせる。中国原産という説もあるが、日本原産であると考えられている。特徴は、手を掛けなくても成長し、大きくなると1.5mほどの高さになる。地面の際から枝がいく本にも枝垂れて、細く、ぎざぎざのある葉をつける。花は、3月から5月にかけて、5弁で雪白の小さなものを枝全体につける。そのさまから和名がついた。

雪柳の花ざかりは、枝が見えないほど真っ白になる。雨に散れば小米のような花びらが地面に張り付いてなかなかとれない。コゴメバナとはよくいったものだが、子供のころよく見た小米は、今はどこにいったのだろう。全く見かけない。

★雪柳自由な茎と空気と触れ/高橋正子
★雪柳水のかかれる井戸端に/高橋正子

◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)

3月25日(日)

★春の蕗提げしわれにも風が付く  正子
春先の蕗の薹が伸びて、大きな葉をつける頃、食用にする蕗の出来上がりです。山地に育った蕗を採り掲げると、山菜の香りが身に纏ってくるように感じられます。自然の風に蕗の新鮮な香りが漂ってくるようで、素敵です。 (藤田裕子)

○今日の俳句
近づいて離れて日永美術展/藤田裕子
日も永くなって、仕事や家事をするにも余裕ができるようになった。美術館では近づいてよく見たり、離れて鑑賞したり、ゆっくりと楽しめる。これも日が永くなればこそ。(高橋正子)

○第9回きがるに句会入賞発表

【最優秀】
★浅間山真向いにして花を待つ/小口泰與
堂々とした浅間山に真向かい、いまだ蕾の桜が咲き満ちる姿を想う。浅間山を咲く桜をまっすぐにわが心に受け止める姿勢がよい。(高橋正子)

★卒業の歩を運びゆく足袋白き/川名ますみ
「歩を運びゆく」から、袴姿の女子学生が想像できる。白い足袋が、潔くもあり、また、しなやかである。(高橋正子)

その他の入賞作品:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02c/

○柳の芽
★芽柳のおのれをつつみはじめける/野見山朱鳥
★芽柳や明治の鉄の橋架けて/石塚友二
★芽柳の緑さやかや雲もなし/高橋正子

  柳先花緑  六如
柳眼春寒獨自醒  柳眼 春寒 独自ら醒む
新来氣力放青青  新来の気力 青青を放つ
應須喚作風流箒  応に須らく喚て風流箒と作すべし
逆為開花掃一庭  逆して開花の為に一庭を掃ふ

柳が春寒の中、芽を出し始めた。
新たな芽は生命力に満ちて、青々としている。
これを風流な箒ということにしよう。
逆さにして、開花に備えて庭を掃いておくのだ。

◇生活する花たち「雲間草・雪割草・キクザキイチゲ」(横浜四季の森公園)