曇り、ときどき晴れ
港霞み白い風車に安全灯 正子
船乗り場春の運河にすぐ接す 正子
●3時過ぎ、行くのを迷ったが、横浜そごうへ。鳩居堂と紀伊国屋書店で小用事。陶器と漆器、茶道具売り場、額縁売り場、菓子売り場を見る。今日から外出の時、眼鏡をかけることにした。眼鏡のせいで、少し鑑定眼がありそうに見えたのか、そんな接遇だった。
眼鏡は2焦点レンズなので、急には焦点が合わなくて、見るところによって、足元を踏み違えそうになる。慣れれば大丈夫か、用心すれば大丈夫か、というところ。
初めて気づいたが、紀伊国屋書店の児童図書の書棚が低くて、すぐにガラス窓。そこからベイ・クオーターと運河が見える。ベイ・クオーターは船乗り場で運河に向けて扉が開いている。次はここから船に乗ろうと思いつく。水煙大会のとき、ここから船で山下桟橋まで行った記憶が蘇る。
●昨日は小雨の中を5丁目の丘へ。崖っぷちの公園に着くと四十雀が欅の枝で地声で鳴いて、丈の低いヒアシンスが咲きかけていた。小さい子どもの家に男子中学生が二人、話もしないで、真剣な顔でいる。勉強してるのか、ボードのようなものが見える。何してるんだろう。帰るとき横を通ったら、寄せ書きを書いているようだった。卒業記念の寄せ書きアルバムに貼る言葉を考えていた様子。昔は色紙に寄せ書きを書いたが、今はきれいな表紙のついたアルバム風の台紙に5,6センチサイズのシールにメッセージを書いて貼るようになっている。これをおととい初めて本屋で見たばかりだった。
●モーツアルトの交響曲29番をコンセルトヘボウ室内楽団のライブコンサートで聞いた。厚みがあるけど重すぎない響きがいいと思った。
曇り、午後小雨
辛夷まだ白き蕾をかかぐのみ 正子
鵯の羽音こもりぬ花のなか 正子
雨ふりて雛に仏に灯をともす 正子
●今年10月の鳥取でのねんりんピックの俳句募集要項が届く。鳥取出身の栄太郎さんに先行して一枚郵送。
●きのうは夕方、丸善へ。夕方の本屋を選んでよく行く。通勤の人たちが帰宅を急ぐころ、本屋に立ち寄る人もいるが、その数は少ない。隣で立ち読みしていた人がいつの間にかいなくなる。店の照明の照度が少し落ちてくる感じがする。実際は昼間と変わっていないだろうが、立ち読みで開いているページが眩しくない。
新書を10ページぐらいずつ、めぼしい本を読む。『親密な手紙』(大江健三郎)の冒頭は、松山の文芸仲間の噂で聞いた話。やっぱり本当だったんだと分かる。
『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)を買う。最近やさしい語り口の本にしばしば会うが、この本もやさしい語り口。そもそも美学は「観念」の話。新しく知ることが多い。
ヨーロッパでは、「伝統的に視覚と聴覚が高級で、それ以外は低級」と捉えられていたこと。感覚にたいする上等下等の区別は日本とヨーロッパ文化の違いをとらえるとき、かなり大切と思える。俳句で重要としてきたのは五感ということで、ものの認識において根本的に違っているのではと思う。
「芸術」という言葉は古くからあったが、「美術」と言う言葉は、1873年のウィーン万博の時から使われるようになったということ。このウィーン万博のあった1873年は、最近読む本に何度も出て来る重要年になっている。いやでも覚えてしまった。
●グルダのモーツアルトのソナタK545を聞いた。聞き飽きたようなK545の自由な弾き方に、3回も繰り返して聞いた。
晴れ
雛飾るたのしきものの雛道具 正子
香焚きて仏間の雛の衣匂う 正子
カーテンに春日が映す軒の影 正子
●先日買った『西洋美術史』(新星出版社)をひととおり読み了る。人間、目から入る情報がかなり多いらしから、手っ取り早く時代の様子が分かる気がする。学校で習ったのは、後期印象派・新印象派まで。それは50年ほど前のことになるが、その後は、なんとなく美術を見て来た。ガウディまでの世紀末美術、現代美術のいろいろは、自分で勝手に見ていた。現代美術は多様化と言われている。私の素人目には、細分化が進んでいるようで、何がどうなっているのかよくわからない。
IT社会と言われているが、世の中の行われていることが、毛細血管に入り込むように、小さい裂け目から、深部へと入り込んで、外からは何が何だかわからない。勉強不足のひとことで済ませていいのかとも思う。俳句も筋のある方が次々亡くなり、何が何だかよくわからない。「多様化」ではなく、「細分化」と言えるかもしれない。「多様化」はひとつひとつに肉付けがされている気がする。細分化は個人が、あるいは一部が先鋭化していると言えるのではと思ったりする。
世の中は、形而下から形而上へと変わっているのかもしれない。そこで、私は、「ヒューマニズム」ということが、最近気になっている。「ヒューマニズム」は、「人文主義」というような思想ではなく地下水のように流れて、あくまでも、弱く、みじめであるらしく、人間の心がまえ、心根ということらしい、と『ヒューマニズム考』(渡辺一夫著)から教わった。
■3月月例ネット句会ご案内■
①投句:当季雑詠
3月4日(月)午前6時~3月10日(日)午後5時
②投句は、下の<コメント欄>にお書き込みください。
※どなたでも投句が許されます。
▼互選・入賞・伝言
①互選期間:3月10日(日)午後6時~午後10時
②入賞発表:3月11日(月)正午
③伝言・お礼等の投稿は、3月11日(月)正午~3月14日(木)午後6時
○句会主宰:高橋正子
○句会管理:髙橋句美子・西村友宏
晴れ
雛飾る大路の春を思いつつ 正子
雛の夜星あることのなつかしき 正子
星が出で子が来て飾る雛道具 正子
帰りゆく子の背を送る雛の夜 正子
●昨夜夜中、ネット短信No.413を出す。3月月例句会と、花冠No.371(夏号)の原稿依頼。
●雛人形を飾る。雛人形を飾りながら、「京は今頃いい季節なのだろうなあ」と無性に思われた。今日雛を飾る、というのは月遅れの雛祭りのため。雛祭りのオルゴールがあったので、ねじを巻くが、鳴りそうにない。思い切り、壊れそうなくらい巻くと鳴り始めた。40年経っているから、止まりそうになって、またねじがほどける。
●句美子がチョコレートタルトを手作りして持ってきてくれた。タルト生地を焼くより、アーモンドを炒ってキャラメライズするのが大変だった、と言う。仕事が忙しすぎて、ケーキでも焼かないと、らしい。
●モーツアルトのピアノ協奏曲11番から最後の27番まで聞いた。通しで1番から聞いたのは初めてだが、一冊本を読んだような感じがしないでもない。。
曇
鴨帰り池のさざ波陽を受けぬ 正子
鶯の声を身近に山にいる 正子
耕しの畑の傾斜のびやかに 正子
●おととい、松山の麗美ちゃんからメールが来た。返信したら、きのうまた新しくメールをくれた。暮に喪中の葉書きを出して、合同句集『泉』を送っていたが、とくに返事はなかった。おととい、「ご無沙汰しています。信之先生のおくやみを申しあげます。『泉』もありがとうございます。」と。
麗美ちゃんは、松山で私が家庭塾をしていた時の教え子。中学のとき高校受験の勉強を5教科、砥部の家で見てあげた。高校生になっても来ると言うので、そのときは衣山のマンションに日曜日に来ていた。信之先生が、ポップコーンを作ったり、ポトフを作ってあげたこともある。高校に入ってからの成績はいつもクラスのトップクラス。おじいさんが作った大根を持ってきてくれて、それがおいしいこと。信之先生が喜んで、「うまいなあ」とよく言っていたことなどメールに書いてあった。
私は、メールの返信に「あと4日で92歳だったけど、最後まで元気で過ごしました。亡くなったときは、看ていただいた看護師さんたちにも、お医者さんにも『幸せだったと思いますよ』」と言われたと書いたら、納得したようだった。
『泉』の信之先生の「旅衣以後」の句の冒頭の一句は、麗美ちゃんを詠んだ句。
今日を来て少女夜学の灯を点す 信之
気づいてないようだったので、今日メールでそのことを教えてあげた。
雨のち晴れ
三椏の開きし花の真あたらし 正子
きらめいて節分草の密に咲く 正子
影が飛びすぐにもすぐにも笹鳴きす 正子
枯草を目覚めさせては犬ふぐり 正子
仏の座あかむらさきが野のいのち 正子
初音してすぐにも声は谷渡り 正子
桜芽木途切れてすぐに杉匂う 正子
林間にサッカー場見え春の坂 正子
鶯の鳴いてくれたり雨の後 正子
翡翠も水浴びすなり春の池 正子
●今朝、5時44分、弱い地震で目が覚めた。すぐに玄関のドアを開け、外を見た。雨だった。家で過ごすことにして、ルーティーンの仕事やクリムトの画集を見ながら、モーツルアルトのピアノ協奏曲を1番から10番まで聞いた。聞き終わるころ外を見ると青空が見えた。
●人に会わないことは、平気だが、それはよくないのではと思い、きのう行った徳生公園へ今日も鴨を見に行こうと昼前でかけた。今日は、おにぎりと砂糖を入れた紅茶を持って電車に乗った。降りるのは北山田駅。電車に乗ったとたん、四季の森の方がいいのではと思い始めた。電車が北山田駅に停まったとき、降りようという気にもなったが、1分の停車を我慢して、そのまま乗っていた。電車が動きだしたので、四季の森へ行くしかなくなった。
今日は、プロムナードは通らないで、丘のバスの通る道を取って、途中で下の道へ下りた。大木に紅梅がいい匂いをさせていた。梅畑の白梅も清らかな咲き具合。仏の座、おおいぬのふぐりが捨て畑に。四季の森に入ると、里山花壇の節分草の咲くあたりへ真っすぐ行く。節分草の立札のあたりには一花もなかったが、それからずれて、たくさんの節分草が咲いていた。ありすぎるほどたくさんの花に嬉しくなる。林縁に沿って歩くと、蓮池の岸に猫柳、山側に山茱萸、万作。池の翡翠は、魚を捕るのではなく、水に軽く頭を突っ込んで羽ばたき、そばの石に止まる。それを2回ほど繰り返した。水浴びのようだった。そばにいる白鷺が魚を捕まえて、くちばしに光らせている。
奥へ行くとまた、万作、山茱萸、川のそばに三椏の花が咲いている。万作は花びらがまつ毛を開くようにひと花も枯れずに開き、山茱萸の開いた花は水が澄んだような真実の黄色。三椏の蕾は銀鼠色、開いた花はビロードのような黄色の内側を見せて、三分は開いて、まだ、まん丸ではない。これから咲こうとする三椏の花のみずみずしい幸福感に、見れば見るほど涙が滲んできた。信之先生の写真をもってきて、見せてあげればよかったと思った。スマホに写真が残っているのを思い出して、スマホを取り出した。去年の3月27日の桜の花を金蔵寺に見に行った時の写真。ちょっと三椏とは視線があっていないが、よかろうと。
葦原の縁を奥へ歩くと、林の奥を見ているカメラを提げた二人の男性に遭った。小鳥を撮影しているのかと、そっと歩くと、そうではない。すると、笹薮から笹鳴が聞こえた。男性に、「笹鳴きですよね。」と言って、相づちをもとめたつもりでだったが、「ここには鶯はおらん。」とそっけない。そう言い終わるか終わらないうちに「ホーホケキョ」と鳴く声。きれいに「ホーホケキョ」。また奥へ歩く、ここにも鶯の声。縄張りがあるのに、二羽いる。早くも谷渡りをする声。山裾のピクニック広場に行き着いたので、丸木でできた階段を山頂へと上った。途中管理人に出会ったので、鶯のことを聞くと、今日が初鳴きだそうだ。
山頂に着くと、実は山頂ではなく、そこは広場で、光りが丘団地が広がっていた。四季の森公園西口の看板。幸い地図があったのでたしかめ、右手に行く大きい道路を取った。ひかりが丘小学校があるが、廃校になっているのかと思われる。桜の並木が続き、それが終わると杉林があり、鋭いほどの森の匂い。大きい椎などは道路にせり出す枝が切られている。大きい道を誰も通らない。下り坂となっている。とにかく歩く。左下に木々の間から、かなり広いサッカー場が見えて、周囲がトラックになっている。看板から神奈川大学のものとわかった。どこへ行くのか、頭の中の地図を歩いている。今度は野球場があり、高校生がトンボで整地している。アンツーカーなのに整地がいるのか。
ようやく民家やマンションが見え始めた。しかし坂はまだ続く。「台村」とある。聞いたことがない。反対側にバス停があるが、相鉄バスか、市営バスのようだ。森の台小学校があった。まだ、坂を下る。坂をのぼってくる人たち。主婦らしい人もいるが、鞄を提げコートをきた営業マンらしい人も通る。
小ざっぱりした小さい農家がある。ふかふかと耕された何も植えていない畑は、傾斜してゆるやかにうねり、その景色に添えるように紅梅が咲き誇り、紅梅から小鳥が勢いよく飛び立った。
信号を渡ってくる女子高生に遭った。道を聞くと教えてくれた。そんなに難しい経路ではない。しかし、行けど行けど駅に着かない。この辺りではと、通行人に聞くと、自分も駅に行くという。その人の後を付いてゆくが、私はここで、とどこかへ消えた。道は平たんになった。駅はすぐなんだろうと思って歩くと、駅前のロータリーに来た。
おにぎりをもって出かけたが、食べるチャンスもなく、ずっと歩いてきた。歩数計を見ると三キロ近く歩いている。信之先生と来たときは、帰りにいつも駅前のパン屋でパンを買って帰っていたので、今日も買った。信之先生にあんぱん、自分にクイニーアマンの二つ。三時間ほど出かけていたことになる。暖冬のお陰で、早春の花が咲き揃っている。幸福な日だった。
曇り
堰あれば水音生まれ春の川 正子
落葉しずめ落葉流して春の川 正子
五羽いれば二羽が睦みて春の鴨 正子
春の岸鴨がくしゅくしゅ水を呑む 正子
羽ばたいて鴨がその身を十文字に 正子
榛の実も花も焦げ色うす曇り 正子
連れ立ちて岸にあがりぬ春の鴨 正子
顔を水につけてばかりや春の鴨 正子
春の池波が木影を畳みけり 正子
●2月29日を「閏日(うるうび)」と言うらしい。
●午後「ふじやとの道」へ出かけた。北山田で下車。そこから「ふじやとの道」という緑道を池がある徳生公園まで歩いた。2.5キロ。軽く歩ける。幅が50センチもないような小川が、水底に落葉を敷いて、流れの際まで落葉が寄せて、やわらかそうな水が流れている。芹がところどころに育って、小鳥が二三羽ずついる。キセキレイ、椋鳥、四十雀がいる、徳生公園には鴨が3種、20羽ほど泳いでいた。人は数人。気に入っている場所は、イギリスの田舎の水があまり動かない、木々が映っている川のような池の部分。
徳生公園を出るとき、櫟のどんぐり、ハンノキの実、ポプラの実を拾った。
鴨の種類は、カルガモ、キンクロハジロ、あと一種類がわかないが羽はグレー、くちばしは青い鴨。
●徳生公園を出て道沿いに、北山田駅から一駅になるセンター北駅へ歩く。坂道をのぼっていると、目の大きな東南アジア系の、5.6年生ぐらいの少年が自転車で降りて来た。手に子供用のスマホをもって「ちょっと聞いてもいいですか」と言う。「いいよ。」というと、機関銃のように何語かわからない言葉をしゃべり始めた。一通り、聞いて、「どこかに行きたいの」というと、「はい。」といい、しばらくして「もういいです。」と言って坂を下っていった。見ると友達らしい子が十メートルほど先でこちらを向いて待っていた。彼はなにを聞きたかったのだろう。聞いてあげれず、かわいそうなことをした。
外国語と言えば英語が手っ取り早いが、普段全く話すことはない。ビジネスは別として、東南アジア人がこれだけ日本にたくさんいるのだから、東南アジアの言葉の簡単な一つ二つを勉強したほうがいい。もう、英語、英語と言うのはやめよう。
ちなみに私の実用ドイツ語は、数語。これで押していく。
Hello. Guten Tag. Guten Morgen. Tschüss . Danke shön. Bitte shön. Entshuldigung. Wo ist ~? Ich möchte…
晴れ
●日吉のスタジオ、グリーンヒルに今日午後1時間の利用予約をネットでいれた。行ってみると、予約が取れていない。そんなはずが。店員が「5時から半まで入れましょうか」と言う。考えて、利用することにした。また眼鏡を忘れて、譜面がろくに読めなかったが、少し椅子を引いて離れて読んだ。普段は眼鏡がいらないので、自分の遠視を忘れていた。
●スタジオの待ち時間丸善へ。『クリムト』(東京美術)と『西洋美術史』(新星出版社)を買った。スタジオの受付の女性に、クリムトの「ピアノを弾くシューベルト」を見せると、見たいと言う。私が練習している間、見ていていいと本を渡した。帰るとき、「この本、どんなにして見つけたのですか。ベートーベンもありましたよ。シューベルトも私が思っているのと同じ顔でした。」と興奮気味に言う。知ったかぶりで、クリムトのそれらの画の説明をした。「老女の面目」が立ったかも。
●スタジオに行く前に、ブラームスの交響曲1番を聞いた。カラヤンのウィーンフィルと、1992年の小澤征爾のサイトウ キネン オーケストラ。小澤征爾のブラームスのほうが、熱量が大きいかも。拍手が鳴りやまず、アンコールとなった。
晴れ、強風
苗木市柑橘多く売られけり 正子
苗木市遠き雪嶺の日を返し 正子
苗木市富士の雪嶺が見えており 正子
●昼過ぎから川へ鴨がどうなってるか見に行こうと思ったが、玄関のドアをあけると、突風。思い直して家にいることにした。信之先生の大連時代の写真を探さなくてはいけないが、缶に入っているのは確かだが、家のどこに仕舞ったか、見当がつかない。正月に、元希がおじいちゃんの小さい時の写真が見たいと言わなかったら、探すチャンスもなかったろうに。元希はこういうところがいい子なのだ。まだ、見つかっていない。
●夜8時を過ぎて近所のスーパーへ。スーパーの店員に「今日は遅いじゃないですか。僕はもう帰るよ。」と言われ、「眠りすぎて、一日ずれたのよ。」と軽口をたたきながら、寒さで人の少ない店で、切り餅など買った。一人暮らしになって餅が意外にも便利だとわかった。明日朝、食べるかも。食べても一個だが、きな粉餅、醤油海苔餅、砂糖醤油餅、醤油をつけて焼いた餅、たまにぜんざい。